第46話 空を舞う
夏の名残がまだまだ残る九月。
本拠地甲子園球場に中京フェニックスを迎えて行われる三連戦。
ここで一つでも引き分けか勝てば、ライガースのリーグ優勝が決まる。
Aクラスから遠ざかって五年、リーグ優勝までは何年前のことか。
先発はライガースの二本の柱、山田鉄人。
今季はここまで17登板し、10勝3敗。
途中で約一ヶ月の戦線離脱がなければ、さらに成績は伸びていただろう。
去年の勝ち星14勝を抜くことはまず無理であろうが、勝率自体は去年より良化しているし、防御率も二点台と素晴らしい成績だ。
エース柳本の16勝に、琴山と同数の10勝でチーム二位だが、琴山の場合はローテ復帰前のリリーフ時に、偶然ついてしまった勝ち星があるので、実際は山田の方が上である。
(出来れば完投して胴上げ投手になりたいけど)
プロに入って初めて、長めの離脱を経験した山田は、この後のクライマックスシリーズのことも考えて、相手を最小失点に抑えることを考えている。関東よりもクライマックスシリーズへの調整が重要だ。
今のライガースの打線であれば、必ずそれ以上に点を取ってくれるはずだ。
対するフェニックスも、目の前で胴上げが見たくないのは当然である。
エース釜池を先発に持ってきているが、別球場の神奈川が負けるか引き分けても、ライガースの優勝は決まる。
ただ負けて胴上げというのなら許せる。それぐらいの気持ちではある。
しかし甲子園球場は、完全にライガースの色に染まっており、フェニックスの赤がどこにも見られない。
いくらライガースで甲子園であっても、これは異常ではないのかと、ライガースファンの本気を知らないフェニックスベンチは動揺する。
さすがに首脳陣にはそれを知っている者もいる。
これがライガースと、甲子園で戦うということの、本当の意味だ。
初回の山田は調子よく、バッターを三人で打ち取った。
今日のスタメンマスクは滝沢であり、山田とはどちらかというと、滝沢の方が相性がいい。
本当に大丈夫かというリードをしてくるのだが、大丈夫になってしまうことが多いのだ。
「今日もいいですね」
「ああ、いけるとこまで0行進だ」
フェニックスとしては、難しい試合である。
ただでさえ球場全体が、ライガースの後押しをしているように感じる。
それに加えて今日は、風向きがレフト方向に強い。右の長距離砲が多いライガースには、有利になるのではないか。
そうは思いながらも釜池も、しっかりとツーアウトまでは取ってくる。
しかし、三番白石。
一際大きくなる応援に、揺らぐほどのこの甲子園。
釜池は甲子園に出たことがあるが、あの時よりもすごい。
今日の風向きは大介にとっては、どちらかと言うと不利と言える。
ただあの日、場外まで飛んでいった打球は、わずかな風の不利の中、空気を貫いていったのだ。
流し打ち気味に、レフト方向に上手く打てたら入るかもしれない。
ただ大介のホームランを打つためのスイングは、そういったものではない。
釜池は時折内角を攻めながら、外で勝負という選択を採る。
内角であっても膝下のボール球であり、これを打ちにいくのはさすがに難しい。
(打てなくはないけどな)
角度をつけて放り込めば、この時間帯でもライト方向には上手く運べる。
今日の山田の調子なら、そうそう大量失点は起こらないだろう。
(三点はほしいかな。ならここは素直に)
外角の球を素直にレフト前に運ぶ。
外野が深く守りすぎているので、簡単にヒットになるのだ。
(盗塁王はちょい厳しいけど、ピッチャーは意識しないわけにはいかないでしょ)
とりあえず優勝を決めて、タイトルだのはその後だ。
初回から大介は、厄介なランナーと化す。
先制点は意外というほどではないがフェニックスだった。
三回の表に八番バッターから飛び出した、今季四号めのソロホームラン。
失投ではなかったが、野球にはこういうこともある。出会い頭だ。
だが失点してからが山田は強い。
味方の援護がなくても、先制点であっても、ただ一軍のマウンドで投げられる喜びを胸に、その後を抑える。
柳本が切れるほどではないにしても、感情的なのとは反対だ。
表情を消して、動揺を見せない。
「さてと」
そして三回の裏、先頭打者は白石大介。
グイングインと素振りで肩甲骨を意識してからバッターボックスに入る。
第一打席は外の球を素直に弾き返された。
点にはつながらなかったものの、それはツーアウトからの出塁だったからで、先頭打者のこの場面では下手に歩かせるわけにもいかない。
(あんだけ飛ばすのに足も速いって、常識から外れてるだろ)
もう今年のシーズンは、大介のシーズンだった。
オフシーズンにデータ班に頑張ってもらって、どうにか弱点を見つけてもらうしかない。
それとは別に、この試合を落としたくはない。
目の前で胴上げされるのも嫌だというものもあるが、最下位争いをどうにかしたいのだ。
個人成績さえ下がっていなければ、チームの成績が悪くても年俸が下がることはない。
ただ本来ならもっと上がっていいものが、少な目の上がり幅となる。
今季のセ・リーグは特にライガース戦で、どれもこれも観客動員数は増えているのだが。
フロントは理由があれば、選手の年俸は抑えたがるものだ。
まずは初球、外したインローから入る。
それに対して、大介のフォームは体が早く開いた。
そしてバットはゆっくりと出てくる。
ミートポイントは体の前で、しっかりと掬い上げた。
高く上がった打球が伸びる。
そのままゆっくりと落ちてきて、ポールに当たった。
同点ホームランで、今季53本目となった。
チームとしての勢いが違う。
同じソロホームランで得点しても、下位打線の出会いがしらと、チームの主砲の一発では意味が違うのだ。
勢いづいたライガースは、この回に一挙四点。
そして山田に勝利投手の権利が発生する五回には5-1までリードを広げていた。
一点を取られた以外は、山田のピッチングは安定している。
ここは安全に六回で交代というのも考えたが、完投すれば胴上げ投手だ。
二年前に育成で入ってきたピッチャーが、優勝を決める最後のマウンドに立っている。
そのロマンに抗えないのが、野球畑の首脳陣としては正しい判断だ。
他球場としては、神奈川も勝っているため自力優勝が必要となる。
引き分け優勝は嫌だ。勝って優勝したい。
その期待に応えるべく、山田も丁寧なピッチングで、ホームラン以外の失点を許さない。
フェニックスもピッチャーが交代して、なかなか追加点を許さないようになった。
しかし既に四点差だ。ここから山田を逆転して打つのは難しい。
山田としても、自分が胴上げ投手になるということの意味は分かっている。
育成から入って三年目。
一年目はなんとか支配下契約を勝ち取り、一軍ではお客さん程度に投げた。
二年目は開幕にピッチャーが調整不足で、そこで一気に開幕の中継ぎから、仮ローテーションに入れられた。
チャンスを逃さずに14勝。
新人王でもおかしくない数字だったのだが、それは優勝球団のルーキー投手が選ばれた。
「しっかし」
マウンド上で山田は呟く。
「高校大学ほぼ無名で、育成契約の俺が胴上げ投手って、何かのギャグかな」
むしろドラマチックすぎるだろう。
回を重ねても、両チーム点は入らない。
山田はランナーを出しても三塁は踏ませない。余裕のピッチングだ。
優勝の瞬間が近付いてきても、特に緊張はしない。
ただ、何か特別な瞬間が待っているのは分かる。
八回の裏、ライガースは相変わらず追加点はなかったが、四点差で最終回のマウンド。
去年までとは明らかにチームの雰囲気が違う。
金剛寺がいる時には、なんとか全員が踏ん張って、勝率五割を維持していた。
だが故障などで離脱すると、一気に負け続きとなっていた。
今年は違う。はっきり言って投手陣も、一気に若返りが進んだ。野手も若い力が出てきている。
それは、それだけカットされる人間も出てくるということなのだが、野球が肉体のパフォーマンスを見せ付けるエンターテイメントな以上、仕方のないことでもある。
さすがに四点差は無理だと悟ったのか、フェニックスも若手を下位打線の代打に出してきた。経験を積ませようというつもりなのだろう。
ここで負ければ相手が優勝というシーンでは、逆にプレッシャーがかかるかもしれないが、それも含めて経験だ。
どうせ打てなくても負けだと思って開き直れる選手なら、そこからまだ成長する。
(二年前の俺より、こいつらは恵まれている)
上から目線の山田のピッチングに、若手選手はきりきり舞いだ。
一人、二人と無難に凡退させ、ついにラストバッターを迎える。
ここからは、もう何も起こらない。
山田は驚くほど平静な自分の心に気付きながら、最後のボールを投げた。
カツンと当たったピッチャーフライ。
普段なら内野に任せるそれを、山田は制す。
「俺が捕る!」
この優勝を決めるボールを、他の野手陣も捕りたかっただろう。
しかし山田のグラブに収まり、ゲームセット。
なおこの瞬間、スマホなどで実況を見ていた馬鹿者たちは、一斉に道頓堀川に飛び込んだ。
……危ないし、本当に感染症にもなる可能性があるので、絶対にやめるべきなのだが。
そして島野監督は宙に舞った。
リーグ戦は、ライガースの優勝が決定した。
二位は神奈川というのも決定していて、クライマックスシリーズへ突入する最後の枠の一つ奪取する為、タイタンズとカップスが熾烈な争いを繰り広げることとなる。
おそらく五位はレックス、六位はフェニックスというところまでは決まりであろう。
この三位と四位の争いを除くと、あとは個人タイトルの方が注目されていく。
ちなみにパ・リーグはまだリーグ優勝は決定していない。
タイトル争いよりもさらに重要なことは一つ。
神奈川との最後の直接対決三連戦である。
雨で順延となったものも含めて、残る試合数は五試合。
大介の場合はタイトルではなく、記録の更新の方が注目を浴びている。
おそらく来年からは、もっと歩かされるだろうし、自分でも気付いていない弱点を見つけてくるだろう。それがプロの世界である。
ルーキー初年の成績が一番よかったという、情けないスタッツは残したくない。
だが試合数の違いがあるとは言え、大介の記録は多くの新人記録のみならず、シーズン記録を更新した。
また、現時点では打率が0.3907と、従来のシーズン記録を更新しかけている。
出塁率の方は既に更新が決定済みだ。
本塁打55本は球団新記録であり、歴代でも全体二位タイである。
ただ残り五試合で五本というのは、ほぼ無理であろう。特に神奈川戦では上杉との戦いがある。
安打 177(新人記録180)
得点 115(新人記録)
本塁打 55(新人記録・日本記録60)
打点 175(日本記録)
四死球123(新人記録)
盗塁 71(新人記録)
二塁打 43(新人記録)
打点で従来の日本記録を大幅に更新出来たのは、得点圏での打率が高かったからでもある。
得点圏のランナーがいれば、長打狙いと単打狙いを、器用に使い分けたのだ。
上杉も一年目、勝率100%のリリーフ成功率100%というおかしな成績を残したが、投手は昔ほど無茶な使われ方をしない。
だからこそ勝率や防御率では、歴代と比べても圧倒的な数字を残した。
神奈川三連戦の後、雨で延期となっていた広島と大京の一試合ずつで、本シーズンは終わりだ。
優勝決定後も大介が何かの記録を破ったり、ホームランが増えるごとに、道頓堀川に誰かが飛び込んで怪我人が出る。
……お前ら、本当にマジでやめろ。
飛び込めないように自治体がフェンスを設置すると、今度は甲子園球場から南に行って、海の中に突入したりする者もいる。
まだ確かに寒い季節ではないが、そのうち死人が出そうな気がしてきた。
そして遂に、甲子園球場に神奈川を迎えて、シーズン最後の対決が行われる。
二位も確定しているので、上杉もクライマックスシリーズまでは、今日が最後の登板になるだろう。
そんな上杉もたいがい無茶な成績を残している。
26登板、22勝2敗。
途中でわずかだが離脱期間があったのにも関わらず、勝ち星と負け星は去年と変わらない。
驚異的なのはその先発の時の勝率で、上杉が投げる試合はまず負けることがない。
これに対してライガースも、エース柳本を投入する。今季成績は25登板の17勝4敗と、これも普通ならタイトルの一つや二つ、取っていてもおかしくない。
上杉を叩いて、クライマックスシリーズで神奈川が勝ち上がってきても、勝てる精神状態を作っておかなければいけない。
日程的に考えると、上杉はクライマックスシリーズのファーストステージの最初の一戦に出てきて、残りの二試合のどちらかを他の全員でとりにくるだろう。
ファイナルステージまでの日程を考えると、体力の消耗などはあまり考えにくい。
ファイナルステージにまで出場したら、おそらく中三日ほどで二試合には投げてくる。
あるいはクローザーとして使ってくるかだ。
上杉以外のピッチャーで一つは勝つ。それが神奈川優勝のための絶対条件だ。
どれだけ上杉一人に負担がかかっているかとも言えるが、逆に短期決戦ではやはり、ピッチャーの重要度が上がるのだ。
だがそういったものはともかく、まずは目の前の一戦。
ライガースも誰一人欠けることなく、ほぼベストメンバーを組んでいる。
ほぼと言うのは、ベストメンバーがまだ試行中であるからだ。
黒田がサードを守り、大江が外野を守る。最近はこれでほぼ固定してきているのだが。
大介と上杉、四度目の対決。
そしてリーグ戦ラストの対決となる。
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