第4話 キャンプ入り
二月の初日、プロ球団の春季キャンプが始まる。
ライガースが行うのは沖縄県宜野座村。沖縄本島にある人口六千人ほどの集落である。
ここには球場以外にも多くのスポーツ施設があり、この時期のプロ球団の活動により、かなりの収益が上がっていたりする。
「や~、沖縄は修学旅行以来だな~」
大介としては、さすがに真夏ほどの暑さはない沖縄に、昔日とは違った思いを抱くものである。
「修学旅行? 秋季大会中じゃないのか?」
平気で修学旅行を休ませるのが、強豪の私立野球部である。
山倉にもその常識があったので、大介の言葉には反応した。
「いや、うちら公立だったから。大会中でも普通に修学旅行やってたんで」
「そ、そうか……」
「お前らのガッコって、合宿とかもしてなかったのか?」
一軍帯同組の黒田が、釈然としないとばかりに尋ねてくる。
大介にも分からないではないのだが、そういう場合はこう言うようにしている。
「中坊の時も野球部やってたけど、高校の方が時間短いのにキツかったからなあ」
監督が秦野に代わった現在でも、白富東の基本的な指導の理念は、元々白富東にあったものに、セイバーのメジャー流を加えたものだ。
土曜日か日曜日は、どちらかは必ず休みとする。平日も一日は休みがあるし、練習に来たくなければ来なくてもいい。
「なんでそんなゆるっゆるのチームが全国制覇するんだよ~!」
大介の首を絞める黒田であるが、力は入っていない。
「つーかセイバーさんの理論によると、日本のアマチュアは練習のしすぎなんだって」
「練習しなくちゃ上手くならないだろうが!」
首絞めから卍固めに移行した黒田であるが、大介はそこからするりと抜け出す。
「だから、どうでもいい練習をしすぎなんだってばさ!」
まあ大介にしても、最初はよく分からなかったものである。
セイバーの考えは、セイバー・メトリクスのトラッキングを由来にしておりながらも、極めてコンサルティング的な考えをしていた。
自分を監督と呼ばせないところや、選手を管理するのは最低限にし、采配においても最低限のことしか言わなかった。
それはもちろん彼女が技術的なことには疎いということもあったが、そもそも考えがアメリカの考えであったからだ。
鬼塚の髪についても、直史や大介の問題行動についても、それを指導するなど素振りも見せなかった。
そういうことを聞くと日本の野球に慣れた者は、随分と自由にやらせているのだなと皮肉気に笑うのかもしれないが、実際のところはドライであった。
選手の肉体的なデータを取ってしまえば、その限界以上のことはやらせない。
実力優先と言うよりは適材適所で、一年を春の大会から平気で使っていった。
苦しみの中からこそ限界を突破するというのを、彼女は信じなかった。
限界ギリギリというのも嫌った。そんな精神論よりも、もっと技術を磨くべきだと広言していた。
大介はそれほどでもなかったが、直史は完全にセイバーの言葉を信じていた。
だが実際には自分のメニューは自分で決定していたのが、直史らしいところである。
セイバーも投球の技術的な部分は、どうしても直史の力は説明がつかなかったようである。
大介は体が小さいだけで、フィジカル自体は優れているというのが彼女の考えであった。
アメリカナイズな指導が、不信の塊であった中学軟式の後にあるだけに、大介はセイバー流、あるいは白富東流に染まっている。
プロ野球選手になった今は、はっきりとそれが正しいのだと分かる。
プロにおいて一番優先すべきは自分である。チームではない。
自分よりもチームを優先する選手は、チームを勝利させることが義務付けられた選手である。
ドラフト後に届いたセイバーのメッセージの中でも、特に印象に残ったことだ。
思えば高校時代でも、一年の時はただひたすらピッチャーを打ち砕くことしか考えていなかった。
北村がいなくなって、自分が打たなければチームは勝てないのだと分かった。
そして最終学年になると、求めるものは優勝になった。
自分はプロになり、野球で飯を食っていくことになった。
ならば一番大事なことは何か。
プロであるからには客商売であるのは確かだが、ドラフト一位と言われても、まだ何も結果を出していない高卒新人である。
大介は確かに高校時代の成績だけで、既に球団の宣伝に寄与しているのは間違いない。
だが実際に野球で成績を残して、それで食べていくというだけの金を貯めるまでは、自分本位で行けばいい。
ただそれとは別に、チームがどういう状況にあるかは判断しなければいけない。
なぜならあまりに優勝から遠ざかったチームであれば、球団としての収入が落ちて、年俸も上がりにくくなってしまうからだ。
単純に言えばクライマックスシリーズに進めば、それだけ多く試合をしなければいけないが、活躍する余地が増えて年俸を高くする。
成績を上げて、それがチームの勝利へとつながり、プレーオフから優勝までつながれば、自然と給料が上がっていく。
ゴールデンルーキーだとか、プロの雰囲気に慣れるとか、そんな余分なことは考えない。
相手を見て、隙を見出し、そこを突く。
大介は計算高いが、同時にハングリーでもある。
一軍キャンプには当然ながら、ここまで個別にやってきたベテラン勢も加わる。
ライガースのアラフォーセットと呼ばれる、不動の四番金剛寺、不動の正捕手島本、不動のクローザー足立。
主力の戦力が、足立の41歳を筆頭に、島本が40歳、金剛寺が39歳と、さすがに不安になる布陣である。
ただ金剛寺は去年も100試合少しのスタメンで20本のホームランを打っており、島本は二番手の捕手と実力差がある。
足立はもう、この年齢でよくクローザーが務まるなとファンですら思うのだが、なんとかかんとか勝ってしまうのだ。
まあライガースが競って勝っている試合で九回を迎えるパターンが少ないので、登板数が少なくて、それでどうにかなっているという話もあるのだが。
他には足立と同じ年齢でありながら、ローテーションで20試合は登板する高橋、それよりマシだが藤田や椎名も30代半ばを越えていながらローテーションピッチャーである。大崩れしないので、チーム編成としてはありがたいのだろう。
だが勝ち星をつけて貯金を増やせるようなピッチングをするのは、育成から上がってきた大卒三年目の山田、FAで入ってきた柳本ぐらいである。あとベテランで勝ち星をつけてくれるのは青山ぐらいで、勝ち負けがトントンか、黒星が先行している。
そして中継ぎもまた30代の半ば近くが多く、投手陣の高齢化は野手陣よりも厳しいと言えよう。
引退したら即コーチの声がかかってもいいほどの実績を残している者が多いのだが、低空飛行で安定しているのだ。
こんな年寄り連中ばかりなので、シーズンの中で一ヶ月ぐらいは故障で休みに入り、その間にチームに負けが込んでくる。
現在のセ・リーグはAクラスに入るチームと、Bクラスに落ちるチームが、割とはっきりとしている。
上杉が入ってから二年連続リーグ優勝と日本一の神奈川はともかく、次に強いのが東京タイタンズで、広島までがほぼ不動だ。
しかし広島は中核選手がタイタンズにFAで流出したため、ややチーム力は落ちている。
大京レックスはやや復調の兆しが見られ、おっさんばかりで怪我人続出のライガースと、新人が育ってこない貧弱打線の中共フェニックスが、ドベ争いをしているというのが正直な状況だ。
さて、現在のプロ野球においては、一球団が支配下登録出来る人数は、70人までとなっている。
そして一軍登録と呼ばれる出場選手登録は、29人である。
実際に試合前にベンチに入るのは25人であり、残りの四人は何かと言えば、ローテーションピッチャーなのである。
先発ピッチャーはローテーションで回しており、一つの試合が終われば次の試合まで体を休める。だからローテーションピッチャーは基本的に五人であり、この枠を争うのがプロの世界である。
マンガのように、ローテーションに入っているエースピッチャーが、突然中継ぎや抑えで登板することは出来ないはずなのだ。なぜか創作物では普通に登板してロングリリーフなどをしてくるが。
ちなみにこれはペナントレースの話であり、終盤の優勝や順位を争う状態では、先発のローテーションエースピッチャーが中継ぎや抑えとして使われるために入っている場合もある。上杉の一年目などがそれである。
また裏ローテとも言われる、ローテーションピッチャーであるがそれほど勝ちを求められていないピッチャーは、中継ぎのように便利に使われたりもする。
おおよそこの29人のうち、投手は11~15人である。球団の構想にもよる。
現在のライガースの場合は投手の高齢化により、完投能力が落ちているため、やや投手は多めに入っていることが多い。
野手の出番が少なくなりそうとも言えるが、実際は野手も小さな故障をしては二軍落ちを繰り返すため、ちょっと一軍に上がってきては、しばらく使って成果を残せずにまた二軍に戻るということがある。
選手が高齢化し、それなりに若手にも出番があるのに、次が出てこない。
ベテランが意地を見せているとも言えるが、若手がどうにも不甲斐ない。
成績が低迷しているだけに、大きな改革が必要だとは思うのだが。
キャンプのスケジュールはだいたい週に一度か二度の休日があり、およそ一週間目あたりに紅白戦が行われる。
ベテランの選手たちはまだこの段階では調整で、主に若手が起用される。首脳部へのアピールタイムだ。
大介はその最初の試合で、いきなり紅組三番ショートのスタメンに入る。
ライガースのショートはこれまで、スタメンでは比較的若めの石井のポジションであった。
ドラフト下位で入団し、徐々にその力を認められ、打撃に関しては、打率そこそこ、出塁率もそこそこ、走塁もそこそこ、そして守備は上手いという、単にユーティリティプレイヤーと言うには、それなりに打っている選手である。
この石井は白組に入り、どうやら大介と競い合わせるようである。
石井の守備は堅実であり、ゴールデングラブ賞を二度も取ったほどに、守備には定評がある。
打撃の方もそれほど悪くはなく、八番や七番を打たせているのは、守備での負担が大きいと思うからだ。
(白石がショートでバッティングもパフォーマンスを出せるなら、石井はセカンドあたりにコンバートして、上位に持ってこれるかもしれん)
一軍の監督である島野には、そんな思惑がある。
紅組の三番バッター大介は、初回の表に当然ながら打順が回ってきた。
期待のゴールデンルーキーに、試合を取材するマスコミも興味津々である。
大介としては、確実に実力を証明し、開幕から一軍のスタメンは獲得しておきたい。
ピッチャーの草場はかつてはローテーションで二桁勝利もしていたが、徐々に中継ぎに役割を変えて、セットアッパーとして勝ってる試合を確実にクローザーにつなぐよりは、どんな試合でも中継ぎで出て、それなりのピッチングをする選手だ。
年齢は32歳で、谷間のローテーションで先発をすることもあり、試合を崩さないピッチャーとして評価されている。
(球種はフォークとカーブだっけ)
大介に対する初球は、やや高めのストレートだった。
あっさりと見逃してボール判定。大介はとりあえずツーストライクまでは打つ気がない。
ストレートでツーストライクまで追い込まれた。
バッターの打率というのは、ストライク先行になればなるほど凡退の率が上がる。
これは統計上も確かな事実であるのだが、バッターが意図を持ってストライクで追い込ませた場合はその限りではない。
コーチ陣としては一度もバットを振らない大介に、ややハラハラしたものを感じるのだが。
わざわざ経験豊富な草場を先発させたのは、プロのボール以外の技術を体験してもらうためだ。
大介としては、紅白戦とはいえ試合なので、久しぶりの感覚に感動していたりする。
そして高校時代とプロとの、決定的な違いも感じていた。
バッティングピッチャーで投げてもらっていた時には感じなかったが、タイミングの取り方やコントロールなど、こちらの打ち気を確かに感じている。
そして何より、間の取り方だ。甲子園なども顕著だが、高校野球に比べてゆったりとしている。
(そろそろ変化球投げないかな)
そう思いながら、ゾーンに入ってきたストレートをカットする。
紅白戦はアピールの場であり、給料には全く関係しない。
だがここで良い印象を残しておかなければ、一軍での出場機会はない。
草場もベテランとして、プロの味をこの高卒新人に教えてやりたい気分はある。
そして投げた変化球はカーブ。
ストライクゾーンを外に外れたところへ投げたが、大介はボールを承知で振りにいった。
打球はサード正面への痛烈なライナー。
姿勢を崩すほどの勢いであったが、まず初打席は凡退であった。
ベンチに戻ってきた大介に、同じ組に入れられた山倉が声をかける。
「どうだ、プロのピッチャーを試合の打席で打った感想は」
大介としては率直な感想は言いにくい。
「間の取り方が高校とは違うかな」
だがボールの威力自体は岩崎の方が上であるし、タイミングの外し方は直史に全く及ばない。
「高校大学で、球威自体はプロ並のピッチャーが、どうして一年目は通用しないか分かった」
外付け頭脳であるチームメイトがいなくなった今、大介は高校時代勉強に使っていた脳のリソースを、野球での分析に使っている。
高校野球の中でも甲子園は特に顕著であるのだが、試合進行の関係上、ストライク判定は甘くなったり、交代やタイムも急かされることが多い。
もちろんプロでものんべんだらりとやっていたら、お客さんの気が抜けてしまうので、それなりに盛り上がる試合展開にしなければいけない。
だが一日に四試合を見るかもしれない甲子園と違い、プロ野球は一日にその一試合だけだ。
試合の中でも、集中出来る。
左中間を貫く打球をイメージしていたのだが、少し弾道がずれてしまった。
実力ではなく、おそらく慣れが必要になる。
一回の裏は、先頭打者がいきなりショートの守備範囲に打ってきた。
レフト前に抜ける打球を大介は飛びついて捕球し、そこからバズーカ送球である。
足のある一番をアウトにしたプレイは、やはり記憶に残る。
「白石は守備もいいんだよな」
「全身バネの塊だ。身長も苦にしないジャンプ力で、頭の上の打球も捕るし」
「ショートか。でも守備負担が大きいよな」
「石井はいいショートだし……金剛寺の負担を考えると、金剛寺ファーストで、白石サードとかでいいんじゃないか?」
グラウンドの外で記者や見学者が色々と言っているが、コーチ陣の見方は違う。
石井の守備負担を減らせば、もっと打力に期待出来るのではということだ。
試合は続き、投手は三イニングほどで交代していく。
野手もある程度は交代するのだが、大介は交代せずにそのまま打席に入る。
二打席目はセンター正面のライナーで、三打席目はライト正面のライナー。
アウトになってはいるが、少し大きければ、少し横を抜ければ長打になる。何より確実にミートしている。
しかも、ツーストライクから粘って、変化球を狙って打っている。
「お前、ストレート打っていった方がいいんじゃねえの?」
自身も二イニング投げてきた山倉が、また大介に声をかける。
「そりゃホームラン打つだけならそれでいいけど、単に打つだけじゃダメだし」
自軍の攻撃の間、大介はどっかりとベンチに座ることなく、バットを持ってピッチャーとのタイミングを測っている。
大介は頭が悪い人間ではない。ただ、勉強をするのに頭を使うのが苦手だっただけだ。
その勉強にしてもとにかく集中してそれに向き合えば、県下有数の進学校に進むだけのことは出来る。
それがプロになって野球に完全に向けられれば、プロでしか通用しない理屈も分かってくる。
プロは意外にも、結果が全てではない。
だが結果が出せていれば、他のことは関係ないのも確かだ。
この試合で三打数無安打ながら、当たり自体はいい大介が、四打席目に入る。
あちらのピッチャーも四人目で、確か育成上がりで去年も一軍の試合に出ていた。
これまではプロのボールに慣れるために、ツーストライクまで平然と見送っていた大介であるが、ここらで一つアピールはしておきたい。
(これまでずっと初球は見逃してきたけど、ピッチャーもピッチャーで、ストレートばっか投げてくるんだよな)
練習では平気で柵越えを連発していた大介に対して、いくらなんでも甘いと思うのだ。
よってこの打席は、初球がストレートであれば狙っていく。
ピッチャーの投げた球は、低めにコントロールされてスピードが乗っている。
大介の構えはバットを引いてトップを作り、わずかに体を沈めた状態から、左足でパワーを作り出す。
前にいくパワーを右足で止めることで、そのパワーは上半身だけを回転させる。
腰の回転でスピードを生み出し、手の力はミートに回す。
レベルスイング。そしてボールは弾き飛ばされ、バックスクリーンの上の場外へと消えた。
白石大介に期待される、ホームラン。
まずは一つと、大介は悠々ととベースを一周した。
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