第45話 野球欲
スポーツ新聞の一面が、関東でもおおよそ週の半分ほどは大介になっている。
まして関西であれば、休日でさえ大介を特集していてもおかしくはない。
上杉の時もたいがいおかしな事態であったが、それでも上杉の場合は投手の時代が違うため、更新出来そうにない記録が存在するのだ。
とりあえず新人の、デビューからずっと月間MVPを取り続けるというのは、援護がなくて勝ち星が少なかった上杉は、全てを独占するようなことは出来なかった。
投手の成績の多くが、バッターの援護なしでは成り立たないのだ。
バッターはそれと違い、ピッチャーと相手チームが対戦さえしてくれれば、記録は伸ばせる。
大介相手にはどのピッチャーも、自分の持つ最大限のボールで勝負してくる。
そして打たれる。
八月度の大介の成績である。
打率0.427 出塁率0.541 OPS1.473
打数 89
安打 38
打点 46
本塁打 12
四死球 22
盗塁 12
相変わらずバグっている数字が連なるが、九月に入るとついに半世紀以上塗り替える者の出来なかった、不滅の大記録を塗り替えていく。
打点が162点となった。従来の打点は161が最高である。
130試合時代の記録なのだから、それと比べるのはおかしいと言う者もいるかもしれないが、まだ130試合到達未満の上での達成である。
甲子園球場での達成であったため、散々に風船が乱れ飛び、近隣住民からの苦情もあったが、喜んで道頓堀川に飛び込む者も出てくる始末である。なんと気が早いことか。
「でもバリー・ボンズのOPSって、シーズン通算だとまだ抜けないんだよな。どんだけってレベルだろ」
「いや、俺たちにとってはお前こそがどんだけって感じなんだが」
仲良く柔軟などをしながら、黒田と話す大介である。
黒田の言うように、MLB史上最強のスラッガーが比較対象になる時点で、何かが間違っている。
「あと安打の数もなあ。頑張っても200安打は行きそうにないしな」
「そりゃ歴代最高長打率なんかやってたら、勝負されないに決まってるだろ」
他に新人記録を達成していないのは、安打数と三塁打数ぐらいである。三振はもちろん逆に少ない。
安打数にしてもシーズン途中までは無理だろうと言われてきたが、ここにいたってぎりぎり更新出来るのではと言われている。
普通ならホームランバッターであれば、もっと露骨に歩かされる。
ただ大介の場合はやはり、歴代の強打者と違って、圧倒的に盗塁数が多く盗塁成功率が高いので、それでも勝負される場合が多い。
あとは死球を普通に避けてしまうのも大きい。
「今からでもホームランの更新狙っていったらどうだ? 大味になるだろうけど、ホームランだけ狙っていけなくはないだろ?」
20試合以上残っていて49本なのだから、達成の可能性はないではない。
「でも試合割にしたら記録達成って言えないし」
従来の記録は130試合出場での60本なのだ。
「それは一シーズン完璧に試合に出続けることも、一流選手の条件だと思うけどな」
そういう黒田も今季は70試合以上をスタメンとして出場したので、年俸は大幅に上がる予定である。
「しっかしお前、こんなに柔軟しまくって、やっぱ成績と関係あるのか?」
「関節の駆動域を大きくしておけば、それだけ捻っても捻挫とか肉離れになりにくいみたいだからさ。もちろん柔らかいだけでもダメなんだけど」
インナーマッスルの強化は、それだけ関節の靭帯や腱を守ることにつながる。
黒田の言うように、大介はもう、ホームランを狙っている。
もちろん一点だけでいいところで、内野と外野の間がガラガラの大介シフトを敷いていれば、単打で済ませることは意識している。
だが常に打席に入る前は、ホームランの打ち易さを考える。
九月の上旬、50本目のホームランが甲子園球場で飛び出した。
盛り上がりすぎたファンがやっぱり道頓堀川に飛び込み、インタビューを受けた大介は、それを必死で止めるコメントなどもした。
とにかくチームとしてもトップを走り続け、マジックは着実に減っている。
だが大介は、とにかく練習に打ち込んでいる。
今の自分のスイングが本当に最善なのか、いつも探求し続けている。
「あと15試合かあ……」
そんな言葉が練習中に洩れたりもする。
15試合で10本のホームランを打つというのは、不可能ではないがかなり難しい。
特にここからは、ルーキーにそんな記録を達成されるのを阻むため、ピッチャーも必死で投げてくる。
大介があまり逃げられないのは、足があるからだ。
その盗塁数も、終盤にかけては徐々に減っている。盗塁王はさすがに取れないか、とトップとの数字がある程度離れているのと、着実に後ろの打者の成績が上がっているからだ。
結局ロイは五番に戻されて、大介と金剛寺の後ろを打っている。
黒田と大江もスタメンで出ることが多く、ヒットの数の割には打点が多くなったりもする。
打線に隙がなくなるというのはいいことなのだ。
首位争いの直接対決神奈川戦。
ここで三タテをしたら、現実的には優勝が決まると言っていい。
下手をすれば上杉がちょっと無理をして先発に回ってくるかとも思ったが、あちらも最後の三連戦を考えてか、ローテーションは崩さなかった。
ただ神奈川に対しては、ライガース全体が苦手意識を持ってしまっている。
しかしここは一勝一敗一引き分けの結果となった。
大介はこの三連戦で二本のホームランを打ち、52本へと記録を伸ばす。
甲子園を本拠地としてこの本数というのは、本当に驚異的である。甲子園は広さの割りにホームランは出にくいのだ。
史上最強と言われた助っ人外国人の記録を、このまま抜かす勢いである。
だがやはりシーズンのホームラン記録は厳しい。
打点の記録は、新記録を更新し続けている。
また三試合で八打数四安打であったので、わずかずつ打率も上がっている。
打率0.392と、NPBの記録を更新している。
このまま残りの試合を全て休めば、シーズン新記録である。
だがもちろんこの記録よりは、さらにホームランや打点の記録を伸ばすことを優先する。
それにここまできたら、夢の四割台を目指して欲しい。
「さすがにそれは無理だと思うけどな」
大介はそう言うが、出塁率五割というシーズン記録は更新しているのだ。
「でもボンズは出塁率六割いってただろ」
だからそれは、比較の対象がおかしい。
同じ球団の人間から見ると大介の一番恐ろしいところは、調子に波がないことだ。
完全にないわけではない。上杉との最初の二度の対戦の後は、確実に数字を落とした。
だが月間レベルで見ると、調子が悪い時でもせいぜい半月、しかもその間もノーヒットというほどは悪くない。
しかしデス・ロード前からデス・ロード明けまでの成績が一番よくなっているのはどういうことか。
「まあシーズン最後まで、体力切れがなさそうだなって思ったから」
これである。
夏場の体力消耗は激しい。雨天順延などが少なく、ナイターでも暑い中で行われるのだ。
そこの消耗具合から計算して、全力を出しても最後までもつと考えたわけである。
それを聞いて黒田は、それだけの余裕をもって前半戦であれだけの成績を叩きだしたのか、と驚くというよりはなんだかおかしくなってくる。
「大介、お前って練習以外の時間、何してるんだ?」
寮の部屋にこもっていることはないのだが、意外と姿を見かけない。
「だいたい球団のデータ班のところに行って、コーチと一緒にピッチャーの対策考えてるかな」
大介は、職業が野球で趣味も野球のような人間だ。
プロの世界で確かに空前絶後の記録を残しつつあるが、まだまだ自分は野球が上手くなれる。
黒田などは自分の一年目と比べても、大介のストイックさに感心する思いだ。
なんだかんだ言って高校時代と比べて野球漬けというわけではないし、プロ野球選手としてはそれほど高くないと言っても、給料は普通の大卒の一年目よりもはるかに多い。
契約金で車を買ったり時計を買ったり、物欲を満たしにかかる者も多い。
少なくとも大介の同期でも、育成のメンバーはともかく特に大卒組は、大阪の街まで遊びに出かけるのを見たりする。
五位指名の内野手田辺が畿内大の出身なので、それなりに土地勘はあるのだ。
それに寮にいるということは、先輩からの誘いがあったりもする。
黒田も去年までは、それに従っていた。
今年に入ってから練習にもっと時間をかけ、意味を見出すようになったのは、大介が来てからだ。
少なくともこの天才は、誰よりも素晴らしい日本一のバッターでありながら、まだ上を目指す欲がある。
野球選手にとって一番必要なのは、ストイックさとか練習量とか、あとは自制心などでもない。
それらのことは野球が上手くなりたいという野球欲があれば、自然と満たされるのだ。
年下ではあるが大介のことを崇拝しだした黒田であるが、そんな黒田にある日大介から声がかかる。
「うちの姉ちゃんがライガースの選手と飲みたいとか言ってるんだけど、クロちゃん来てくんない?」
女子大生との合コンなどを大介が持ちかけてくるのは、初めてのことである。
「お前、姉ちゃんなんていたのか」
「お袋が再婚したから義理のなんだけどね。ちなみにツネとコーダイは了承済み」
山倉と大江である。
その二人は既にライガースの一軍メンバーであるのだが?
大介の年上に対する馴れ馴れしさは、野球畑で育った人間には、ちょっと不思議なものに思える。
黒田としてはこんな時期にいいのかとも思うが、さすがの大介も本当に野球だけをやっていられるわけではないようである。
「どんな感じの女が集まるの?」
「こんなの。姉ちゃんは一番右」
「姉ちゃんが一番美人だな」
そう、大介の姉妹は、妹は可愛い系で、姉は美人系なのである。
ホイホイと酒が出る和食を基本とした創作料理屋にやってきた、ライガースの若手四人。
ちなみにここの勘定は、一番年上の大江が持つことになっている。
プロとしてのキャリアならば黒田が三年目であり一番長いのだが、野球界は年功序列なのだ。
まあ大江も年俸1000万を超える選手であるので、この程度であれば全く問題はない。
だが来年大介が年俸一億に達しても、支払い義務は年長者にある。
もっとも大きな顔が出来なくなるということを許容するなら、年下が奢っても良いのだ。
大介の義理の姉である佳奈は、東京の大学で三年間学び、単位を四年分取得した後、大阪の大学院に入ってきた。
タイミング的には大介と同じであるのだが、実際には兵庫県の寮住まいである大介とは、それほど接触はなかった。
しかし最近はライガース人気でチケットを頼むあたり、少しずつ交流は増えている。
姉もしっかりそれなりの綺麗どころを用意して、合コンと言うよりは飲み会のような感じで始まる。
「弟君も一杯ぐらいどう?」
そう言われたが、大介以上に周囲が完全にブロックした。
「絶対ダメ! どこでスクープされるか分からないから!」
「こいつに飲酒とかタバコなんかさせて謹慎処分になったら、マジで来年の年俸下がるから!」
必死である。確かにここで19歳の大介がアルコールを摂取している写真など撮られたら、謹慎処分で試合出場停止になり、日本中から叩かれまくるのは間違いない。
監督責任として、年長の三人が罰金を食らうのは間違いないだろう。あるいは一緒に出場停止になるかも、いや、なるだろう。
そんな必死のブロックで、ノリで生きている女子大生も、本当にそれがまずいのだと気付く。
話題は色々とあるので、アルコールに頼るまでもない。
関西人であるので、露骨に年俸などの話題も出る。(ド偏見
ちなみにこの中で一番多いのは、昨年ドラフト一位で、それなりに去年も一軍にいた大江である。
年俸1750万なり。ただ実はオールスターの賞金などがあるので、大介の方が収入は上である。
ただこの面子は来年、全員が大幅に年俸はアップするだろうとは思われる。
大江と黒田はかなり一軍のスタメンで使われて、二人とも本塁打が二桁に届いている。ここ最近はやや調子は悪いが。
山倉も一年目の投手としては、15試合も先発として登板し、八勝二敗と、かなり運も良かったが普通なら新人賞レベルの成績を残している。
大介と上杉のいるセ・リーグのバッターもピッチャーも、はっきり言ってそれだけで気の毒である。
「来年なんぼぐらいいくかな~」
「クロちゃんとコーダイは倍増はするっしょ。元がそんなに高くないから、三倍ぐらい行く?」
「いやいや、一軍登録の期間が短いから、三倍はない」
「ツネは……一年目だからせいぜい二倍?」
「お前がいなけりゃ新人王取って三倍だったかもな」
「そこまで高くはならないって」
野球選手の年俸は、若い頃にはどうしても低めに抑えられる。
加納よりもはるかにすごい成績を残している上杉が、加納よりも年俸は安い。
野球選手はある程度、実績に金を払っている側面はある。
酒が入っていないということもあるが、寮に戻った大介は、一人で素振りをする。
飲み会の途中から、周囲のお客さんからサインを求められ始めて、収拾がつかなくなって切り上げた。
もっとも寮生活の男共は、女子大生の連絡先はゲットしていたようであるが。
「六億」
呟きながら大介はバットを振る。
シーズン中に言われた数字は、おおよそクリアしている。
各種タイトルに加えて、三冠王まで取れたら、あの約束通りなら一億と5000万ぐらいにはなる。
さすがに二年目でそれは高すぎるとしても、上杉の前例から一億は確実だろう。
あとはそれに出来高をどれだけ加えられるかだ。
半分が税金で取られるとしても、大介は野球が上手くなる以外には、全く金を使わない。
服だの靴だの言われても、取材用に一着と一足があればいい。
時計などブランド物でも、中古で買えばかなり安い。
なお大介の好きなブランドは、無印良品である。
残り試合は、13試合。
本塁打のシーズン記録までは、あと八本。おそらく、ちょっと届かない。
それより大事なのは、もう次の試合で優勝が決まるということ。
二位の神奈川がたとえ勝っても、引き分け以上で優勝決定。
おそらくMVPも大介が取れる。
いい気になるな。
ここまでの成功は、運が悪くなかったからである。
普通の人間は、必ず運が悪い時があたる。
まずはもう、一生働かなくても大丈夫なほどの現金を獲得する。
それからが本当に、プロで野球を楽しむということになるだろう。
明日。
対戦相手はフェニックス。ここまでの対戦成績はかなり分がいい。
甲子園での胴上げとなれば、また道頓堀川に飛び込むやつが出るんだろうなと、他人事ではあるが心配な大介であった。
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