第100話 乗り越える

 玉縄正則には、乗り越えなければいけないものが幾つかある。

 それはもちろん、大介もそうだ。こんな危険なバッターでも、ひたすら避けているわけにはいかない。

 だがそれよりも強く思うのは、真田である。


 最後の、高校生活最後の甲子園。

 神奈川湘南史上最強などと言われた、エースの自分と四番の実城。

 そして高校通算で何十本放り込んでいるか、もうはっきりとしない上位打線。

 その神奈川湘南を、無失点に抑えたのが、真田の甲子園デビュー戦であった。


 関東大会で戦った最強の相手が、最後の甲子園を終わらせた相手と戦った。

 そして勝利の決定打を放ったのが、白石大介である。

 結局大会は、漁夫の利のように春日山が優勝したが、あれもまた甲子園のマジックの一つなのだろう。


 白石大介と、真田真之が、同じチームにいる。

 そして対決するのは、甲子園球場。

 あちらは勝った方だからそこまで思っていないかもしれないが、玉縄にとっては因縁の相手だ。

(あいつもそう思ってるのかな)

 実城のことをふと思う。今年のパは、おそらく実城のいる福岡が上がってくる。

 そこまで辿り着くことは、ないのかもしれない。

 だが大切なのは、この二人に勝つということ。


 自分と、上杉と、チームと、ファンのため。

 なんだかんだ言っては、自分がこれから戦っていくため。

 玉縄はツーアウトから、大介を打席に迎える。




 二年前の新人王と、去年の新人王と、今年の新人王がそろった試合だ。

 大介にとって玉縄は、それなりにちゃんと勝負しにきてくれるのに、簡単には打ち崩せない好敵手だ。

 もっともそう思っているのは大介だけで、三割を打たれる玉縄は、普通に大介には負けていると思っているが。

(去年もプレイオフでは、あんまり打ててないしな)

 今年のシーズン中の成績は、どちらかと言うとやや打てていない。

 だが大介は、集中力で打力を上げてくる。


 初めて対戦したのは、二年の秋。

 向こうは初めて関東大会に進出してきて、しかも決勝まで勝ちあがって来た公立高校だった。

 佐藤直史が投げていて、それでも勝てた。

 あの頃の直史には体力がなく、途中で交代したからであるが。


 次に対戦したのは三年の春。

 陣容を増した白富東に、完全に封じられて負けた。

 残念だったのは甲子園では対決出来なかったことか。

 初戦で敗退した責任を取って、監督が辞めてしまったこともあって、神奈川湘南は急激に弱くなり、最近は甲子園に出て来れない。

 母校が弱くなるというのは、寂しいものがある。


 同世代には本多がいたが、それでも自分の方がピッチャーとしては上だと思っていた。

 実際にプロになってからの実績は、玉縄の方が上回っている。

 しかしそんな玉縄と実城がいても、白富東には負けたまま、高校野球は終わってしまった。


 最初から自分が投げていれば、関東大会は勝てたのか。

 ただ向こうは向こうで、上杉以来と言われる速球派一年が、化け物のようなピッチングをしていたが。

 160kmを投げられるようなやつが、どうしてそのままプロに来ないのか。

 一年の秋で、スタミナ切れまで神奈川湘南を抑えた長男も長男であるが、佐藤兄弟は本当に訳が分からない。


 今、プロの世界に佐藤兄弟はいない。

 戦うべきは、白石大介。

 そして投げ合う相手は真田であるのだ。




 打席に入った大介は、玉縄と呼吸を合わせる。

 この打席は、まだ打つのは難しい。

 玉縄の持っている、波のようなもの。

 それが静かで、全く乱れていない。


 玉縄のようなピッチャーは、一見すると本格派に見えるが、大介にとっては直史に近い。

 あとは対戦した中であると、タイタンズの荒川にも似ている。

 精密なコントロールと、動揺しない精神力。

 それを確実に叩くためには、色々と準備が必要なのだ。


 10球ほど粘って、全ての球種を見てからようやくアウト。

 なるほど、今日の調子はあれぐらいか。

 かなり仕上げてきている。ファーストステージでは登板していないので、疲れなどは溜まっていないらしい。


 二回、三回と、イニングは進む。

 真田も玉縄も単打は許すが、それを進ませることがない。

 パワーとテクニックを使って、存分に打ち取っていく。

 真田はシーズン中はあまり使わなかった、シンカーを時折混ぜてくる。


 高校時代、故障の原因と言われたシンカー。

 球数を厳密に守り、この舞台では使っていく。

 四回、先頭打者として二打席目の打席に立つ大介。

 正直玉縄は、このパターンを一番恐れていた。


 ランナーがいない状態で、甲子園球場で大介から逃げるということ。

 それはライガースファンをヒートアップさせて、スターズの選手を萎縮させかねない。

 情けない姿を見せてる時は、味方にも野次を飛ばすライガースファン。

 だがその熱量は間違いなく、日本で一番のものだ。


 外に二球外した後、外にいっぱい。

 これを打ちにいった大介だが、ツーシーム回転がかかっている。

 逃げているボールを打ったのだが、それでも低い弾道で三塁の頭を越えた。

 ツーベースヒットだが、ホームランを打たれなかっただけ、マシだと思うしかない。

 だが、続く金剛寺にタームリーを打たれる。


 大介は別格にしても、プロには自分より上手い選手が、いくらでもいる。

 金剛寺だって衰えてなお、自分よりまだ上にいるレジェンドだ。

 先制点を取られた玉縄だが、それを一点に抑えるほど、冷静にピッチングをしている。

 自分は上杉には及ばない。

 だがそれでも、野球はチームで勝つものなのだ。




 先取点をもらった真田は、より伸び伸びと投げるようになった。

 リードしている状態からは、バッテリーの選択出来る配球は多くなる。

 ホームランを打たれても一点だと、真田は開き直って投げる。

 どうせ次の打席あたりには、大介がそろそろ一本打ってくれる。


 神奈川の打線は、まだまだ再建途上である。

 正確に言うと上杉が入団してからこっち、打撃力が充分になったことはない。

 これなら自分が二年生だったときの、白富東の方が面倒だったなと感じる真田である。

 確かに大介がいないだけで、ほとんどの打線はレベルを落とす。


 だがそれでも、神奈川は若手を中心に、少しずつ全体のチーム力を上げていっている。

 それはフロントによる強化と言うよりは、チーム内の成長があるのだろう。

 しかし真田の見る限り、注意すべきバッターは三人ほど。

 四番に打率が二割ちょっとしかない外国人を置いていることが、神奈川というチームの限界だろう。


 ランナーは出したものの、その四番を打ち取って、五番にはキャッチャーの尾田。

 むしろこの尾田の方が、クラッチヒッター気味で注意するべき相手だ。

 右打者の尾田にとっては、スライダーは魔球ではない。

 だが真田は制限しながらも、シンカーを解禁している。


 初球はスライダーを投げて、外から一気に内に入ってくる変化で空振りを取った。

 バッターボックスの尾田は息を吐いて、次の球に集中する。

(ストレートで)

 頷いた真田が投げたストレートは伸びるが、かろうじて尾田は当てていく。

 真田の空振りが取れるストレートでも、尾田はしっかりと打ってきた。

(じゃあシンカーを)

 真田はシンカーを、二種類投げることが出来る。

 大きくどろんと沈むシンカーと、ツーシームと勘違いされがちな高速シンカー。

 このうちの高速シンカーが、肘に負担をかけるのだ。


 それでも、ここではこれを使う。

 ストレートとの軌道の差で、空振りを取る。

 頷いた真田は、セットポジションから足を上げる。




 ベンチの島本は、危ういと感じた。

 尾田を相手に三球勝負? 何をそんなにあせるのだ。

 真田の球数はまだそれほそ多くもないし、限界まで投げても頼れるリリーフ陣がいる。


 だがそこが、真田が昔ながらのピッチャー体質と言うべきなのか。

 先発完投してこそエースだと、真田は思っている。

 実際のところライガースは、リリーフ陣よりも真田の方が、防御率はいい。

 先発よりも防御率が悪いと問題なのが、リリーフ陣なのにだ。


 最後まで投げるつもりで、真田は組み立てている。

 だからここは単調になってしまったと言うべきなのか。


 尾田から見て外に逃げていくシンカー。

 だがストラークゾーンを通る軌道に、しっかりとバットを入れる。

 ジャストミートした打球は、ライト方向に伸びていく。

 こちらの方向はダメだ。スタンドまでは届かない。


 しかししっかりと右中間を破り、ランナーが帰ってきた。

 同点だ。

 ここでまた、勝負は振り出しに戻る。


 ライガースとしては、痛いところである。

 だが高卒ルーキーがここまで投げているというだけで、充分に怪物なのだ。

 それを証明するように、続くバッターは三振でしとめた。




 1-1の同点になってからも、ごくまれにヒットが出て、それをどう進めるかという勝負になった。

 玉縄は出来るだけ打たせて取ろうとして、真田は追い込んだら三振を狙う。

 ただピッチングスタイルの違いはあるが、どちらも投手戦に持ち込むだけの実力はあったのだ。


 大介がヒットを打って一点を奪えば、神奈川もスクイズなどを決めてくる。

 神奈川のバッターの成績は悪いが、それでもここまで勝てるのは、こういったセットプレイをしっかりとしているからだ。

 九回までを両者投げ抜き、どちらも120球を超えた。

 ここで両陣営は、リリーフでの継投作戦に出る。


 先発が引き締まった試合をすると、それがリリーフにも伝わるものである。

 特に神奈川は、先発ローテよりも、リリーフの方が優れているのではとさえ言われる。

 だがそのリリーフ陣も、大介との勝負は避けてきた。

 真田と玉縄、二人の新人王の前で、試合は引き分けで決着した。




 クライマックスシリーズファイナルステージは、シーズン優勝をしたチームに、一勝のアドバンテージがある。

 つまり残り三戦を残して、二勝一敗一分と、ライガースが有利な状況にある。

 去年も似た感じで、引き分けを二度重ねてライガースは勝利した。

 ちなみにこれが、二勝二敗三分の結果となった場合も、日本シリーズに進むのはライガースである。


 やはりシーズン優勝をしてアドバンテージを得ないと、ピッチャーを回転させる神奈川には苦しい。

 四戦目の先発は、ライガースは今年チーム最多先発の琴山であり、神奈川はやるかなと思っていた、中二日の上杉をやってきた。

 そんなに酷使して大丈夫なのかと、ライガース側からさえ思える。

 ファーストステージの第一試合で投げて、中三日でファイナルステージの初戦を投げる。

 そして中二日でまた登板である。

 しかも第一戦は延長に突入だ。


 ただライガースとしても、琴山の次をどうするかを決めかねていた。

 第四戦、琴山で上杉の相手は厳しいと思う。

 もちろん対決するのは上杉ではなく、神奈川の打線陣なのだが。

 それでも首脳陣は、負けた時のことを考えておかないといけない。


 山田は第一戦を九回まで投げているので、出来ればもう少し空けたい。

 ロバートソンに山倉をつなげていって、あとはリリーフ陣で封じるか。

 三勝三敗一分でも、日本シリーズに進むのはライガースになるのだ。

 日本シリーズの第一戦までは、四日間ある。


 とにかく、あと一勝すれば日本シリーズなのだ。

 それに柳本は、二試合目を投げたが早めに降板している。

 中二日でもいけそうな気はする。

 それに上杉も、いくらなんでも連投はないだろう。

 ただ一日休んだだけで、最終戦に投げてくるような無茶はやりかねない。


 そんな無茶をしたとして、どこまで回復しているのか。

 そもそも明日の試合を、上杉は万全で投げてこれるのか。

 ここまで来るとチームの力もであるが、首脳陣の判断力が問われる。

 神奈川としては第一戦、勝てたとは言え上杉に延長12回を完投させたのは無茶であった。


 シーズン中であれば、上杉は多少の無茶もする。そして結果を残す。

 たとせば一年目のように、シーズン終盤をクローザーとして機能したこともあった。

 だが先発完投で、くるくると回すのは無茶なのだ。


 神奈川首脳陣も分かっている。

 ここで無茶をさせて、上杉を壊しでもしたらどうなるか。

 球界史に無能な首脳陣として、悪名を残すことになるだろう。

 上杉を中一日などでは使わない。

 既に中二日で使うことを決めているが、もうこれで最後だ。

 あとは投手リレーで、どうにか勝ちを拾う。

 残り三戦を三勝か、二勝一分。

 苦しい展開だが、ここからが選手運用の仕事である。

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