第269話 長い休暇
終わった。
「あ~……」
ベンチの中で試合を見守っていた大介だが、最後の瞬間にも特に感情が動くことはなかった。
途中から、これは勝てないという気配を感じていた。
他人に説明するのは難しいのだが、直感としてそう思ったと言うべきか。
今年も日本シリーズには進めなかった。
Aクラスはずっと維持しているものの、リーグ優勝も逃している。
興行的にはずっと成功しているらしいが、日本一には届かない。
大介のモチベーションが、チームの優勝から離れようとしている。
もちろんその成績を見れば、とてもそうは思えないだろうが。
プレイオフは22打数の11安打で6ホームラン。
つまり打ったヒットのうち半分以上がホームランであったのだ。
この短期間の成績ではあるが、打率は五割、出塁率は六割を超えて、OPSも2を超えている。
一人がこれだけ超人的な活躍をしても、優勝は出来なかった。
特にこの最後の試合は、三打数三安打で、ツーベース二本とホームラン一本。
それでもチームは試合に負けるのだ。
何が足りなかったのだろう。
いや、充分に戦力は足りていた。
ファーストステージで、山田と真田を使わざるをえなかった。それが一番の原因か。
あるいはもっと大介が、場面に応じたケースバッティングが出来れば良かったのか。
なんだかんだ言いながら、樋口にはぎりぎりのところで、抑え込まれたような気がする。
そう、あの壮行試合で、直史と対決した時のように。
ピッチャーの力は問題ではなく、キャッチャーが問題だったのか。
だがライガースの使っているキャッチャー二人は、悪いキャッチャーではないのだ。
(総合力じゃないよな)
ピッチャーとバッター、そして守備や走塁など、むしろ総合的にはライガースの方が上回っていたのだ。
あとは指揮官の采配か。
金剛寺が一年目の新米監督で、作戦のミスはあったか。
あっただろう。だがそれはこのクライマックスシリーズではなく、ペナントレースの中であったことだ。
積み重ねが、リーグ優勝に届かなかった。
優勝していたなら、ファイナルステージでレックスを待つことが出来た。
真田と山田を消耗していない状態で使って、あと一つをどうにか勝ってしまえば、それで終わりだったのだ。
つまり、運とか実力とかも全て含めて、全体的に少しだけ足りなかった。
だがその少しが、勝者と敗者を分けたのだ。
ライガースには、大介には、まだ未来がある。
来年もまた、楽しい時間が待っている。
(もっと厄介なピッチャーが増えれば、もっと楽しくなるのにな)
それはお前と西郷ぐらいだ。
日本シリーズにおいては、レックスとジャガースとの対決となった。
そしてそこにおいて、レックスは四勝二敗で優勝を果たす。
レックスは暗黒期と呼ばれる弱い時期もあれば、そこから一気に強くなる時期もある。
だいたいプロスポーツというのは、資金力によほどの差がない限り、チームの再建期と全盛期に分かれる。
リーグ優勝を諦めて、最下位争いをしながらでも新戦力を整える。
それがそろえばまた、優勝争いをすることが出来る。
これは日本はそうでもないが、MLBなどでは顕著なことだ。
有力選手の大型契約終了と共に、チームを解体してしばらくは弱い期間が続くが、ドラフトでよい選手を指名して、再構築していく。
日本のNPBのような、一位指名だけは競合というものではなく、完全なウェーバー制だから出来ることだ。
ただこれはあくまでも、チームとしてみた場合の話だ。
フロントのレベルでチームがおかしくなっていれば、その暗黒期が長く続くことになる。
前世紀のライガースなどには、その時代があった。
最下位でなかったらそれで満足という、ひどい時代である。
同じようなことはスターズにも言えたのだが、これを一年でいきなり優勝に導いたのが上杉だ。
前年最下位からの翌年優勝というのは、過去にもなかったわけではないが、それでも珍しいことだ。
大介入団以前のライガースも、最下位ではなかったが五位だった。
それも二年連続なのだから、間違いなく暗黒時代ではあったのだ。
大介が入団してからのライガースは、常に優勝争いをしていた。
四年連続のリーグ優勝に、三年連続の日本一。
これでまたドラフトでいい選手が取れたら、来年も優勝が狙える。
いや、新戦力ではなく、今の選手たちが強くなって、優勝を狙うのだ。
そんなことを考えている大介は、秋季キャンプからは外されている。
主に若手を中心に行われたこのキャンプであるが、大介は放っておいても勝手に練習をするのだ。
そして今日、大介は自分でも良く分からない場所にいた。
淀にある京都競馬場である。
馬主などの関係者しか入れない、特別観覧席。
そこにツインズを連れてやってきているのが、大介である。
この日のメインレースは、三歳牡馬クラシック最後の一戦。
サンカンオーの出走する菊花賞である。
そもそも菊花賞ってなんなんだ、というのが大介の頭の中の疑問である。
これに対しては、ツインズがけっこう適切な説明をしてくれた。
「サラブレッドにとってはクラシックの競走は、高校生にとっても五回しかない甲子園みたいなもので、それ以降の大きなレースはプロの試合と考えたらいいんだよ」
「なるほど」
大介は納得した。
秋に行われる菊花賞は、クラシックの最後の一冠。
サンカンオーはこれに出場するわけだが、ここまでの二冠は両方とも二位である。
「つまり甲子園準優勝を二回して、これが最後の夏みたいな感じ」
「でもより正確に言うなら、今の価値観的には国体の方が近いかな?」
世界的に見て、競馬のレースで一番格式の高いレースは、2400mか2000mで行われることが多い。
日本のダービー、海外の凱旋門賞などといったところが、2400mである。
それに比べると菊花賞は3000mであり、現在では長距離競争の価値が低下していて、適性がないと思われる馬は、回避することが多い。
それこそここまでの二冠を制している馬や、長距離が血統的に得意そうと思われる馬は別だが。
サンカンオーはもちろん後者だ。
父親が勝っているレースであるし、母方にも2400を超える距離で実績を残している馬が多い。
体格的にもおそらくは長距離が得意と見られていて、距離は長ければ長いほどいい。
ただスタミナだけではなく、2000mまでの重賞も勝っていることから、スピードがないわけでもない。ここまでクラシック二着というのは、それでも充分に凄いのだ。
大介には全く分からないことであったが、野球に例えてもらうと、確かに分かりやすい。
「つまり皐月賞はセンバツ、ダービーが選手権で、菊花賞は国体か。なんかずいぶんと落ちるな」
「まあ実際はそこまで落ちないけど、今ではスピードの競走が一般的になってるからね」
ツインズからの説明を受けつつ、大介は所有馬のスタートを待つ。
競馬場というのは社交の場でもある。
実業家、芸能人、芸術家など、とにかく金を持っている人間が、主に馬主になる。
例外としては生産者自身が馬主になることだが、基本的に生産したサラブレッドは買ってもらって、次の馬を生産し、また販売していくのだ。
皐月賞とダービーは、当たり前だがシーズンの試合があったため、そちらに集中して抜け出すことはなかった。
あくまで大介にとってこれは、人生の中での余興であるのだ。
ただこういったことのために、集まってくる人間もいる。
「何万人いるんだ、これ」
甲子園よりも多そうな観客が、競馬場を満たしている。
大介のいるところがいわばVIP席であるが、その下を埋めているのが一般客である。
大人数に慣れた大介は目算で、八万人以上はいるかな、と数える。
それは正しい。ちなみに競馬場の収容人数は、軽く10万人を超える。
たった一つのレースに100億以上の金額が動くことは全く珍しくない。
ある意味においては野球よりもよほど、贅沢なスポーツなのだ。
なるほど、と大介は理解した。
「菊花賞に出場することは甲子園に出場すること、菊花賞で一等賞になるのは甲子園で優勝することみたいなもんか」
かなり違うがニュアンス的には近いものがある。
そしてサラブレッドにとっては、二位をいくつも取るよりは、一位を一つ取るほうが実績になるというものだ。
これまでも別に注目していなかった大介は、観覧席で眺める。
ツインズがその間に、知り合った馬主を紹介してくれたりもした。
大介に代わってこの二人は、皐月賞とダービーも見ている。
両方とも二着というのは、素晴らしいが惜しいものである。
ファンファーレが聞こえて、サラブレッドがケージの中に入り、出走する。
サンカンオーはその最初のスタートダッシュから、一気に先頭に飛び出した。
ここまでのレースと同じように、他の馬を抑え、先頭を走る逃げ馬。
「あんなスタートダッシュかけて大丈夫なのか? スタミナ切れとか風の影響とか」
大介の問いには、ツインズでもなかなか答えられない。
「う~ん、スタミナに関してはこれまで、この距離のレースを走ったことがないから」
「へ? 練習とかでも同じ距離走らないのか?」
大介の疑問は、競馬初心者にとってみれば、誰もが一度は思うものではないのか。
野球だって練習試合をして、実際の公式戦を戦う。
それもなく練習だけで、いきなり公式戦とは。
しかもこれまでに一度も走ったことのない距離だという。
分かることは分かる疑問なのだが、これはツインズもやはり答えられない。
「流して走るならいいんだろうけど、競馬のレースは一度走ったら、一ヶ月は休ませるのが普通だしね」
「いくら無茶をしても、一週間に一度が限界だし。それ以上は馬が潰れるよ」
「ボクサーみたいなもんか?」
大介の想像したのは、かなりの間隔を空けて行われるという意味では、確かにそうかなとも言えるスポーツである。
ただあれは殴り合いのダメージが残るのが問題であって、体力を限界まで使うのとは違う。
野球に近いことを示すなら、それこそマラソンランナーか、先発ピッチャーを上げるべきだろう。
42.195kmを走るマラソンの選手でも、毎日その距離を走るわけではない。
練習でさえそんな距離は走らず、本番でのみその全力を尽くすのだ。
「なるほど」
また大介は理解した。たしかにマラソンランナーは、そんなに走る距離を練習はしないだろう。
だが大介の理解は、中途半端なものである。
サラブレッドにとって3000mというのは、せいぜいが中距離走。
普段の調教というのは、あくまでも勝負どころに使うトップスピードを鍛えるため。
あとはそのトップスピードをどれだけ持続させ、どこで使うかというものが問題だ。
サンカンオーがトップで、向こう正面の3コーナーの坂を駆け上がっていく。
3kmもあのスピードで走るのは、やっぱり鍛えられた馬は違うんだな、と馬に負ける自分の足を恥じる、頓珍漢な大介である。
第4コーナーを回ってくると、これまでずっとサンカンオーに先頭を走らせていた、他の馬も距離を詰めてくる。
今まで残していた足を、ここで一気に使うのだ。
下手に早めに足を使うと、ゴール前に息切れする。
そしてゴールしてからもまだトップスピードが維持できているなら、それは体力を使い切っていないということだ。
最後の直線、サンカンオーの内を突いて、伸びてくる馬がいる。
抜かれたかと思ったが、そこからサンカンオーはさし返す。
馬の本能により、並ばれてからも抜かれまいと、気力を振り絞って激走する。
そのままゴールへと頭差の勝負を見ていたら、大外から一気に駆けてくる馬がいる。
内で争う二頭と、外から駆けて来た一頭。
外の馬は足を残していたのだが、内は二頭が競い合うことで、限界以上の力を出している。
三頭がほぼ並んだ状態で、ゴール板を通り過ぎる。
内はおそらくサンカンオーが抜いたが、外はどうであったか。
目測では難しい、写真判定となった。
「惜しかったな」
「だね~」
「ほんとにね~」
結果が出る前から、大介には分かっていた。ツインズにも分かっていた。
空間を把握する能力に、動体視力。
距離が離れていても、分かるものはしっかりと分かる。
その言葉通りに、サンカンオーは二着であった。
クラシック三冠を、全て二着。
まさにトリプルシルバークラウンとでも言うべき、本当に惜しい勝負であった。
おそらくこのままであれば、シルバーコレクターの称号を得ることになるだろう。
この年のクラシックは、三つの冠を三頭が分け合う結果となった。
そんな中でその全てで二着であったサンカンオーも、間違いなく名馬である。既に重賞は取っているのだし。
来年こそはやってくれるかな、と大介は思うのだが、日本の競馬のシーズンは終わっていない。
「まだジャパンカップと有馬があるよ!」
サンカンオーはクラシックレースを三つも二着に入っているため、その賞金額はかなり多くなっている。
競馬は賞金を多く獲得していれば、それだけ格の高いレースに出ることが出来る。
ジャパンカップはどうだか知らないが、人気投票で決まる有馬記念は、おそらく面白枠で選ばれるだろう。
クラシックを終えたばかりのサンカンオーの競走馬生活は、まだまだ始まったばかりである。
×××
実質第四部C終了です。ここからは少し巻いていきます。
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