第86話 タイミング
オールスター前に故障してもらうと、その間に治癒してくれて、あまりシーズンに影響がでないので、不幸中の幸いと言える。
だがやはり金剛寺がいないと、精神的な支柱がなくなって、上手く打線が機能しない。
単純に数字の上でも、三割を打って打点もホームランも多い選手だが、打線の中での安定感という意味では、大介もまだ到達出来ない境地である。
助っ人外国人のグラントを四番に持ってきたが、この長距離砲は金剛寺と違ってケースバッティングがあまり上手くないため、確実な一点を取るのが難しい。
今年はカモにしていたタイタンズに、連敗をしてしまうのであった。
およそ復帰まで一ヶ月。
古傷の右膝であるそうだが、ここのところ毎年、膝か腰に悩まされる金剛寺である。
おそらくさすがに、選手生命も限界に近付いているのだろう。
今年のシーズン中には40歳を迎えるので、確かに野球選手としての限界は近いはずだ。
新しい四番がほしい。
本来なら大介こそがその位置に入るべきなのだろうが、もう周囲が完全に、大介は三番としての印象しか持っていない。
黒田や大江といったところでは、さすがにまだ四番というのは早すぎる。
今年の大卒一位で取った山本が、二軍ではそれなりに打っている。
ただ即戦力と言うには、まだプロの変化球に対応しきれていない。
わずかにバランスを崩したチーム状態のまま、オールスター前の最後の三連戦は、よりにもよって神奈川。
第一戦に上杉が投げてくるローテであり、これに勝てば上杉は前半戦を14勝無敗で折り返すことになる。
今年も試合の消化が順調とは言え、当然のように20勝は突破するペースだ。
対するライガースも、復帰二戦目の柳本。
今年のライガースは上杉相手には二敗一分の成績だが、その引き分けが開幕してすぐの上杉と柳本の投げ合いであった。
延長12回0-0の引き分けというのは、柳本の意地を見せられたと思ったものだ。
しかもあの試合、開幕から出遅れた柳本は、今季初先発だったのだから。
「一点頼むぞ」
柳本がそんなことを野手に言ってくるのは珍しい。
だが彼としてもそれだけ、上杉相手には勝ちたいのだろう。
連敗の後だけに、ここで上杉から勝つことの重要さは分かる。
気持ちは分かる。
分かるのだが、それでも打てないのが上杉なのだ。
甲子園で迎える上杉。
神奈川の打線再建はまだ充分ではなく、たっぷり休んだ柳本は、初回を三者凡退に抑える。
そしてその裏、あっさりとバッター二人を三振に取り、三番の大介である。
自分でやりだしたことであるが、この間は三振を奪われて痛かった。
なお大介はあの宣言をしてから、まだ二度しか三振を奪われていない。
かといって積極性が減るわけでもなく、ホームランの数は順調に伸びている。
だが去年と比べると、このペースでは記録の更新は苦しい。
打率も下がってきて、現在は0.408という現実的な数字になってきた。
八月と九月、去年は調子を上げてきたが、今年はどうなるのか。
それよりもまず目の前の、上杉との対決が問題である。
四番が金剛寺ではなくグラントになったことから、連打で一点というのは考えにくくなった。
ツーアウトからのこの場面、狙うのはホームランである。
ストレートを投げて来い。
どうせ一球は本気のストレートが来る。
だが上杉の投げたのはカーブであった。
これなら打てると思った瞬間、自分の力みを意識してスイングを止める。
こういうやり取りは好きではない。
上杉なら大介と、真っ向勝負も可能であろうに。
だが、考えてみれば今日は、ライガースも柳本なのだ。
チームプレイを出来ないわけではない上杉が、勝利を優先することはありえる。
現在のライガースの勝率は、0.658と、去年の優勝した時点よりも勝率は高い。
だが真田とロバートソンに加えて、金剛寺まで離脱してしまった。
はっきり言ってチームの戦力は落ちている。
もっともピッチャーに関しては、柳本が今日は投げている。
開幕序盤と途中離脱の期間はあったが、今年の柳本の成績も神がかっている。
10先発で8勝無敗と、上杉と勝負するのに相応しい数字だ。
防御率も1.7と、リーグの先発の中では二位。
もちろん一位は上杉である。
この打席の大介は、結局高いキャッチャーフライで終わった。
埼玉からFAでライガースに移ってきた柳本は、来年のオフには二度目のFAの権利を得る。
だからと言うべきか、今年のオフにはポスティングを申請する予定だ。
古巣のジャガースを相手にして、日本一になるという目標は果たした。
本当なら上杉をもどうにか倒した上でと考えていたが、もうそろそろ年齢の問題もある。
FAではなくポスティングであれば、球団にはMLBからの金が入る。
もう一年待ってFAを宣言すれば、海外球団の場合は人的補償も得られない
なのでこのタイミングでポスティングというのは、球団に対して最大限に譲歩したものとも言える。
MLBに行くのだ。
もう日本の、投打の極みは見尽くした。
はっきり言ってMLBだろうと、これほどの人間の限界には到達しないだろう。
MLBに行くことを、柳本は別にもう挑戦とは思わない。
ただの一つの選択だ。
高いレベルのリーグとも思わない。だが過酷であることは確かであろう。
そこで大金を稼ぐことを、柳本は考えている。
山田がエースとして育ち、ドラフトの新人が二年連続で結果を残している。
ここまで見届けたのだ。もうこれ以上の義理立てをする必要もない。
金剛寺もおそらく、数年でいなくなる。
高橋も今年無理なら、おそらく来年は構想外になるだろう。それでもまだ年俸を安くして現役にしがみつくかもしれないが。
ライガースは新しくなる。
その中で中心となるのは、まだ若い大介であろう。
生え抜きでもない自分が、いつまでもライガースにいる理由はない。
上杉と投げ合うことが、あと何度あるか。
上杉であればMLBの部隊であろうと、平然とタイトルを取っていくのは確信出来る。
へろへろのカーブを捨てて、高速チェンジアップをもっと磨けば、それは可能だ。
柳本も必死で投げる。
今年は開幕で出遅れて、その後にも短期間の離脱があったので、勝ち星を増やしていかないといけない。
合理的に考えれば上杉相手であれば、七回まであたりをそこそこに投げて、交代してしまった方がいい。
負けはつくかもしれないが、それよりは無理をせずにローテを回すことの方が重要だからだ。
だがここは、エースの意地である。
ライガースの打線も、金剛寺がいない今、奮起するのは自分だと分かっている。
誰もがチームの勝利のために、上杉のボールに食らい付いていく。
その中で最初に塁に出らのは、四回の先頭打者の志龍であった。
かろうじて当てたカットボールが、マウンドに当たって大きく弾む。
その間に俊足を活かして、一塁を駆け抜けたのであった。
そして志龍が出たということは、当然ながらランナーがいる状態で大介に回る。
二番の石井は気合で送りバントを決めて、ランナー二塁である。
一死二塁。
これが上杉以外のピッチャーであれば、間違いなく敬遠である。
ライガースのピッチャーも柳本であるので、平気で完封ペースでは投げてくるのだ。
だが上杉は逃げない。
ベンチもまた、上杉で申告敬遠などしたら、おそらく甲子園から生きて出られない。
勝負だ。
完全に男と男、ピッチャーとバッターの勝負である。
一打席目のように逃げてくるだろうか。
あれはあれで駆け引きなのかもしれないが、この場面ではホームランを打たなくても点が取れる。
もしあんな変化球を投げてきたら、普通に外野の間を狙って打ってやる。
上杉も分かっている。
だから初球から、全力のストレートを投げた。
大介のスイングの上を、かすかにかすってボールはミットに収まる。
170kmの大台が出て、甲子園球場は盛り上がる。
二球目はどうくるか。
おそらく単純なストレートの力押しはない。あったとしたら、今度こそバックスクリーンに叩き込む。
二球目は、アウトロー。
見逃すとわずかに変化し、ボールとなった。
打ち損じを狙った球だが、そんなところでミスショットはしない。
今のがゾーン内であったら、スイングスピードでヒットにはしていただろう。
すると三球目はどうなるか。
アウトローのゾーンにストレートが決まった。
スイングはしなかった。どうせ打ってもファールになるタイミングだった。
これでストライク先行し、上杉も使える球が増えてくる。
だがある程度の狙い目は分かる。
チェンジアップがゾーンの下に落ちていった。
これも大介は振らず、カウントだけが進む。
遅い球に目を慣らさせた。
ならば最後はストレートでくる。
こちらがストレートを待っているであろうことは分かっているだろうが、それでもストレートを投げてくるだろう。
それが上杉というピッチャーだ。
全身を振り絞るように筋肉を収縮させ、そこから放たれるストレート。
打てる!
そう思ったストレートが、ホップしたように見えた。
バットに当たった打球は高く上がり、セカンドあたりのフライと見えたのが、最終的にはセンターが前にきて捕球した。
滞空時間の長いセンターフライで、二打席目の勝負も終わった。
柳本も意地を通した試合であった。
九回までを散発四安打二四球で一失点。
それに対して上杉も、ロースコアゲームにしては珍しく一点を取られた。
三打席目の大介がチェンジアップを引っ張りライト線上のスリーベースヒットを打った。
ここからグランドがMLBの意地を見せ付けて、外野フライを打つことに成功。
これで大介がタッチアップをして、一点を取ることに成功したのだ。
九回を終えて柳本は、リリーフ陣に後を託した。
そして上杉はオールスター前ということで、平然と12回までを一人で投げぬく。
結局はライガースもリリーフ陣が神奈川を抑え、この試合は1-1で決着した。
上杉が打たれたヒットはわずかに二本だが、それでも一点が入ることはあるのだ。
続く第二戦と第三戦は、ライガースはやや弱い先発で勝負することとなる。
去年はせっかくブレイクしかけていたのに、今年の開幕ローテからは外れた飛田に、高橋である。
ただ神奈川も今は、リリーフ陣の調子が良くない。
それが上杉が12回を完投してしまう理由になるのだが、上杉以外では大滝がさっさと成長してくれないと、完投能力のあるピッチャーはそうそういない。
飛田はそれなりに点を取られたが六回までを三点と、まさにクオリティスタート。
リリーフ陣が今季はかなりいいライガースは、打線の援護もあって、勝ち星をつけるのに成功する。
そして第三戦は高橋。
ベンチだけではなく観戦するファンも、どうにか五回までは投げてくれと祈るばかりである。
ただ第二戦で大介に打たれている神奈川は、この第三戦では大介から逃げていくピッチングが多い。
その大介は蚊帳の外で、両チームの打撃戦が行われた。
最後に勝ったのは、甘いところに外したボールをホームランにした大介である、
サヨナラホームランで勝ち星を上げたが、この勝ちは高橋にはつかなかった。
なにしろ13-12というスコアだったので仕方がない。
ライガースのリリーフ陣も、こう打撃戦となってくると、流れが悪くなって点を取られるのだ。
かくしてこの、大介の二年目のシーズンも、前半戦は終了した。
そしてオールスターがやってくる。
ファン投票では大介が、そして監督推薦では柳本が選ばれて、出場することになる。
現在トップを走っているチームから二人とは寂しい限りだが、金剛寺に真田がリタイヤ、そして山田も調子を落として辞退しているので、さすがに仕方がない。
別に今年の監督が去年優勝したライガースの島野だから、自軍のチームの選手を休ませたというわけではない。
黒田あたりはかなり今年もよくなっているが、まだオールスターには届かない。
好調のリリーフ陣は好調なだけに、逆に票が分散してしまった。
スタメンはともかく選出された選手の名前を見ていくと、大介と同年代の選手たちの名前が目だって出てくる。
通常の新陳代謝と同じように、新しい力が出てきているのだ。
「西片さん、ちゃんと出てくるのな」
投票も終わり、監督推薦に選手推薦も終わり、辞退と補欠で選手が決まる。
大介と同じか上の世代では、玉縄、福島、吉村、井口あたりが出てくる。
井口は層の厚いタイタンズから、しっかりとここまで15本もホームランを打って選出されたので立派である。
数年後には四番を打つのかもしれない。
パを見れば去年と同じく織田は出ているが、外野のポジションでは新人なのにアレクが選ばれていた。
さすがにパの打率で10傑に入っているだけはある。
それに新人としては後藤も選ばれていて、やはりあの年の大阪光陰は強かったのだと思わされる。
自分たちはともかく、よく武史たちは勝てたものである。
同期では上杉正也と島も出てきていて、なんだか同窓会の気分にでもなりそうだ。
むしろ大介にとっては、あのワールドカップを思い出すのだが。
この中に直史がいないのが、なんとなく不自然に感じる。
「あんた三振取られたら、ここでも奢る気ですか?」
出場できない真田は、ちょっと可哀想である。怪我さえなければ確実に選ばれていただろう。
「シーズン中でもない試合、別に打てなくてもいいしな」
とりあえず怪我だけはしてはいけない大介である。
面白いことにパの外野部門で、ほんの数試合だけ一軍に出た鬼塚に、そこそこの票が入っていたことだ。
まあ全く活躍しなかったというわけでもないのだが、やはりオールスターはお祭りだ。
「去年はそれなりに活躍して賞金狙っていったけど、今年はそれよりシーズン成績にこだわりたいからなあ」
オールスターをそのまま、今年は楽しむつもりの大介である。
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