第91話 奇跡の価値

 プロ野球のシーズンは三月の末から九月の末、あるいは天候によっては10月にずれ込む。

 この年も試合の消化は順調で、九月の下旬には全てが消化されるであろうと思われた。

 ドームではない球場を本拠地とするライガースは、少しだけ予備日の試合が残っている。

 だがそれでも、ここからよほどのことがない限り、大介の打率が四割未満になるとは思えなかった。


 極端な話、規定打席をクリアしているので、ここから全て休めば、それで四割打者の誕生である。

 まあ今年は、色々と他にも記録は出た。

 通算100号ホームランの達成は245試合目で、外国人助っ人を合わせても歴代最速。もちろん日本人の新卒ルーキーではぶっちぎりの一位である。

 そもそも300試合以内で100本のホームランを打っているのが、助っ人外国人しかいない。

 打点にしても一年目とほぼ同じペースなので、このままならば12年現役を続ければ、プロ野球の最多打点を更新する。


 未来には栄光しか約束されていないように思える。

 高校時代から規格外のバッターだとは分かっていたが、歴史に残るどころか、ことごとく歴史を塗り替えていく選手だとまで、誰が思っていただろうか。

 ホームランも既に49本で、ほぼ王座は確定している。

 打点も圧倒的なトップであり、ここから四割を維持するために全休しても、誰も文句の言えない三冠王である。


 バッターとして、傑出しすぎている。

 何かルールを変えなければいけないのではないかとさえ思える、圧倒的な存在。

 上杉がほとんどの試合を完封出来るように、ピッチャーの次にバッターで傑出した存在が現れた。

 そしてこの二人が対戦する場合、シーズンの中ではやや大介が優り、プレイオフでは上杉が優っている。

 チームの勝利を考えるなら、去年ライガースを日本一にした大介の方が、あるいは優れていると言えるのかもしれないが。


 だがこの二人は、お互いに敬意を抱きながら、どちらが勝ったとは言わない。

 今日は負けたとは言うが、勝ったとは口にしないのだ。

 ひょっとしたらそう言葉にするだけで、一気に自分に驕りが生まれるとでも思っているのかもしれない。




 偉大な記録を残す上で一番大事なことは何か。

 それは怪我をしないことである。

 この年、ルーキーのくせになんと四完封目の真田の先発の試合、大介はホームランで華を添えた。

 50号ホームランであり、NPBでは過去に二人しかいない、二年連続の50本塁打以上となる。

 四割40本40盗塁などと言っていたが、これで四割50本50盗塁の達成である。

 もちろん過去にこんな記録を達成した者はいない。四割自体がいないので。


 球団や首脳部としてはもう大介には、盗塁や守備ではなく打撃に専念してもらいたいと思わないでもない。

 せめても守備負担の少ないサードにでもして、あとは盗塁で怪我をする危険を避ければ。

 だが世間がそれを許さない。


 ショートという肉体的には最も守備負担の多いポジションを守り、スーパープレイを連発する。

 セカンドの守備が石井であるので、もじろうとしてもシライシコンビになってしまうのが、残念と言えば残念である。

 ただ大介にショートを譲ってから二年目、石井は打撃成績を上げてきている。

 去年は0.263でフィニッシュした打率が、今年は0.281まで上がってきているのだ。

 また長打はともかく打点も多くなっている。


 これは一つには、下手に進塁打などを打ってしまっても、一塁が空けば大介が敬遠されるだけという事実がある。

 送りバントの回数が減ったのだが、バントヒットや内野安打を増やして、とにかく器用に、そして出塁率を上げてきている。

 一人の傑出した選手がいい影響を与えるのは、長期的に見ればやはり、ピッチャーではなくバッターであろう。

 そのバッターが守備もよくて、レフトからの中継をレーザービームでストライク送球してくれると、それもまた盛り上がる。

 石井と一緒にダブルプレイを量産すると、それだけで味方のピッチャーの調子もよくなるのだ。


 長く野球を見ているファンも、今自分たちが、現在進行形の伝説を見ているのだと分かる。

 そして新しいファンたちは、目を輝かせて野球を始めるのだ。

 上杉が高校生の頃から、競技人口の減少には歯止めがかかっていたが、最近では明らかにもう、増加に転じている。

 サッカーに比べてダサいなどと言われていようが、日本が世界一になれるスポーツは野球なのである。




 大介の四割の記録は、なんとしても達成させたい。

 幸いなことにかなりの余裕があるので、ぎりぎりまで試合に出てもらうことは可能だ。

 そもそも試合に出続けた方が、他の様々な通算記録を、将来的に塗り替える可能性が高い。


 まだ20試合以上を残していて、50本のホームラン。

 調子が良ければであるが、ホームランの60本記録の更新の可能性もある。

 自身が去年更新した打率の成績を更新し、打点の記録も更新するのか。

 安打記録が200本に行かないのは仕方ないが、もしかしたら打点が200点を超えるのか。

 そんな異次元の期待を抱かせ、達成してくれるのが大介である。


 大介は、もうただ一人の選手ではない。

 上杉と共に、日本の至宝となるだろう。




 甲子園が終わり、ようやく本当のホームゲームが出来る八月の下旬。

 その最初の相手は、現在三位のタイタンズである。

 加納がライガース相手には圧倒的に勝率が悪いためローテを飛ばし、荒川が首都圏限定となると、三番手のピッチャーが先発となってくる。

 だがこの三番手も層が厚い。

 数年前に神奈川からFAで移籍した西尾。今年は不調の加納に代わり、チーム一の勝ち星を上げている。

 神奈川が上杉以前に低迷していた、最大の理由とも言われていたりする。

 年齢も34歳と円熟の極みにあるが、無名大学のドラフト下位指名と、それなりの経験を重ねてきている。

 だが試合で関係するのは、その現在の実力のみである。


 トミー・ジョンで丸々二年近くを棒に振り、三年契約の今年にようやくその年俸に相応しい成績を残している。

 ただ前に対戦した時は、やはり大介には打たれている。

 ホームランではないというだけで、満足しないといけないのか。


 夏の名残などではなく、まさにまだ盛夏と言っていい八月の下旬。

 久しぶりの甲子園で、大介のテンションは上がっている。

 先発の柳本が珍しく初回に崩れて二点を取られているが、それだけにあちらのピッチャーも勝負しに来る可能性は高い。


 一流どころのピッチャーで、大介にまだホームランを打たれていない者は、セ・リーグではほとんど残っていない。

 特に先発はほぼ全滅という有様で、この西尾が最後の希望と言ってはさすがに言いすぎか。

 なお紅白戦で柳本や山田も、しっかりと打たれている。

 一応真田は、プロ入り後はまだ打たれていない。

 甲子園で場外を食らったので、もう勘弁してあげてほしい。

 ただ木製バットになってから、大介は打ってもおかしくない大滝の反発力の高いストレートなども、甲子園の場外にまでは飛ばせなかった。


 ツーアウトから回ってきたこの打席、当然ながら大介は一発を狙っている。

 体でリズムを取ることもなく、すっと掲げたバットが、マウンドの西尾に圧力をかける。

 二年連続で三冠王などという、ふざけた記録を持つルーキー。

 サウスポーに対してはほんの少し打撃成績は悪い。


 だが、チャンスの場面でもないツーアウトからでも、球場が揺れるような大歓声。

 一人で一点を取ってしまう、野球における攻撃面の最高技術。

 ホームラン。常にフルスイングなのではなく、ボール球でさえホームランにしてしまうことが多いが、ここまでホームでは盛り上がる。

 大きな構えだ。当てるつもりの危険球でさえ、かなりの確率でヒットにしてしまう。

 なのでどんな投手も、外を重視したピッチングにせざるをえない。

 だがそれでボールからストライクに入るスライダーを投げると、高確率でヒットにしてしまう。


 初球はやや外すアウトローへと、ストレートを投げる。

 だが大介のストライクゾーンは、平均よりも二つ外に広い。

 スイングがまたもボールを高く打ち上げ、風に乗ってレフトスタンドに入る。

 打たれた方さえもが変な笑いが出てしまう、完璧なホームランだ。

(誰かこいつを止めろよ)

 おそらく王貞治と長嶋茂雄がそろっていたころのON砲相手には、ピッチャーは誰もが感じていたのだろう。




 勝てると思った試合も、負けてしまうことはある。

 柳本に二敗目がついて、大介も二度の敬遠を経験した。

 それでも二打数一安打なので、打率は上がっていく。


 この頃になると新聞では、試合のない翌日以外では一面の隅にしっかりと、大介の現在の打率を載せることになっていく。

 今日も四割のままかと、とりあえず日本国民で新聞をいまだに取っている物好きは、ホッとするらしい。

 そしてAHOOのトップページにも、白石現在打率が表示されているそうな。

 ググってみれば「だ」で打率と出るのだから、あらゆるメディアが汚染されていると言ってもいい。


 だがタイタンズとの三連戦は、今季初めて、一つのカードでの三連敗となった。

 柳本、飛田、高橋と、他の二人はともかく柳本は意外である。

 だがこれで上杉の最高勝率を防げそうなピッチャーは、真田だけになってしまった。


 この次のフェニックスとの三連戦は、逆にまたも三タテ。

 だが大介の打率はわずかに下がる。

 そしてまたも、タイタンズとの連戦となるわけだ。

 このタイタンズとの三連戦の二戦目で、八月の試合は終了する。


 なんとか打率を維持してくれというファンの願いは、逆方向に裏切られた。

 一度落ちていた打率が、さらに上がったのである。

 記録と言うのは、塗り替えられる時には、一気に塗り替えられるものらしい。

 ここまで打席数が到達していれば、この先普通に三割打てば、四割は維持できそうだ。

 普通のバッターなら、三割打つというのは難しいのだが。

 

 なんとなく野球ファンも、四割が達成されるというのは、もっとギリギリまで分からない状態になると思っていた。

 だが八月を終了した時点で、大介の打率は0.419である。

 規定打席をクリアしているので、ここから全休でも初の四割打者は誕生だ。


 単に四割というだけなら、球団としてもフロントから現場に声をかけて、なんとか大介を試合に出さないことも考えたかもしれない。

 だがここまで余裕があるなら、さらに打点や本塁打を伸ばしてほしい。

 今年は盗塁王も狙えるが、ここだけは追いつかれる可能性があるのだ。

 もちろん可能性であって、現実的ではない。


 打撃だけならともかく盗塁王まで取ってしまう。

 去年はルーキーに負けるかと頑張ってくれていた盗塁王がいたのだが、今年は無理のない場面での盗塁を意識しているので、そこまで伸びていない。

「しっかし年間100盗塁とか、どうやったらそれだけ稼げるんだか」

 大介は雑誌のインタビューでそんなことを言ったが、お前の打率の方がはるかに非常識である。


 たださすがに終盤は、この成績も落ちそうなのだ。

 なぜなら雨天順延などになっていた試合が、短い間に移動時間を多く取られてなされるからだ。

 移動が多ければそれだけ疲労も抜けにくく、プレイオフを考えればもう調整に入っていてもおかしくない。

 残り試合数、二試合に一本のホームランを打てたら、去年と同じ59本に到達する。

 だが二試合に一本というのは、さすがに現実的ではない。

 現在進行形で現実的でない記録を残している大介が、とても言えたことではないのだが。


 九月の試合は全力を尽くす。

 雨天順延はあったが、それでも去年に近い勢いで、試合は消化されてきた。

 とりあえず四割を維持出来る状態のまま、ホームランを狙っていく。

(来年からは、もっと打てるボールだけをホームランにしていった方がいいのかな)

 なんだかんだ言って打率は、ホームランや打点と違って、下がる可能性があるのだ。




 九月の初戦はタイタンズとの三連戦の最終戦で、この日の先発は高橋。

 残り試合数から見ても、ここで勝てなければ200勝は来年にお預けである。

 今年は11先発で4勝4敗と、意外に勝ち負けがついているし、黒星先行ということもない。

 ただ高橋はとても完投能力がないので、リリーフ陣に負担がかかるのだ。

 おそらく来年も契約はしてくれるだろうが、登板機会はさらに減るだろう。


 早く200勝をさせて、気持ちよく引退させてやりたい。

 足立や藤田といったベテラン陣も、優勝と共に引退という、よい幕引きを得られた。

 ただ足立は最後に無理をしたため、今年はずっと肩のリハビリをしていたらしい。

 来年あたりからはフロントに潜り込むのかもしれない。


 それはともかく高橋である。

 勝ち負けが意外とついていないと言っても、今年は全て五回までしかなげておらず、防御率も六近くというひどい数字だ。

 だがロマンとしては分かるのだ。年々ピッチャーの登板数は減り、優れたピッチャーがMLBに流出する現在、なかなか200勝というのは出てこない。

 まあこの調子でいけば上杉は、20代のうちに200勝に到達しそうではある。

 大介もそうだが、上杉もとにかくおかしい。さすがに勝ち星は400まで届かないとは思うのだが、勝率や防御率では圧倒している。


 そんな大介はこの日も、四打数で一本のホームランを打った。

 打率は下がったが、ホームラン記録の更新の可能性は残す。

 試合にも勝ったが、やはり高橋には勝ちがつかなかった。

 だが、この試合の勝利で、今年のリーグ優勝も決まった。

 九月に入ってすぐに決定という、かなり圧倒的な内容であった。


 あとは気になるのはタイトルである。

 いやもう、大方のタイトルは決まったも同然であるが。

 大介の記録の中では、最多安打のタイトルが取れるかどうか微妙なところである。

 他のバッターにとっては、三冠には関係ないんだから、これぐらいは譲ってくれよと言いたくもなる。

 もう一つの可能性は、投手関連のタイトルだ。

 上杉をどうにか二敗さえれば、真田が最高勝率のタイトルを取れる。あまり現実的ではないが。


 ここまで上杉は80勝以上を上げて、負けがまだ五回しかない。

 何をどうやったらこんな数字が、単年ではなく四年も続けて残せるのか、野球界の不思議の一つと言っていいだろう。

 甲子園では五回負けているわけだが、取られた点は四点なのだから、おかしなものである。




 残りの試合で大介がどれだけの数字を残せるか。

 野球ファンだけではなく、一般のニュースがまず報じるというこの異常事態。

 来年の野球チャンネル関連の会社の株価は上昇しそうである。



×××


 ※ トミー・ジョン

 今さら言うまでもないかもしれないが、損傷した肘の靭帯を他の靭帯で修復する手術。

 wikiで見たらたくさんの人がやっているので驚き。

 日本人としては桑田真澄さんが有名だろうが、MLBを見るとさらにものすごい多さに驚く。

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