第272話 夢の舞台

 大介の年俸が激しくインフレしている。

 それだけ価値があるからとも言えるのだが、出来高払いだけですごいことになっている。

 今年は規定打席に到達(5000万)し、三冠王となり(3000万)、タイトルは他に最高出塁率と盗塁王も獲得し(5000万)、打率とホームランの記録を更新し(2000万)、ベストナインとゴールデングラブに選ばれた(2000万)。

 ただ、シーズンMVPは武史が、日本シリーズMVPは樋口が持っていった。これは優勝したので当たり前である。

 それでも17000万のインセンティブがついて、来年の年俸は9億7000万である。


 自分ひとりがこれだけもらっていて、ライガースは本当に大丈夫なのかとは思う。

 ただ、本当にこれだけの年俸を払ってもペイしているのが、大介のすさまじいところなのである。

 本業の野球の他にも、CMなどに出てみないかという話もあったりする。

 こちらも一本一千万とかではあるのだが、大介としては興味がない。むしろ出たらまずい。

 CMなどに出た場合、そのキャラクターイメージを悪化させるようなことが起こったとき、賠償がものすごいことになるのだ。

 大介は自分の良心に反することは一切行っていないと断言できるが、自分のやっていることが世間からのバッシングを受けて当然のものだとは思っている。

 双子の美女を両手に侍らせて色事に耽るなど、完全にダメ人間の行為である。


 なお大介は、ツインズとの結婚を広言していない。

 結婚の事実もまた、球団などには知らせていない。

 なぜならば大介は本質的に、個人事業主であるからだ。

 自分で確定申告を、正確にはツインズにやってもらっているのだが、おかげでそのあたりのことには思考を割かず、野球のことだけを考えていられる。


 面倒な相手は物理的に排除するし、おおよその人間を無価値だと考える、サイコパスなところはある。

 だが自分に対してはこれだけ献身的で、本気にならなければ浮気もいいよと言ってくる。

 実際のところは、浮気などしようのない大介の性格を見抜いているのだろうが、縛り付けるようなことをしない。

 危険だけれど、いい女である。

 それでいて自分の食い扶持はしっかりと稼いでいるところがたくましい。

 本業的に資産運用で、ガッツリと生活費は稼いでいるし、時々芸能活動などもしている。

 自由なやつらだな、と大介は思う。

 だがそれを見ているのは楽しいし、プロ野球もシーズンオフになれば、色々と一緒に行動できる。

 たとえばこの12月には、若者らしくクリスマスを過ごし、そして年末には競馬場へやってきたりもする。

 有馬記念である。




 入場者数が10万を超える、国内でも最大級の祭典、有馬記念。

 千葉県の中山競馬場で行われるこのレースは日本における冬の最後の中央競馬の古馬混合GⅠレースである。

「京都よりもでかいな。甲子園の倍近くも入ってるのかよ」

 大介はドレスコード通りのスーツを着て、ツインズとともに貴賓室を訪問である。


 競馬場は貴族階級の社交場であったが、大介ほどの若さで馬主となる者は、やはり珍しい。

 だが馬主に限らず関係者が入ることが可能なので、そこそこは生産者の人間や、その跡継ぎの若めの人間もいる。

「私たち馬見てくるね~」

 そう言ってツインズが出て行ってしまって、放置される大介である。

 そこは常に大介の傍にいて、機嫌を伺っているわけでもないのだ。

 もっとも完全にボッチなわけではない。

「いやクラシックもでしたが、まさか有馬記念に出られるとは」

 生産者の牧場主も、こんな機会は何度あるかということで、一緒にいるのである。


 厩舎の調教師や騎手相手は、ほとんどツインズが相手をしている。

 プロ野球シーズンの多くの期間を動けない大介に比べると、それは確かに自由度は高い。

 だが大介はようやく知ったことなのだが、競馬の季節は春と秋冬。

 特にジャパンカップや有馬記念などの大レースは、プロ野球のシーズンとはずれているのである。


 実は菊花賞には、日本シリーズに進出して最終戦までもつれこめば、観戦には訪れることが出来なかった。

 なお大介が訪れることが出来なかったダービーでも、生産者である牧場主は着ていたらしい。

 サンカンオーが走ったことによって、その弟妹にあたる馬にも、高い価値がついた。

 基本的には母が同じであれば、父親が違っても、高い値段がつくのがサラブレッドの世界である。

 来年以降の活躍次第では、さらに高い値段がついてもおかしくはない。

 もっとも大介としては、特にこれ以上の道楽を果たすつもりはないが。




 居心地が悪いな、と大介は感じている。

 生産者の牧場主もそれは同じであるが、大介はこの期に及んで、初歩的な競馬の話を聞いていく。


 この有馬記念というのは、競馬のシーズンを締めくくる、今年最後の大レースであるのだと。

 実は地方競馬はまた別なのだが、賞金の高いGⅠレースとしては、年内最後のれーすであることは間違いない。

 一月と二月は、競馬はもちろん行われるが、比較的シーズンオフといってもいい期間である。

 三月に入っても大レースはそれほどないが、大レースのステップレースや前哨戦があり、競馬の本番を感じさせる。

 そして四月から六月にかけてが、まず春の競馬の季節。

 大介はもちろんペナントレース中であったが、この期間に春の大レースが行われていく。ダービーもこの時期だ。


 夏場は野球ならば本番だが、競馬は馬があまり暑さに強くないので、一流馬は休む傾向にある。

 涼しい北海道に戻って、秋に備えて休養することもあるのだ。

 そして九月に入れば10月以降の、秋競馬の本番前のステップレースが多くなる。

 大介が観戦した菊花賞などもその一つだ。


 サンカンオーは菊花賞後は、重賞を一つ走って勝利し、そこで有馬記念に人気投票で選ばれた。

 日本の中央競馬では年に二回、人気投票で走る馬が選ばれる、グランプリと呼ばれる競走がある。

 その一つが有馬記念であり、多くの名馬がこの競走を最後に、引退することも多いのだ。

「二着ばっかでもそんな人気になるんですね」

「逆にそこがおいしい、と思うファンも多いですからね」

 大介にとって競馬の価値観は、高校野球とプロだと説明されれば、そこそこしっくりとくる。

 だが競走馬の競争寿命は、おおよそが五歳まで。

 一流馬は長くても六歳で引退するし、むしろ一流馬は引退してからが本番とさえ言える。


 競馬は脈々と血が受け継がれる文化であり、優秀な成績を収めた馬は、今度はその遺伝子で勝負することになる。

 現役時代に強く、そして繁殖成績もいい馬は、牡馬であれば年間に200頭もの種付けを行い、自分の血を残していくのだ。

 サンカンオーも血統的に、また近親の活躍から見て、種牡馬と呼ばれる種馬になれる可能性はある。

 重賞競走を勝っているので、その資格はあるのだ。

 だが出来れば重賞の中でも、格の高いGⅠレースでの実績がほしい。


 有馬記念は今まで、ほとんどを同年齢の馬と競い合ってきたサンカンオーにとって、前回に勝った重賞に次ぐ、二度目の年齢無制限の混合競走だ。

「まあ周りは強いですけど、三歳のサンカンオーは、その分2kg軽い負担重量で走れるわけです」

「なるほど~。でも高卒プロ入り即戦力みたいに、三歳で勝っちゃう馬もいるんですか?」

「むしろ名馬と言われるような馬は、三歳で勝ってしまう方が多いですね」

 大介の無知にも、苦笑することもない牧場主である。


 サンカンオーの単勝オッズは九位、つまり九番目に期待されている。

 前走で古馬混合重賞に勝っているのが、評価されているのだろう。

 ただそれでも払い戻しは40倍ほどにもなる。

「馬主って自分では馬券買えないんでしたっけ?」

「いえいえ、もちろん買えますよ。買えないのは騎手とか調教師で、八百長防止のために禁止になっています。もっとも海外では、自分の馬になら賭けられる国もあったりするんですけどね」

「じゃあ買ってこようかな。買い方とかって」

「買ってこようか?」

 いつの間にか戻ってきたツインズが、大介の背後を取っていた。

「おう、じゃあ100万ぐらい?」

「ほ~い」

 豪快な買い方に、呆れる視線が集まる。


 単勝100万円。もしも一着になれば4000万円であるが、一着以外はただの紙切れ。

「いまどきには豪勢ですなあ」

「まあ菊花賞で二着とかに入った賞金もありますしね。こういう本業以外で入った金は、パッと使ってしまう方がいいでしょうし」

 大介は二頭目の馬を持とうとはしない。

 あくまでもこれは道楽で、何頭も馬を持ってしまえば、そのレースの行方が気になってしまうかもしれない。

 もしまた買うとすれば、サンカンオーが引退してから、サンカンオーの子供を買うかもしれない。


 大介の本業は、あくまでも野球である。

 ツインズがなにやら色々資産運用などをしているが、それも全て余裕のある範囲。

 競馬の賞金で稼ぐつもりになってしまえば、それはもう道楽ではない。

「買ってきたよ」

「はえーな。あれ? でもオッズほとんど動かないのか?」

「まあ400億とか500億も賭けられるレースだしね。でも0,1倍は減っちゃったよ」

 ただこれでさえ、大介の買った影響とは限らない。




 ファンファーレが鳴り響き、サラブレッドがゲートの中に入っていく。

 モニターの中の動きを見ていれば、それがガシャンと開いて、優駿たちがスタートを切るのが見て取れた。

 グイグイと最初から先頭に立とうとするのが、我らがサンカンオーである。

 他に一頭と先頭争いをしたが、それに競り勝って先頭に立つ。

「よしよし、いいぞいいぞ」

 逃げや差しなどといった戦法も知らない大介であるが、なんとなく最初から前の方にいたり、最後に後ろから来るなどの、そういった戦法程度は察しがつく。

 サンカンオーは典型的な逃げ馬で、終盤に競り合うならば、またそこで粘っていく。

 菊花賞のように大外からかわされると、粘ることも出来ないのだが。


 そこそこの知識をつけているツインズは、最初のスタート直後こそ速かったものの、それ以降はペースが一定になったのを感じていた。

 モニターの中での解説も、ペースは早くも遅くもないと言っている。

 その中でサンカンオーも、先頭に立ってはいるが、悠々と駆けている。無理をしているとは思わない。


 このレース、実は逃げ馬であるサンカンオーが、最初に先頭に立てるかどうかが、けっこう重要なポイントであった。

 最初のレースからサンカンオーは、最初から先頭に立ち、そのままゴールするという勝ち方が多かった馬だ。

 前めにいてそこから抜け出すという勝利もあるが、基本的には最初から最後まで一人旅というのが多い。


 こんな展開なら、自分も複勝を買っておくべきだったかな、と牧場主は思っているが、そういうことが事前に分からないのが競馬である。

 中山の2500mは、右回り。

 ペースは一定を刻みながら、約二分。

 最後の直線に全馬が入ってくるが、その先頭はサンカンオー。

 二番手との差は約二馬身で、そこから二番手の馬はずるずると下がっていく。


 先頭に立って走るのが得意な馬であると、最後の直線で馬群に埋もれると、ずるずる下がってしまうのが競馬である。

 その中で先頭に立つサンカンオーは、マイペースにラップを刻む。

「仕掛けが早いんじゃないかな~」

 牧場主がそう呟いているが、大介としては勝負師の血が、ここが勝負どころだと告げている。

(いいぞ、行け)

 内心応援しているが、他の馬はどうなのか。


 内側からするすると、抜け出してくる馬がいる。

 並ばれようとすると、そこからまたサンカンオーは加速した。

 スタートダッシュの時もそうであるが、サンカンオーは並ばれると強いのだ。

 そしてここからはスタミナが物を言う。


 外から来る馬もいるが、少し遠いだろう。

 内側から抜けてきた馬との、ほぼ一騎打ちとなる。

「行けー! 頑張れー!」

「もうちょっと! 粘れー!」

 ツインズが左右から応援の声を上げているが、大介は無言のままそれを見つめる。


 視線の先にあるゴール板。

 頭一つ抜け出して、サンカンオーがトップで駆け抜けた。

「やったー!」

「偉い!」

 きゃほきゃほと騒いでいるツインズであるが、大介もふうと息を吐く。

 気づけば隣の牧場主が、目を真っ赤にして泣いていた。

(う~ん、やっぱり得意分野以外のことは分からん!)

 大介は笑みをこぼしながらも、どこか他人事のように、サンカンオーの勝利を捉えていた。




 競馬は単純にレースに勝っても、そこで終わるわけではない。

 そこから口取り式といって、関係者を集めた記念撮影が行われたりするのだ。

 大介は有名人だけに、騎手や調教師以上に、マスコミが追ってくる。

「白石さん、初めて持った馬が頂点を取ったことはどう思いますか!?」

 そう言われても、基準が分からないのが大介である。

「頂点ってダービーじゃないんですか?」

 逆に質問を返して、ダメだこりゃ、となる。


 不思議そうな顔をして並ぶ大介に対して、ツインズはニコニコと笑顔でいた。

 巨大な栗毛の生き物に、ぺたぺたと触って声をかける。

 でかくなったよな、と大介はのんびりと考える。

 思えばオールスターの時から、三年半ほども経過しているわけか。

「たった三年で俺よりもでかくなっちゃって」

 馬にまで、身長のコンプレックスを持ってしまう大介であった。


 なおこの年、クラシックの三冠を制した馬はそれぞれ別で、その他のGⅠに勝つこともなかった。

 その中でサンカンオーはそのクラシックを全てに二着で入り、そして重賞を二つ勝ち、有馬記念を勝った。

 最優秀三歳牡馬に選ばれて、また大きく紙面を飾ることになるのである。

 大介はのんびりと「イッカンオーに名前はしておくべきだったかな」などと考えていたが。

 とにかく徹底的に、引きが強い男であった。


×××


 オルフェの娘がブリーダーズカップで勝ってめでたい!

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