第271話 大人気ない
季節が季節であるので、念入りにアイドリングは行わなければいけない。
スピードガンは持ってきたが、問題は単なる球速ではないのだ。
久しぶりにプロテクターを着けて、キャッチボールに付き合うのは島本。
まだ軽く投げているだろうに、阿部のボールはミットの中の指をえぐってくる。
(柳本級、いや高校生でこの季節なんだから、それ以上か。まだ底が見えん)
高卒であり、ボールの質自体は、既に一軍で通用するレベル。
だがまだこれでも線が細く、ピッチング以外の技術が色々と必要である。
体作りに一年、二年目から使えるようになるだろうか。
マウンドに立った阿部が、座った島本のミットへボールを投げ込む。
(さらに速くなったな。いや、キレか)
この体格、この筋肉の付き方で、このスピード。
純粋にピッチングだけでも、甲子園には行けただろう。
だがそれでもどうにか攻略されてしまった。
カーブを投げさせれば、これも一級品。
出来ればチェンジアップと、見せ球程度でいいからもう一つ変化球がほしい。
(最近はうちの二軍育成、あんまり上手くいってないんだよなあ)
山田が覚醒したあたりは上手くいっていたのだが、大介や真田なども、ほとんど一軍の実戦にぶっつけ本番だ。
即戦力が即戦力として働くのはいいが、育成のつもりで取ってきた選手が、なかなか出てこないのは問題である。
そのあたりを考えてなお、この素質型の選手を取ったのか、とは疑問に思う。
大介は見ていた。
阿部のストレートは、現時点でもプロのトップレベルだろう。
カーブもいい。特に右打者には効果的な軌道である。
左の大介には、それほどの脅威ではないが。
そろそろいいか、と大介がバッターボックス入ろうとした時、それを制して先に入った者がいる。
監督の金剛寺である。
「ずりい!」
「監督権限だ!」
構える金剛寺であるが、実際に打席に立って見なければ、そのピッチャーの真価は分からないだろう。
阿部は戸惑ったようだが、島本がミットをパンと叩いて促す。
低めに構えたミットへと、全力で投げ込む。
だが実際のボールは高めに浮いて、金剛寺は振っていった。
それでもバットには当たらない。
(速い! 完全に振り遅れている!)
金剛寺も動体視力が落ち、さすがに現役時代のバッティングは出来ない。
だがミートするつもりであっても、全く及ばなかった。
タイミングを合わせても、どうしても振り遅れてしまう。
年は取りたくないな、とは思うがどうしようもないことだ。
10球ほどを体験してみたが、今の自分にはもう対応のしようがない。
バットを振っても、体のあちこちの筋肉が悲鳴を上げる。
(いかん、現役復帰はともかく、体力は維持しないと)
もう自分は、このプロの世界では、選手としては通用しない。
それが分かった金剛寺は、悲しく微笑みながら、打席を外した。
大介が待っている。
自分の選手生命の最後の数年を、この超越者であるバッターと共に過ごせた。
おそらく大介ならば、才能豊かな阿部でも、簡単に打ってしまうのだろう。
そこで阿部がどんな態度を取るかによって、プロに向いた選手かどうかが分かる。
高校時代はさほどの特別なメニューをしていたわけでもない阿部だが、現在であればネット環境さえあれば、いくらでも練習手段は検索していける。
ただそれが本人に本当に合ったスタイルなのかは、色々と調べないと分からない。
忖度する気など、全くなくなっていた大介である。
本当ならここで、少しでも阿部のピッチングに、自信を持たせるべきなのかもしれない。
だが阿部はプロ志望届を出していながら、この期に及んで迷っている選手だ。
希望球団を明言することもなく、四球団から指名を受けてしまった。
本当にプロで食っていくつもりがあるのか。
精神論は嫌いな大介であるが、プロのメンタルというのは、これで生きていく覚悟が必要なのだ。肉体的な素質などは、それほど大きく変わらない。
大介が手加減して、それでプロでも通用するなどと、勘違いされたら困る。
アマでもプロでも知る限り、さほどの努力もなく大成しているのは武史ぐらいだ。上杉や直史でさえ、努力と言うべきかどうかはともかく、やるべきことをやっている。
武史はやるべきことを教えてもらって、それを淡々とやっているわけだが。
本人の意識うんぬんではなく、それが適切かどうかが結果として出る、分かりやすい例だろう。
結局のところは、本人のやる気次第。
ここで打たれて、それで諦めるようなピッチャーなら、どうせプロの世界でもすぐに折れる。
バッターボックスに入った大介の表情を見て、だいたい考えていることを悟る金剛寺である。
阿部は振りかぶって、まずは全力のストレートと投げ込む。
それに対して大介は、軽くバットを合わせていった。
鋭い打球音と共に、ボールは飛んでいく。
ライト側中段のスタンドに、ボールは落下した。100%間違いのないホームランである。
いくらプロの選手とは言え、つい数年前には四番を打っていた金剛寺が、全く打てなかったボール。
それを大介は一球目からスタンドまで持っていってしまったわけである。
「やりすぎだ」
思わずそう呟いた金剛寺であるが、まだ阿部は折れていないようだった。
ライガースのではなく、プロ野球界最強、あるいは全世界最強のバッター相手に、打たれるのは当然とも思える。
島本からもらった新しいボールを、今度は単に投げ込むのではなく、アウトローを意識して投げ込む。
(そうなるわな)
アウトローでもゾーン内なら、大介は打ててしまうのだ。
今度はパワーではなく、ミート力を活かして。
レフトスタンドに、割とぎりぎりな感じで入った。
阿部はこれまで、何度も試合に負けてきた。
だがそれはチームが負けたのであり、自分が負けたわけではないとも思っていた。
だが、このバッターは違う。
(ストレートだけだと通用しないのか?)
確かにストレートだけなら、高校野球の舞台でもホームランを打たれたことがある。
次はカーブを使う。
ここでさらに強気に、ストレートを投げ込んでくるかどうか。
内角を攻めてくるなら、さすがにミスショットするかな、と思っていた大介である。
だが阿部がカーブを投げてきたのは、経験が足りないな、と気の毒に思った。
(ほい)
大きく斜めに割れるカーブだが、左打者にはそれほど効果的でもない。
引きつけて打ったボールはそのまま阿部の頭の上を抜けて、バックスクリーンを直撃した。
振り返ってそれを見ていた阿部は、そのまま動かない。
やりすぎたかな、と大介は思っていたが、阿部はわずかに口を動かす。
「すげえ……」
一番レベルが高かった関東大会でも、もちろんこんなバッターとの対戦はなかった。
ホームランを打たれると言うよりは、ホームランを打って当然という感覚。
レベルの違いと言うよりも、もっと巨大な格差を感じる。
また前を向いた阿部の目には、逆にキラキラとした好奇心の輝きがあった。
世の中にはこんなバッターがいて、自分よりも上の人間など珍しくはないのだと。
阿部は今、本当に高い壁を知った。
それが逆に嬉しい。
折れなかった。
大介が想定していた以上に、精神的にタフと言うか、柔軟さを持っている。
新しいボールをもらって、ワインドアップから全力でボールを投げる。
下手にコントロールなどは考えず、とにかくゾーン内を狙う程度のボール。
それを大介は引きつけて、センター返しでバックスクリーンにぶち当てていく。
何をやっても通用しないというこの感覚。
見ている方としては、大介の一方的な蹂躙であり、それは確かに感覚としては正しい。
だが今、阿部は純粋に、投げることを楽しんでいる。
「158km/h出てるけど、それだけじゃあなあ」
スピードガンを持っている金剛寺としては、単純に球速だけなら大介は抑えられないと分かっている。
季節的にちゃんと仕上げれば、160km/hは出るだろう。
だがそれでも大介相手には、全く足りない。
大介は大介で、オフシーズンでも平気で強度の高い練習をしている。
むしろ試合に出なくていい時ほど、練習はしなければいけない。
オフシーズンというのは試合はしないが、休むだけの時期ではない。
試合のために己を磨くべき時期なのだ。
30球ほどを投げて、ようやく大介がミスショットした。
ただそれでもボールは、フェンス直撃の距離まで飛んでいく。
「もういいでしょ」
大介としても飽きてきた。
確かにスピード以上に感じるボールだが、島本がサインを出してリードするならともかく、自分一人で考えた程度なら、お話にならない。
阿部も憑き物が落ちたような顔で、マウンドから降りてきた。
「プロってこんなすごいんですか」
「いや、あいつは特別だから」
担当スカウトとしては、これで阿部が折れてしまって、やはり進学などと思ってしまっては困る。
大介のようなバッターは、日本には他にいないのだからして。
ただ阿部は、打たれたこと自体はさほどショックを受けていないようであった。
これもバッターボックスから出た大介に対して、言葉をぶつけてくる。
「あの! 僕がこれから何年かしたら、白石さんと戦えるピッチャーになれますか!?」
そこはうんと言ってやる場面であろうが、大介は嘘をつかない。
「なれるかどうかじゃなくて、自分でなると信じることが大事だからなあ」
野球に対しては誠実な大介である。
今の阿部は、まだまだ大介の敵ではない。
だが現在の時点でも、中継ぎとしてなら一イニングを投げるぐらいは、充分に通用するのではないかと思う。
「今までそんなに高度な指導を受けていなかったから、足りてないものが多すぎるんだよな」
大介が思い出すのは、高校に入学したときの自分のことである。
足を活かせと言われて、ミートに徹していた中学時代。
だが好きに打てばいいと言われて、セイバーが最先端のコーチを連れてきた。
「今の世の中、情報が氾濫してるから、それだけを見て練習のメニューとかを決めることは出来るんだけど、それが本当に自分に合っているかどうかまでは、なかなか分からないんだよな」
大介は長打を打てたが、本質的にスラッガーと言われたのは、セイバーの綿密な計測などがあってからである。
「カーブはいいんだけど、今のままだとまだ球種が少なすぎるし、高めに投げた場合とアウトローに投げた場合、球威がかなり違ったからな。そのあたりも教えてくれるコーチが必要なんだ」
素質に優れていても、それが覚醒するかどうかは運がある。
自分も直史も、ジンと出会い、そしてセイバーと出会わなければ、全国制覇をするようなチームの主力にはならなかったであろう。
その大介の目から見て、阿部はまだ、未完成すぎるとしか言えないのだ。
「可能か不可能かだけで判断できればいいんだけど、世の中ってのは可能性っていうものがあるからさ。プロでやっていくかどうかは、自分で決めるしかないぞ。誰かに言われてプロに来ても、それが言い訳になって精神的な逃げ場になっちゃうからな」
大介は、プロで食っていくことを、高校生の時には決めた。
なのでスカウトからの評価がどうとかは、全く考えなかったのだ。
その結果が11球団競合という、前代未聞の事態になったわけだが。
「俺に分かるのはせいぜい、伸び代があるかどうかだな。そういうことからすれば阿部君は、伸び代だけしかないように思えるけど。それでもプロで通用するかどうかは、結局最後はメンタルになるかな」
資質とかセンスとかは、確かに重要だ。
だがプロの世界で必要なのは、それよりももっと基本的な、人間としての力だと思う。
大介は思い出す。これはセイバーの言葉であったろうか。
「人間ってのはやっちまった後悔よりも、やらなかった後悔の方を重く受け止めるそうだぞ。ぶっちゃけプロで五年ぐらいやってみて、それで駄目ならもう一度勉強して医学部を目指すのもいいんじゃないか?」
そう、直史はそこまで自分は器用だとは思わなかった。だから自分が選ぶべき方を選んだ。
それまでの過程で、日本代表もWBCも、自分でやれることは全てやってしまっていたのだ。
「プロ野球選手ってのは寿命が短いから、極端に言えば30歳を超えてからでも、勉強は出来るだろ」
自分はもう勉強などしたくないと考えている大介だが、野球をするにおいては、ちゃんと頭を使っている。
何が阿部に響いたのか、それは分からない。
だが大介の言葉の中には、嘘は一つもなかったのだ。
「分かりました」
阿部の瞳の中には、もう一つの意思しか見えない。
「来年、ここに来ます。白石さんとチームメイトになってみせます」
「うん、嬉しいけどそれは、球団のお偉いさんに言ってあげてくれ」
順番的にはそうであるなと、阿部は少し赤面した。
ライガースはこの年のナンバーワン右腕、阿部との契約を結んだ。
また一人の野球人が、プロの世界に来たのである。
ただし一位指名でも、さほどの活躍も出来ずに去っていくのがプロの恐ろしさ。
阿部のスペックは認めるところであるが、それが通用するかは、まだ数年を見ないと分からない。
このやり取りを見ていて金剛寺は、ため息をついたものである。
「北風と太陽の、まるきり逆の話だな」
ライガースのフロントと金剛寺たちは、プロへの道を示した。
対して大介は、完全にその自信を打ち砕いてしまったはずであった。
だがそこに、阿部の元々の資質があったのだろう。
Mでないとアスリートは成功しないと言われるが、己の肉体を鍛えて、ある種の愚直さを持つことは、確かにMなのかもしれない。
「せっかくだし飯でも食いにいくか?」
「あ~、ちょっともう今日は予定が入ってるんですよね」
大介としてはこれから、実家方面に帰ることを考えているのだ。
未来の明るい新人君に、厳しい現実を叩き付けた以上、自分も色々とやっておかないといけないだろう。
(今年は結局負けたけど、いつまでも引きずってるわけにはいかないしな)
大介の気分転換になったというだけでも、阿部がここに来た意味はあっただろう。
来年のことなど、既に栄光に輝いている大介にさえ、分かるものではないのだ。
だがだからこそ、やっておきたいことは多い。
「俺も頑張らないとな」
それ以上何を頑張るのだ? と周囲の全員が思ったのであった。
×××
阿部君の活躍は、第四部Eの高校編95話あたりから始まります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます