第75話 違う世界の神話

 たとえ大学野球がいかに盛り上がっていようと、それはごく少数のスター選手によるものである。

 とは言っても最近は大学を経由したスター選手の即戦力が多いため、特に首都圏の野球通は、大学野球の観戦にも力を入れているらしい。

 しかし確かに満員御礼の続いていた高校野球であっても、上杉以来のスター選手続出という事態は終わったらしい。

 公立高校の白富東が覇権を手放した時点で、ある程度の熱は冷めたのだ。


 そんな中でしっかり頑張るのがプロ野球である。

 そしてプロ野球選手というのは、野球をやるだけが仕事ではないのである。

「うお~、大介だ~」

「でっけ~けどちっせ~」

「小さい言うな!」

 ガキンチョファンはだいたい、大介のことが大好きである。

 小さい者が大きい者を倒すのは、日本人は大好きだからだ。


 試合前にはファンの前で、ガキンチョたちにサインをすることも多い。

(しかしほんとに俺のファン、女の子少ねえのな)

 別に女好きということはないが、普通にモテたいとは思っている大介である。

 まあ寮においても、おばちゃん人気はものすごいが。

 食べろと言って出した食事を、本当に全部食べてしまうので。


 本日の試合はレックスを相手とした神宮球場でのナイターだ。

 なおこの日はプロの試合のみだが、明日からは大学の春のリーグがある土曜日だ。

 早稲谷の試合が土日に行われるので、直史が投げるかもしれない。と言うか、投げろ。

 幸いにもと言うべきか、東大の試合は組まれていない。

 来週、ドームでの試合でまたこちらに来るのだが、その時には東大戦がある。ただ、今度は逆に早大戦がない。


 明日、大介は高校卒業以来初めて、直史のピッチングを見る。

 高校時代よりさらにおかしな数字を出しているが、先週の法教との試合はネットで見た。

 24奪三振の完全試合など、上杉にも出来ないのではないだろうか。

 平均的なバッターのレベルは上がっているはずの大学野球で、思うがままに蹂躙している。


 思うに上杉とはプロに行けば普通に戦えるのだから、二度と道が交わらないであろう直史とは、大学に行ってでも戦っておくべきだったのか。

 ……無理だ。今さら四年間も勉強して、さらに試合は春と秋を除けば休み中の練習試合だけなど、体がもたない。

 大介の肉体は野球依存状態で、三日も練習をしないと禁断症状が出てくる。




 本日のレックスとの試合は、いつも通りに一打席は歩かされてしまった。

 なお大介はこれまでサイクルヒットを打ったことはなく、今後もその機会は回ってこないだろう。

 大介は下手に調子がいいと、当然のように歩かされてしまうからだ。

 それに大介シフトを敷かれると、三塁打を狙うよりホームランを打つ方がよっぽど簡単なのだ。


 この日のライガースの先発は同期の山倉ということもあり、普段よりも頑張った。

 八試合ぶりの13号ホームランで、一点を入れる。

 ソロホームランにしかならない場面だったからこそ、勝負してもらえたとも言える。

 ただ今季の大介はホームランよりも、安打を積み重ねていることが多い。

 多少は外れたボール球を、どうにかこうにかヒットにしてしまうからだ。

 そういった球は見ていけばフォアボールで、もっと出塁率は上がっていったろう。

 だがヒットで一点が入る場面では、狙ってボール球も打っていく。


 最終的には4-3というスコアで、常に先手を取りながらリリーフ陣も踏ん張り、山倉に勝ち星がつく。

 今季のライガースは、とにかく先発に勝ち星がつきまくる。

 そもそも負け試合が少ないのだが、ここまで山田が三勝0敗、出遅れた柳本も二勝0敗、継投の上手くいった琴山が四勝0敗と、とにかく勝ち星がついていく。

 もちろん中継ぎが追いつかれて、そこからまた突き放したという試合もある。

 先発ローテ陣で黒星先行なのは、一勝二敗の高橋ぐらいだ。


 そろそろ高橋には引導を渡す時が来たのかもしれない。

 ただ左であるから、ワンポイントで使うことはあるはずなのだ。

 そこで上手く勝ちが付くほうが、現実的ではないのかという話もある。

 真田が一年目ながら、完璧に近い投球をしている。

 山倉も悪くない以上、高橋を外すしかないのだ。


 ただ観客やファンは、やはり高橋の200勝を見たい。

 同時に試合にも勝ってほしいので、やはり中継ぎで上手く使って、勝ち投手の権利を得させる方が現実的なのか。

 しかし同点の時点から使っていたのでは、むしろ失点して負け投手になる可能性がある。勝率が五割ない200勝投手というのは、ちょっとアレなものではないか。

 全力で打線で援護し、高橋に勝ち星を。

 そう考えていたライガース選手は、次の日にとんでもないものを目撃する。




 上杉は平気で、一試合に20奪三振を取ったりする。

 これまでの記録では延長にでもならない限り、20の三振を一試合で奪う者などいなかった。

 上杉はそれだけでも別格なのだと分かる。

 完全試合を一度、ノーヒットノーランを二度、わずか三年の間に達成した。

 今年の防御率も1を軽く下回り、また今年も投手のタイトルを独占しようとしている。

 今の時点でも充分に凄まじいのだが、神奈川の打線がもう少し強くなれば、さらにその実績は上がってくるだろう。


 だがこの日、上杉と同じようなことが、神宮球場で達成された。

 最初は数人がネット配信を見ていただけだが、試合が進むにつれてその数はどんどんと増えていった。

 初回から21人連続三振。

 上杉でもやったことのないことを、大学野球で達成してしまったのは、やはり佐藤直史である。


 試合の前にロビーで寛いでいたライガースの選手も、これを黙って見ている。

 早大側の攻撃の間には、小さな声で会話が交わされる。

 ようやく連続奪三振が終わっても、ヒットにも四球にもならない。

 何かおかしな魔術でも見せられているような気分だ。


「どうやったらこんな……」

 本日の先発の高橋は、衰えてからは技巧派を目指してきた。

 だがその技巧の道のはるか果てに、このピッチングはある。


 先週更新された、一試合の奪三振記録を、またもや塗り替える。

 特に投手陣にとっては、このコントロールとコンビネーションが、どうしてそこに投げるのか、という混乱さえもたらす。

 バッテリーは信頼しあって、サインの交換が短い。

 だがこれだけの球種とコースに投げられるコントロールがあれば、もっとサイン交換には時間がかかっているはずだ。

 それがわずかな間だけを置いて、すぐにピッチャーが投げる。そして空振りを取るか、見送りさせて三振となる。


 日本で最高のピッチャーは上杉だと言われている。

 確かに今でもリーグのレベルの高さを考えれば妥当なのだろう。

 だが上杉も、甲子園でパーフェクトはしていない。

 直史は実質的なパーフェクトを二回達成している。


 大学入学以来、リーグ戦では五試合に先発し完投している。

 その内の三試合がノーノーか完全試合で、残り二試合も完封。

 打たせて取るイメージが大きいが、実際には一試合の奪三振率は軽く10を超えている。。


 こいつがプロに来ないのは、野球界の損失ではあるが、プロ野球のバッターにとっては、いやピッチャーにとっても幸いである。

 これと対戦しなければいけないし、これと比べられながら投げるのか。

「球速、150は出てないのか」

「あいつが二年の時に甲子園でパーフェクトした時は、MAX140も出てませんでしたよ」

「これだけ好き放題に曲げていれば、そりゃ打てないだろう」

「いや、それよりは緩急差じゃ? 曲げてるだけなら、当てるぐらいは出来そうだし」


 ピッチャーの理想は、ストレートだけで全ての三振を奪って完全試合をすることだ。

 だが直史の多彩な変化球で翻弄することも、ストレートだけでは夢を見れないピッチャーのもう一つの夢である。

 どうしてこんなことが出来るのか。

 上杉の球速は才能と言うことが出来るが、直史のこれはなんなのか。

「樋口、やっぱりいいリードしてるな」

 大介にはそれが分かる。


 高校時代の直史は、ジン以外のキャッチャーでも数字を残していたが、大きな記録を達成する時は、必ずジンがキャッチャーをやっていた。

 大介から見たら完璧主義者であった直史を、満足させるほどのキャッチャーなのか、樋口は。

 もちろんワールドカップで、直史専用のキャッチャーをしていたのが樋口なので、それなりの関係はあったのだが。




 一試合に24個の奪三振。

 そして残りのアウトも内野とファールグラウンドへのフライと、これこそまさに完璧と言うべきピッチングなのだろう。

 野球というスポーツは血湧き肉踊る勝負の世界のはずだが、直史のピッチングはまるで芸術だ。

 もし野球で人間国宝が選ばれるなら、まず直史を候補に入れるべきだろう。そんなアホなことまで考えた。

 直史は野球をやっているが、直史のピッチングは野球ではない。

 何かもっと、バッターや相手ピッチャーの心を折る、ただ高みだけを目指す何かだ。


 試合が終わった時には、ライガースの面々は神妙な顔になり、自分の部屋へ戻っていった。

 あの化け物が魔法のようなピッチングをした後で、普通に投げなければいけないプロは気の毒である。

 本日の先発の高橋や、明日の先発のロバートソンが、ショックを受けていないかどうか。


 もちろんそれは受けていたわけで、二人とも失点を重ねて、早めの救援を必要とした。

 そしてその救援投手も、また打たれていた。

 三連戦の二戦目と三戦目を連続で落とすのは、今年のライガースにとって初めてのことだった。

 もっとも今年のライガースは、連敗すること自体が二度目のことだったのだが。

 特に二戦目は、今年初めての二桁失点をしてしまった。

 リリーフ陣までが、昼間の衝撃を引きずっていたのだろう。

 レックスの投手が割と平静だったのは、おそらく神宮球場で、似たようなことを何度も見ていたからだ。


 しかし、と大介は思った。

 大介自身もその日の試合はともかく、次の試合はノーヒットに終わってしまったが。

(進化してやがる……)

 球速も上がっていたが、それ以上にメカニックやマウンドでの動きが、より最適化されていた。

 バッターをアウトにするための、そのためだけの存在。

 まさに至高のピッチングと言うべきか。

 パワーだけではなく、コントロールだけでもない。

 両方の調和が取れた、まさにコンビネーション。


 今の自分に、あれが打てるか?

 おそらくは打てない。直史は何か、野球以外の何かを、野球のルールの範囲で行っている。

(勝負する場って、何かないのか……)

 オープン戦においては、直史はそもそも大学の合宿に参加していなかった。

 日本代表でもしも学生から特別に選ばれたとしても、それは同じチームの一員となるだけだ。

 シーズンオフに適当に対決するのではなく、本当の公式戦の中で、直史と勝負する方法。


 ほんの数年でいいのだ。

 もしなんだったら、一試合だけでもいい。一打席というのはさすがに少なすぎるが。

 直史と勝負する機会が、どうやったら作れるのか。

 プロ野球に対して興味のない、あの偉大なるピッチャーは、他人からどうこう言われて自分の将来を曲げる人間ではない。

 何か巨大な、そしてどうしようもない理由が必要だ。

 だが今の自分には、それは思いつかない。




 レックスとの試合が終わって、ライガースは神宮から横浜へ移動する。

 この間は場外ホームランを打った神奈川スタジアムであるが、今度の三連戦はそうそう上手くはいかないだろう。

 ローテーションの調整で、おそらく上杉が第三戦に投げてくる。

 今年の上杉はこれまで以上に働いていて、中五日はおろか、中四日という登板さえある。

 だがそれでも、セの二位争いは激しい。

 ここまで無敗の上杉であるが、やはり打線の援護が薄い。

 イニング数が増えてしまうため、途中で降りた試合で、リリーフがひっくり返されたという試合もある。


 次の試合、ライガースとの三連戦の最終戦で投げてくるなら中五日。

 それほど極端にひどい登板間隔ではないが、上杉の場合投げているイニング数が違う。

 神奈川は、リリーフで防御率の高いピッチャーを一人増やすべきだ。

 それを二軍から上げてくるかトレードで得るかは、選手の考えることではないが。

 そもそも神奈川は数年前、FAで出て行った選手と引き換えに、人的補償を得ているのだ。

 それが上手く機能していないところが、神奈川が安定しない理由にもなるのだが。


 大介は最近、安定して勝てるチームはなんなのかと考えることがある。

 そんなことを考えるのは監督やフロントの役割だという者もいるのかもしれないが、チームが優勝すればそれだけ年俸も上がるのだ。

(上杉さんは確かにすごいけど、ピッチャーとしてはせいぜい先発で30登板ぐらいになる。それなのに神奈川は二連覇を果たした)

 そしてそんな神奈川を倒したのが、去年のライガースである。


 神奈川で上杉が勝つまでは、日本シリーズはパが制することがこの10年ぐらい多かった。

 人をそろえたら勝てるのかとも思うが、セで一番層の厚いはずのタイタンズは、去年はBクラスに終わった。

 どうやったら勝てるのか。

 当然ながら勝てるのは強いチームのはずだが、それでもシーズン全勝というのは不可能である。

 おそらくこういったことを、セイバーなどは調べていたのだ。


 大介の知る限りにおいて、一番強いチームと言うのは、白富東になる。

 特徴は一点も取らせないピッチャーがいて、一点は取るバッターがいること。

 それは分かるのだが、そんなピッチャーはプロでも上杉しかいないし、上杉でも負けるのだ。




 そんなことを悩みながらも、ホームランを打ってしまうのが大介である。

 ここのところさすがに、スタートダッシュの勢いはなくなってきたライガースであるが、それでも大介は安定して打つ。

 それはボール球だろうというところまで一本ホームランにして、この第一戦では今季三度目の猛打賞。

 悩んではいながらも、打席に入ればそれを忘れる。


 36試合目にして今季14号めのホームラン。

 実はホームランダービーでは、リーグ三位という位置にある。

 タイタンズ好調の原因である外国人や、レックス復活の要因である外国人が、大介を上回っている。

 もっともその代わりにと言うべきか、打率は完全に二位以下を引き離してまだ四割を維持しているし、打点もトップである。


 優勝した方が、球団だって年俸をアップさせやすい。

 特に観客動員による収益のアップは、そのままダイレクトに年俸に跳ね返ってくるだろう。

 とにかく打席においては、点を取るマシーンになる大介であった。

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