八章 プロ二年目 記録への挑戦
第92話 山を動かせ
人間一人が動かせるものが、どれぐらいのものなのか。
大介が挑戦しているのは、そんな限界なのかもしれない。
なにしろ前人未踏の領域。
上杉の各種記録ももちろん偉大なものなのだが、大介のやっている四割は、過去最高というものを超えた史上初というものだ。
たださすがに、これに加えてホームラン記録や打点記録まで作るのは難しい。
今年はとりあえず打率を更新して、来年からは他の記録に挑戦してください。
そう思っている者が大半のはずだが、たとえばライガースの査定部は、去年大介に出した来季の条件で、はたして納得してもらえるのか心配になっていたりする。
なのでGMと一緒に、練習をする大介の様子を見に来たりするわけだ。
ストレッチをする大介の姿を見て、一通り終わったらクラブハウスに来てくれと言って、監督も伴わずに待つ。
大介は本当にストレッチを途中で切り上げることもなく、30分ほどは待たせて監督室にやってきた。
来客者用のソファーで、GMと編成部長、そして査定部門の人間の三人がいる。
これはまた金の話かな、と思う大介である。
「お待たせしました」
「いや、急で悪かったね。ただ話しておかないといけないこともあるので」
主に話すのは編成部長になるらしい。
ユニフォーム姿の大介は、もう身長の伸びは止まっているはずである。
プロの世界でも圧倒的に、下から数えたほうが早い、小さな肉体。
だが去年よりもずっと、大きくなって目に映る。
それはライガースという球団のみならず、日本球界、そしてそれを越えた日本全体における、大介の巨大さを思うことによる錯覚である。
小さいがゆえに、逆にその功績は偉大なものとなっていく。
たかが一選手。
だが球団と喧嘩別れした選手が海を渡り実績を打ちたて、残された人間の面目を潰しまくった例はある。
大介は別に傍若無人ではないし、尊敬すべき人間にはそれなりの礼儀を払う人間だが、とにかく残す実績が非常識だけに、本人が意図していなくても、とんでもないことが起きる可能性がある。
「白石君、今年はもうなんというか、おめでとう、と言っていいのかな」
編成部長は現時点で、大介の打率、打点、本塁打、出塁率、盗塁などが一位になるだろうと分かっている。
盗塁だけはまだ、大介が軽い捻挫でもして残りを全休となれば、ごくわずかの薄い可能性だが、タイトルを奪われる可能性はある。
ただ、全体的にほぼ全ての数字が前年を上回ると言っていい。
現時点で歩かされた四球と敬遠の合計数は、去年を上回っている。
そして三振の数は、残り九月だけであるのに、去年の半分にまで減っている。
ホームランはおそらく無理、打点は微妙、ただ打率が、圧倒的な存在感をもって、そこにある。
既に現時点で達成している出来高としては、まず規定打席到達で5000万。
打率、本塁打、打点、出塁率が一位で4000万、これが三冠王なので3000万。
打率と出塁率が従来記録を更新で2000万。ここまでがほぼ確実な数字と言える。
ゴールデングラブとベストナインも、おそらくは取るだろう。そしてシーズンMVPも。今のところは盗塁王も。
「現時点で一億8000万の出来高が発生すると思っているが、何か変えてほしいところはあるかね?」
「え、いえ、減らされるとかじゃないなら、それはいいんですけど」
「ああ、あと打率四割記念で、おそらくまた表彰されるから、それも1000万かな」
これで日本シリーズまで進み、そこでもMVPを取れたとしたら、丁度二億となる。
過去最高の金額である。
だがこれでも、社会的な影響を考えれば、高すぎるとは思えない。
他の球団では、まあそれまでの実績があるからというのもあるが、これ以上に貰っている選手はいる。
同じライガースの中でも、金剛寺は大介よりまだ多い。
ただ年俸と合わせると、柳本も抜いてしまったようではある。
ある程度長く実績を残さないと、年俸は一気には上がらない。
一億を超えれば、それまでの査定とは全く違う段階に入るが、大介のそれはさらにまた違うレベルだ。
来年の年俸は三億に、出来高払い。規定打席到達だけでも、5000万の出来高が発生するわけだ。
正直大介は今年の成績が、さすがに出来すぎだと思っている。
他の球団が大介を研究する以上に、大介が他の球団のピッチャーを研究してしまった。
研究度合いの差とも言えるが、球団のスコアラーは必死になって、大介の穴を探そうとするだろう。
そこから成績をさらに上回っていくのは難しい。だが、タイトルを取るぐらいは出来そうだ。
毎年一億の出来高が発生し、そしてその次の年に反映される。
あっという間に年俸は10億に到達するかもしれない。
そして球団の方も、10億以上出す覚悟はしている。
大介の影響力は大阪の経済に及んでいるだけでなく、全国的に人間の活動を活発化させたとも言える。
ピッチャーである上杉と違って、毎試合出る大介の方が、必然的に影響を与える機会が多いのか。
プロ野球のシーズンが始まって、大介の四割が現実味を帯びてから、日本全体の経済活動が活発化しているというデータはある。ただの偶然と言いたいが。
これで上杉がクローザーにでもなって、毎試合のようにセーブを重ねていけば違うのだろうが。
ともあれ、大介に文句がないことを確認して、ストーブリーグの前哨戦は終わった。
球団側としては日本野球史上初の四割に、何か追加する必要があるかと思ったのである。
そして球団側はともかく、大介の方は改めて自分の年俸について考える。
現在の日本の税金は高すぎる。
学生の頃はそんなこと全く考えていなかった大介だが、まさか半分近くも取られるとは。
しかもこの税制は、収入の高い期間が短いスポーツ選手には不利なのではないか。
野球選手でも引退後は芸能人のようにテレビに出たり、あるいは解説者になったり、あるいは指導者になったりするが、大介はそのへんのことはしたくないなと思っている。
それならまだボランティアで、近所のガキンチョに野球を教えた方が面白い。
引退。
大介にとってはまだはるか先のことであるはずだが、確かにいつかは来ることなのだ。
死なない人間がいないように、衰えない人間もいない。
衰えることを恐れて、全盛期のまま自殺してしまう芸術家などがいるのは、このあたりも関係しているのか。
スポーツ選手は、肉体の衰えを技術の円熟味で抑えるのが、難しい職業である。
プロ野球選手ではピッチャーなら50歳までプレイした人間がいるが、バッターの場合は動体視力の目の筋肉がどうしようもなくなるらしい。
(45歳ってとこか……)
人間には老化の早い遺伝子と、遅い遺伝子がある。
ある家系では男性に多く、30代の半ばには頭髪が真っ白になる遺伝子もあるらしい。
生まれつき成長の遺伝子がなく、老化していくばかりであった人間というのも、見たことがある。
自分の限界がどこにあるのか。
練習やトレーニングではなく、おそらく遺伝子が限界を決める。
それはイヤだな、と思う大介である。
限界まで、本当の限界までプレイするのか。
それとも自分のプレイが出来なくなった時を、限界とするのか。
とりあえず重要なのは、怪我をせずに長くプレイすることだ。
この小さい体。
前には神を呪ったこともあるが、今は違う。
体重が軽いことは、肉体の関節にかかる負荷が全く違うことにつながる。
ショートという体を捻る動作が多いポジションでは、軽いことは有利なのだ。
全身の筋肉をフルに連動させれば、ホームランは打てる。
とりあえず狙うのは、二度目の三冠王。
そしてゴールデングラブ賞だ。
日程の関連で広島で一試合だけを行った後、ライガースは神奈川に向かう。
既に予告先発で、上杉が投げてくることは分かっている。
大介も記録を作ったが、上杉も記録を作った。
中四日の間隔で何度も投げ、26先発22勝無敗。
間隔的にあと三回投げるとしたら、25勝無敗もありえる。
だが明日と、そしてもう一日、タイミング的にライガースに当ててくる。
このシーズン終盤で、大介と上杉との対決。
理想的なのは試合では上杉が勝って、打席では大介が勝つというものだ。
とりあえずその前座として、広島との試合は三打数一安打で、打点は増やしたが打率は落とした。
それでもたっぷりと、四割には余裕がある。
しかし神奈川も随分な盛り上がりようである。
優勝自体は決定しているが、クライマックスシリーズで勝つためには、ライガースを、大介を叩いておかなくてはいけない。
今年、大介の対上杉の成績は良くない。
17打席の四安打で、ホームランによる打点が一点あるだけだ。
チームとしても二敗二分であるのだが、柳本がその二分を取っている。
完封と一失点という、上杉さえいなければ、タイトルを真田と共に分け合っていただろう。
今年も優勝出来るのか。
正直、一年目のような、変な勢いはない。
だが外国人や若手の台頭で、チーム力は確かに去年よりも上がっていると言える。
しかし対上杉の成績は、去年よりも落ちている。
上杉が他の試合でそこそこに手を抜いて、ライガース相手には本気で投げてくるからだ。
かろうじてノーヒットノーランなどは防いでいるが、三番の大介に三打席しか回ってこないという試合もあった。
まるで大介に対するカウンターパワーのように、上杉という選手は存在している。
逆に上杉に対するカウンターパワーとして、去年の大介が機能していたように。
神奈川スタジアムでの、二連戦。
調整が入った結果、これの後にまだ神奈川との二連戦が一度ある。
順位は確定したのだから、ここで神奈川が無理をして上杉を使う理由があるとすれば、クライマックスシリーズ前に、ライガースの戦意を削いでおきたいということだろう。
先発は琴山であり、今年の彼の防御率からすると、四点は取っておかないと勝ちにはつながらない。
上杉から四点など無理である。
余裕で今年も防御率が一を切る上杉は、より多い試合とイニングを投げるために、今年は調整しているのだ。
来年もこの調子で登板回数を増やしてくると、さすがにライガースも勝てなくなると思われる。
去年はともかく、今年はまだライガースが上杉に一勝もしていない。
とにかくプレイオフではピッチャーの力がより重要視されるために、上杉を攻略する必要がある。
シーズン中に一度は勝って、上杉も無敵ではないという印象を持っておきたい。
甲子園ほどの観客は入らないものの、それでも完全に満員の神奈川スタジアム。
ライガースファンも旗を振り、爆音が球場内に鳴り響く。
こういった騒音に対するクレームも、今年は極端に減ったという。
理由は分からないが、クレーマーがクレーマー扱いされることになったのだろうか。
まああまり大騒ぎするのは、間違いなく困った物であるのだが。
わざわざバリケードを破壊して道頓堀川に飛び込む馬鹿は、さすがに死んでもいい。
試合はまず一回の表、ライガースの攻撃からいきなりクライマックスである。
最初の回に必ず大介に回るというのは、それだけでテンションが上がる。
そして上杉も、大介の前にランナーを出す危険性は分かっている。
先頭打者の志龍は、完全に今年、西片の抜けた穴を埋めてくれた。
打率0.314でホームラン11本の48打点というのは、先頭打者として素晴らしい。
出塁率と盗塁はチーム二位なのだが、それでも上杉の前には雑魚のようにあっさりと封じられる。
MLBまでの過程の一つとして考えていたNPB。もちろん上杉のことは知っていた。
だが球速などは単なる上げ底だと思っていたのだ。日本はそういうことはしないのに。
二番の石井は基本的に、前にランナーがいてこそ真価を発揮するタイプだ。
粘っていこうとしたのだが、それは逆に上杉の肩を暖めることになってしまうのではないか。
二者連続三振を奪って、さあ大介の一打席目である。
去年は、シーズン中の数字自体では、大介の方が勝ったと言っていい。
だがプレイオフでは完敗であったし、シーズン中も調子を崩された。
この日の対決にしても、重要なのはプレイオフに対して、力を見せ付けておくことだ。
上杉を攻略する。
去年はアドバンテージがあったからこそ勝てたが、高橋を投げさせて他のピッチャーを温存したのと、柳本が完封して引き分け、そこまでしてもようやく勝てたのだ。
今年も他のピッチャーを攻略して勝つというのが、クライマックスシリーズを勝ち抜く現実的な道であろう。
ただ上杉を打って勝つなら、それこそ本当の勝利と言える。
まさかとは思うが甲子園の時のように、中一日で投げてきたりとか。
ありえなくはないのが上杉なのである。
初球はストレートを明らかに外してきた。
そして二球目はチェンジアップ。
ゾーンぎりぎりのそれは、打とうと思っていれば打てたかもしれない。
だがホームランにはならなかっただろう。
上杉はプロ相手でもストレートだけで三振が奪える、日本でただ一人の投手であるが、ピッチングのテクニックに今年は急激に目覚めている。
おそらくシーズン中に大介にそれなりに打たれたのと、球数を減らしてより短い間隔で、登板数を増やすためだろう。
MLBはNPBに比べると中六日というのは少なく、先発のローテーションは厳しい。
上杉のこの登板数は、まるでそのMLBを意識しているかのようにさえ思える。
ムービング系のボールをしとめ損ねて、追い込まれた。
そこから投げてくるのは、ストレートだというのは分かっている。
ここでチェンジアップを投げたら簡単に三振を奪えるのは分かっていても、それでもストレートを投げてくるのが上杉だ。
打った打球はバックスピンがかかって高く舞い上がる。
これが風の強いときのマリスタであったなら、案外面白い打球になっていただろう。
だがここでは、センターフライである。
タイトル争いに関わるか、もしくはプレイオフへの勢いに関わるか。
大介と上杉との戦いは、まず上杉の一勝目である。
もっとも170kmを深いセンターまで運ばれたのは、上杉にとっても冷や汗ものであった。
×××
本日、群雄伝に投下があります。
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