第185話 サムライ
上杉には密かな後悔がある。
それは、どうして一年目に、徹底して大介の心を折っておかなかったかということだ。
実際のところ、折れるような柔な人間ではなかったというのも確かだろうが。
二年連続で日本一を決めていたスターズが、三年年連続リーグ二位でクライマックスシリーズにおいても敗退したのは、明らかにシーズン中の大介の怪物的活躍によるものである。
上杉自身も散々に怪物とは言われていたが、それでもピッチャーであることの限界はある。
一人で貯金を20以上作っても、毎試合出場できる野手の方が、影響力は大きいのではと思ったのだ。
一般的にシーズンMVPは野手が、シリーズMVPは投手が取りやすい傾向にある、という話も聞いた。
シーズンを一位で終えることが、日本シリーズに進むのに有利になる。
明確にそれには気付いたものの、シーズン中から大介を抑えるのは、既に難しかった。
確かに力の差を示すことも出来たが、他のピッチャーとの対決では、圧倒的な差を残したので。
そして西郷も大介ほどのものではないが、チームをシーズンを通して強くする力を持っていると感じた。
だからこそあの試合、必死で三振に仕留めたのだ。
ただその後も西郷は結果を残し続け、現在のセ・リーグでのホームラン数は第三位。
二位が助っ人外国人であることを考えると、日本のスラッガーが二人、ライガースに揃っていることになる。
現在は投手崩壊に陥り、成績を伸ばせていないライガース。
だがどうにか打線は、得点を取り続けている。
これで投手陣が復帰してくれば、一気にまた順位を上げてきてもおかしくない。
それまでに完全に打線まで叩き潰すか、手が届かないところまで差をつけなければいけない。
だからこそ、こんな手段も使う。
わざわざツーアウトランナーなしの状態から大介を敬遠し、西郷と勝負する。
西郷の打率や長打率などを考えると、まず三点以上は取られない上杉であるが、馬鹿な真似をしているとも見えるだろう。
大介との勝負を避けたようにも見えるし、そこまでして西郷を潰すか、という話にもなる。
確かに上杉らしくはないのかもしれない。
だがそんなことは、余裕のある人間が言うべきことだ。
アンフェアでもないし、ルール上の問題もない。デッドボールのような負傷とも違う。
あえてチャンスを作った上で、西郷と勝負する。
そして叩き折る。
シーズン全体を通じて、やっておこうと決めたのだ。
あえて相手に有利な、チャンスを作った。
その上で正面から完全に封じる。
メンタルにダメージを与えて、このシーズンぐらいはおとなしくしていてもらおう。
そしてその間にチームは優勝する。
長期政権ながら、今年で契約最終年のスターズ別所監督は、鬼になることを決めた。
上杉というスーパースターがいて、それでもスターズは勝てない。
ここまで大介は、挫折らしい挫折をしていない。
日本を代表するバッターに対して、少しは試練を与えるべきだろう。
その前提として、西郷を潰す。
大介に分かるのは、あえて大介は敬遠してでも、西郷は抑えるということ。
それによって生じるのは、西郷の怒りであろう。
だが二打席目はそれでいいとして、この後の打席を全て封じられたら。
大介も上杉と対決した時は、勝っても負けてもその対決が尾を引いたものだ。
怪我をしたこともあるし、スランプに陥ったこともある。
西郷もまた、上杉に完全に舐められれば、そういうことになるかもしれない。
それを狙って、上杉が勝負にきている。
容赦がない。それはそう思う。
上杉はもっと、純粋に力だけで、しっかりと勝負もしてきた。
だがそんな上から目線ではなく、ちゃんと同格に近い存在として、西郷を認識したのであろう。
そんな大介の思考は前向きすぎではあるが、この二人が完全に正面から戦うのは見てみたかった。
果たして、いい気になっていなかったか?
完投をするためのペース配分とか言いながら、甘く見ていなかったか?
上杉は己に問いかける。
必要なことだった。年間に30先発以上もして、そこで勝っていくためには。
甘く見ていたわけではない。ただチームの勝利を優先していただけ。
だがそう思って登板ペースを上げた去年と一昨年、確かに結果は出せた。
シーズンを通しての方針としては、少し力を抜いて投げて、それでも勝ち星を増やしていくというのに間違いはない。
だがシーズンの中の一戦であっても、特別な試合はあるのだ。
プレイオフはある程度、シーズン戦の延長にある。全くの別物と考えてはいけない。
もちろん選手運用に、ある程度の無茶があるのがプレイオフだが、そういうこととは違う関連性だ。
シーズン中の対決で、相手を全力で叩き潰して心を折る。
たとえまた復調するにしても、それまでの間に調子が悪かったなら、それでそれなりに意味があるのだ。
西郷との対決。
初対決ではホームランを打たれたが、あえて同じコースから入る。
アウトロー。
ぎりぎりに投げたボールはストライクのカウント。
西郷は基本的に、内角の方が得意だ。
もちろんどのコースにも対応力があるが、内角に投げられて詰まりそうな当たりになるのを、そのパワーでスタンドまで持っていく。
上杉ほどのスピードがあると、アウトローはミスショットになりやすい。
そして二球目も、アウトロー。全く同じコースだ。
170kmオーバーを投げてくる。
そしてこの組み立ては、あの初対決の初打席と同じだ。
外に目を向けさせておいて、最後は内角で決める。
そんな全く同じ配球で、勝負してくるのだろうか。
マウンドの上杉は、野太い笑みを浮かべていた。
同じ組み立てで来る。
打てるものなら打ってみろと言っている。
西郷もまた、バッターボックスのなかでぴたりと静止する。
三球勝負だ。しかもコースまで分かっている。
(打つ!)
大きく振りかぶった上杉は、ランナーのことなど何も考えていない。
大介を完全に無視して、西郷に対する。
その剛腕から放たれるストレート。
反応した西郷が振り切る前に、ボールはキャッチャーミットに収まっていた。
改めて、とんでもないピッチャーだとぞっとする。
西郷は肝の太い男であるが、それとは全く別のレベルの話だ。
世界最速を日本人が出したというのは、世界中のメディアでニュースになったものだ。
島国野球などと言われても、上杉が対世界大会無敗である事実は変わらない。
WBCではメジャーリーガーを擁する国の代表にも、圧倒的なピッチングを見せ付けたのだ。
だがそれほどまでに突出したピッチャーであっても、負けて仕方がないとは思わない西郷である。
上杉は極端にランナーさえ出さないピッチャーだが、ライガースの打線であれば、四番の西郷には四打席目ぐらいまでは回ってくるだろう。
それまでに、あのスピードにアジャストする。
三球三振したが、まだ西郷は闘志を失っていない。
一塁からベンチに戻ってきた大介は、何か言うべきか迷った。
おそらく上杉は、この試合では大介との対決を楽しむのを放棄して、西郷を徹底的に封じ込めにかかる。
大介としては盗塁して、なんとかチャンスは広げたい。
推察するスターズ側の意図が正しければ、とにかく西郷に徹底的な封じ込めをしてくるはずだ。
一試合に上杉がかける労力が大きすぎる気もするが、今年はライガースは完全にスタートダッシュに失敗している。
ここで西郷という新戦力を叩いておくのは、充分に意味があることなのだろう。
上杉は猪武者というイメージが、高校時代は強かった。
確かに完封勝利を甲子園でも延々と続けていれば、傑出したパワーピッチャーであることは間違いがない。
だがプロの世界で、チームの優勝のために貢献するには、こういったこともしてこなければいけないのか。
プロは厳しい。
別に自分にとっては厳しいものではなかったが、チームとして勝ち続けるのは、大介一人では足りない。
そしてピッチャーを多く使わないといけないという、監督に求められる選手起用。
他の選手が打ち取られるのを見ていて、大介はそう思うのだ。
スターズの、もちろん上杉も同意したであろう方針は、確かに続いた。
他の場面ではそこそこに力を抜いて投げる上杉だが、ヒットの連打を許すほどではない。
そして大介は敬遠される。
上杉にではなくスターズベンチへのブーイングがひどいが、問題は大介が敬遠された後だ。
西郷を、三振に取る。
上杉のMAXストレート174kmが、試合の中盤以降は西郷に使われた。
マシンで170kmを投げさせても、このレベルの勝負になると、人間との差異が大きすぎて、目を慣らす程度の役にしか立たない。
西郷もマシンの170kmなら、打てなくはないのだ。
しかし大介の後の西郷を、上杉は完全に封じて行く。
最初の対決も、いきなりホームランを打ちはしたが、その後は三振が続いた。
ライガースの先発山倉も、悪い出来ではない。
六回の終えたところで三失点と、いわゆるクオリティスタートである。
さらにもう一イニング投げて、そこも無失点。
七回三失点にて、リリーフ陣に交代だ。
この先をどうしても、三点差は返せないだろう。
ライガースの首脳陣も、スターズの打線が爆発しているというわけではないので、普段は使っていない若手のリリーフ陣にチャンスを与えていく。
試合の行方にはもう関係ないが、こういう時に与えられたチャンスを活かせるかどうか。
リリーフ陣が崩壊しているライガースにおいては、一軍の中で居場所を作る、絶好の機会なのだ。
チームの勝利のために、などと考えるのは、年俸が一億を超えるようなスター選手であればいい。
もっとも大介などは、チームの優勝などよりもさらに、個人成績を期待されるのかもしれないが。
上杉がやや力を抜いて投げる場面が多く、そこではヒットが出ている。
だが大介を敬遠し、そして西郷からは三振を奪う。
そこだけは徹底しているので、点が入らない。
九回の裏にはついに、追加点が一点加わった四点差で、三番の大介からの打順で始まる。
もう今日は勝てるのだから、ここで一度ぐらいは勝負してもいいだろうに。
大介はそう考えるのだが、上杉は結局ここも大介を敬遠してきた。
正確にはベンチから、申告敬遠が出るのだが。
抗議の空振りも出来ない申告敬遠は、間違いなく野球をつまらなくしたな、と考える大介である。
そしてノーアウト一塁という状況からは、もう動かない。
別に盗塁数を稼いでもいいのだが、ここは完全に西郷に任せる。いや、任せるしかない。
三度の三振に、重たい無表情で打席に入る西郷であるが、一塁ベース上から上杉の背中を見る大介は、その肉体に強烈な熱が入るのを感じる。
盗塁で引っ掻き回して、少しでも西郷に有利な状況を作るべきか。
だがおそらく上杉は全く牽制しないし、走らせるままにするだろう。
ホームスチールをしても成功するのではないだろうか。
もっともそれまでに、三振を奪いにくる可能性の方が高い。
巨大な壁だ。
大介自身もまだ乗り越えられていない、巨大すぎる壁。
一度は乗り越えたと思ったら、またさらに巨大になって現れる。
だがこの壁はプロ野球選手であれば、誰にでも目標とすべきものなのだ。
同じリーグの違うチームということで、対決する機会は多い。
しかし対決する回数自体は少ないからといって、打てないことを許容してしまったら、それがバッターとしての終わりになるだろう。
西郷は振っていった。
最終回でも平気で170kmオーバーを出す上杉のストレートを、全力で振っていく。
ファールボールが真後ろに飛んで、それなりにタイミングは合っているのだと分かる。
だが明らかに、圧倒されている。
負けるだろうな、と大介は感じた。
ただ大切なのは、負けてもそこで立ち止まらないことだ。
上杉のボールに向かって行く同志は、もう一人ぐらいいてもいいだろう。
チェンジアップを見逃して、ボールカウント。
単純にタイミングだけで振っていくなら、今のを振って三振していた。
西郷はちゃんと、現実と向き合っている。
上杉の揺さぶりにも、折れてはいない。
怪物は、西郷だってそうなのだ。
大介はその対決を、ただ見つめることしか出来ない。
四球目のストレートを、西郷はフルスイングしていった。
だがインローの球を、捉えることは出来なかった。
この日四つ目の空振り三振。
完全に上杉が西郷を抑え切った一戦となった。
ワンナウト一塁から、もう出来ることはなかった。
五番に入っていた金剛寺と、六番のグランド。
二人が三振と内野フライに倒れて、試合は終了。
上杉がいつも通りに完封した試合であり、そして大介との勝負を全て避けた試合。
西郷が四つの三振を奪われた試合が終わった。
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