第71話 史上最高の八位指名
大京レックスの金原海人は、史上最高の八位指名などと呼ばれている。
ドラフトの順位であるが、基本的にドラフトというのは、期待度が大きいほど指名順位も高くなるのだ。
そのドラフト八位にまで金原の評価が低かったのは、甲子園で肘を壊して選手生命絶望、とまで言われたからである。
嘘である。
東京において治療とリハビリを行っていた金原が、次の年の開幕までには間に合うことは分かっていた。
その医師の診断書などを持って、編成会議で熱弁し、八位指名で取らせたのが鉄也である。
そして新人合同自主トレから、二軍でのキャンプに至る過程で、金原が既に回復していることと、そのスペックの高さが明らかになっていった。
試しに投げさせたら二軍の試合では無双し、一軍に上げても勝ち星を上げた。
まだ早いと鉄也が散々に言って、肘に痛みがでてから、二軍に落ちてきてくれた。
金原はそのエンジンに比して、まだシャーシが脆いのだ。
体格からいっても、おそらく将来的には160kmも夢ではない。
そこから半年以上は、地味なトレーニングと食生活で体作りをした。
そして今季、開幕ローテに入った金原は、150km台後半のストレートを中心にガンガンと押している。
大京レックスとの第二戦は、そんな若い力が爆発した金原と、ベテランの貫禄と言うよりは小手先の技術を積み重ねる高橋の投手対決となる。
はっきり言ってピッチャーとしての実力は、経験を合わせたとしても、既に金原が上を行く。
だがそれで済まないところが、野球というスポーツである。
バットの上をボールが通り過ぎ、今季なんと、これが二度目の三振の大介である。
おおお、と甲子園が震えたが、金原の最後のストレートは156kmであった。
「速かったか?」
「速いだけじゃないですね」
初回を三人で終えた金原が、マッチョな肉体の上の顔に笑みを浮かべてベンチに戻っていく。
それを見送る大介は、金剛寺とわずかに言葉をかわす。
「ホップ成分が多くて……そういやあいつ、坂本に勝ってるんだった」
珍しく、次の打席ではなく過去に対して、己の油断を悔いる大介である。
野球という競技の中で、大介が脅威を感じた人間はそれほど多くない。
特に高校時代は、純粋に自分と対等以上に戦えると感じた敵のピッチャーは真田ぐらいである。
傲慢ではあるが本心であり、そして真田とは違うが、油断してなくても上手く打てなかったのが坂本だ。
あの千変万化の坂本の瑞雲を相手に、金原は投げ勝っているのだ。
次に対戦した白富東戦では、マウンドに立つことすら出来なかったので忘れていた。
何度か首を振ってからのストレートだったので、おそらくキャッチャーは勝負を避ける組み立てだったのだろう。
そこからプライドをもって投げて、大介が三振するストレートだったのだから恐れ入る。
ストレートと分かっていて振って、それで三振したのは久しぶりだ。
「インコースやったな」
「次は打ちます」
だが、この三振でレックスは勢いに乗った。
技術と経験、そしてあとは間の取り方で、相手の打ち気を逸らすのが、高橋のピッチングである。
だがこの日に限っていてば、その間の取り方も上手く働かない。
むしろレックスに余裕を与えてしまっていた。
これはおそらく、移籍した西片が、高橋のピッチングについて語っていたからであろう。
初回で二点、二回で五点の大炎上で、この日はお役御免となる。
ここからでも最後まで、コールド無しで戦わなければいけないのが、プロの辛いところである。
ただ大介は、極めて利己的ではあるが、この事態を歓迎していた。
これだけの点差がついているなら、金原は次の打席も勝負してくるだろうと。
そしてその勝負は、おそらく楽しいものになるであろう。
甲子園のライガース応援団も、さすがに意気消沈である。
あと一勝していれば、開幕からの連勝の、歴代タイ記録となったからだ。
いくらチーム状態がいいと言っても、今の高橋はもう信頼出来るピッチャーではないのだ。
記録に挑戦するためには、どちらかの記録を諦めなければいけなかった。
そして諦めるほうを失敗して、この有様である。
よかろう。ならばあとは、大介のホームランを期待しようではないか。
もしもこの点差で逃げ回るようなら、レックスの選手は試合後、生きて甲子園を出られないだろう。
だが、その期待に金原は応えた。
大介の一試合当たりの三振率は、およそ0.34である。
つまり三試合に一度ぐらいしか三振しない。それもおおよそは、ボール球を無理に打ちにいっての三振である。あとはストライク判定のミス。
それがこの試合は二打席連続で、しかも同期入団の金原から三振を喫した。
二打席目の最速は、157kmである。
なるほど、と大介は頷く。
一応去年も対戦はしているのだが、ここまでとは思っていなかった。
(ボールの伸びはタケ以上かもな)
事実はともかく、金原はこの試合、完全にゾーンに入っている。
確かに甲子園の試合でもたいしたものであったが、まだこれほどの伸び代があったのか。
序盤で試合の流れを決める、大きな失点があったのも効いた。
大介の開幕からの連続試合安打記録も途切れて、ライガースは金原の前にわずかヒット二本に抑えられてしまう。
プロ野球タイ記録となる開幕11連勝にも並ぶことなく、ライガースは敗北した。
金原はプロでの初完投を、初完封で飾ったのである。
敗北がチームを落ち着かせた。
開幕からのスタートダッシュで、確かに二位以下には大きな差をつけた。
しかしそれは、勢いに乗っただけで、何かの拍子に脆くも崩れるものだったのだ。
ベテラン高橋の乱調という問題もあったが、むしろこれでチームとしては一息を入れたと言えるだろう。
連勝記録などというのは確かに凄いものなのだが、プロの本来のチームの実力差を考えれば、あまり正常な状態とは言えない。
敗北の翌日、ファンはまだ騒いでいたが、練習する選手たちはしっかりと気分を切り替えている。
そしてこの日の先発は真田である。
「一点で足りるか?」
試合前に、ベンチの中の真田に、大介はそう問いかけた。
これが正常な時の直史であれば「多ければ多い方がいい」などと面白みに欠けたことを言ったのかもしれない。
だが、真田は違う。
「あとはエラーがなければな」
クソ生意気な後輩に、大介は頷く。
ライガースの監督島野は、試合前の雰囲気でほっとする。
熱狂はなくなっているが、失意の中にもいない。
選手たちは集中して、目の前の試合に備えている。
あとはピッチャーの立ち上がりであるか。
真田は立ち上がりの悪いピッチャーではない。
同年代に似たレベルの化け物がいるから目立たないが、甲子園でもレジェンドレベルの投球をしている。
決勝で白富東を相手に15回を投げ、大介を含めて一点も取られなかったのだ。
普通なら優勝している内容であるが、直史がいたのが不幸である。
もっともさらに上を目指して研鑽したことは、強大な敵がいたからだとも言える。
一回から三振二つを奪うピッチングで、前日のいやな雰囲気を吹き飛ばした。
昨日打てなかった分、とでも言うかのような、大介の先制ソロホームラン。
「なるほど、一点か」
真田は不敵に顔を歪め、二回のマウンドに登る。
今日は調子がいい。
スライダーも切れているし、いっそのことノーヒットノーランでも狙ってみるか。
そんな新戦力のことを、当然ながらレックスの西片は知らず、真田に対しては探っていく攻撃となる。
だがスライダーは左打者にとっては、ほとんど打てない魔球である。
毎回奪三振で、勝利投手の権利を得た五回までに、九つの三振を奪っていた。
島野としては、真田に長いイニングを投げさせることは反対である。
素質は素晴らしいし、今後の伸び代も見込める。ただ、体の耐久力には不安が残る。
高校時代にはちょっとした故障もしているし、特にスライダーを投げる時は、肩や肘に負担がかかっていそうなのだ。
ただ、ここまでに分かっていることもある。
真田はプライドが高い投手だ。
前回の初登板では、点差もあったし早めに降ろすことにした。
しかしこの試合は大介が最初に一発放り込んだものの、追加点が入らない。
ベンチの中で真田は集中し、味方の拙攻にも表情を変えない。
「今日は真田、最後まで行かせても大丈夫やろか?」
「球数次第ですけど、行けなくはないかと」
そんなピッチングコーチとのささやかな相談もされている。
真田は特に味方に期待もしていないし、絶望もしていない。
高校時代は一点を取っていったバッターが、一点を取ってくれた。
不思議な気持ちになりながらも、接戦の中のベンチが心地いい。
そんな中で大介は、真田と気安く話す。
なんだかんだ言って甲子園の思い出は、二人に共通のものなのだ。
「最初のセンバツは完全にやられたからなあ」
「俺が入る直前でしょ。あんたそんな殊勝なタマじゃないでしょうに」
「雨のせいでナオが点を取られたからな。あれが痛かった」
「あの化け物、ちゃんと点を取られるんすね」
どうやら真田からも、化け物扱いであるらしい。
「そういやお前は上杉さん知らないのか」
「直接は当たったことないですよね」
真田は上杉が卒業してから高校に入学している。
だが先輩からは散々、その恐ろしさは聞いたものだ。
試合に勝って上杉に負けただの、勝負に勝ってルールに負けただのと言われた、これも伝説の一戦となる春日山と大阪光陰の決勝。
上杉に完全に封じられた大阪光陰が勝てたのは、再試合によって上杉が球数制限で降板したからだ。
そう言われているし、大介もそうだったと思っている。
「投げ合ってみたいですね」
「今のプロでそんなこと言えるの、お前だけかもしれないな」
上杉と投げ合って、それで負けて調子を崩したエース級ピッチャーはいくらでもいる。
上杉の影響力がその試合だけでなく、シーズン全体を支配していたということと言えよう。
「でもあんた、去年は勝ってたでしょ」
「シーズン中の成績はな。でもプレイオフはひどいもんだった」
五試合でわずか打点一だったのだから、とても活躍したとは言えない。
「一応ホームランも打ったけど、まだ勝てたって実感はないな」
「まあ野球はピッチャー有利なスポーツすからね」
ライバルであったと思われてもおかしくない二人が、こうやって隣り合って話す。
これこそプロ野球というものだろう。
そして同じチームの者でも、トレードやFAで、また敵対することになる。
だがそれは対戦相手であっても、敵とは違うのかもしれない。
このプロ野球の中では、苦手とする相手であっても、勝負を演出する舞台俳優であることには変わりはない。
大介はまだ経験していないが、岩崎やアレク、鬼塚の姿を相手チームのベンチに見たとき、どういった感じがするのだろう。
懐かしい感情は湧き上がる気はするが、それだけではないと思う。
「追加点取ると、交代されるかもしんないすね」
「ああ、そうだなあ。肩の調子はもう完全にいいのか?」
「周りが大事にしすぎてくれるんで」
真田はまだ、故障の本当の恐ろしさを知らない。
だが投げられなかったあの春の期間は、確かに他に例を見ない恐怖を感じていた。
「でも完封したいんすよね」
「一点でも取られたら、交代でいいのか?」
「う~ん、プロってイニング数が増えた方が給料増えるんでしょ? かと言って勝利投手の方が給料上がるらしいし」
大介は安心した。真田もしっかり金にこだわる人間らしい。
おそらくプロにおいては、野球が出来るだけで幸せということは、良くも悪くも働くのではと、大介は感じている。
大介は、金を稼ぎたい。そのために無理をしないことは心がけている。
すべき時には、あるいは無理をするのかもしれない。
考えてみればワールドカップの時は、骨折しながらバッターボックスに入ってしまった。
「じゃあそろそろ追加点を入れて、楽に投げるようにしてやるかな」
そして大介はバットを持ち、ベンチの中から出ていく。
この日、大介は今シーズン初めてとなる、一試合複数ホームランを記録した。
真田はプロ初完投を、初完封で飾ることになる。
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