第270話 未来への道

 珍しく大介は、動くのではなく考えていた。

 ライガースの戦力で、レックスに負けたということ。

 戦力分析は今の状態で行っても、ライガースの方がレックスより上だと、分析班の人間は言っていた。

 ならば指揮官の問題かとも大介は思うが、金剛寺の采配は確かにまだ未熟なのかもしれないが、投手陣の使い方は島本の裁量であった。


 自分自身は過去最高レベルの成績を残した。

 四割、60本、160打点。

 あとはもう、これをどれだけ伸ばせるかという話だ。

 プレイオフでは上杉からも、武史からもホームランを打った。

 だがチームとしてはレックスに敗北している。

 そのレックスは日本一になった。


 モチベーションが低下しているとか、そういう話ではない。

 ただ単純に、どうすれば勝てるのかが分からない。

 それを考えるのは監督などの仕事と言われるかもしれない。

 だが大介は、高校で最高の舞台を経験してしまった。 

 プロの世界でも優勝しなければ、なかなか心理的に納得できないのだ。


 そんな大介の、珍しいアンニュイっぷりに、ツインズも少しだけ心配をしている。

 ただ大介がどうしたら立ち直るかは、二人ともよく分かっている。

「ドラフト会議見ないの?」

「怪物登場なんでしょ?」

「ああ、あれな」

 毎年のように怪物と言われる選手が出てくるドラフト会議だが、今年はかなり面白そうな選手がいる。

 アマチュアナンバーワンと言われる選手は、無名の高校のピッチャーである。

 茨城県の公立高校で、紅白戦も出来ないほどの人数の野球部から、おそらく競合指名されるであろうと言われている。


 阿部正樹。中学まではと言うか、高校に入っても長らく無名であったピッチャー。

 体格の急激な成長により、突然変異のように現れた安部は、夏の地方大会で160km/hオーバーをバンバンと投げたという。

 チームが弱かったため、やはりこれも球数制限によって、甲子園には出られなかった。

 だが素質型の選手のくせに、既に即戦力レベルの力もあるという。

 そんなの、ほしいに決まっているのだ。


「ピッチャーだとどこがほしがるかな」

 大介としてはライガースも、一位はピッチャーかなという気はする。

 あと一枚、強いピッチャーがいれば。

 山田と真田の左右のエースがいて、贅沢だとは分かっている。

 だがどちらもこの数年、シーズンを離脱することがあった。

 いいピッチャーというのは、何人いてもいいものなのだ。


 


 ネットなどを見て、今年間違いなく一位でピッチャーを指名してくるだろうというチームは、千葉マリンズ、北海道ウォリアーズ、東北ファルコンズ、中京フェニックス。

 そして埼玉ジャガーズは伝統的に、高校生を指名してくるだろうと言われている。

 ネットでしか見ていないが、茨城県大会で投げた阿部は、160km/hオーバーをバンバンと出していた。

 そりゃあこんなのがいれば、取りたくなるだろうなというのも分かる。


 ただ一人に注目が集まれば、他の有力選手を一本釣りということも考えられる。

 ライガースの場合は、とりあえず打線の破壊力は現在のままで充分だろう。

 即戦力ではなく、二軍にいる中から、徐々に育てて補強していくべきだろう。

 出来ればピッチャーも、そうやって補充してほしいものだ。


 注目の阿部正樹を一指名したのは、北海道ウォリアーズ、東北ファルコンズ、中京フェニックス。

 そして大阪ライガースであった。

 甲子園にも出ていない、そして中学以前の実績もまるでないピッチャーを、四球団が指名したこと。

 充分な異常事態であるが、大介にとっては複雑な気持ちである。

 強いピッチャーとは対決したい。 

 だがある程度強いピッチャーを獲得して欲しい。

 そう思いながら見ていれば、もはや見慣れたライガースのGMが見事に、交渉権を獲得していた。

「引き強すぎだろ、あのおっさん」

 大介、真田、西郷と現在の主力を引き当てて、さらにまた四球団競合から引き当てる。

 もっともここ最近で言うなら、レックスも樋口に武史と、競合を引き当てているか。


 未知のピッチャーとの対決の機会は、しばらく奪われてしまった。

 ただそのうち、真田はFAで出て行くかもしれない。

 大介自身としては、FA権を取ってもしばらく行使する気はない。

 海外FA権を待つわけでもない。

 上杉を確実に超えたといえるその日まで、日本を後にすることなどないと考えている。

 今年はさらに武史が来てくれたが、さらに対決すべきピッチャーが増えてくるのかどうか。


 たとえば真田と、公式戦で対決するのならば、大介は右打席に入ればいい。

 右でも打てることは、一年目に証明しているのだ。

 そして本来ならば、大介には関係のないはずの、この阿部の獲得。

 どうやら難航しているらしいと、あちこちから聞こえてくる。




 気持ちは分からないでもない。

 阿部は最後の夏も、結局は甲子園には出られなかったピッチャーだ。

 関東大会には出場しているが、そこでも出鱈目な強さを見せて優勝しているわけではない。

 大舞台での経験が、全くないというその経歴。

 あるいは精神的な問題で、意外とプロの世界では、全く通用しないかもしれない。


 それとは別に、阿部は県かでも有数の進学校の出身ということもある。

 なんなら大学野球、特に六大学の早慶戦を経験して、それからの話でもいいのではないかと考えているのだ。

 大学の四年間で、故障してしまう可能性もある。

 ならばそこからは、野球とは関わらない人生を送ればいいだろう。

 ただし夏にはあそこまで投げたいと思っていた、甲子園を本拠地とするチームで、投げてみたいという気持ちもあるらしい。


 名門の野球部出身ならともかく、そうでない阿部としては、そもそもプロの世界はリアルではないのだ。

 在学中からスカウトの目に晒されて、一位で指名すると監督を通じて言われても、なおそれはまだ遠い世界の出来事であった。

 両親が公務員で、どうせなら医者を目指してみればと思っていた阿部に、プロ野球という世界は異質すぎるのだ。

 この時期にも受験勉強をしていたというのが、その進路がまだ決めていないことを示している。


「つーかそもそも、医学部なんかに行ったら野球やってる暇なんてなくなるだろ」

 大介の言葉は完全に印象論であったが、実は完全に正しい。

 医学部に限らず、六大学のエースでありながら、ほぼ最短のルートで司法試験に受かった直史も、相当おかしいものである。

 つまり大卒でプロに行くという道を考えるなら、医者という選択は放棄するしかない。

 それ以外の進路で大学に行くとして、単純に力不足だと思うなら、一年目は二軍で鍛えればいいだけだ。


 プロに行くか、野球を捨てるか。

 明倫館の村田のような、プロからの注目がさほど高くなかった選手ならともかく、阿部は今年の目玉と言われている。

 果たして獲得できるのかどうか、大介としては他人事ではないが、それでもさほどの関係はないな、と判断していた。

 ただそこにフロントからの電話がかかってきた。

 まだ年俸更改にはずいぶんと早いタイミングであったが、大介に対する要請は訳が分からないものであった。

 スカウトに同行して、入団交渉の一員として働いてきてほしいというものであったのだ。




 大介はあくまでも、選手である。

 スカウトに同行する義務もないし、そもそも同行して何をすればいいのか。

 もちろん交渉自体は、担当スカウトとスカウト部長が行っている。

 大介はプロの世界の話を、阿部にしてくれればいいというものである。


 勧誘するにしては、大介はあまり向いている人材ではない。

 確かにNPB最強、あるいはNPB史上最強と言われるバッターが加われば、陣容に厚みはでるだろう。

 だが結局はこけおどしのようなもので、いったい何が出来るのか。

 大介は地頭は悪くないが、そういった搦め手は野球以外では使わない。

 そもそもこれは、球団と阿部との間の問題ではないと思うのだ。


 阿部が迷っているのは、そういうレベルではない。

 自分自身の力への迷いだ。

 本当にプロで通用するのか。甲子園にも出られなかった自分が。

 地道に努力する勉強とは、また違ったものになるであろう。

 阿部のピッチングはほとんどが自分で、色々なネットや本などの知識から獲得して得たものなのだ。


 大介自身の経験を話せばどうなのか。

 大介もまた中学生までは、プロの世界など全く意識できない環境にいた人間である。 

 ただそれでも一年の秋からは、プロの世界は具体的に見えてきていた。

 甲子園でポンポンとホームランを打ってからはなおさらで、歴代のホームラン記録にダブルスコアをつけてからは、もうプロに進むしか考えていなかった。


 大介としては、別に同行するのはいいのだ。

「ただ、甘いことを言って入団させるなんてのは無理ですよ」

『それはむしろありがたい』

 なんと金剛寺までもが、同席するのだという。


 本来ならば仮契約してからが、メディカルチェックを受けたりする。

 だがまずは甲子園球場を見てみないかと、阿部を口説いてみたのだ。

 この時期、本気で医学部を目指すなら、最終追い込みの時期。

 ただ龍ヶ峰は推薦枠があり、私立ならばその枠で医学部に入ることが出来る。

 あるいは阿部の場合であると、なんらかの特殊な奨学金を受けることが出来るかもしれない。


 


 大介は、そこまで迷っているのなら、プロに来ればいいのではと思う。

 プロで通用しないのならば、そこから改めて医学部を目指せばいいのだ。

 阿部の場合は契約金は当然最高額になる。

 医学部六年間の授業料や生活費など、そこから捻出すればいい。

 プロで通用しなかったら、それから医者を目指せばいいじゃないか。

 大介のその言い分に、金剛寺などは大笑いしたものである。


 その日、甲子園に阿部がやってきた。

 両親に加えて学校の監督も共に、まあ高校生であれば当たり前のことであるか。

 実物を見るのは初めてであるが、大介の第一印象は悪い。

(でけーな)

 大介よりもずっと身長が高かったからである。


 球団スカウトや監督の金剛寺に、そして大介。

 VIPクラスが勢ぞろいで、甲子園球場を案内する。

 まさに特別待遇だ。大介は自分の時でさえ、こんなことはしてもらっていない。

 もっともそれは大介が、あっさりと判子を押したからであるが。

 ちゃんとメディカルチェックなどを受けた際に、色々と案内はしてもらっている。


 夏の気配など完全に消えてしまった、甲子園のグラウンド。

 そのマウンドの上に、阿部は立つ。

 結局は高校時代、ここで投げることはかなわなかった。

 しかしプロになって、ここで投げることを夢想する。


 その表情を見ていて、大介は思った。

 こいつは結局、甲子園に魅了されて、入団するのではないか。

 あるいはここに立っただけで、完全に満足してしまうのか。

(その辺は分からねえよな)

 大介は特に何かを言うこともなく、一行の後をついていただけである。

 ただ、ユニフォームを着ているわけでもないのに、マウンドに立つその姿には風格がある。

 実際に成功するかどうかは分からないが、一流のピッチャーにしか持っていない、特殊な威圧感を感じるのだ。


 大介は参加していないが、若手による秋キャンプは行われている。

 その視線は阿部に集中しているが、それを意識はしていないようだ。

「つーかさ、どうせここまで来たんなら、せっかくだし投げてみたらどうだ?」

 マウンドを堪能している様子を見て、大介はそんなことを言ってしまった。

 それは単純に、こいつの投げる球を生で見たい、という程度のものだったのだが。

「いいんですか?」

 その時初めて、大介と阿部の視線が合った。

 それまでは合いそうになると、向こうの方から顔を逸らしていたのだ。


「いいんか?」

「ええと……まあ交渉権があるから、それは構わんはずやろ」

「けど阿部君はどうなんや? まあスパイクとかユニフォームは合いそうなやつ借りればいいけど」

 とりあえずこの場の責任者的に、金剛寺がそう問いかける。

「なら、投げてみたいです」

「よし、じゃあ肩が暖まったら俺と勝負しようぜ」

 また大介が大介っぽいことを言い出して、金剛寺たちはギョッとする。


 同じチームになれば、紅白戦で対戦することもある。

 だがここで入団しないのならば、おそらくはもう二度と対決することもない。

 結局甲子園にはこれなかったが、誰もが認めるアマチュアナンバーワンの逸材。

 これを逃すまいとする、大介の戦闘民族の血が沸いていた。


 金剛寺としては頭が痛いところである。

 確かに阿部の素質は、スカウト一同が認めるところである。今年ナンバーワンの素材に間違いはない。

 だが大介は100年に一人のバッターだ。対決しても勝てる保証はないどころか、おそらく160km/hを投げても打たれる。

 季節を考え、また阿部がここのところは、本格的な練習をしていないことを考えても、この対決にはリスクしかない。

(いや、違うな)

 金剛寺もまた、考えていたのだ。

 阿部には選択肢がある。そのためにかえって、プロへの道を決めることが出来ていない。

 ここで大介に打たれて諦めるなら、おそらくプロではどの道通用しない。

 ここで大介に打たれてなおプロを選ぶなら、その時にこそ初めて、阿部はプロへの道を選んだといえることになるだろう。


「分かった。いいだろう」

「さすがオジキは話せる。じゃあ俺も着替えてくるわ」

 秋キャンプの参加メンバーに入っていない大介であるが、実は勝手に参加してトレーニングしたりもしている。

 なので感覚はそれほど鈍っていないし、バットなども置いてあるのだ。


 日本シリーズも終わり、今年も終わったなと大介は思っていたが、最後の最後でまた、面白い対決が待っていたようである。

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