第186話 踏みとどまる

 上杉に完封されたその日、西郷は寮の屋上で深夜まで、素振りを続けていたらしい。

 疲労の蓄積はまずいとか、そういう科学的なことではなく、純粋に迷いを消すための精神論だ。

 肉体を鍛えまくればその限界ぎりぎりのところで、精神も鍛えられるというのはある程度事実なのだろう。

 しかし今はもう、そういう時代ではない。

 そして西郷は時代錯誤な男だ。良くも悪くも。


 限界ぎりぎり、あるいは限界を超えたところに、新しい自分がある。

 西郷の選択は正しいと、大介などは思う。

 だが今はシーズン中なのだ。疲労を残してはいけない。

 だからといってあの屈辱をそのままにするほど、西郷という男の本質はおとなしくない。


 他の者が遠慮してしまうほど、殺気だった西郷。

 2m近い身長に、100kgを軽く超える体重を持つ彼は、野球をやっていなかったら相撲取りになっていただろうと言われている。

 高校に進学してからはおとなしくなったが、中学生時代に一人で、チンピラ五人を相手取ったという逸話もある。

 鍛錬は肉体ではなく、むしろ精神を。

 だがその内部の暴力性は、そのスイングに表れる。


 屋上に上がったのは、大介もである。

 力任せに振り回す西郷に対し、大介はおよそ五回に一回ぐらいのスイングしかしない。

 数が必要ではないのだ。

 もちろん数をこなせば、その中に理想のスイングは多く混じっているかもしれない。

 だが大介は、どんなボールでも打てる一振りを、素振りのたびに意識する。


 そして考えすぎると、余計な力が入って脱力が損なわれる。

 そういったときは右打席で素振りをして、正しいフォームを追い求めるのだ。

 ゾーン内の全てのボールをホームランに出きれば、それはさすがにバッティングを極めたと言っていいだろう。

 だが上杉はゾーン内にストレートを投げて、空振りを取ってくるのだ。

 あのボールがこの世に存在する限り、大介が自分のバッティングに満足することはない。


 想像の中の上杉の球を、全力で振りぬく。

 何度も繰り返して、ようやく勝率が一厘上がるだろうか。

 ただそれでも、あのボールを打つためには、やるしかないのだ。




 翌日はスターズとの第二戦である。

 試合に集中したいところであるが、周囲の雑音がひどい。

 テレビのニュースでは普通に流れるし、新聞でも色々と言われている。


 大介の四敬遠と、西郷の四三振。

 上杉よりはむしろ、スターズの別所監督のことが叩かれているか、

 大介と上杉の対決は、現在のプロ野球の中でも、もっとも楽しみに見られているものである。

 それを潰した別所に批判が集まるのは当然である。


 上杉がいくら勝負したくても、申告敬遠を出されてはどうしようもない、

 それに大介もどうしようもない。

 よって叩かれるのは、そんな状況で三振しまくった西郷と、それ以上に別所になる。

 西郷が三振をするのは仕方がない。確かに一年目から完全に即戦力とは言え、上杉はやはり別格だ。

 だが別格の上杉だからこそ、打てば評価は高まる。

 別格だからの一言で、上杉攻略を諦めるわけにはいかないのだ。


 練習中もまだ殺気を撒き散らしている西郷に、近づける者は少ない。

 金剛寺もスイングが粗いなとは思っていても、そう単純には割り切れないだろうな、と判断している。

 ただ一人黙々と素振りをしているわけではあるが、今日はもちろんピッチャーは上杉ではない。

 入れ込みすぎではないか、とは心配している。

 だが同時にこの闘志は、今のライガースにはいい刺激になるのではないかとも思う。


 崩壊した投手陣は、本日の先発は社会人を経由してプロ入りした塚原。

 150km以上のストレートを持つ本格派だが、とにかく変化球も多彩に使えるのである。

 中継ぎとして期待していたのだが、どうやらエンジンのかかりが遅い先発タイプ。

 二軍では何度か投げているが、一軍初登板が先発となる。


 投手陣は本当にグダグダだな、とは大介も感じている。

 だがピッチャーが取られた以上に、打線が取り返していきたい。

 チームなのだ。勝てないことをピッチャーのせいにばかりしても仕方がない。

 特に今日は、社会人経由とは言え、一軍初先発となる新人。

 打撃で援護してやらなければ、投げにくいに決まっているだろう。




 甲子園球場の雰囲気は、試合開始前からかなり剣呑なものがある。

 日本で一番過激なライガースファンが、既に試合前からヒートアップしている。

(こんな状況で投げるのか)

 二軍では無双していたらしいが、一軍はまた別だ。

 一軍のバッターが二軍に落ちても打てなくて、それでも一軍に戻ってきたら、なぜか打てるということはある。

 だが二軍を抑えられないピッチャーが、一軍相手に通用することはない。

 スターズはまだしも打線はおとなしいチームだが、それでもクリーンナップで確実に点を取ってくる。

 今日は守備面で忙しくなりそうな大介である。


 一回の表から、ルーキー塚原は飛ばしていく。

 大学から社会人を経てプロであるから、今年はもう25歳のシーズンになるのだ。

 早めに結果がだせなければ、三年で引退ということもある。

 だが少なくとも今日は、しっかりとしたピッチングが出来ている。


 一回の表は三人で終わらせて、その裏のライガースの攻撃。

 昨日は完全に封じられていた毛利が、スターズの先発大滝からヒットを打つ。

 西郷の怒りが周囲に伝播し、そこからしっかりと怒りがモチベーションに変わっている。

 大介だけは敬遠して、西郷とは全力勝負。

 他のバッターはほどほどにという、舐められた作戦には黙っていられない。


 二番の大江もアウトにはなったもの、センターの深いところまでもっていった。

 今日は皆、バットがよく振れている。

 そして三番の大介がバッターボックスに入る。




 スターズの先発の大滝は、ライガースとは相性が悪い。

 特に大介との対戦成績は悪く、打率は七割も打たれている。

 そしてホームランもポコポコと打たれているわけだが、今日もまた勝負してくるのか。


 160kmのストレートで、去年は二桁勝利をしていた。

 だが同じピッチャーであれば、スターズなら玉縄の方がよほど厄介なピッチャーだ。

 球種やコントロールで、玉縄に負けているわけではない。

 だが純粋にピッチャーとしての細かい技術に、バッターに対した時の判断が、劣っているということだろう。


 上杉以来の甲子園160kmピッチャーというのが謳い文句であったが、その球速は既にサウスポーだった武史が、二年の時には出していたような球速である。

 それに甲子園でも、夏には準決勝まで進んだものの、大介には三発のホームランを打たれていた。

(ストレートにこだわれるほど、たいした才能じゃないだろ)

 そう辛辣に考えている大介は、三試合ホームランが出ていないので、そろそろ一本打っておきたい。

 

 また首を振っている大滝は、どうせストレートで押したいと考えているのだろう。

 だが大介の予想を外して、スライダーから入ってきた。

 お、と思って球筋を見ていった大介だが、膝元に入ってストライク。

 まあ一球だけで判断は出来ないが、少なくとも身の程は弁えるようになったのか。


 外にストレートを外して、次に内角に入ってきたのはカーブだ。

 こんなカーブはこれまで投げていなかったように思うが、一球見たらもう打てるボールだ。

(最後にはストレートか?)

 ストレートが投げられたが、それは外に外れている。

 ボール球でも打ってしまう大介の、その危険な範囲を探っているようだ。


 後ろに気合の漲った西郷がいる以上、今日の大介は無理に打ちにはいかない。

 そとにボールが外れて、フルカウントになる。

 ここからあえて勝負するか、それとも歩かせるか。

 昨日の試合はともかく、その前の二試合もホームランを打っていないので、大介と勝負してくる可能性はある。


 マウンドの上の表情から、勝負してくるな、とは分かった。

 そしてここまでストレートは、外にばかり投げている。

(内角にストレートか、膝元にスライダーかな)

 そう考えている大介だが、体はぴたりと静止したままだ。


 大滝のストレートだって、充分に分かっていても打てないというレベルのものだ。

 だが大介からすると、まだ甘い。

(ナオのストレートの方が速く感じるよな)

 内角のストレートを、じっくりと懐に呼び込んでから叩く。

 するとボールは素直に、ライト方向へ飛ぶ。

 引っ張りすぎたかな、と思った打球がポールに当たって激しく揺らした。

 とりあえず先制のツーランホームランであった。




 怒りの西郷というのは、まさに仁王像のごとき迫力がある。

 その怒りはもちろん、不甲斐ない自分に対するものだ。

 しかし怒りを発散する先は、目の前のボールへ。

 いきなり一回の裏から、アベックホームランが達成された。


 シーズン二度目のアベックホームラン。

 大滝は剛速球投手ではあるが、一発病も持っている。

 西郷相手に単なるストレートで勝負すれば、それはバックスクリーンにまで持っていかれるというものだ。

 確かに球速はたいしたものなのだが、ピッチャーとしてはいくらでも、もっと優れた者はいる。

 ストレートにこだわりを持つのはいいのだが、速い割には対応しやすいと思う大介だ。

 他のバッターなら、なかなか打てないものなのだが。


 ベンチに戻ってきた西郷も、感想は同じであったらしい。

 もちろん球速も上回っているしサウスポーだが、武史の方がよほど打ちにくいストレートを投げる。

 いや打ちにくさという点を言うならば、直史のストレートもそうだ。あれはものすごく伸びるストレートを混ぜてくる。

 ストレートの中にも、ちゃんと種類があるのだ。

 上杉などはギアを明らかに変えているのに、大滝はそれを教えてもらえないのか。

 あるいはそういうストレートを投げ分けるのも、才能なのかと考える二人のスラッガーである。




 初回で三点のリードをもらった塚原は、やや肩の力を抜いた投球が出来るようになってきた。

 基本的にはストレートとツーシーム、そしてカットボールを投げてくるのだが、カーブを上手く活かして緩急を作っている。

 キャッチャーは滝沢であるが、風間と競うことによって、二人のキャッチャーとしての能力は上がっていると思う。

 それでもまだドラフトでキャッチャーを指名するのは、二人の争いでもまだ足りないと思っているからだ。


 競争があるところにチーム力の向上がある。

 現在の打線の力がやや余っていることは、悪いことではない。

 特に金剛寺などは、もういつ引退してもおかしくない年齢だ。

 だがこの試合でも打点を上げていて、なかなか衰えてはいても戦力であることは変わらない。

 打線は確実に点を上げ続けて、大滝は七回七失点でマウンドを降りた。


 先発した塚原は、これが嬉しいプロ初先発、初完投の初勝利。

 途中で二点は取られたものの、ビッグイニングを作らせずに投げ続けた。

 高卒だ大卒でプロ入りした者とは違う、社会人でもさらに大卒を経由したプロ入り。

 ここで結果を出すまでに、様々な苦労があったのだろう。

 だが新人でちゃんとこういった結果を出してくれると、ライガースの投手陣にも新鮮な空気が送られてくる。


 リリーフ陣を頼れずに、どうしても先発を引っ張る傾向にある。

 完投して勝ち星をつけてくれるのは、非常にありがたいことなのだ。

 今は二軍で調整している真田も飛田も、戻ってきても席が元のままということはありえない。

 選手の新陳代謝が活発であることは、選手にとっては厳しい世界であるが、競争するプロの社会では健全なことなのだ。


 髭を生やしたおっさんである塚原は、ヒーローインタビューの席では、その厳つい顔ながら涙を浮かべていた。

 勝って当然などという顔をしていた真田あたりとは、やはり歩んできた道が違う。

 これでどうにか投手陣に、泥臭くても粘り強く投げようという意識が芽生えてくれれば良いのだが。




 一勝一敗で迎えた第三戦は、やはりライガースは若手のピッチャーを使う。

 そもそもライガースは、若手とベテランの間の、一番充実した年齢層の選手が少ないのだが。

 この試合もまた、二軍から上がってきたピッチャーが先発。

 三回までを一失点に投げて悪くないピッチングだったのだが、そこで肩に違和感が発生する。

 こういうこともまあ、若手ではあるあるなのだ。


 第二先発的にマウンドに上がったピッチャーもまた若手。

 それがまた三イニングを投げて一失点と、悪くない結果を残す。

 そして七回ともなれば、本来のリリーフ陣を使っていくことになる。


 点差はまたも大介と西郷がアベックホームランを打っていたが、それ以外のところであまり得点がなく、一点差で楽な展開ではない。

 たださすがに目の前で後ろから追いついてきた者のピッチングを見せられては、奮起しないわけがない。

 九回まで3-2と進み、最後は一点差でウェイドへ。

 見事にそのまま0に封じて、この三連戦を勝ち越した。


 不思議なものである。

 他のチームには負け越しが多い今年のライガースだが、宿命の対決になりつつある神奈川相手には、二度連続で勝ち越し。

 やはりスターズ相手であると、上杉以外には負けるわけにはいかないという思惑が働くのだろうか。

 西郷も絶好調であり、上杉による西郷折りは、失敗したと見ていいだろう。少なくとも、現時点においては。


 期間はゴールデンウィーク終盤、次の相手はまたも地元甲子園でフェニックスと。

 前のカードでは負けているだけに、気合を入れていきたいところである。

 そして第一戦は、今年ここまで無敗の大原。

 絶賛崩壊中の投手陣の中で、実質今一番頼りになる先発である。


 誰かが不調になっても、代わりに誰かが上がってくる。

 プロの世界というのは、いくらでも代わりがいる。

 そう考えると大介も、落ち込んだり悩んだりもしていられない。

 今日も寮の屋上で、西郷と共にバットを振る二人であった。



×××


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