第268話 総力戦
先発の大原を三イニング目で交代させたライガースであるが、リリーフしたオニールが初球を狙われて連続ホームラン。
続く三番の樋口はファーストの頭の上を上手く抜き、ツーベースヒットとなる。
まだアウト一つも取っていない状況から、樋口は三塁盗塁を敢行。
この盗塁をミスらないところが、まさに樋口なのである。
四番浅野の特大フライでタッチアップに成功。
レックスはこの回、一気に三点を奪取したのであった。
だが得点の後に失点するというのもよくあることで、四回の表には大介がフェンス直撃のツーベースを打ち、続く西郷は歩かされる。
五番グラントのライト方向への特大フライで、大介は三塁まで進塁。
六番黒田のタイムリーヒットで一点を返した。同じ学校の後輩である吉村に、容赦のないことである。
この中盤に来て、吉村の球威が急に落ちた。
西郷へのフォアボールはともかく、グラントはいつもなら、もっと前にフライを打たせることが出来たはずである。
ストレートの伸びと、スプリットの無変化。
さすがに樋口も吉村の調子がおかしいと判断する。
さすがに隠せないか、と吉村は告白する。
「肘に痛みが走る」
その瞬間、最悪の想定をするのが樋口である。
吉村の肘はガラスの肘とまではいかないが、高校時代から何度も、炎症を起こしたり、靭帯の部分断裂などを起こしてきた。
調整には繊細さが必要で、シーズン内でも途中で、一ヶ月ほどは休むことが多い。
今年も二度ほど休んだが、これはまだ肘の炎症だけで済んでいたものだ。
いずれはトミー・ジョンなのではとも言われている。
だが保存療法で復帰出来ているので、踏ん切りがつかない。
ただ今年はこれで終わりだ。
吉村の脱落により、日本シリーズで使えるピッチャーが一人減った。
そもそも先に、日本シリーズへと進むための目の前の試合が重要なのであるが。
レックスの二番手ピッチャーは豊田である。
中継ぎの中でも、リードしている場面で一イニングをしっかりと抑える、セットアッパーとしての役割が定着している。
だが元々は馬力のある、先発としても使えるタイプのピッチャーなのだ。
球種に関しても決め球のフォークのほかに、カットボールとツーシームは効果的だ。
今日はある程度、長いイニングを投げることを要求されている。
ワンナウト一二塁という、普段は回の頭から投げる豊田にとっては、感覚の違う状況。
点差はまだ二点あるので、ここは一点ぐらいならば仕方がない。
そう考えている豊田に対して、樋口はサインを出す。
そのサインにギョッとした豊田だが、もう樋口の無茶振りにも慣れてきている。
七番石井に対して投げた、ど真ん中のストレート。
好球必打で打ちにいった石井であるが、わずかに変化したボールが逃げて、サードへのゴロとなる。
キャッチした村岡がそのままベースを踏んで、それから一塁へ送球。
石井の足よりも早く、ボールはファーストミットに収まっていた。
3-1である。
四回の裏はレックスは三人で終わり、五回の攻防に入る。
普段の試合であれば、二点差あればどうにかなるかな、と考えるのが樋口である。
豊田の調子も悪くない。
ランナーのいない状態から投げることの多い豊田にとっては、投げやすい状況になっている。
下位打線の八番と九番を片付けて、ライガースの上位打線に回ってくる。
問題はライガースの中でも、クリーンナップの三番と四番。
大介と西郷を抑えれば、あとはどうにかなる。
その前に、大阪光陰の後輩である毛利。
プロでも数度は対戦しているが、高校時代ほどの打率は保てていないが、出塁率は立派なものだ。
豊田の決め球のフォークに上手く合わせたが、サードゴロでアウト。
ここで大介に回らなくて良かったな、と考える樋口である。
ライガースのオニールは初回こそ失点したものの、そこからは安定してくる。
五回の裏には目立った動きはなく、六回の表。
ライガースは大介の第三打席が回ってくる。
(勝負するにしろ歩かせるにしろ、この二番は切っておきたい)
樋口のリードに従って、豊田は大江を三振にしとめた。
大介の打順は、これを含めてあと二回は回ってくる。
今日も既に一本ヒットを打っているが、強烈なフェンス直撃であった。
出来れば歩かせたいが、すると西郷がホームランを打てば、一気に同点だ。
(ワンナウトは取ってるんだ)
ホームランさえ打たれなければ、どうにかする。
しかし豊田の球種であるフォークなどは、シーズン中に掬われてスタンドに運ばれている。
甲子園球場なら、風の影響なども利用できたかもしれない。
だが神宮でのホームランの出やすさは、ライガース有利に働いている。
(シーズン中の能力とは、明らかに違ってるからなあ)
樋口としては、この大介は劇場版の大介だと思うのだ。
ワールドカップやWBCなどで、明らかに大介は遠慮のない打撃を見せていた。
シーズン中の大介は、おそらく無自覚ではあろうが、怪我などをしないために力をセーブしている。
それが上杉などとの戦いだけは、本気モードに入るわけで。
第六戦で決着をつけることにして、武史を当てるか。
おそらくさすがに武史であれば、雑魚モブのような処理はされず、大介にもある程度通用するだろう。
ただそこでライガースが真田を出してくると、また投手戦になる可能性がある。
この二人のピッチャーの実力は、爆発力では武史が、隙のなさでは真田の方が上回っていると思う。
(駄目だ。思いつかん)
樋口はとにかく、外にミットを構える。
アウトローの出し入れで勝負すると言うよりは、外れたアウトローに手を出してくれることを祈る。
もしそれが見送られても、歩かせてしまっていい。
そんな気持ちを読んだのか、大介はそのアウトローのボールを、腰の回転だけで持っていった。
レフトのフェンス直撃のツーベース。
二打席連続であるが、ホームランではない。
ホームランならばOKという条件の範囲内。
ただ続く西郷も、ホームランを打てるバッターなのだ。
シーズン中は豊田のフォークを捉えられなかった西郷。
だがこの打席では、しっかりと掬い上げてきた。
ただ、高く飛ばしすぎである。
それでも外野が、フェンスに体を当てるぐらいのところまでは飛んだ。
センターの一番深いところへのフライなので、大介はタッチアップが可能。
ただしこれで、ツーアウトにはなっている。
バッター勝負で大丈夫。
もしもホームスチールなどを仕掛けてきても、自分が殺す。
五番のグラントも、フォークを振って空振り三振。
フォークを連発させているが、これでスリーアウトである。
大介にホームランを打たれていないので、ここは勝ちといっていいだろう。
双方がピッチャーを交代させて、下位打線のチャンスで代打を出していく。
レックスは樋口で問題ないのだが、ライガースの場合は捕手二人体制なので、ここで代打を出してもまだ余裕がある。
ピッチャーの打順でも代打を出すなど、総力戦になってきた。
ただしリードしているレックスは、代打の選手を引っ込めて、守備固めの選手を入れたりする。
ライガースはとにかくチャンスを作っていくしかないのだが、短いイニングを全力で投球させて、豊田もすぐに交代だ。
3-1のまま点差は変わらず。
そして九回、最後の攻防を迎える。
ライガース最後の攻撃は、三番の大介から始まる。
ここまで一打席も抑えられていないのは、さすがにキャッチャーの無能と言われても仕方がない。
(こいつほんと、追い込まれれば追い込まれるほど、力を発揮するんだよな)
樋口はそんなことを思っているが、ライガースの大介からしたら、ここが正念場である。
二点差なのだ。大介がホームランを打っても、まだ足りない。
下手にホームランを打つよりも、ランナーとして残って、足でかき回したほうがいいかもしれない。
レックスのピッチャーは、今年からクローザーとして起用されることの多い鴨池。
奪三振能力が高く、またコントロールもいい。
クローザーに必要な二つのスキルを備えているが、大介にとってはどうなのか。
どう打てばいいのか、大介には回答が出てこない。
ベンチからの指示も、ノーアウトランナーなしという状況では、何も言いようがない。
(迷ったら打てないな)
大介は考えるのをやめた。
己の肉体に染み付いた、数百万回のスイング。
ただそれだけを信じて、打てる球を打つ。
アウトローを攻めてきた。
外れるボール球でも、打てるようなら打つ。
だが体は動かない。待っている球はこれではないのだ。
大介の反応がない。
スリーボールと、もう歩かせてしまっていいカウントになった。
だが、ここで樋口は考える。
ミスショットを誘える、唯一の機会ではないのか。
インハイのストレート。
ボール球でもいい。だがここに全力で投げ込めば、ジャストミートされる可能性は低いと思う。
(ここに)
鴨池は頷いて、一球入魂のストレートを投げた。
明らかなボール球のインコースに、大介の体は反応した。
全力のストレートを、全力のスイングが迎え打った。
ライト方向、完全にライナー性の打球。
ぐんぐんと伸びていって、その最上段に突き刺さる。
球場内が爆発するかのような歓声が、レックスの応援陣営からもあふれ出た。
アウトローに三球も見せておいて、インハイのストレートを完全に振る。
読んだ上の決めうちとも思えない、完璧なホームラン。
樋口には、とても打てないホームランだ。
(化け物め)
3-2と一点差となった。
だがこれで、状況はさらにシンプルになる。
一点取られるまでに、三つのアウトを取る。
それだけだ。別にまだ、同点に追いつかれたわけでもない。
マウンド上の鴨池は、樋口が新しいボールを投げてくるのを待っていた。
樋口は渡されたボールを、鴨池へと投げる。
まだ仕事が残っている。
リードを保ったまま、試合を決めればいいのだ。
四番の西郷は、フルカウントから歩いた。
一発のあるバッターだけに、ここは仕方がない。
しかしライガースは、ここで勝負に出る。
西郷に対して、代走を出したのだ。
あと一点取らなければ、延長にも進めない。
西郷はバッターとしてはともかく、守備能力は平均的だ。
なのでこれは思い切ってはいるが、間違いではない起用なのだろう。
痺れる試合に、樋口もまた大きく深呼吸する。
ノーアウト一塁で、俊足のランナーがあり。
ここから三つのアウトを取っていくのだ。
裏の攻撃があるとは考えない。ここで決める。
五番グラントは内野フライにしとめた。
六番黒田は、ファーストゴロで進塁打となる。
ツーアウト二塁。クリーンヒットで一点が取れる場面だ。
ここでまたライガースは、石井に対して代打を出す。
今年代打として、または調子の悪いスタメンの控えとして、80打席ほどを打っている西園。
ここで打てるかどうかで、この先の彼の野球人生は変わっていくのだろう。
野球人生を賭けているのは、別に西園だけではない。
樋口や大介だって、常にそれを考えながら生きている。
代打の切り札ではあるが、最悪これを歩かせてもいい。
次の滝沢に代打を使えば、ライガースは三番手のキャッチャーを使うことになる。
そうなればレックスの打線は、かなり楽になるはずなのだ。
低めに集めた球が、ボール球二つ先行。
そしてここから樋口は、大介相手には失敗した方法を再度示す。
わずかな逡巡の後、鴨池は頷いた。
ストレートで勝負する。
鴨池のストレートは、見逃していればボールになっていただろう。
だがバッターにとっては、ボール球でも打てるコース。
そしてホームランになってもおかしくない高さだ。
打球音が、大歓声の中でもよく聞こえた。
そしてボールは高く上がり、センターの西片は、その行方を追うこともない。
センターの定位置。わずか一歩ほど前に出て、キャッチする。
スリーアウト。ゲームセット。
そしてこれは、日本シリーズへの進出を、レックスが決めた瞬間にもなった。
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