第77話 見えてきた壁

 ここ九試合で三勝六敗と、ライガースの勢いはようやく落ち着いてきていた。

 大介自身も打率0.296、本塁打二本の七打点と、ようやく普通のクリーンナップ程度になってきた。

 二週間後には交流戦も始まるというこの時期、ようやく大介にもスランプの気配。

 ……去年も何度か、その言葉は聞いたものである。


 高橋が三連続で先発炎上したことで、フェニックスとの三連戦から、真田がローテに入ってきた。

 第一戦は山倉、その次が真田、そしてロバートソンという順番であり、はっきり言ってこちらの方が強力である。

 真田はここまで、二試合に中継ぎ登板して、二回を無失点に抑えている。

 特に左打者が続く場面では、空振り三進か見逃し三振、上手くいっても内野ゴロという完璧ぶりで、何気に防御率が一以下なのである。

 先発で三回投げているのにこれは驚異的なことだが、さすがにそのうちに打たれてくるだろうとは思われる。


 フェニックスは去年に比べると、かなりチーム状態はマシである。

 スタートダッシュには失敗したが、控えとレギュラーを入れ替えることで、上手くチームが機能しだした。

 特に上手くいっているのはリリーフ陣で、七回までリードしている時の勝率が高い。


 ライガース先発の山倉は、この日はやや調子が悪かった。

 五回までで五失点と、球にキレがない。

 それでもフェニックスもピッチャーの調子がいいわけでもなく、同じく三点を取られている。

 ここからライガースは、負けパターンの時の継投に入っていく。

 敗戦処理とも言えるが、二点差なら逆転の余地はある。

 ただそれでも、強力なリリーフ陣は勝てる試合で使いたい。

 あとはついでに二軍から上がってきた戦力なども、場面によっては使いたいのだ。


 現在のライガースの負け展開でのリリーフは、おおよそ松江と草場が担っている。

 もっともこの二人もそこまで防御率が悪いわけではないので、逆転の可能性はある。

 二人にしても登板回数とイニングが増えるほど、敗戦処理でも年俸の査定は変わってくる。

 運良く勝ち投手などになれば、それだけで査定アップだ。




 このまま負ければ、今季初の三連敗である。

 五月に入ってからはっきりと、ライガースの調子は悪い。

 その原因は様々で、先発の失点が多かったり、リリーフの失敗があったり、また打撃陣の得点が少なかったりなど色々だ。

 ただ上杉以外のピッチャーからはだいたい三点は取っているので、やはりピッチャー陣の不調と言えるのだろうか。


 面白いデータがあり、三月と四月の試合では、ライガースは高橋が登板した試合以外、多い時でも五点以内に相手の打線を抑えていたのだ。

 ただその高橋をローテから外した途端に、他のピッチャーの防御率が悪くなった。

 働き蟻は必ず25%ほどの蟻は怠けて働かないというデータがあったりするが、エースクラスを集めても、何故かどこかで点を取られやすくなったりもするのだろうか。

 オカルトと言われるかもしれないが、面白い結果が出ている。

 あるいは成績の悪い人間がいるほど、他の人間が、自分が頑張らなければと思うのかもしれない。


 結局この試合も、4-6で落としてしまった。

 どこか歯車が狂ってしまって、特にピッチャーの被打率が悪くなっている。


 次の日、試合前の練習のさらに前に、金剛寺はデータ陣からこの二週間ほどのデータを出してもらった。

 そして監督やコーチと一緒に、現状を把握するのである。

 ミーティングにおいて示されたのは、打球がアウトになるか、セーフになるかという確率である。

 そして判明した敗因は、運である。


 野球でボールがバットに打たれれば、それはフィールド内のどこかに飛んでいく。

 野手の捕れる範囲であれば、自然とアウトになる。

 そしてフェアグラウンドで野手が間に合わなければ、ヒットになるわけだ。


 野球は年間シーズンだけで143試合を行うが、その中ではこういった偏りも出てくる。

 このライガースの不調は、単に相手の打球がどこに飛んだかによるものだ。

 得点力もわずかに下がっているが、これはそのまま大介が勝負を避けられていることから、その後の打者が打てない場合が問題である。

 ここまで大介は平均で、一試合にほぼ一個以上のフォアボールで歩かされている。

 このまま勝負を避けられ続ければ、また不滅の大記録を更新するかもしれない。


 それと、去年大介は、自分の三振の倍以上の四球を選んだ。

 これは自然と出塁率を上げることになるのだが、今年もこれまで三振の三倍以上に、四球で歩かされている。

 ボール球でも無理矢理打てる球は打っているが、それがなければ四球の数はもっと多くなるはずだ。

 一シーズンにおけるプロ野球の四球記憶は、158である。

 だがこれはシーズンが130試合だったころの話で、単純に上回ったからすごいというわけでもない。

 ただ大介がフォアボールになる球をしっかり見逃していけば、これも超えられる記録になるのかもしれない。

 しかし大介は打点にこだわっているので、下手に四球を見逃すわけにもいかない。

 

 ここまで大介は、打率と打点では二位以下を大きく引き離している。

 だがホームランだけは、二位とわずかな本数しか差がない。

 タイタンズの助っ人外国人フォスターが、二本差で追いかけてきている。

「四割を目指すべきか三冠を目指すべきか、それが問題だ」

「いや、四割目指せよ」

 山倉あたりからはツッコミは入るが、本気で世の中がどっちを求めているかは謎である。


 今年は大学野球に話題を攫われているが、プロ野球は二年連続で三冠王が達成されそうなのだ。

 ただどれほどの偉業であろうと、それが続くと人間は当たり前のように感じてしまう。

 もちろん大介のファンはどんどん増えているとのだが、世間はそれでもまだ、大介を過小評価している。


 これまでにも四割打者というのは、達成される可能性はあった。

 しかしどうしても、人間には好不調の波がある。

 大介にもあるが、不調の期間が極端に短い。




 こう言うとおかしな顔をされるかもしれないが、大介はアベレージヒッターである。

 すさまじく高いアベレージヒッターが、爆発的な長打力も持っていると言える。

 シーズン打率を更新した去年、最初の一ヶ月がなんだかんだ言って、一番打率は悪かった。

 そしてそこからどんどんと打率を上げていった。

 最後の八月と九月は、打率四割を超えている。

 山倉などから見ると、ボール球でも、特に外角のボール球を泳ぎながら打っているのは、フォームに影響を与えてしまうのではないかという懸念がある。


 ただ、毎日の練習を見ていると、それは杞憂に感じる。

 大介がその練習の中で、最も重要度を高くしている素振り。

 目を閉じながら行うそれは、確かにボールを打ったというイメージが周囲にも伝わる。


 暇と空間があれば、ゆっくりと時間をかけて、一度ずつ丁寧に行う素振り。

 おそらくこれが大介の、バッティングの奥義なのだろう。


 それにしても、大介と勝負しないピッチャーには腹が立つ。

 確かにチャンスで大介に回れば、まともに勝負したくはないという理屈は道理だ。

 だが一試合に平均で一度は四球を得ているというこの状況は、どうにか出来ないものだろうか。

 大介の場合は、とにかく三振も少ないため、四球で逃げるしかない。

 申告敬遠をしないのは、ピッチャーのプライドでも関係しているのか。


 そんな大介の過去を見ていて、ベテラン金剛寺は気付く

 少なくとも今より、大介が打てる方法を。

「大介、初球狙ってみたらどうや?」

 そして大介もまた、ステージを上に移す。




 対フェニックスの三連戦、二試合目。

 先発の真田は、打者を三者三振で絶好のスタート。

 その裏のライガースは、ツーアウトランナーなしから大介に回る。

 ホームラン以外は一点が入りにくい場面。

 大介は金剛寺の言葉を意識する。


 この場面でも、相手ピッチャーは大介にはボール球から入るだろう。

 だがその初球、外角に外れた球を、大介は強く叩いた。

 通常より5cmほど長いバット。

 普段よりフライ性の打撃は、やや風に流されながらも、ポールを巻いてホームランになった。

 よしっとガッツポーズの大介である。


 金剛寺のアドバイスは簡単なものであった。

 ボールスリーになってから大介が狙うボールは、ゾーンから二つは外してくる。

 だが初球や、追い込まれる前のボール球は、せいぜい一つ外してくる程度。

 同じボール球であっても、ジャストミート出来る可能性は高い。


 言葉にすると簡単であるが、ボール球をホームランにするのは本来難しい。

 だが大介は対国外ストライクゾーンを意識しているので、ボール一個外なら普通に打てるのだ。

 難しいことを簡単に言われて、そして簡単に実行出来る者を天才と呼ぶ。

 この日の大介は、今季二度目の一試合複数ホームランを記録したのである。




 大介のスランプはイコール、普通の四番打者の成績である。

 フォアボールで塁に出すと、ムキになってそこからホームランを打ってくる。

 こんなバッターをどうすればいいのか。

 

 真っ向勝負するのは、もう上杉しかいない。

 時々まともに勝負してくれば、だいたい五割以上でホームランにされてしまう。

 去年は一年目だったから、まだ攻略のためのデータが不足しているという言い訳は、完全に使えなくなった。

 むしろピッチャーのデータを得て、大介の打撃成績は向上している。


 交流戦に向けて、大介は数字を残していく。

 すると自然とチームの得点力は上がり、統計的に勝てる確率が上がっていく。

 バッターというのはやはりピッチャーに比べると、長期間のリーグ戦では影響が大きくなる。

 甘いところならボール球でも、初球から狙ってくる。

 大介の意識の変化は、またすぐに各球団の知るところになる。


 あまりに逃げていると、最も日本で熱いライガースファンだけではなく、自軍のファンから出さえブーイングが飛んでくる。

 ファンというのは確かにチームが勝つのを望むものだが、大介ぐらいに人気が出てくると、勝負しなければプレッシャーが大きいのだ。

 そんなプレッシャーの中で勝負しないといけないピッチャーは、より気の毒であるが。




 ただ現在は、野球人気の復活がすごい。

 かついてはデイゲームやナイターを多くの地上波で放送されていたとは聞くが、最近は大学野球を土日の特別番組で、そしてネット配信が主流になった現在でも、上杉がライガースに投げる試合などは、地上波にそれをねじ込むことまで行われている。

 視聴率が30%も取れる試合など、広告料収入の減少に悩んでいるテレビ局には、これ以上なくありがたいものなのである。


 特に今は、大介の記録が熱い。

 ホームランだとかヒットだとかではなく、塁に出るかどうかだ。

 四割という打率がどこまで続くかを、ファンのみならず一般層までが注目している。


 日本のプロ野球において、まだ一人もいない四割打者。

 アメリカには過去にはいたが、戦後にはもう出ていない。

 昔に比べて選手間の能力差が小さくなり、四割という数字はもう出ないものであろうと言われていた。

 だが、大介がいる。


 交流戦を前に、50試合が消化された。

 雨天などでの中止がほとんどなかったのは、去年と同じである。

 大介はよほどの晴れ男でもあるのだろうか。


 そして50試合が終わったところで、まだ序盤の成績を維持している。

 今年は短いスランプさえなく、ほとんどの試合で一本はヒットを打っている。

 大介の恐ろしいところは、一試合で固め打ちをするのではなく、どのピッチャーからも確実に一本はヒットを打つところだ。

 そして打点はどんどんと積み重なっていく。


 打率0.431 出塁率0.576 OPS1.484

 65打点、19本塁打、26盗塁、52四球。


 打点と本塁打は去年の数と比較すると、やや遅いペースである。

 だが出塁率とOPSが去年の通算よりもはるかに高いのは、とにかく四球の数が多くなっているからだ。

 そしてランナーがいるところでは、ボール球でも振っていってヒットにしてしまう。

 そんなバッティングをしているのに、打率が四割を軽く超えているという。

 勝負を避けられまくりながらも、ボール球を打ってしまう。

 その結果が、この頭のおかしな数字である。




 大介自身は、まだ五月も終わっていないのに、四割だのなんだのは気が早いと思っている。

 問題は去年戦うことの少なかった交流戦だ。


 日本シリーズで対戦したジャガースはそれなりに対戦したが、他の五球団との対戦が少ない。

 特に福岡は今年は投手の調子が良く、現時点では首位にいる。

 どうせ戦うのなら、毎年違うピッチャーと戦いたいというのが、大介の考えである。


 大介の成績を見て、うひゃひゃと笑っているのは球団の親会社である。

 もしも四割打者誕生などとなったら、全品四割引セールを大神百貨店でしてしまおうか。

 現場は大忙しになるだろうが、それなりにボーナスで還元すればよろしい。

 あとは大介関連ではとにかく、関西圏の経済が大きく動いてしまっている。

 たった一人の野球選手がここまで大きな影響を与えるというのは、いつ以来になるのであろうか。


 周囲はとにかく騒がしい。

 だがその中でも、大介だけは台風の目のように、己のみは静寂を保っている。

 ただ寮の周囲に番記者が詰めているため、気軽に外出も出来ないのは困る。

 こんな騒ぎになったのはもう随分昔の話だと、古くからいる料理のおばちゃんも呟いている。


 これが有名であることの宿命か、などと大介は思うのだが、上杉の時でさえここまでのことはなかったろう。

 所属球団の人気の違いということもあるのだろうが、やはりプロでは野手の方が、一試合ごとに話題が出ることが大きい。

「つってもどうせ夏あたりには調子崩すと思うんだけどなあ」

「お前、去年も同じようなこと言ってなかったか?」

 寮では仲のいい大原が、そんなツッコミを入れてくる。


 甲子園期間に本拠地が使えないライガースは、ホームでも大阪ドームを使うことになる。

 むしろここで、大介はホームランを増やした。

 昔に比べれば移動の手間も少なく、ライガースが地獄のような弱小だった時代から強くなったのは、この球場のおかげだと言われたりもする。

「でもマジな話、50試合経過して四割軽く超えてるんだから、不可能じゃないんじゃないか?」

「そうは言っても、一度敬遠されたら残りの三打席で、一本打っても打率が下がるんだぞ?」

 言われてみればそうなのだが、ずいぶん無茶苦茶な話である。


 果たして、大介は四割打者となれるのか。

 そんな話題が世間を騒がせている中、交流戦が始まる。

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