第47話 最強 対 最強

 柳本としては、今年は出来すぎの成績であった。

 一番は、ローテーションを余裕をもって回されたことで、登板過多がない。

 調整しながら投げたので完投が多く、四試合を完封した。

 防御率も2を切っているので、上杉以前のセ・リーグであればタイトルを三つは取れていたと思う。

 上杉がプロ入りしてから、明らかに日本のプロ野球は変化している。

 あの超人を相手にするには、自分もその領域に至らなければいけない。

 そんな上杉でも、今年も既に二敗している。

 いや、割と打撃の援護の少ない神奈川でなければ、全勝でもおかしくはないのだが。


 とりあえず一回の表も、柳本はしっかりと三人で抑えた。

 大事なことは勝つことである。最悪でも引き分けることだ。

 自分が一点も取られなければいい。

 そしてそれよりもさらに大事なことは、無理をしないことだ。


 確かにここで、上杉に勝っておけば、クライマックスシリーズでも精神的な優位は保てるだろう。

 しかしそのクライマックスシリーズに登板し、勝ち星が計算出来るのは誰か。

(俺とテツトだけだろ)

 シーズン途中から先発に復帰した琴山と、試してみたらけっこう勝った山倉は微妙である。

 長年ローテーションを守っていた藤田と椎名がついに二軍落ちから中継ぎ扱いとなり、椎名はさらにそこでも通じずまた二軍に落ちた。

 タイトルも獲得したことがある二人であるが、おそらく椎名は今年いっぱいだろう。

 藤田もかなり衰えたが、敗戦処理をそれなりにはこなしている。

(中継ぎで確実なのは、レイトナーと青山さん。クローザーは足立さんでいまだに通用するけど)

 なんとかローテーションを回した高橋も、20登板で四勝五敗と、低い数字で安定している。

 球団としては200勝まであと六勝となったので、来年も使い続けるだろう。

(そう考えると足立さんはすごいよな)

 クローザーとしては去年までは、割と点差のある試合が多かったので、あまり登板も多くなかった。

 だが今年は一勝一敗の24セーブと、完全にクローザーの役割を果たしている。

(もっと早くにクローザーに徹するか、登板機会が多かったら今年で250セーブいってたのに)

 ただ来年もこの数字を残せるなら、150勝と250セーブの大記録に到達する。

 ライガースは地味にレジェンドが多いのだ。椎名だって150勝もしている投手である。


 しかし今必要なのは、狙って確実に勝っていける勢いのあるピッチャー。

 柳本、山田の二人は確定で、琴山が三人目となるか。

 山倉はさすがに新人なので、計算に入れるのは酷だろう。

(日本シリーズは俺とテツトを軸に、なんとか四勝出来るか?)

 パで勝ちあがってくるのは、おそらくジャガーズかコンコルズだ。

 ジャガーズ相手ならば柳本は古巣だけに、相手も自分も手の内はかなり分かる。

 コンコルズは交流戦で唯一三タテを食らった相手だけに、ジャガーズが来てくれた方が楽なのか。


 リーグ優勝を果たしたことにより、クライマックスシリーズのファイナルステージは、かなり優位に戦うことが出来る。

 ファーストステージで上杉が消耗していれば、こちらは早めに勝負を決めて、日本シリーズまでに回復しておきたい。

 とにかく今年は、かなり運にも助けられている。

 天候がよく順延の試合が少なかったため、ベテランのライガースも回復してファイナルステージを万全の状態で戦える。

(ただまあ、正面から上杉に勝てるなら、それが一番いいんだけどな)

 当たり前のように西片と石井を片付けて、三番の大介と対決する上杉であった。




 ツーアウトでランナーなし。

 二度目の上杉との対決では、ここからホームランを脳裏に描いて、そしてパーフェクトを食らった。

 前の試合ではヒットを重ねていって、完封されて終わった。

 自分の調子の上げ下げを考えるなら、ヒットを打っていい感触のまま、試合に敗北した方がいいのだろう。

 だがそれはチームの事情であって、自分の意思ではない。


 どうせ上杉と自分の対決は続いていく。

 野球という世界の中で生きていく限り、上杉とは対決していくしかない。

 WBCなどで同じチームになるかもしれないが、そういうことではないのだ。


 野球選手は、全てがただ一人の人間である。

 チームスポーツであるが、同時に一人の人間の、自己存在の表明だ。

 上杉との対決が続き、それでも世界は終わらない。

 どちらかが引退するまでか、それとも力を失うまでは、戦いは続いていく。

 そしてそれは、相手が上杉だけであるとは限らないし、全ての過去との戦いでもある。

 その過去には、自分の過去も含まれている。


 シーズン終盤、様々な記録を更新していくにつれて、それを感じてきた。

 甲子園ではあっさりと達成したので気付かなかったが、プロ野球というこの長いシーズンを戦う上では、偉大なる先駆者たちの記録との戦いさえも含まれる。

 多くの新人記録を更新してきたが、それはあくまでも一年目にだけ挑戦する、お試しのようなものだ。

 新人として凄いというのと、野球選手として凄いというのは、別の問題である。

 半世紀以上更新されなかった打点を更新し、今はもう、道のない道を歩いている。

 自分が進めば、その後に道は出来るのだ。


 そして未到達の道を進むためには、どうしても交わらない道も出来てくる。

 シーズンの安打数、大介が200本を上回ることは不可能であろう。

 それどころか安打数は、今年がキャリアハイになる可能性すらある。

 来年以降も更新していける自信があるのは、与えられる四死球ぐらいである。


 打率の0.389を更新すれば、次はおそらく夢の四割打者を求められる。

 本塁打の60本を更新すれば、メジャーの73本を目標とすればいいのだろうか。

 時代も、仕組みも、多くのものが違う中で、目指せるものは多すぎる。

 一人だけの孤独な戦いであるが、その数字を残した選手の背中という、明確な目標がある。

 それに記録だけではなく、記憶に残る選手にもなりたい。


 だからまずは、ここだ。




 上杉勝也から、ホームランを打つ。

 歴代二位となる56本目のホームランは、この人から打つべきだろう。

(まあ打数比較すると、61本打っても全然足りないんだけどな)

 世界のホームラン王は、打数385で49本のホームランを打った。

 大介は453打数で55本のホームランを打っているので、全く足りていない。

 上には上がいる。

 自分はまだ、人間の限界には全く到達していない。


 とりあえずの目標にするのはそれでいいだろう。

 だがこの世界は、甲子園とはもう全く別の世界だ。

 勝っても、まださらにその先がある。

 勝負する相手は敵だけではなく自分でもあり、ひたすらに数字を積み上げていく作業にもなる。


 シーズンが終わったら、上杉と話をしてみたい。

 ピッチャーとして、単純な勝ち星は過去の大投手に及ばないが、勝率も防御率も、日本史上最強である上杉。

 オールスターでは挨拶程度であった。それはまだ、こちらに余裕がなかったからだ。

 今なら、話すことが出来る。


 打席に入る。そう、この打席の中でも、もっとはっきりと語り合うことが出来る。

 上杉は周囲に多くの人を抱えているが、たった一人で立っている。

 あれだけ慕われ、そして尊敬される男の孤独を、おそらく大介だけが理解出来る。


 だから――。

 さあ、対話を始めよう。




 変わったな、と上杉は感じる。

 大介のまとう空気が、明らかに前の対決とは変わっている。


 高校生の頃、あの妙にへんてこなピッチャーと共に、挑んできた夏。

 猫のような子虎を相手に、じゃれつかれて遊んでいるような気分になった。

 プロの世界では立派に成長した獣の牙を備えていたが、まだ足りていないのは明らかだった。


 上杉勝也には敵がいなかった。

 高校時代、ワールドカップ、それぞれ試合に負けることはあったが、それはチームとチームの対決としての敗北であって、上杉個人が負けたのではない。

 強いて言えば、大介との初対決となった、あの試合。

 あれは引き分けだったと思う。

 あの時から上杉は、明確に大介を、己と戦える強者だと認識した。


 二度目の対決。空回りした大介を、上杉は簡単なプロの技術で翻弄した。

 しかしそれは、今までプロの世界でも、一度も必要と感じなかったものだった。

 三度目の対決。妙に小さくまとまっていたので、簡単に打たせて試合では勝った。

 噛み合っていなかったのだ。


 それが、今日は本気だ。

 互いの発する空気が、戦場のそれとなっている。

 九月の夜は、まだ暑い。あの夏を思わせる、マウンドの上の気だるさ。

 夢の中で投げていたような、あの若い頃。

(すまんな、まだこの打席は整っていない)




 上杉との対決の第一打席。

 まだだな、と大介も感じた。

 何がとは言いにくいが、まだ舞台が暖まっていない。

 この最強のピッチャーと対決するには、まだ熱量が足りないのだ。


 五万を超える大観衆に、振られる大応援旗。

 しかし感じる。ここはまだだ。

 もっとも前哨戦は前哨戦なりに、見えるものは見えてくる。

(あいつら、招待してやったら良かったかな)

 金曜の夜なので、明日にも響かなかったであろう。


 もっとも大介は、ツインズが応援席をしっかり確保していることは知らない。

 以前にもう確保してあると言ったのは、あの試合だけではなく全ての試合である。ちょっと珍しく伝手を使った。

 ただ二人が見たがるのは、バックネット裏の席ではない。

 あの夏に見つめ続けた、横からの座席だ。


 初球、上杉の投げた球は、明らかに高すぎるボール球だった。

 制球もいい上杉が珍しいが、球速表示に168kmが出ている。

 上杉はあの最初の対決以来、170kmは投げていない。

 だからあれはやはり、機械の調整不良だったのではないかとも言われている。

(次もまだだな)

 140kmの高速チェンジアップが、ゾーン下ぎりぎりに入った。

「ボー」

「え!?」

 球審のボール判定に、思わず反応してしまう大介である。

「あ、すみません」

 気を取り直す大介であるが、これは困った。


(上杉さん、どうします? この球審ちょっとへっぽこですけど)

(気にするな。どうせ最後は、収まるところに収まる)

 視線で会話が成立するのは、二人がこの場の主演であるから。


 野球というのはチームスポーツであるが、究極的な部分では、ピッチャーとバッターの対決である。

 チームスポーツとして機能するが、同時にこれほど一対一の要素が存在する競技も珍しいだろう。

 三振とホームランは、ピッチャーとバッターの二者だけの間で成立する。

 他の誰も、存在しない世界。


 三球目は、インローにびたりと決まった。

 ストライクのコールに、大介は振り返らずに頷く。

(つーかこの勝負、審判いらねーな)

(同感だ)

 四球目のインハイフルスイングは、真後ろに飛ぶファールになった。




 球場が舞台となり、端役である観客たちは、その打球に大きくどよめく。

 打てる。大介なら打てる。

 期待が、希望が、願望が、打席の中の大介にかかる。

 しかし大介は静かだ。


 バットを構える姿が、本当に絵になる男だ。

 最初は大きく構えて、ピッチャーの球に合わせて体を縮め、そこから一気にスイングする。

 フルスイングのくせに圧倒的に三振が少なく、それも見極めたつもりの見送り三振が多い。

 だいたいは試合の後、あれは誤審とネットで騒がれるのだ。


 球審だって人間、間違えることはあるし、はっきりいってほとんど見えない上杉のボールを、判定するのは難しい。

 ただ、見える速度のチェンジアップを、選球眼のある大介が見送ったから、ボールと判定したのだ。

 この試合は、この二人の勝負にだけは、十全の集中力がいる。

 ボール自体を目で追うのは難しいが、ミットに入るボールなのだ。なんとか見極めなければいけない。


 五球目。

 正直なところ心臓に悪いので、これで終わって欲しい

 上杉のボールは、わずかに動いたように思えた。スイングした大介はそれを打った。

 まるで測ったように正確に、レフトの正面に飛ぶライナーであった。

 捕球したレフトは、その勢いで尻餅をついてしまったが。


 やっと一打席目が終わった。

 これがあと最低二回、下手をすれば三回も判断しなければいけないというのか。

 この試合のこの勝負、消耗するのは大介でも上杉でもなく、球審であるらしい。




 試合は進む。

 ライガースの応援むなしく、打線に快音は聞こえない。

 しかし対するスターズ打線も、柳本を打ち崩すことが出来ない。


 驚いたことに、両方のピッチャーが三回までパーフェクトピッチングを続けている。

 そして四回の表、ごく一部はそれなりに怖い神奈川打線を、柳本は最後はサードゴロで打ち取った。

 四回の裏、ライガースの攻撃は、一番の西片から。

(振り逃げでも打撃妨害でもいいから、塁に出られんものか)

 なお上杉のボールが当たったらしゃれにならないので、当たってでも出るという選択肢は西片の中にはない。

 二人目の子供が生まれた西片は、生活臭を漂わせながらプレイしている。


 とんでもない時代に生まれたものだ、と西片は思う。

(FA権使ってパに行った方がいいんだろうか)

 去年もそう思っていたが、今年もそう思ってしまう。

 だが上杉さえ我慢すれば、セのライガースにいる居心地はいいのだ。

(怪物退治は同じ怪物に任せるからな)

 西片は上杉に八球を投げさせ、最後にはストレートで三振した。


×××


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