第59話 甲子園で戦えば勝つ
甲子園で戦えば勝つという、奇妙な確信が大介にはある。
普通ならホームランの出にくい甲子園での試合は、大介のようなスラッガーには不利なはずなのである。
統計で見て、甲子園球場はNAGOYANドームの次に、ホームランが出にくいのだ。
ただ、大介のようなタイプの打球の質の持ち主は、日本には他にいない。
第三戦はあまりの観客の熱狂具合に、普通に警察が出て警備をするような事態になっていた。
この第三戦、ライガースはジャガースからFAで移ってきた柳本。
ジャガースはこれまたエースクラスの水沢と、実力的にはややライガースが有利かという状況。
ただ、本人は何も言わないが、ブルペンで球を受ける島本には分かる。
今日の柳本は良くない。
そもそもファイナルステージの第五戦が、柳本にとっては厳しかったのではということもある。
あそこから数えたら中八日なので、充分に疲れ自体は取れているはずだ。
どこかを痛めたのかとも思うが、それにしてはそこそこの球は来ている。
柳本はプライドが高いが、ダメだと思ったらすぐにちゃんと言えるタイプではある。
それが何も言わないのは、自分では大丈夫だと思っているのか。
確かに相手は古巣であるし、自分の力で止めをさしたいという気持ちもあるのだろうが。
ライガースは柳本で一勝というのを計算に入れている。
しかし今日の柳本は、ある程度の失点を覚悟しなければいけないだろう。
援護の少ないピッチャーというのはいる。
だいたいにおいてエースピッチャーと言うのは、打線の援護が比較的少ない。
これは別に嫌われているとか、そんなことのはずもない。
なぜならいくら嫌っていても、打たなければ野手の給料は上がらないからだ。
だがなぜエースが、相手のエースと投げ合った時にはロースコアになるか。
それはどちらの野手も、ロースコアになることを承知の上で、守備の方に意識を向けるからだ。
つまりエラーなどをしないことにリソースを割くから、打撃に割くリソースが減るということなのだ。
ただ本能のように守備をして、欲望のままにボールを打つ者もいる。
白石大介という生物である。
三回の裏、ツーアウトランナー一二塁という場面。
ここまでの常識で考えれば、満塁にした方がよほど安全である。
確率で言うならそれが正しいのだが、甲子園の熱狂がボールのコントロールを乱すのか。
いや、ボールゾーンの球を打たれたら、どうしようもないだろう。
大介のバットは、そのままなら掬い上げすぎてフライになるはずの打球を、手首の力でバットを遅らせ、低い弾道にする。
右中間を抜くツーベースヒットは、先制されていた二点を追いつくものになった。
ジャガースベンチを恐慌に陥れる同点弾。
「あいつおかしい……」
そう言うしかない。
シーズン中の成績もたいがいやりすぎであったが、この日本シリーズの舞台では、大介は常識を逸脱しすぎている。
ただ、ニワカのライガースファンは知っている。
甲子園で、高校時代の大介を見ていた者は知っている。
負けられない試合では、大介はこういうものなのだと。
三試合にて六打数六安打四本塁打。
そして残りの二本がツーベース。
二塁打以上になる確率が100%と言うべきか、それとも100%の可能性で打点を上げていると言うべきか。
クライマックスシリーズの不振ぶりが嘘のような、恐るべき爆発ぶりである。
もっともあちらも、出塁率で言えば20打席の七出塁であったので、出塁率は0.35と、上杉の投げた試合を含むのにもかかわらず、充分に高いのだ。
届くコースに来れば、そしてそれを打って点になるなら、確実に打ってしまう。
白石大介は、打撃の神そのものではなかろうか。
少なくともこの打席まで、日本シリーズは打率10割で、OPSは4を超える。
つまり打席が回ってくれば、必ずツーベース以上になる期待値である。
これは届くボール球を打って、それも入れた数値であるのだ。
短期決戦ゆえの異常値ではあるが、それでも異常すぎた。
この試合に負ければ、相手にリーチがかかってしまう。
ジャガースとしては久しぶりに巡ってきた日本一の機会に、もちろん全力を出さないはずはない。
しかし、誰を出しても打たれる。
小さな体で振るバットは明らかに大きく、届くところまで腕を伸ばして簡単に外野の頭を越す。
それに、久しぶりに優勝したいという気持ちは、ライガースの選手と、それ以上にファンが持っている。
関西最古の球団。そのファンは、深い。
甲子園はホームランが出にくい球場だというのはなんだったのか。
確かに統計的に、そして計測的に、ホームランは出にくい球場のはずなのだ。
今日はそれを、柳本と島本のバッテリーが、上手く利用していた。
そこは打ってもホームランにならない。
そんなフライを相手のクリーンナップに打たせて、ライトフライかセンターフライにする。
甲子園で合計10年以上も正捕手をしてきた、島本の判断は正しい。
タッチアップが可能な場面以外では、これが強烈に効果的だ。
対してライガースの右打者は、センター返しからレフトに引っ張る。
打球が伸びて、ミットのわずか先を通り過ぎる。
シーズン中とはデータの使い方が違うのだ。
全ての試合を甲子園で行えた、クライマックスシリーズの方が、苦戦は多かった。
比較的楽に勝てたのは一試合だけで、あとは一点差と引き分け。
それに比べれば日本シリーズは、完全に勢いが違う。
やはり上杉だった。
上杉の存在が大介に重く圧し掛かり、その影響の中でどう戦うかが鍵であった。
もうあと二つ勝てば、今年は試合をする必要はない。
ピッチャーもバッターも、ここで全力を出してくる。
柳本の調子が戻ってきた。
おそらくは予備タンクから、ガソリンが供給されているのだろう。
やってしまうと一ヶ月以上は体にダメージが残る、スポーツ選手にとっては最後の手段だが、シーズンの最後のなら使える。
どうせ今日がいけるところまでいき、そこから先は誰かに託すしかないのだ。
ジャガース時代にはなかった、誰かに頼るということを、柳本はやってしまっている。
一人の力で勝つのが大切だと、ずっと思っていたのに。
けれど今は、とりあえず優勝がしたい。
柳本はライガースの人間では珍しく、優勝の経験をしたことがある。
だが他の球団での優勝と、ライガースでの優勝は価値が違う。
それはひょっとしたら、自らの選んだ道だからということだろうか。
ジャガースもこの試合を落としたら、優勝の確率は極めて低くなると分かっている。
三連敗した後に、この狂乱の甲子園球場で勝てるピッチャーが、どこにいるというのか。
一応可能性だけを言うなら、いることはいるのだが。
2-2と追いついた後、七回の裏の勝ち越し点。
それは大介の犠牲フライからのタッチアップによるものだった。
続く金剛寺も、あわやホームランという打球を打つが、残念ながらフェンスぎりぎりのフライアウト。
残りは二回。
ベンチから立ち上がろうとした柳本は、腰が上がらない自分を発見した。
予備タンクのガソリンというのは、つまるところ肉体を削りだして使うものである。
だから本来は、既にカラッポなのだ。
それが勝ち越しの点をもらって、集中力が切れてしまった。
ここまで限界を振り絞っていたのか。
クールなようで熱く、そして実は計算高い柳本だが、ここで今年はもう終わったと分かる。
最終戦までもつれ込もうと、もう投げられない。
「ようやってくれた」
島野は強い声で言って、ブルペンを呼び出す。
「何も残さへんぞ。総力戦や」
それはベンチ全体に聞こえた。
残り二イニング。
一点差というのは、まだまだいくらでもチャンスがある。
(ナオがいればなあ……)
かなり切実にそう考える大介は、琴山の後ろを守っている。
本来ならば第四戦の先発であったはずだが、一イニング限定で投げさせれば、確かに安定感は強い。
首脳陣がもう、目の前の一勝を全力で勝ちにきているのを感じる。
これだけ勝つことに必死になったのはいつ以来が。
高校時代さえ最後の一年は、完全に戦力の配分を計算して勝っていたような気がする。
あの頃は、直史にベストピッチをさせる環境を作るのが第一だった。
そこさえどうにか出来れば、あとは一点を取るだけでいい。
今は、一点では分からない。
だが完全に歩かされる大介には、自分のバットで局面に介入することが出来ない。
なので走る。
クイックモーションからの強烈な送球で、珍しくも盗塁失敗。
しかしベンチは、それでいいと満足の顔を見せる。
最後まで攻めるつもりなのだ。
攻めて攻めてプレッシャーをかけ続け、野手にバッティングに専念させない。
最後は青山につなげる九回の表。
やはり足立は出てこない。
一点差の場面で、最強のクローザーが出てこない。
これでおそらく敵にも味方にも、足立の状態は分かってしまっただろう。
明日は厳しい戦いになる。
だがまずはこの試合だ。
(俺のところに来い)
どんな打球でも、必ずアウトにしてみせる。
そう思っていたところに、本当に飛んできた。大介は横っ飛びでキャッチすると、そのまま地面の上で尻で回転し、一塁へ送球。
深いところでも間に合った。
(俺がアウトにする)
簡単なショートフライで、これでツーアウト。
勝てる。いや、勝つ。
強気の守備で、勝ち抜く。
一点差。ラストバッター。
ランナーはなし。
ここで決める。
打球が上がった。
弱いフライ。しかしレフト前に落ちるか。
「ガーリガーリ!」
大介は打球から目を切って、全力で走る。
「ガーリ!」
そこまで主張しなくても、大介以外には追いつけなかった。
グラブの中に、打球が収まる。
スリーアウトでゲームセットである。
勝った。
グラウンド、ベンチ、ブルペン、スタンド、家庭のテレビの前。
勝ったという喜びは一瞬で消え、首脳陣は明日の第四戦に意識を切り替える。
勝ったが、代償は大きい。
柳本は立ち上がれないほど消耗している。これはピッチャー経験のある者には分かるが、これは二週間ほど本調子に戻らないやつだ。
先発ローテのピッチャーを、リリーフのように一イニング登板もしていくこともある最終決戦だが、今年の柳本はまさにこれで終わりだろう。
すると計算出来るピッチャーは、山田、琴山、青山となる。
山田は第二戦で投げたので、次に持って来ると中二日。
かといって琴山も、今日は一イニングとはいえ投げている。
明日の試合を捨てるなら山田は中三日となり、他のピッチャーも少しは回復するだろう。
だが、この勢いを大事にしたい。
予告先発で、ジャガースは中三日で矢沢を先発に持ってきた。
打ちに打たれた一戦目、それなりに早い回で降板したので、充分に回復したということだろうか。
こちらはルーキーの山倉を持ってきて、明らかに先発の力に差がある。
だがそう思っていた第一戦を、こちらは勝てたではないか。
それにピッチャーもだが、他のポジションにも問題はある。
日本シリーズを経験している選手が少ないので仕方ないが、この短期間に消耗が激しい。
特に島本は怪我の影響もあって、打撃の方にも影響が出ている。出来れば風間か滝沢のどちらかに代わりたいとも言っている。
第四戦を捨てるなら、確かにピッチャーが回復するライガースの方が、戦力的に有利になるのかもしれない。
特にあちらは先発に矢沢を持って来るので、冷静に考えれば勝負は第五戦とすべきである。
だが、それでも感覚が訴えてくる。
ここで決めるべきだと。
今まで優勝出来なかった人間の直感など、なんのアテにもならないのであろうが。
それでも次で決めるべきだと、本能が囁く。
試合終了後の高揚感の中、短いミーティングを行う。
「序盤でリード出来たら、そこからは継投で全部ピッチャー使っていくからな」
島野の言葉に、コーチ陣も選手も、特にピッチャーは顔を強張らせる。
ルーキーの山倉が予告登板というのは、あちらにとっては捨て試合に思えるかもしれない。
だが短いイニングで全力を出すなら、打巡一回りはもつのではないか。
「そんで序盤でコケたら、可哀想やけど最後まで投げさすからな~」
こののんびりした声で、選手たちの肩の力が抜けた。
野球というのは偶然性の高いスポーツだ。
なので戦力は柔軟に運用しなければいけない。
シーズン中は一つの試合を取るよりも、ローテーションを守ることが、チームとして最終的な勝利につながる。
しかしこの、日本一を決める舞台では違う。
四連勝して勝つ。
そのために有利な点を、大介は分かっている。
矢沢は大介から、明らかに逃げるボールを投げられない。
メジャーリーガーというプライド以外にも、甲子園の大観衆がそれを許さない。
日本で一番恐ろしいのが、ライガースの応援団だ。
なお海外では、ライガースの100倍は危険な応援団もいくらでもいる。
大介はボール球でも、一回ぐらいはスタンドに運べる。
打つべきなのはストライクゾーンのボールではなく、打てる範囲のボールである。
一発で決める。
その一発で決勝点を打って決める。
シーズン中は感じた、なんだかんだ言って温い空気。
最終戦を前に、それは完全に変容していた。
これが本当のプロ野球だ。
レギュラーシーズンはプロレスとは言わないが、試合においては興行を気にしてプレイしないといけない。
だがこのプレイオフは、本物の勝負の場だ。
それにプレイオフ査定というのもあるのである。
(勝って年俸上げるぞ)
あくまで俗ではありながら、しかし試合に向ける情熱は確かな大介であった。
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