第101話 孤高

 突出しすぎた選手が二人いることは、果たして幸福なのか。

 お互いに競い合うならば、いいことなのだろう。

 だがお互いが、対決する関係ならば。

 これも競い合う形の一つであるが、お互いがお互いの限界を、常に超越しようとしている。

 しかし構造的に、大介の方が圧倒的に有利である。


 そもそも上杉と違って、毎日試合に出られる野手。

 そして様々なピッチャーと対決する。

 もちろん上杉ほどのピッチャーは他にいないが、それでも経験値の蓄積は、自分の方が有利だと思う大介である。


 他にも制度的にもチーム力的にも、神奈川よりもライガースの方が圧倒的に有利である。

 神奈川がもし勝つとしたら、残りを全勝するつもりでいかないといけない。

 少なくとも今日の上杉で負けたら、それでもう終わりだ。


 上杉は回復しているように見える。

 今年29試合も先発で登板し、完投はもっとも多かった。

 そこそこ力のあるリリーフ陣だからこそ、下手に毎試合投げるのは負担が大きい。

 その上杉はプレイオフでも、既に三試合目。

 これで疲れを見せないのだから、まさに超人である。



 

 一回の表から、今年ライガースの先発陣で、一番多く試合を投げた琴山は失点した。

 もっとも投げたイニング数なら、完投の多かった柳本や真田の方が上であったりする。

(今日は負けかな)

 琴山がシーズン最後に投げてから、二週間以上経過している。

 それならもう疲労は抜けているはずなのだが、疲労と一緒にパワーも抜けてしまったのか。

 

 調整の難しさであるが、琴山は失敗していた。

 一つ引き分けたライガースは、あと一つ勝てば優勝が決定する。

 だからここで負けても、まだ致命傷ではないのだが。

(上杉さんがどれだけ投げてくるかと、上杉さんをどれだけ削るか、だな)

 個人としての勝負はともかく、チームを勝たせなくてはいけない。

 

 一失点の琴山は、どうにかその後は抑える。

 そして一回の裏になるのだが、どうも上杉は投球練習に力を入れていない。

 それでも160kmは軽く出るのが、上杉の恐ろしいところである。

(疲れては……いないかな?)

 ただペース配分は考えているようだ。

 つまり、中一日か連投で、もう一度投げてくる可能性さえある。


 引き分けが一つあったため、この試合で勝ったら、もう日本シリーズ行きは決定する。

 引導を渡さないと、上杉は壊れるまで投げかねない。


 チーム力が違うと大介は思っているが、それはある意味間違いである。ある意味では正しいが。

 上杉は周囲の人間にまで限界以上の力を出させるため、神奈川は今年も主力級が途中で抜けたりした。

 それぐらいしなければ勝てないほど、まだ神奈川は選手が揃っていない。

 ただライガースも大介が来るまでは、世代交代が上手くいっていなかった。


 元々あったのものがようやく出てきたのと、限界以上の力を出させているのは、全く別の問題だ。

 ライガースは故障がちな野手と、衰えたリリーフ陣がいなくなった。

 大介の同期の山倉や、一個下では真田など、先発陣が厚みを増している。


 実は二軍の方も成績は好調で、今年の二位で取った大卒野手が、後半になるとかなり打っているらしい。

 あとは真田の戦友である毛利も、かなり二軍レベルなら対応しているそうな。

 ただそういった選手を、せっかくリーグ優勝を決めた後の試合で、試さないところがライガースの悪いところである。

 もっとも今年は大介の成績が最後までもつれこんだので、下手に選手を代えられないという事情はあった。




 上杉は志龍と石井を打ち取ったが、いつもの球威はない。

 それでも150km台後半は軽く出しているので、いかに規格外かは分かる。

 ツーアウトから打席に入って大介は、まずは様子を見る。

(160km、俺になら投げてくるだろ)

 そう思ったところへ、大気を切り裂くストレートが、キャッチャーのミットに収まった。

 思わず速度表示を見れば。170kmが出ている。

(俺だけは特別扱いか)

 面白くなってきた大介である。


 二球目のチェンジアップにも、大介は反応しない。

 これでワンボールワンストライク。

 単に打つだけなら今のでも打てたし、上杉は打ってこないと読んでいたのだろう。


 次は、ストライクを取りに来る。

 奇策など使わずに、正面から。

 上杉の体軸を捉えて、その軸とボールの位置だけを見る。

 投げられた瞬間に、大介は力を抜いていた。

 ツーシームが思ったよりも曲がって、少し外に決まった。

 普段の大介は、これをストライクと取られてしまうところが、上杉相手だと審判も中立になるのか。


 ボール球が先行した。

 どうやら今日の上杉は、なりふり構わずに来るようだ。

 普通のピッチャーのようなコンビネーションを使ってくる。

(あのスピードで曲がるっておかしいだろ)

 それを見切った大介も、たいがい以上におかしい。


 次こそカウントを並行にするため、ゾーンに入れてくるだろう。

 しかしそう思った球が、遅い。

 チェンジアップが、ゾーンの下に落ちた。


 ボール先行。

 一球は際どい球でも、見逃すことが出来る。

 それにしても、上杉らしくないと言うか。

 初球で170kmを出しているので、故障とかではないのだろうが。

(ストレートをいつ使うんだ?)

 ボール球なら振らない。


 五球目。これも遅い。

 そしてゾーンからゾーンに落ちるチェンジアップ。

 大介は冷めた頭で、その打球を打った。

 上杉の頭上を越えた打球は、そのままセンターの頭を越えても失速しない。

 ゴン! コーンという音がして、バックスクリーン直撃のライナーホームランであった。


 上杉も色々と考えはしたのだろう。

 だがそういったことは、他のピッチャーがすべきだ。

 上杉には相応しくない。


 ガッツポーズすらせずに、大介はベースを一周した。




 ここは勝負の世界だ。

 上杉だって負けることはある。大介相手に、手抜きは出来ない。

 とりあえずホームラン王の一発で、試合をタイに戻した。


 二回、神奈川のランナーを出すも、どうにか琴山は無失点。

 対して上杉は、打たせて取るピッチングをしている。

 甘く見ているのかとも思ったが、新しいスタイルを模索しているのか。

 この勝負のかかった、本番の舞台で。

 だがそうでもしないと、勝てないというのも確かだろう。


 三回まで毎回ランナーを出した琴山だが、それでも失点は初回のみ。

 そして上杉もホームランこそ打たれたものの、打たせて取るというピッチングを、まさに展開している。

 しかし四回、また試合は動く。

 粘り強いピッチングを続ける琴山だが、フォアボールから連打を浴びてまたも失点。


 せっかく同点においついたのだから、なんとか粘ってほしいとはベンチの考え。

 だがその中でも島本は、無理な可能性を考えていた。

(去年から先発ローテに復活して、今年は唯一全く休んでなかったからな)

 先発数23は、ローテ投手の中でトップである。

 何日間の休養があったと言うよりは、今年はもう限界で、一ヶ月ぐらいは休まなければならなかったのでは、と思うのだ。


 そしてどうにか一点で抑えて、四回の裏の先頭は大介である。

 第一打席はホームランを打たれたものの、その後はエラーによるランナーが一人と、ペース配分をしながら投げている上杉である。

 この試合に勝っても、次の試合で負けたら、一つ引き分けがあるので、ライガースの日本シリーズ進出は決まる。

 神奈川としては、もう一つも落とせないのだ。

 いざとなれば、クローザーで連投。

 あるいはロングリリーフで連投というぐらいの覚悟を、上杉はしている。

 だがそれも、全てはこの試合に勝ってからの話だ。




 大介と上杉との勝負を、どちらが勝っているというのか。

 これは当人同士の意思が、結果的にはどちらの勝ちかを決める。

 ルーキーイヤーの大介は、シーズン中に上杉からホームランを打っている。

 他のバッターの対戦成績を見れば、唯一上杉とまともに勝負出来た選手と言ってもいい。

 だが試合の趨勢までもが勝負から決まるものとしては、勝ったとは断言しがたい。


 プレイオフでの対戦は、完全に上杉に抑えこまれたと見えなくはない。

 だが上杉を消耗させ、無理な連投をさせなかったという点では、日本シリーズに進んだライガースの勝ちである。

 今年の数字は上杉有利であるが、シーズン中三本しか打たれていないホームランのうちの一つが、大介のものである。

 またプレイオフの第一戦は、単純に塁に出た回数で言えば、五打数の二安打の四割だ。


 この試合も第一打席は、大介のホームランが出た。

 だが明らかに上杉は、先制点をもらったことで、集中力を欠いていた。

(それでも他のバッターは抑えるってのが、本当にバケモン……)

 もう一方の化け物は、バットを高く立てるフォーム。


 上杉相手にヒットを打とうと思うなら、バットは寝かせ気味にした方がいい。

 腰の回転で速度を合わせて、コーンと打てばヒットにはなる。

 だが上杉のストレートに対応すると共に、変化球をホームランにしてしまうには、バットの位置エネルギーも必要になる。


 おそらく高めに外れるボール球のストレートは、上杉の場合はホップ成分が多すぎて打てない。

 しかし先頭打者として、ヒットは打って次にはつなげる。

 そしてあわよくばホームランを打つ。

 贅沢すぎる願いを全てかなえるため、大介はバットを立てる。




 少しでも気を抜けば、ホームランを打たれる。

 そんなバッターが、目の前にいる。

 小手先の技は、ある程度は通用する。

 しかしそれも、あくまでの目くらましにするべきだ。


 空気を割るようなホームランを打つのを、何本も見てきた。

 こいつを封じなければ、チームの優勝はない。

 上杉は、大きく振りかぶって投げる。


 爆発力のある肉体が、足の踏み込みで体重を移す。

 そのパワーを指先からボールへつなげる。

 この日一番のスピードボールを、大介は空振り。

 171kmの、インハイへのストレートである。


 特別扱いだな、と大介は息を吐く。

 そしてまた、同じように構える。

 ヒットを打つことは頭の中から消え、ホームランだけを狙っていく。

 四打席で三本のヒットを打つより、四打席で一本のホームランを打った方が、上杉相手には得点率は必ず高くなる。

 ランナーがいない状況では、本当ならヒットででて後続に期待するところだが、上杉相手に普通の考えでは勝てない。


 大介がランナーに出ても、一試合目は勝てなかった。

 その状態からでは、上杉はギアを上げて後続を断つからだ。

 上杉相手には、とことん傲慢になれ。

 打つのは自分だけだ。打てるのは自分だけだ。

 だからホームラン以外はいらない。


 二球目、アウトローは見逃し。ボールのコール。

(確かに外れてたけど、本当に見えてるのかこの人)

 正直審判には期待していない。

 キャッチャーの尾田は外角の球を、外から被せるようにしてビタリと止める。

 ボール半分ほど、ストライクゾーンを広くしているだろう。


 三球目はアウトローの、わずかに入っているストレート。

 これがまた170kmを記録した。

 打ってもファールにしかならないと思って見逃したが、当てていった方が良かっただろうか。

 いや、迷うな。

 振らなかったという過去は変わらない。


 ツーストライクになったので、もう振っていくしかない。

 まさかへろへろカーブを投げてきても、今の大介なら対応出来る。

 手元で動かしてきても、そのささやかな動きごと、スイングで消してホームランにしてしまえる。

(来るかな)

 最初の打席は、下手に抜くことを考えて打たれた。

 キャッチャーからのサインに首を振って、上杉は次の球を知らせてくれる。


 ストレートだ。

 世界最速のストレートで、三振を取りにくる。


 きりきりとタメを作った上杉の肉体から、全てのパワーが指先を伝わってボールに込められる。

 最後は弾くように。ボールが速すぎて、白い線にしか見えない。

 大介の目には映る。

 そしてスイングも、タイミングは合っている。

 合っていないのは軌道だ。


 空振りしたボールは、インハイのボール球。

 初球と同じ速度だが、より目に近いコース。

 だからこそゾーンとボールの、見極めが出来なかった。

 速すぎる。ほとんど直感で、リリースの瞬間に合わせるしかない。

 だが今の球は、明らかに浮いてきた。

 もちろん実際に浮くはずはないので、より地面と並行に近くなったと言うべきか。




 ともあれこれで、本日の対決は一勝一敗。

 金剛寺とグラントも倒れて、ライガースは琴山を降ろして、リリーフ陣でスターズ打線に対抗する。

 今年の琴山は、しっかりと働いてくれた。

 残りはどうにか、他のピッチャーで戦う。


 リリーフ陣も分かっている。

 この試合、勝てればもちろん問題ないが、負けなくて引き分けなら、ほぼ日本シリーズ進出は決まる。

 集中した上杉から点を取るのは難しいが、大介相手にはかなりの力を消耗しているはずだ。

 あとは抑えて、どうにか一点を取って、引き分けに持ち込む。

 あるいはそれすら不可能でも、上杉に長いイニングを投げさせて、そのスタミナを削る。


 上杉を休ませない。

 ライガースは打線もピッチャーも全てをかけて、上杉を削る。

 ラスボスに挑むパーティのようであるが、それだけの選手なことは間違いない。

(あと一回は、確実に回る。一人でも出れば、あと二回)

 その時の状況次第だが、一点を返せば、試合の天秤は平行になり、それはライガースにとっての有利となる。


 打つ。そして勝つ。

 上杉の投げる第四試合は、まだまだ終わらない。

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