第93話 成るか成らざるか

 この勝負に、他の人間はいらない。

 強いて言うならボールを捕るキャッチャーと、判定を下す審判だけがいればいい。

 だが実のところ審判も、上杉のボールをストライクかどうかを見極めるのは難しい。


 上杉のボールは浮く。

 よく言われる表現であるが、少なくとも他の有象無象のプロのピッチャーに比べて、圧倒的にホップ成分が強いことは間違いない。

 それにすさまじくキレがあるため、ストレートの軌道でありながら、途中で見失ってしまうことがある。

 動体視力に優れた若手でないと、上杉のボールを見極めるのは困難である。

 ただでさえ神奈川の正捕手尾田は、昔からキャッチング技術には定評があったのだ。




 試合自体は、神奈川の圧倒的な有利に進んでいた。

 当然のように上杉はアウトを取り続けて、いつも通りに三回までをパーフェクトピッチング。

 ライガースの先発琴山も悪くはないのだ。防御率からいっても、三回を投げて一点というのは、充分に及第点と言える。

 ただ、上杉と投げ合うには不足だ。


 ライガースのエースは柳本。上杉と投げ合って、今年二度も引き分けに持ち込んでいる。

 神奈川の打線が弱いと言っても、18イニングを投げて一失点というのは凄まじい。

 続くのは山田か、ルーキーの真田だろう。しかし真田は援護を一点貰いながら、上杉自身の逆転ツーランホームランで惜敗していた。


 琴山はこの三人に比べると、一枚半ほど落ちる。

 だからどうにか援護をしなければいけないのだが、前回も五回までを投げて、二失点でリリーフに託した。

 その後打線が一点も取れず、敗戦投手となっている。


 去年の上杉の成績を見れば、大介との対戦は、どちらかというと大介の勝ちだろうという成績になっている。

 12打数の五安打でホームランを二本打たれているのだから、まあその認識で間違いないだろう。

 だが今年は完全に抑えられている。打点がソロホームランの一点しかついていないというのが致命的だ。


 この時期になるともう、プレイオフのことも考えなくてはいけなくなる。

 ライガースがクライマックスシリーズで神奈川に勝つには、まずリーグ優勝をしてアドバンテージを取っておかなければいけない。これはもう果たされた。

 あとは上杉以外のピッチャーには勝つことと、上杉が投げてる試合でもどうにか引き分けに持ち込むこと。

 それが出来ていなかった二年間は、神奈川が日本シリーズで優勝を果たしていたのだ。


 日本シリーズまでいけば、ほんのわずかであるが試合間隔は空くため、上杉が中二日で投げて、あとはどこかで一つ勝てば優勝出来る。

 そんな上杉酷使によって、神奈川は優勝した。

 もっとも二年目からは少し戦力も整ってきて、やや楽にはなったらしいが。

 しかし上杉以外なら打ってしまえる大介が登場して、状況は変化した。

 上杉との対戦を、リリーフ陣を総動員して引き分ければ、どうにかあとのピッチャーを打って勝てる。

 クライマックスシリーズが途中に休みをはさまないことで、上杉にもさすがに体力的な限界があるのだと思えた。


 ただ去年は柳本と山田がフル回転して、短期決戦でないと日本シリーズの優勝は難しかっただろう。

 今年は真田がいるし、琴山や山倉が調子を戻してきているので、去年よりも余裕があるはずだ。

 日本シリーズまで進めれば、だが。




 試合は進んでいくが、上杉はランナーを出さない。

 上杉としても、大介との対戦が危険なことは分かっている。

 敬遠などはしないが、無意味に対戦数を増やすことなど考えない。


 二打席目はライト前にヒットを打たれてしまったが、単打である。

 明らかにホームラン狙いの殺気が篭もっていたが、ツーアウトからならランナーに出しても怖くはない。

 金剛寺もグラントも、強い鋭いスイングの持ち主だが、攻略出来る範囲内だ。

 下位打線のバッターも伸びてきているが、意識しなければいけないほどではない。


 圧倒的に優れているがゆえの、傲慢にすら思える当然の事実。

 上杉にとって少しでも注意すべきは、大介を除けば金剛寺、グラント、志龍の三人だけである。

 そして注意が必要であっても、全力の八分の力を入れて投げれば、それで抑えられる。


 大介に全力を尽くすため、他の部分では少し手を抜く。

 すると一本ぐらいはヒットを打たれてしまうが、大介の前にさえランナーを出さなかったら問題ない。

 事実上この試合は、いやライガースとスターズの試合は、上杉が投げているなら上杉と大介の一騎打ちになる。


 四割バッターか。

 日本のプロ野球史上始まって以来の、神話の誕生。

 それを同時代で達成させてしまうことなど、ピッチャーとしては屈辱なのかもしれない。

 だが自分は、そんなバッターを抑える。


 今年の上杉は、大介に対して一打点しか許していない。

 打率も圧倒的に、上杉の方が勝っている。

 大介は凄いかもしれないが、上杉の方がもっと凄いのだ。

(もう少しリリーフが良くなれば、30勝を狙ってもいいか)

 上杉は上杉で、また人外のことを考えていたりする。




 点差は二点に広がって、六回までを投げた琴山はお役ごめんである。

 そして七回の先頭バッターは、大介となる。


 ここでホームランを打てれば、もう一打席が最終回に回ってくる。

 そこでもう一度ホームランを打てば、同点に出来るかもしれない。

 もちろんそんなことを大介が詳細に考えているわけではないが、この打席が今日の勝負を決めるだろう。


 マウンド上の上杉の体が、一回り大きくなったように見えた。

 プレッシャーか、それとも純粋に筋肉の膨張か。

 上杉はこの試合、中四日で投げている。

 しかもシーズン終盤で、普通ならば疲労が蓄積しているであろう。

 だがもちろん上杉は普通ではないし、大介もまた普通ではない。


 この場面に、全力で勝負できる。

 そこまでの耐久力を、二人は持っている。

(最後はストレートだな)

 大介は分かっている。最後のストライクは、必ずストレートを投げてくる。

 それは上杉の美学と言うよりは、生き方の問題だからだ。

 監督が止めようが、キャッチャーが止めようが、投げるのは上杉だ。

 ここまでチームを率いてきた若き軍神を、誰が止められるというのか。


 最後に投げるのはストレートであろうが、そこまでにはちゃんと投球術を駆使してくるだろう。

 単純にこの打席でヒットを打つだけなら、それを狙った方が勝率は高くなる。

 だが、それではダメだ。

 本気の球を本気で打たなければ、意味がないのだ。


 ボール球を一つ使ったが、ストライクゾーンを過ぎるボールが二つあり、カウントの上では追い詰められる。

 だがゾーンに入ってきたら打つという、大介の意思は変わらない。

 神奈川のキャッチャーである尾田は、こういう時に上杉がかわしてくれれば、もっと楽なのにな、とは思う。

 だがそこで真っ向勝負をするから上杉なのだ。


 低めに外れた球を投げて、これで平行カウント。

 最後のボールは、当然ながらストレートである。


 大地から力を得て、重力を蹴り出す。

 プレートを踏み込む、圧倒的な足の力。

 そこからパワーがスピードを生み、指先へと伝わっていく。

 リリースポイントは前であり、最後に指先がバックスピンをかける。


 大介のスイングが、そのボールを捉えた。

 数百分の一秒にも満たないその瞬間。

 大介はボールでバットを切断するイメージを持つ。

 だが、バットはボールの表面を滑る。

 ボールにかかった回転が、スイングのスピードを上回った。

 キャッチャーフライ。

 三度目の打席は凡退で、そしてこれが今日の大介の最後の打席となった。




 神奈川との対決は、やはり難しい。

 二連戦の次の試合、ライガースの先発は真田。

 一年目から既に、三人目のエースとして活躍する男である。


 この日の真田は、別に悪いピッチングをしたわけではない。

 だが打線の援護がなかった。

 五回までを投げて、0-0という勝ち負けのつかないまま降板。

 そのあとをリリーフ陣が投げたわけだが、2-2という結果からだけを見れば、真田をもうちょっと引っ張るべきだったろう。

 しかし首脳陣は既に、プレイオフを考慮してスタメンを入れ替えながら疲労を抜く段階に入っている。

 昨日の試合で上杉が負けていれば、最高勝率のタイトルが真田に残される可能性があったので、今日も最後まで投げさせていたかもしれないが。


 だが大介には、様々な記録の更新がかかっている。

 打率はわずかに下がったが、まだ余裕で四割を超えている。

 あとは打点やホームランを、どこまで伸ばせるかだ。

 上杉は大介とまともに勝負してくれる唯一のピッチャーなので、三振をしてでも打点やホームランを狙わなければいけない。


 それにしても、この時期になると、雨天延期などで後回しにされていた試合などが、調整で入ってきたりする。

 そのあたりピッチャーのローテを回す首脳陣は大変なのである。

 そして移動が多くなるスタメンもやはり大変だ。


 神奈川との二試合で、大介はホームランも打点も増やせなかった。

 とりあえず言えるのは、去年の自分の成績が凄すぎるということだ。

 さらに今年は打率を大幅に更新してしまうので、来年以降は自分でもこれを更新できるとは思えない。

(まあ年俸の査定はともかく、ルールが変わりでもしない限り、この記録は抜けないんじゃないか?)

 単に打率だけを考えるなら、大介はほとんど逃げ気味のボールを振らず、四球の数を増やしていけば良かったのだ。

 ただそれをやると、ホームランや打点が伸びなくなってしまう。


 ぶっちゃけた話をしてしまうと、今年はもう全打席ホームランを狙っていって、打率はもっと落とした方がいい。

 凡退を少し多くしてでも、ホームランか打点を増やすのだ。

 どうせこのままなら、打率や出塁率は、去年は超えられるのである。

 ならばボール球と分かった上で、今以上にボール球を打っていくべきか。

 だが内角や高めと低めはともかく、外角はさすがに難しいのである。




 残り試合数は丁度10試合。

 雨の延期があったせいで、レックスとの試合が四試合連続になったりもしている。

 大介はここから、あえて隙を見せるフルスイングをする。

 だがそんな見え見えの罠には、そうそうかかるものではない。


 神奈川との二連戦で、打点が一つもつかなかったのも痛かった。

 レックスとの四試合で、ホームランは一本打ったが、珍しく三試合連続の三振もしてしまったりする。

 自分が狙うべきは分かる。

 だがホームランや打点に固執しすぎては、プレイオフ前に調子を崩す可能性がある。


 今年は打率の更新だけで満足するべきだな、と大介は考える。

 と言うか、そこまで打率を高めてしまって、後の世の選手に申し訳ないと思うレベルである。

 ホームランを打つためには、ある程度打率を下げて、勝負しやすいようにするべきだ。

 そんな頭の悪い考えが、現実的に考えられたりもする。


 あとはシーズン終盤にある、神奈川との対戦を考えるべきだ。

 そこで上杉を打つことが出来れば、プレイオフでクライマックスシリーズを有利に戦うことが出来る。

 今年の順位もおおよそ決まっていて、ライガースの優勝の後に、二位がスターズ、三位がタイタンズとなっている。

 今からこの順位を変えるのは、全勝と全敗まですれば確実だが、さすがに現実的ではない。

 ただこのシーズン終盤、神奈川が調子を落としていることは間違いない。


 選手層が、タイタンズの方が厚かったということである。

 元々シーズン前には大量に強化し、今年こそは優勝を狙えるとか言われていたものなのだ。

 それに後半になってから、来るぞ来るぞと去年も言われていた、本多が先発のローテに加わったのが強かった。

 あとは岩崎が中継ぎとして、いい活躍をしだしている。

 立派になって、と完全に上から目線で考える大介であるが、実際に上なので仕方がない。

 二人の年俸を足して倍にしても、大介には全く及ばないのだから。


 ただ、クライマックスシリーズで、さらに上杉が酷使されることにはなるかもしれない。

 もしそうなればファイナルステージまで勝ち進んできても、ライガースが有利になるだろう。

 タイタンズが逆に勝ち上がってきたとしたら、ライガースは圧倒的に、シーズン中はタイタンズに勝ち越していた。

 大介もであるが投手陣も野手陣も、タイタンズには全く苦手意識がない。


 その後に待っている日本シリーズ。

 優勝は、ほぼ福岡で決まりだろう。だがジャガースとマリンズ、そしてオーシャンウェーブの二位三位争いが激しい。

 マリンズなどは怪我人が続出で、せっかく出てもファーストステージで負けるだろうに。

 だからといって手を抜いていては、来年以降につながらないだろう。


「あと六試合か……」

 移動するバスの中で、大介は呟く。

 全ての試合でホームランを打てば、日本記録に並ぶ。

 たださすがにそれは現実的ではない。

 しかし打数換算すれば、日本記録とほぼ並ぶペースでは打っているのだ。


 来年はまず、ホームランを狙っていこう。

 いやいや、目の前にはまだ、シーズン戦が残っているのだから、それを先に考えるべきだろう。

 ライガースとタイタンズの二連戦。

 ホームランの出やすい東京ドームでの試合となる。

 だからといってここで簡単に打ててしまうかと言うと、そうもいかない。

 タイタンズは大介に対して比較的相性のいい、荒川を先発させてくるのだ。


 さらには一番ホームランの出にくい、NAGOYANドームでの試合も残っている。

 相性がいいと判断した荒川で、大介に真っ向勝負を挑んできてくれれば、ホームランを量産できるかもしれないが。

 打点にしても181打点と、去年の数字を上回るかは微妙である。

 更新すればそれで出来高であったが、同じだけの数を記録したら、どうにか反映されるのだろうか。

 とにかく打ちたいという欲望を抱いた大介が、ドーム球場を訪れる。


×××


 現時点の大介の打率0.415 本塁打54本 打点181 盗塁65

 全部門トップ。さらに最高出塁率もトップであり、安打数は三位である。

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