第72話 竜虎
今年も、本物の勝負がやってきた。
残念ながら甲子園ではなく、舞台は神奈川スタジアムであるが、上杉が先発する神奈川との試合である。
そしてこの日は、開幕直前に負傷した柳本の、復帰第一戦となる。
復帰戦の相手が上杉というのは辛い気もするが、ならば誰を当てるというのか。
ライガースのエースは柳本である。
ここまで上杉は二先発つして、当然のように二勝している。
だが去年と同じく、打撃にはまだ迫力に欠ける。
アレクを取れていれば織田以上のリードオフマンとしてなってくれたかもしれないと思うのは、既にパの一軍の試合で出ているからである。
オープン戦から結果が出ていたので開幕から外野で使ってみれば、下位打線で打ちまくる。
そして一番打者に早くも定着しかけている。
これまでのジャガースはトリプルスリータイプの打者を一番、三番、四番においていたのだが、これが完全にクリーンナップに移動。
急激に得点力が高まっているのである。
やっぱり欲しかったと神奈川は嘆いているが、上杉、玉縄、大滝とこれまでのクジ運が良かったのだから、それで満足すべきであろう。
ただ外れ一位で指名した大卒野手は、まだ二軍にいる。
正確には一軍スタートだったのが、オープン戦の結果で二軍に落とされている。
そんな投手力の強い神奈川が、大介は大好きである。
柳本が復帰したということで、ローテションから外れるピッチャーが出てくる。
能力的に考えると高橋一択なのだが、これはロマン枠なので外せない。
困ったことに高橋以外のピッチャーは、全ての試合でクオリティスタートを決めているのだ。
新人の真田は、今季チーム一番乗りの完封である。
柳本、山田、琴山、山倉、ロバートソン、真田。
これでローテを組めれば最強なのだが、高橋はグラウンドだけではなく、その外にまで影響があるため外せないのだ。
二本の柱を外すことはありえないし、琴山はせっかく中継ぎから先発に復帰し、山倉は去年も九勝を上げた期待の二年目だ。
かといって助っ人で取ったロバートソンを外すなど訳が分からないことなので、山倉と真田と高橋の三人で、順繰りにローテの座を回すことにする。
リリーフ陣もきっちりと揃ってしまって、クローザーも機能しているというのが、逆に外す選手がいなくて辛い。
まあ高卒新人をいきなり完全ローテに組み入れるというのも、さすがに辛いものがあるのだ。
それに真田はサウスポーなので、左のワンポイントとして使いたい場面は絶対にある。
完投完封したルーキーを使わないという選択肢に、真田は当然ながら立腹である。
もっとも二つの枠を三人で争うのだから、それに勝つ自信はある。
子供のころから知っているピッチャーである高橋を、球団が200勝投手にしたいという気持ちも分かるのだ。
だがそれでマウンドをあっさり譲るなら、そいつはエースではない。
昨日完投しているので、本日は完全にノースロー。そしてリリーフとしても使わない真田だが、チームに帯同しては来ている。
ロースター登録もされていないので、ベンチにも入れない。だがブルペンで試合自体は見ている。
ブルペンではさすがに初回から、エースの柳本が投げる試合で肩を作ったりはしないが、もし今後クローザーとしてでも起用されることがあるなら、その時のために雰囲気はつかんでおくべきだろう。
そんなテレビの中では、160kmを簡単に出した上杉が、まずは二人を三振で片付ける。
そして大介の打席である。
真田は大介と話していて、何度も上杉での敬意と、同時に闘争心を感じた。
大介にとって上杉は、そこまで特別な存在なのだ。
自分がライガースに入団した時も、お前とはプロでも対戦してみたかったなどと言われたが、そこまでの未練は感じない。
今では一軍の中では、一番よく話している関係になっている。
もっとも、仲がいいというのとはちょっと違うのだが。
大介に対する初球は、いきなり166kmを投げてきた。
しかも画面で見る限り、わずかに変化したようだ。
MLBでもムービングファストボールは160kmなどそうそうないというのに、上杉は160km台後半で投げられるのか。
シニアでも高校でも、学年的には入れ替えで対戦する機会はなかっただけに、改めて対戦相手として見ると衝撃的である。
バッターとしても優れたセンスを持っている真田であるが、とても打てる気がしない。
だが画面に映った大介は笑っていた。
「戦闘狂め……」
だからサイヤ人などと呼ばれるのだ。
やはり違う。
金原に感じた、お前もやるな、という上から目線の認め方とは、断じて違う。
命のやり取りとはこういったものではないのかとさえ思える、ちりちりと首筋が焼きつく感覚。
体内の血液は確実に熱くなり、肺は酸素を猛烈に必要とする。
脳は、ただそこにあればいい。
思考はすることなく、ただ反射で打て。
二球目。完全に遅い。
それでも140kmは出ているチェンジアップを、大介は振らない。
ゾーンの下に外れたボールは、普段の大介であれば打っていてもおかしくはない。それもゴルフスイングでのホームランだ。
だが上杉相手であれば、そんなところにまで網を張っていれば、速球が打てないのだ。
並行カウントの1-1から次に来る球を、大介は空振りした。169kmのストレートは、明らかにゾーンを高く外れている。
スピン軸をまっすぐにした上杉のボールは、完全に浮き上がって見える。
ムービング系と比べると、上に変化する球に見えるのだ。
追い込まれてからは、さらに楽しい。
ひりひりとしてきた。首筋に死神の鎌を当てられているような気分。
生きていることをはっきりと感じる。
次で決めるか?
上杉は遊び球は使わない。
外してくるとしたら、それは振らせるための球だ。
(来るか)
ゆっくりとした大きい動作から、指先が消えるほどの速度のリリース。
一瞬、ボールが止まって見えた。
チェンジアップ。
大介は振らない。ただ見送る。
ストライクがコールされて、三振となった。
上杉は現時点で間違いなく日本最高のピッチャーであるが、このままならば日本史上最高のピッチャーになるだろう。
安定して20勝前後の勝ち星を三年連続で上げていて、平成以降の野球では最速で50勝を突破した。
昭和のピッチャーは普通に先発と中継ぎを両方こなしているので比較は難しいが、この調子で200勝まで到達したら、間違いなく日本最高と言っていい。
20代での200勝投手などというのは、現代の野球では上杉以外には不可能であろう。
アメリカを混ぜても、おそらく今後は出てこない。
メジャーは基本的に、高卒ルーキーをメジャーで使うことはない。いくらトッププロスペクトの素材であっても、ルーキーリーグなどのマイナーを経由させる。だから選手としての完成が遅い。
この意味でも10代で結果を残すなら、実はアメリカよりも日本の方が向いている。
ただトップレベルのピッチャーの選手寿命は、アメリカの方が目立つ。日本にも選手寿命の長い投手はいたのだが、一時期一気に短くなって、また最近は延びてきたという印象がある。
(そもそも年間30登板前後しかしてないのに、五本以上ホームランを打ってるのが異常なんだよな)
そう思いながら投げる柳本は、しっかりと神奈川打線を抑えていく。
両方のピッチャーのストレートが走っていて、毎回奪三振を記録する。
ただ三振を奪うのに必要な球数が違う。
上杉は無造作に三球投げて、三振を奪える唯一のピッチャーだろう。
柳本も奪三振率は高いピッチャーだが、上杉に比べるとずっと投球術を駆使している。
上杉の場合は、普通のストレート、本気のストレート、スローボールだけでも三振を取ることが出来る。
ただ本人もさすがにムービング系の球を使って、球数は増えないように進化してきている。
それでも去年も、奪三振王を取っているのだが。
両者全く打線が動けず、三回の裏。
ツーアウトから打席には、ピッチャーの上杉。
この九番に上杉がいるというのが、そもそも反則だと思う。
野手に比べて絶対にバッティング練習は少なくなるのがプロであるのに、それでも最初の二年上杉は三割を打っていた。
去年はぎりぎり三割に乗らなかったが、下手をすれば投げない時は、ファーストあたりを守っていた方がいいのではという二刀流も議論される。
だが上杉は、ピッチャーにこだわっているらしい。
ピッチャーというのは年に30試合ほどに出て、数億を野手と同じように稼ぐポジションである。
143試合も試合をしていれば、そこのどこかで怪我をする可能性は必ずある。
そしたらピッチャーとしても、その間は投げられなくなる。
もちろん打線の一員として働くつもりはあるが、怪我をした場合に休めば、そこをどのピッチャーが埋めるのか。
上杉以上に確実性のあるピッチャーがいないこの状態では、リスクを簡単に取ることは出来ないのだ。
だが、打席に入れば別だ。
上杉が甲子園で打ったホームランは10本。一年の夏から出ていたとは言え、エースで四番がこれだけ打っていたのだ。
打席によっては敬遠されたことも何度もあり、それで一点が取れずに負けたこともある。
この回の上杉はまずい。
マウンドの上の柳本を、逆に見下すような視線。
(この貫禄……)
柳本は巨大なプレッシャーを感じるが、それに負けたりはしない。
(ピッチャーとしてはともかく、バッターには負けん!)
柳本のストレートを打った上杉の打球は、深いレフトフライとなった。
九回が終わる。
上杉はよくやってしまうことだが、今季初登板の柳本も、九回を完封した。
そして延長に入るのだが、さすがに柳本はここで交代する。
本人としてはまだいけるという判断であったが、故障明けで球数も増えていて、シーズン序盤で無理はさせないという判断である。
勝ち星がつかなかったことは残念であるが、無失点に抑えたのだからあとは打線の仕事である。
上杉はまだ投げる。
ここまで塁に出したのは、大介のヒット一本を除けばフォアボールとデッドボールが一つだけ。
ただ制球もいい上杉がデッドボールとは、随分と曲がる変化球を使ってきたものである。
あれほどの変化があるのに、あれだけ曲がるのか。
おそらくは高速スライダーだと思われるが、上杉が投げればなんだって高速がつくだろう。
ライガースが勝利の方程式である三人で、ランナーを出しながらも0行進を続ける中、上杉も150球を超えてまだ衰えは見せない。
延長に入っても160kmから落ちないどころか、際どいコースにきっちり決めて、簡単に三振を取ってくる。
シャーシもエンジンも、普通の人間とは桁が違うのだ。
だから問題は、上杉以外のどこで勝つかになってしまう。
これがバッターの話になると、とりあえず大介は敬遠してしまって、他のバッターをどうにするという話になる。
ただピッチャーは勝負をしにいっているのに対し、バッターはピッチャーから逃げられると何も出来ないという、そういう不平等さはある。
そして上杉は、大介に対しても逃げない。
観客も視聴者も、強打者に対して様々な球団のエースが、逃げるだけの試合など見たくないのだ。
強打者相手でも勝負して、それで勝つのは本物のプロである。
大介だって四割は打ってないのだから。
プロ野球ファンが見たいのは、上杉と大介の真っ向勝負なのだ。
逆に言えば上杉が大介を敬遠するなど、たとえ勝つためでも見たくはないのだ。
贅沢なと言うかもしれないが、それがショービジネスというものだ。
パフォーマンスを最大限に発揮し、それで勝負に勝ち、試合にも勝つというのが、理想的なのだろう。
勝つためには何をしてもいいのか、勝つよりも大切なことがあるのか。
上杉の場合は、理想的な勝ち方を追求する。そしてそれで結果を出す。
皮肉なことに、この日の大介は五打数の二安打で、打率四割を記録する。
しかし他のバッターが全く打てず、特に助っ人外国人のグラントなどは、全ての打席で三振して、首を振るしかなかった。
スコアとしては0-0の引き分け。
神奈川としては上杉が投げても勝ちにならず、ライガースとしては上杉を攻略しきることが出来ず。
結局今年もまた、この二つのチームは、話題を振りまきそうである。
だが話題はライガースとグローリースターズに集まっていたが、開幕でライガースに三連敗したタイタンズ。
そこが調子をどんどん上げてきて、実はライガースに続く二位になっているのである。
半世紀前には純血主義を取り、外国人選手を使っていなかったタイタンズ。
だが現在ではFAにしろ育成にしろ外国人にしろ、とにかく数を取ってその中から調子のいい者を使っていくというスタンスであったりする。
そのくせドラフト上位で取った選手は、それなりに優遇するのだが。
別に大介などは、自分たちが勝っていればそれでいいという立場であるのだが、あそこには盟友岩崎がいる。
新加入の選手が多くて出場機会が得られないなら、それは選手にとって最も良くないことである。
FAで選手を獲得していて、その中のプロテクトされていない選手にいたら、他の球団に引き抜かれることもあるだろう。
西片にしても実は、タイタンズも獲得を狙っていたそうだ。
しかし西片自身が、出場機会などを考えれば、タイタンズはありえないなどと話してもいたらしい。
ともあれ、これでリーグ内の全球団との対戦となる。
神奈川との残り二試合、ライガースがどう戦うのかは、はっきり言ってピッチャーが大介と勝負してくれるかどうかである。
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