第76話 進化
ライガースとグローリースターズの三連戦は、その二戦目をエースクラスの山田が投げて、今季初黒星がついた。
七先発で三勝一敗なのだから、まだ問題となる成績ではない。
だが一勝一敗となった最後の試合で、先発してくるのが上杉なのである。
今季の上杉は、相変わらずのイニングイーターぶりで、七先発五完投五勝0敗という怪物っぷりは相変わらずである。
当然のようにセの投手部門の四月月間MVPには輝いている。
ただ大介に比べるとまだ、他の選手から絶望視されるほどではない。
去年も休んでいた期間には、他のピッチャーに取られている。
だが大介は去年からずっとと言うべきか、ルーキーで開幕から、もう七ヶ月連続で月間MVPの野手の部門を取っている。
さっさとメジャーに行ってくれという、セの他球団の選手からの怨嗟の声が聞こえる。
そんなものは打たれたり、打てないほうが悪いのである。
そもそも上杉が日本にいてくれるなら、別に大介はメジャー挑戦など考えない。
MLBの方がNPBよりもレベルが高いというのは、客観的な数値からは比べられるが、ならば上杉よりもすごいピッチャーがいるかと思えば疑問なのである。
今日も今日とて、一回の表から竜虎の激突が見られる。
一番の志龍は普通に内野ゴロでしとめられるし、石井は三振を奪われる。
上杉は最近、被安打率がやや上がっているが、そのかわりに球数を減らしている。
点を取られなければいいスポーツだということをようやくプロ三年目で実感したらしく、30勝を目標にローテーションを短い間隔で投げようとしているのだ。
単純に言ってしまうと、上杉が投げる試合はまず負けない。
勝ち星を増やすことを、上杉は優先する。そのために多く投げようと思えば、球数は減らすべきである。
そのため上杉はWHIPなどの数字が悪化しながらも、イニング数は増えて球数は増えず、より凄まじい回転率でローテを回すことに成功している。
それでも奪三振数では二位以下を大きく引き離しているのが、超人と呼ばれるゆえんであるか。
甲子園で対戦したいな、と思いつつ大介はマウンドの上杉を見る。
今日の上杉は存在感が薄い。今年に入ってから、無理に三振を取りにいくことが少なくなったなどと言われているが、前回の対戦で大介は二度三振している。ただしヒットも二本打ったが。
ロージンバッグを捨てた上杉が大介を見て、圧力が跳ね上がる。
なるほど、こういうことか。
本当にしとめる相手と、それ以外を区別する。
分かりやすい構図だ。
大介も肺の中の空気量を調整する。
胸郭を膨らませすぎて、スイングの邪魔にならないように。
上杉としても大介には全力で当たるのは当然である。
ここまでの打率は0.437で、出塁率は軽く五割を超えている。
半分以上の確率で抑えられていると思うべきかもしれないが、実際は大介はボール球を無理に打ってヒットにしにいっているので、ゾーン内で大介を抑えられる確率は五割を切る。
振りかぶる上杉の姿は、まるで大樹を思わせる。
これを叩き折るための斧が、大介のバットだ。
折れない素材で、あえて重くしてあるバット。
反発力は高いので、それなりに意味はある。
初球は、遅かった。
150km前後のスピードで、ホームベースの手前でカクンと落ちた。
高速チェンジアップ。チェンジアップという言葉に喧嘩を売っているようなスピードが出ているが、これが打てないのだ。
上杉の球は完全に、速球にタイミングを合わせていないと打てない。
だから稀に投げるチェンジアップは捨てないといけないのだが、初球から投げられるとどうしてもイメージが残る。
それにしても、初球から投げてくるとは。
たいがいのバッターにとっては、上杉の170kmよりも、チェンジアップの方がまだ打ちやすい。
だから初球に投げれば、他のバッター相手にはむしろ危険なのだ。
このリードは大介のためだけのリードだ。
二球目も、やや遅い。
(だけどこれは)
ムービング系のカットボールではなく、スライド変化が大きい。
上杉が、スライダーを使ってきた。
(前の対戦では使ってなかったけど、この人がスライダーまで使ってきたら、世界で打てる人間いなくなるぞ)
ただ、コントロールはまだ微妙なのかボール。
ボール球が二球先行したので、次はストライクを取りたいはずだ。
ストレートが、それも160後半から170のストレートが来る。
そう思っていたところへのこれは、チェンジアップ?
スイングに行ったところを無理に止めるが、スローボールがゾーンを通過した。
間違いない。上杉が投球術を使っている。
これまで全く、そんな小細工は必要なかったのに、プロ四年目にしてようやく投球術を使っている。
この前の試合は、こんなことはなかったのだが――。
(ナオの試合を見たのか?)
あれは上杉とは違う種類の、世界で最も素晴らしいピッチングだった。
上杉が進化した。
それは即ち、他球団のバッターにとっての絶望を意味する。
四球目は手元で動いたツーシームが166kmを出し、最後はホップするストレートが169kmを出した。
おおよそ手順通りに、大介は料理されてしまった。
投球術が使えるようになっても、使う必要はない。
上杉のボールであると、ほとんどはそれなしでも完封してしまえるからだ。
このまままたパーフェクトでもされるのかと思ったが、二回の表のグラントが、ふらふらと上げたフライがセンター前に落ちる。
ノーヒットノーラン阻止、グッジョブである。
今日の先発の琴山は、出遅れた柳本の代わりに、ロバートソンと並んでライガースの勝ち星トップを走っている。
だがさすがに防御率は三点はあるし、上杉と張り合うのは難しい。
上杉に勝つには、相手の打線を完封するレベルのピッチャーが必要になる。
ライガースならば柳本か山田なのだが、柳本はそれでも防御率二点ほどはあるし、山田も二点強はある。
これでも立派過ぎるほどなのだが、上杉の防御率は一を簡単に切っているのだ。
ちょっと頑張れば完封出来る。それがプロの世界でも。
こんな異次元のピッチャーと同時代に生まれた人間は不幸である。
ほとんどの選手がそう思う中で、こんな化け物がいてくれることを嬉しく思う大介は、やはりこいつも戦闘民族である。
三回までは両者無得点で、そして四回の表には大介の二打席目が回ってくる。
ランナーのいない状態では、当然ながら上杉は勝負してくる。
大介にストライクゾーンに投げて、確実に空振りが取れるのは上杉だけだろう。
この二打席目は、初球で168kmを投げ込んできた。
他のバッターにはせいぜい165kmしか投げてこないので、明らかに特別視されているのは分かる、
ここまでしないと勝てないと考えるべきか、ここまでさせてこなかった他のバッターが情けないのか。
だがこの投打に突出した二人のおかげで、確実に日本野球のレベルは上がっている。
大介はまだ敬遠すれば逃げられるが、上杉はどうしても打たなければいけない。
上杉を打つ練習をすれば、他のピッチャーは割りと楽に感じる。
そんなバッターを打ち取るために、ピッチャーも努力するという、地獄のような好循環。
最近の交流戦の成績が、セパ拮抗しているのは、このあたりも理由があるのかもしれない。
二球目は何が来るか。
食い込むようなツーシームを打ったが、レフト方向に大きく切れていく。
タイミングをもっとずらせば、ちゃんと上手くフェアゾーンには飛ばせたはずだ。
(根本的に、今のスイングじゃこの人の球、打てないんじゃないか?)
大介は少し腰を下げて、バットのヘッドも寝かせる。
ストライクゾーンを小さく見せるような構えだが、これは完全に即席攻略法である。
これで上手く打てるなら、問題は簡単なのだが。
三球目で決めてくるか。
スライダーははっきり言って未完成過ぎる。あれをゾーンに入れてきたら、確実にホームランに出来る。
こういう分からない時は、普通のバッター相手なら、問答無用でストレートで打ち砕くのが上杉なのだが。
来た。ストレート。
ボールの軌道を途中で見切り、勘でスイングをする。
打球は深く守っていたセンターがさらに後退し、フェンスの少し前でキャッチした。
やはり上杉はすごい。
マウンドの上で男くさい笑みを浮かべる上杉。
大介は残りのイニングでの、攻略をすぐに頭の中で計算し出した。
琴山も先発ローテから中継ぎへ、そしてまた先発復帰と、それなりによくあるルートを辿ってここまで来ている。
去年の成績は途中まで中継ぎで投げて、11勝5敗14ホールド。
立派な数字に見えるかもしれないが、ホールドの場面で点を取られて追いつかれ、そこから再び味方が点を取ってくれて勝利投手になったという例が多い。
先発としては17試合に登板し、6勝4敗。
中継ぎに勝ち星を消されたということもあるが、それはお互い様である。
序盤に中継ぎで登板数を稼いで、途中から先発に復帰しローテを守り抜いて貯金を作ったので、給料はかなり上がった。
今年もここまで6先発して4勝と、無敗であった。
だがそれはあくまでも打線の援護があるからで、各種数値は柳本や山田に劣る。
上杉を相手にするには、さすがに分が悪いのだ。
本人としてもそれは分かっていて、責任回数の六回までは必死で投げるつもりであった。
しかしその六回に、わずかに球威が衰えたところを連打され、一点が入ってしまう。
このままでは敗戦投手とうなる状況で、マウンドを降りる。
このままチームが追いついてくれなければ、今季初黒星がつく。
一点を取られているのだから仕方がないのだが、一点ぐらいなら味方に取って欲しいと思うのがピッチャーなのだ。
ただし相手が上杉だと、それも贅沢な望みとなる。
たとえば去年、ライガースとスターズの対戦で、上杉が投げることは四度あった。
そのうちの三試合は、どちらかのピッチャーが完封している。
そしてのこりの一試合も、2-1というスコアで、上杉からは一点取れれば御の字なのだ。
この試合もおおよそ予想通りである。
主砲である大介が、完全に上杉に抑えられている。
ただ上杉も大介にだけは、かなりピッチングのコンビネーションを凝ったものにしている。
そこに集中しているのか、他のバッターには散発三安打を許しているが。
高校レベルならばともかく、プロでも適当に投げて打たれない。
そんなピッチャーは上杉だけである。
そして大介に対しては、攻め方を変えている。
大介だけをだ。
おの二人は同じリーグの中の選手ではあるが、能力が完全に突出している。
上杉にはメジャー志向が全くないので、おそらくこのままの調子で投げていけば、引退までに400勝に届きかねない。
さすがにそこまではどこか怪我があるとは思うのだが、上杉はとにかく頑丈なのだ。
あるいは一シーズンに、30勝を狙えるぐらいに。
38試合目で8試合目の先発なのだから、今年は25勝ぐらいしてしまうのかもしれない。
もっとも一人のピッチャーにそこまで依存するのは、それなりに危険なことではある。
チームとしては、健全ではない。
だがライガースも似たものではないのか。
投手陣は厚みを増して、打線もそれなりに打っている。
だがそれは外国人が大当たりをしているからで、それがなければ打撃も投手も、かなりレベルが落ちてしまう。
出来れば助っ人外国人の調子がいい間に、次を担う選手が出てきて欲しいのだが。
今日は上杉の日であった。
大介に四打数もあって、ヒットが一本も出ないのは珍しいなと思ったが、実は今季では二試合目だったりする。
それ以外はヒットを打つか、歩かされて四打数もないことが多いのだ。
同じチームではあるが、大介の恐ろしさはよく分かっている。
むしろ同じチームであるからこそ、自分の弱点を潰すのに貪欲な大介を見て、より恐ろしさが実感出来るのか。
誰よりも才能のある選手が、誰よりも正しい努力をしている。
これは勝てなくても仕方がない。
試合もそうで、首脳陣は早々に試合を諦め、新人の経験のために継投をし始めた。
今年は勝ちパターンのリリーフが多かったので、敗戦処理や楽な状況でのリリーフはあまり使われていない。
ブルペンに戻ってきて、準備をしている後輩たちを見る。
(飛田か……)
去年は一時期はローテに入ってもいたのだが、今年はセットアッパーとして使われるでもなく、さらに新人の真田が圧倒的なピッチングをしてしまったため、出場機会をかなり減らされてしまった。
ただ琴山としては、中継ぎで使えばいいのではと思わないでもない。
現在のライガースのピッチャーは、先発も中継ぎも抑えも、かなりの確実性がある。
だがそれは外国人が当たっているからで、来年には一気にこれがいなくなる可能性もある。
高橋はこのままの成績では、さすがに来年はどうなるか分からない。
なんとか今年で三勝ぐらいして、来年も谷間で何勝かして、それで引退してくれればいいのだが。
高橋は監督ではなく、育成するのが向いていると思うのだ。
ローテを争っていても、悩んでいる若手がいれば、短く的確なアドバイスをする。
もちろん人間としては、そしてコーチとしてはありがたいので、将来的には現場でコーチをするのではと思っている。
ただ、今はチームが優勝するためには邪魔だ。
(と言っても、あの人を外すのは勇気がいるよな)
琴山も分かっているのだ。高橋は、引退した足立と同じように、また藤田や椎名のように、ライガースの古きよき時代の、最後の象徴だ。
彼が引退する時が、本当にライガースが新生する時なのだろう。
八回の裏に、飛田はマウンドへと向かう。
去年は12先発して4勝3敗。
それなりにローテを回して、優勝のご祝儀で年俸もアップしていたはずだ。
だが本格的にプロで食っていくとなると、もう一段階上に行かなければいけないだろう。
(人のことは言えたことじゃないけどな)
この日の最終的なスコアは3-0で、ライガースの敗北となる。
上杉はハーラーダービー単独トップの六勝目を上げた。
×××
※ WHIP 一イニングにその投手が平均して何人のランナーを出すかの指標。
当然ながら低いほどいい。
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