第60話 ゲームセット

 三連勝。

 去年までの日本シリーズは、二年連続で最終戦までもつれた。

 しかし今年のライガースは、開幕戦からずっと、走り続けている。

 止まったら終わる。

 それぐらいの覚悟をして、ライガースというチームが機能している。


 四連勝で決める。

 そうは思っていながらも、最悪の事態は考えるのが指揮官である。

 先発の二本柱である一方の柳本が、完全にガス欠状態になった。

 あれは体の骨や筋肉からエネルギーを出している状態のはずなので、第七戦までには回復しない。


 つまり使える先発はもう、山田しかいない。

 山田を使うのなら、もう最終戦まで持ち込むことも覚悟する。

 山倉を先発にし、状況次第では山田以外の先発陣もリリーフで使う。

 この四戦、ローテの投手で回している埼玉と違い、ライガースはかなり逼迫した投手状況にあるのだ。

「将棋みたいなもんやな」

 島野はぽつりと呟いた。

 決める時に決められなければ、負ける。




 先攻のジャガースは、先頭打者から大きな当たり。

 センター西片が必死でバックし、ダイビングキャッチする。

 いきなりのスーパープレイに、観衆たちの熱狂も爆発する。

 今季でFA権を取得する西片は、それを行使する予定である。

 関東のチーム、特にレックスかスターズは、先頭打者になれるセンターが弱いので、このどちらかにオファーがあってほしいと思っている。

 だがそんな打算とは全く関係なく、このチームで優勝したい。

 ついでにもし手が上がらなかったら、残留希望である。

 まあ今年の西片はおよそのスタッツがキャリアハイなので、どの球団もほしいと言ってくれるだろうが。

 続く二番と三番は凡退し、ライガースは勝利への道を歩んでいく。


 そんな西片がまたフォアボールを選んで塁に出ると、石井はしっかりと送りバントをし、ワンナウト二塁とする。

 ここで大介がネクストバッターサークルから立ち上がると、かすかに聞こえてくるダースベイダーのテーマ。

(あの人、大阪まで来てるのか)

 ツインズも来ているが、その姿を確認したりはしない。


 気合を入れてバッターボックスに入るが、即座に申告敬遠で歩かされた。

 敬遠気味の投球でもない、完全な敬遠。

 怒号がジャガースベンチとグラウンドのナインに襲い掛かる。この罵声の嵐は、ほぼ質量攻撃に等しい。

 ワンナウト一二塁で四番の金剛寺であるのだから、あちらもそれなりのリスクは背負っているのだが。

 しかしサードライナーで凡退。

 もう少し左に抜けていれば、一気に二点入ったろうが。




 勝っていたら三回ぐらいで降ろすけど、負けていたら最後まで投げさせるという、死の宣告を食らった山倉。

 高校時代に来た甲子園と違い、プロの甲子園は夜の闇の中に、球場だけが舞台のように煌々と輝く。

 そのマウンドに立つのは一人。

 ふと思った。

 全力で投げて一点も取られなかったら、そのまま投げさせてもらえるのではないか。

 そして最後まで投げたとしたら、優勝のマウンドに立っているのは自分になるのではないか。


 そんな都合のいい妄想を振り払って、島本のミットを見る。

 今季は後半はほぼマスクを被らなかった島本であるが、やはり投げるピッチャーとしては安心感が違う。

 何も考えず、自分はただ投げる。

 投げるだけの機械になれと、島本は言っていた。

 プレッシャーから開放されるようにとの気遣いだったのかもしれないが、ルーキーで優勝を決定するマウンドに送られたりなどすると、むしろプレッシャーを感じる限界を超えている。


 三者凡退。

 島本のリードに従い、本当に何も考えずに投げた。

 四球で終わってしまって、むしろあちらはテンポについてこれていないのではとも思う。

 ジャガースはトリプルスリーを達成した打者が三人もいる、内野安打にまで気をつけないといけない打線なのだが、とりあえずその内の二人はなんとかなった。

 交流戦でも当たっていなかったので不安ではあったのだが、意外となんとかなる。

(まあなんとかならなくても、俺のせいじゃないだろ)




 試合の展開は、ほどほどにランナーは出るものの、点は入らないという状況。

 このまま優勝したら宴会に突入という球団本社は、オーナーと社長以下の役員たちも集まって、VIP席から試合の行く末を見つめる。

 第四戦で優勝するよりは、五戦目までもつれた方が、興行的には美味しい。

 だがそんなことよりも重要なことが、この試合にはかかっている。


 レギュラーシーズンにおいて大介は様々な記録を叩き出した。

 そしてその記録は、プレイオフの日本シリーズをも更新しかけている。

 通算記録はもちろん出るわけもないが、一シーズンにおける記録は、これが四試合目なのに並んでいるものが多い。

 たとえばシリーズ本塁打は、五試合目、六試合目、七試合目までもつれたシリーズでも、四本が最高である。

 大介は第一戦の三本のホームランもあって、四試合目が始まる前にこれとタイになっている。

 この試合でホームランが出たら、それで日本記録の更新だ。

 矢沢がプライドを賭けて勝負してくれたおかげで、一気に記録に並んだ。

 また打点10というのも、七試合目までにもつれこんだシリーズがこれまでの記録であったが、大介は三試合目まででこれに並んでいる。

 

 自分たちは伝説を目撃している。

 普段はあくまでも仕事として野球に携わっているフロント陣さえも、この快挙には興奮せざるをえない。

「また敬遠か! 花輪のボケも矢沢も、恥ずかしうないんか!」

 オーナーが完全にキレキレのライガース節で叫ぶが、それを止める者は誰もいない。

 ジャガースの監督と矢沢に対し、果てはジャガースに対し、VIPルームでもキレまくりである。


 モニターでもテレビ中継を映しているのだが、凄まじいライガースファンの応援は、完全に甲子園球場を飲み込んでいる。

 野球人気が復権してきたといっても、このような光景を見た者はそれほどいない。

 オーナーにしてもまだ若い頃に、先代に連れられて、この熱狂を眼下に見つめたものだ。

 来年もきっと、と思いつつずっとあれから、それは果たせないでいる。




「ふざけんな花輪~!」

「おんどりゃ試合後ボコボコにしたるからなああっ!」

 申告敬遠をするのは監督なので、矢沢にそれほどの悪意が向かっていないのが幸いである。

 しかしいつ来ても、甲子園の観客は柄が悪い。

 それがいいんだ、とライガースを引退した選手などは言うのだが、じゃあもう一度戻りたいかと訊くと口を閉ざす。


 やはり白石大介は敬遠して正解であった。

 甲子園では、特に最後の甲子園では、打率八割を超え、準々決勝までは打率10割であったあの年の夏。

 プロに入ればさすがにレベルが違うと思ったが、それでもやはり怪物であった。

 上杉と潰しあってくれると思ったのだが、日本シリーズでは違う。


 大介の得点と打点がなければ、ジャガースは三連勝であった。

 もちろんその場合は他の選手が三番に入るのだろうが、それでもこんな結果にはなっていなかった。

 一年目なので甘く見ていたとか、研究が不充分であったなどという言い訳はきかない。

 大介の成績は、シーズンの後半になるほど、上がっていったのだから。


 しかし、この場面。

 ノーアウトのランナーなしで迎えた、大介の第三打席。

 ここで勝負しないというわけにはいかないだろう。

 最悪でも一点が入るだけというこの場面、勝負をしないという選択肢を採れるのか?


 キャッチャーは座ったままで、ベンチからも指示がでない。

 勝負か。

 少なくとも、勝負に見せかける投球だ。


 矢沢の持ち球の中で、本来なら一番警戒すべきはスライダー。

 右バッターにとっては完全にボールに逃げていくスライダーは、スピードも含めれば真田以上のレベルなのだろう。

 だが左の大介にとっては、普通に打てるボールである。

 しかし初球は完全に高く外れた球。

 大介は高めなら外れても打ってしまうと言っても、これは外しすぎだ。


 おそらくこれは撒き餌。低めの変化球かストレートを効果的にするために。

 あるいはインハイを強気で攻めてくるか。

 どちらにしろ、ゾーンには入れてくる。


 そしてインローへ、鋭い鋭いスライダー。

 これを打てないボールだ。読んでいなければ。

 想像以上に鋭い変化であったが、大介は振りぬく。

 このボールは上がらない。


 二塁の頭の上を通過した打球は、右中間を抜けてフェンスに直撃した。

 勢いが強すぎて、危うく二塁でアウトになるところであった。

 だが、これでノーアウト二塁の状況で、金剛寺とロイに回る。




 勝負どころだと。多くの人間が注目する。

 今年は日本野球史上最高の野手ルーキーに引っ張られていったが、金剛寺もライガースの四番だ。

 まだ若い頃、二軍で燻っていた時代に、高卒から一気にスターへの階段を昇っていった、矢沢の姿を思い出す。

(もうあの頃ほどの、圧倒的な差は感じないぞ)

 逃げていくスライダーは捨てて、ストレートを叩く。

 一二塁間を抜けて、ボールはライト前へ。

 大介は本塁を窺うが、それは厳しい。


 しかしこれで、ノーアウト一三塁となった。

 一説によると、最も点が入りやすい状況であるという。

 そしてここで、今年途中から入ってきて、三割10本を打っているロイ・マッシュバーンである。


 外野フライでいい。

 よほど浅くない限りは、大介の足なら帰ってこれる。

 そしてその期待にロイは応えた。


 ライトフライ。ただしやや浅く守っていたライトが追いかけながら捕球する。送球するには、やや不利な姿勢。

 強肩であるが、大介の足の方が早い。

 ホームベースを駆け抜けて先制点である。




 近付いている。

 大介にとっては、慣れた空気。

 日本一の瞬間が近付いてきている。

 高揚感の中で、俯瞰的に球場を見つめる、冷静な自分がいる。


 六回から山倉に替わってマウンドに登ったのは琴山であった。

 山倉としてはもっと投げたかったのかもしれないが、球が浮いてきているのはキャッチャーの島本から見てもも明らかであった。

 三イニング投げて、ここをぎりぎりの無失点に抑える。

 しかし八回の裏には、代打を出された。

 追加点は取れずに、九回の表を迎える。


 まさか1-0のスコアのまま、ここまで来るとは。

 ライガースの抑えは、青山が出てきた。

 足立がベンチ入りしていないので、敵にも味方にも、この選択しかないと思われていた。

 ライガースの今年のホールド数ナンバーワンピッチャーであり、足立の調子が悪い時のクローザーでもある。

 ただ防御率はともかく、三振奪取率は足立の方が高いので、ほんの少しだが失点するパターンは多い。


 九回の裏が回ってきたとすると、先頭バッターは大介になる。

 そこでまさか勝ち越しのサヨナラホームランでも打てば、それはもう伝説だ。

 散々に伝説を作ってきたのだから、ここでまた伝説を積み重ねてもいいではないか。


 そんなことを思われているとも知らず、大介はショートゴロを軽快に捌く。

 続く打者が三振して、これでゲームセットまであと一人。

 最後の打者は――。

 サード正面への強いゴロを、黒田はこぼしつつも体で受け止める。

 痛みをこらえて、ファーストで投げる。

 足よりも早く、ボールがファーストのミットに届く。


 スリーアウト。ゲームセットだ。

 四連勝だ。日本一決定だ。

 外野からも野手が集まり、ベンチからも選手が、そして監督とコーチも飛び出してくる。




 優勝。はるか古来、日本のプロ球団としては、最古の中の一つであるのに、いまだ一度しかなかった優勝。

 日本一だ。

 グラウンドで宙に舞う島野。

 そして次々と胴上げされる選手たち。

 最後に抑えきった青山も、唯一の打点となったロイも、その足がかりとなった大介も。

 ベテランたちも多くが、胴上げされていく。

 この味は、甲子園で味わうこの味は、やはり別格なのだ。

 高校野球と違って興行的に、大観衆の前でメンバーが胴上げされていく。


 そしてシリーズMVPも選ばれる。

 足立のいない中、クローザーを務めた青山も敢闘賞などには選ばれるだろうが、MVPは決まっている。

 四試合で四本のホームランを打ち、10打点を叩き出した大介。

 この最後の試合も、唯一ホームベースを踏んだのが大介であった。

 白石大介のための一年。

 この年のプロ野球は、そう呼ばれることになる。


 リーグ優勝を決めた時も、クライマックスシリーズを制した時も、大介は遠慮していたビールかけ。

 一応は合法なのではあるが、自粛されることも多い未成年参加のビールかけだが、ライガースにそんな遠慮はない。

 コミッショナーから注意される? 上等である。謹慎を食らおうがどうしようが、もう今年のゲームはないのだ。

 ファンが道頓堀川にダイブするのを、警察が必死で止めようともした。

 極めて不衛生で、また理性の欠如した行動とも思われるかもしれないが、これが祭りなのである。

 ライガースの優勝というのは、祭りなのだ。

 あるいはこれが最後とばかりに、商店街ではライガースファンによる大宴会が行われ、周辺住民は警察に苦情の電話をするのだが、そのために駆けつけた警察官すら巻き込んでしまい、逮捕されるのもライガースである。

 本当に、ライガースのファンは、日本で一番性質が悪い。


 もっとも、その立役者は、うきうきとビールをかけられながらも、久しぶりに野球を忘れていた。

(日本シリーズMVPもけっこう金になるんだな~)

 年俸1600万円の男は、なんだかんだ言って数々のMVPを送られて、この年は既に3000万円の現金収入を得ているのであった。

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