第273話 最終話 時は流れる
また新しい一年が始まる。
プロ野球選手にとって、一年の始まりは、二月のキャンプ入りからだと言った方がいい。
ただしそれは肉体的に衰えが見え始めた選手や、故障を抱えた選手などの話で、若手はオフシーズンも、練習を続けなければいけない。
いや、義務として練習をしなければいけないというわけではないのだが、充分に休養が取れるような環境であれば、鍛えなければ落ちるだけだ。
休んでもいいと言われても、どれだけ鍛えていけるか。
このハングリー精神がなければ、野球選手は早々にプロの世界から去ることになる。
東京のツインズのマンションを中心に活動していた大介は、SBCの施設でトレーニングを続ける。
またパ・リーグからセ・リーグに移籍してきたピッチャーや、ドラフト即戦力などというピッチャーのビデオがあれば、それを見て研究する。
考えてみれば高校時代も、冬場は練習試合さえなかったが、その分を基礎を鍛えることに使っていた。
休めと言われて馬鹿正直に休む者は、プロには向いていない。
休めと言われても練習をせざるをえないようなメンタルを持たなければ、プロには進めても大成することはない。
二月のキャンプインに、大介は阿部の姿を見つけた。
一軍キャンプに帯同ということだが、だからと言って開幕一軍が保証されているわけではない。
新人の一位指名を一軍に放り込んで、これだけの差があるのだと見せ付ける場合であったりもする。
ただ大介は寮の後輩などから、阿部のポテンシャルに驚いたという話は聞いていた。
なので案外、首脳陣は本気で開幕一軍を考えているのかもしれない。
(いや、確かにポテンシャルはあるけど、足りない部分が多すぎだろ)
大介もプロで七年目ともなれば、さすがにある程度の常識がついてくる。
そもそも真田でさえ、一年目は体を作ったほうがいいのではと言われていた。
通用するかどうかで言うなら、通用すると大介は思っていた。特に中継ぎの左としてなら、最初からプロでもトップレベルだと思っていた。
ただ元々体格は小さく、プロで戦い続けるなら、さすがにまだ早いと思ったのだ。
それでも大介よりは大きいのだが。
大介はもうさすがに、自分が特別であることは分かっている。
しかし真田はまだ早いと思ったのは、今でも同じように思っている。
シーズン中にポツポツと故障するのは、フィジカルが基本的に足りていないと思ったのだ。
真田以外にも、同期の大卒山倉なども、ストレートの威力などを除けば、はるかに阿部よりは上だった。
ただ素質面だけを言うならば、確かに阿部は山倉はもちろん、真田よりも上かもしれない。
ストレートとカーブだけでも、大介には通用しないが、他のバッターにはたいがい通用するだろう。
それでも早いと思うのは、体の厚みが足りていないからだ。
キャンプは投手と野手とでは、メニューが違う。
中でも大介は自分で勝手にメニューを作るので、一人でいることが多い。
自分でメニューを調整すると、他を覗いている暇もある。
いや、暇を作ると言うべきだろう。
そしてピッチャーの方を覗いてみたが、阿部は投げているボール自体は、ちゃんと仕上げてきている。
投手陣全体を見ている島本の、横にちゃっかりと佇む。
「そっちのメニューは終わったのか?」
「もちろん。それでどうですか?」
「真田がなあ」
去年の真田は離脱がありながらも、チームトップの13勝を上げた。
ただ故障する前と後を比べれば、明らかに故障をして手術し、復帰してからの方が調子はよかった。
肘のクリーニングは成功したということだが、実はシーズンが終わったあとのメディカルチェックで、シーズンオフには投げないように言われたのだ。
ピッチャーというのは、投げないと死んでしまう生き物である。
だが故障していながらそれでも投げるのは、バカのすることである。
このオフの真田は、本当にキャッチボールぐらいしかしていない。
そしてまた検査をして、ようやくOKが出てから、まだ三日。
ブルペンではなく外を走って、キャッチボールから始めている。
そして一人、阿部が一番いい球を投げていた。
「まさか開幕一軍はないですよね?」
「阿部か。まあ素質はいいんだが、いかんせん教えることが多すぎるからなあ。ピッチングコーチと俺とで、とにかく野球の座学を叩き込む。まあその点は頭がいいから、上手く吸収する感じだが」
やはりまだ、プロの打線には通用しないということか。
事実この後、阿部はオープン戦などに投げた後、開幕は二軍で迎えることになる。
この年の大介の目的は、一つはこれまでどおりに、上杉との対決。
そしてもう一つが、レックスを倒すことであった。
レックスは昨年日本一となり、今年はキャンプから調子がいい選手がそろっている。
武史がまた今年も去年のような成績を残すなら、ライガースとしてはかなり苦しい話になる。
もちろんそう都合よくいくとは思わない。
入団した怪物が、実は一年目がキャリアハイであったというのは、よくあることなのだ。
ただその希望的観測は、オープン戦に入ることには打ち砕かれた。
新婚の武史は、完全にやる気を出していて、短いイニングで三振を奪いまくり、既に165km/hオーバーのストレートをガンガン投げ込んでいる。
立ち上がりの悪いスロースターターというのは、もうどうしようもないことかもしれない。
だがそれを差し引いても、序盤で点を奪うことすら難しくなっている。
しかし他のチームから見れば、ライガースの充実度合いも凄かったであろう。
真田がゆっくり目の調整をしているが、それを除いても投手陣はいい。
素質ナンバーワンの阿部を別としても、大卒社会人のピッチャーを獲得し、開幕までに仕上げている。
大介が勝負したくてうずうずしていうのを、首脳陣が止めるのが大変であった。
そんな中ではもしも、の話がされることもあった。
去年のドラフト会議において、巨神タイタンズが、直史を育成で指名したのだ。
あれだけはっきりと断っていて、まだ希望があると思っているのか。
だが確かに社会人に行って、クラブチームに入った直史は、大卒二年目には指名が出来るようにはなっていた。
実際のところは指名されて挨拶に行っても、丁寧に一度だけ会ってお断りをされ、二度目以降はストーカーかと完全に拒絶されたらしいが。
この時期の直史は司法修習で忙しく、そんなことに付き合っていられないというのが正直なところだったのだろう。
レックスをチームとしては最も注意していたライガースであるが、スターズも徐々に戦力を整え、油断ならない存在になっていた。
戦力の絶対値としては、上杉以上のものなどそうはない。
この年の上杉は、また前年までと同じように、中五日程度で投げている。
だがそれをリリーフする投手陣が、かなりの頑張りを見せているのだ。
開幕から一ヶ月経過したころには、ライガース、レックス、スターズの順で、上位の三チームがかなり拮抗していた。
ある者はこの状態を、セ・リーグ三国志などと呼んだものである。
ただこの三チームの中で、一番戦力が安定しているのは、ライガースだと言えた。
バランスの良さとはまた違う、一試合あたりの戦力のバランスである。
大介がいることによって、全ての試合の得点力が高くなっている。
スターズとレックスには、そこまでのバッターはいない。
白石、西郷のSS砲は、この年も序盤からホームランを量産していたのだ。
投手力の絶対値を見れば、上杉、武史、真田とそれぞれのチームにエースがいる。
だがこの点では、ライガースは不利であった。
真田も確かにリーグ屈指のピッチャーではあるのだが、他の二人に比べると耐久力で不安が残る。
大介が真田の一年目から案じていた、一年間を戦い抜く力。
去年の故障を考えても、無理をさせるのはプレイオフと考えなければいけない。
スターズは今年の一位指名した大卒キャッチャー福沢を、かなり一軍のスタメンとして使ってきていた。
キャッチャーは学ぶことが多く、一年目から通用することはほとんどない。
だがスターズは長らく続いた正捕手尾田がもう42歳で、さすがに選手としての限界を感じていたことから、福沢以外のキャッチャーも試されることとなった。
その中では一番、大卒一年目の福沢が、プロの一軍レベルにあったということなのだろう。
甲子園でも優勝捕手となった福沢は、まず第一に、打てるキャッチャーということでも評価は高かった。
だが彼の台頭によって、スターズの投手陣は安定し、打線にもよい影響が出るようになってきたのである。
前半戦が終わったあたりには、阿部が一度一軍に上がってきたりもした。
短いイニングを数試合抑えたが、長めのイニングを投げると捕まって、まだまだ一軍では通用しないことを思い知らされた。
大介としてはプロ入り後に、もう他の変化球を使えるようになったことに、驚いたりしてもいた。
去年と同じく三冠王の道をひたすら進む大介であったが、それは孤独な戦いでもあった。
打点とホームランでは圧倒的な差をつけて、打率でも二位に0.04ほどの差をつけるなど、完全に自分との戦いになる。
どうしても取れないタイトルは、最多安打であった。
盗塁王まで取りそうな勢いの大介であるが、100打席以上も歩かされていては、さすがに安打の数は伸びない。
その代わり出塁率がバグのような値になったりもしたが、ささやかなことである。
四割を打つという前例は、既に大介が二度達成した。
ならば次は、ホームラン70本というのが目標になる。
ただ去年は、ホームランを69本も打ちながらも、チームはリーグ優勝を逃したのだ。
大介は全体から見れば、確かにまだ若手だ。
だが既にライガースの、NPBの最強バッターである。
ならば目指すのは、チームの優勝と己の記録、両方であるはずだ。
四番に西郷がいて、五番にグラントがいる長距離砲打線は、かなり大介を歩かせるのを躊躇させる効果はある。
だがそれでも年間に、100以上も歩かされてきたのだ大介だ。
そして今年は、自己の最高記録は抜かないまでも、それに近いペースでフォアボールや敬遠が増えていく。
申告敬遠がなければ、せめてボール球を打ちにいけるのに。
球数制限がなくてありがたいプロの世界なのだろうが、申告敬遠などがあるために、大介のような悪球打ちも出来るバッターには辛いことになる。
歩かされてしまうと、報復のように盗塁を決める。
成功率や試行数では全くかなわないが、いずれは盗塁の記録も抜いてしまうのではないか。
大介はそんなことを考える。
400本塁打400盗塁。
そんな記録を残してしまって、ますます警戒される大介。
これで後ろに西郷がいなければ、さらに敬遠は増えていたであろう。
この年は単なる盗塁ではなく、三盗が多かったのも特徴である。
シーズンはレックスが二連覇を果たした。
大介の成績は打率0.397 ホームラン65 打点177と、またも文句なしの三冠王である。
これだけの万能性を持ったバッターは、おそらく今後は現れない。
現在進行形の伝説を、野球ファンは見続けているだ。
プレイオフでは二位のライガースが下克上を果たし、日本シリーズへ進出。
そこで同じく下克上を果たしたマリンズと戦い、日本一となった。
最後まで戦ったそのシリーズ、大介は日本シリーズMVPを獲得した。
これもまた何度目かという話になるが、まだ上杉との決着はついていないと感じている。
そしてこの頃、ツインズを通じて瑞希が妊娠したことを知らされた。
おかげで急遽結婚式が執り行われ、それに出席したりと忙しいこになった。
だがこれは、大介にとっては嬉しい知らせではない。
もちろん直史には、そんなことは言えなかっただろうが。
これでもう、直史はその人生で、冒険が出来なくなった。
結婚して、そして子供が出来るということ。
それは生まれてくる子供に対して、責任を持つということだろう。
少なくとも直史はそう考えるはずだ。
また、遊びにしろ直史と対決することも、もうないだろうと大介は考える。
直史は怪物であるが、それでも衰えというものはある。
家庭を大切にして子供のために、環境を整えようとするだろう。
衰えた直史とは、戦いたくはない。
そんな大介を見ていたツインズとしては、そろそろうちも子供がほしいな、と言ってみたりする。
「そういや出来ないよな」
別に避妊はしていないのに、と首を傾げる大介であるが、そもそも回数が少ないし、やる時は一気にやってしまうからである。
狙って打たなければホームランとならないのは、こちらも同じであろう。
狙ってなくてもホームランになってしまうことは多々あるのだが。
「う~ん、俺あんまり子育ての手伝いとか出来ないだろうけど、大丈夫か?」
「大丈夫」
「なんたって二人いるから」
ならば同時に妊娠しないよう、そこだけは気をつけなければいけないな、と大介は考えたものである。
結局のところ、キャンプ入り直前の行為によって、見事ホームランとなるのであるが、それを大介が知るのは開幕前のことである。
そしてその後の五月に、直史の家では真琴が生まれる。
もう交差しないはずの二人の対決が実現するのは、少し先の話である。
第四部了 第五部へ続く
エースはまだ自分の限界を知らない[第四部C プロ編] 草野猫彦 @ringniring
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます