第102話 憧憬
結局のところ、ライガースがスターズに勝っても、上杉に勝ったとは言えないのだろう。
2-1のスコアから追いつくための方法を考えていて、ライガースの監督島野はそう思う。
上杉に勝ったと言えるのは、大介だけだろう。
日本シリーズに進んで、チームが日本一になっても、日本で一番のピッチャーが、上杉であることに異論が出るはずもない。
しかしそんな上杉が、唯一本気で挑むのが大介である。
島野は、いや、全ての野球ファンは今、奇跡を見ている。
現在進行形で生まれている、伝説だ。
上杉勝也と、白石大介。
おそらくは史上最強の、ピッチャーとバッター。
二人はまだ若く、これからも多くの対決をしていくだろう。
あるいは一方は、MLBに行ってしまうかもしれない。だがそこで、今度こそ日本のスラッガーとして、あるいはエースとして、活躍するはずだ。
二人は世界一のピッチャーとバッターであると、認められるだろう。
その二人の勝負を、見ることが出来る。
それは確かに幸せなことであるが、島野が考えることは、この試合に勝つことだけである。
上杉が投げるという時点で、半ばは諦めていた。
だが試合に勝つことは諦めても、日本シリーズに進むことは諦めない。
この試合に負けても、残り二試合のうちのどちらかを勝てば、それで日本シリーズに進める。
そのためにも上杉の体力を削って、残りの二試合にクローザーなどで出て来れないようにしておきたい。
上杉は、既に背負いすぎている。
大介は主砲であるが、四番ですらない。
エースとしてチームを、ファンを、そして己の誇りをも背負っている。
それだけのものを装備しているから堅いのかもしれないが、同時に重くもある。
孫悟空のような身軽な大介に、負けるとしたらそのあたりか。
大介は自由だ。
グラウンドの中で、まるで遊ぶように、走って、打って、投げる。
その姿はまさに、野球の原点とも言えるものだろう。
単純に実力も傑出しているが、それ以上に楽しそうに野球をする。
自分の場所を、大介は得ている。
リリーフでつなぐライガースと、上杉が投げ続けるスターズ。
わずかに膠着しかけるが、七回には大介の打順が回ってくる。
ノーアウトで、この回の先頭打者。
また大介は、ホームラン以外を選ばなくていい。
抜いて投げても160kmを投げる上杉は、ムービング系のボールを使って、球数を抑えるようにしてきた。
それを神奈川の守備が必死で守り、結局またここまでは無安打。
今日の上杉のピッチング内容なら、もう一人ぐらいは出塁するような気もする。
だが確実なのは、大介が打っておくこと。
それに上杉は大介に対してだけは、全力投球をしてくる。
だからこそ打つことが出来たら、ダメージは大きい。
終盤の七回に入っても、また大介には170kmを投げてきた。
やはりインハイの170kmだと、ほとんどボールが見えない。
勘で打つしか、攻略法はないのか。
基本的にバッターというのは、自分の目から近い、内角の方が打ちやすい。
だが上杉ほどになると、目から近いと距離が上手く測れない。
外は外でスイングがずれて打ちにくかったりもするのだが、大介的にはアウトローが一番打ちやすい。
上杉のストレートに限っては、の話である。
インハイのボールを二球続けて、早くも追い込む。
そしてチェンジアップを外に投げて外す。
またアウトローにストレートを外す。
これで目は外に向けた。
内角に投げてくる。それは分かる。
だが高低が分からない。
インローの地を這うようなボールを投げてくるかもしれないし、危険球に感じるようなインハイに投げてくるかもしれない。
五球目、勝負の球。
(低い!)
そう思ったが、体は反応した。
低く見えたボールは、ぎりぎりで入っている。
バットに当たった打球は、ライトのファールフェンスに激突した。
外に目をつけさせたが、これで次はどう来る?
そう思った大介に投げられたのは、真ん中高めのストレート。
本来ならホームランに出来るボールの、下をこすっただけのファールボール。
勝負がつかない。
大介はボックスを外した。
大きく息を吐いて、数度バットを振る。
スイングの軌道は、間違ってないようだ。
だが純粋に、上杉のボールが変化したのか。
次のストレートも、170kmで後ろに飛ばしてしまった。
速い球が続いている。
タイミングをそれに合わせてしまっているが、ここでチェンジアップが投げられたらどうなるのか。
(チェンジアップなら打てる)
確信がある。
そこへ投げられるチェンジアップ。
外に外れている。
フルカウントになった。
ここで上杉が選択するのは、ストレートであろう。
どこに投げてくるのか。インハイだと、またカットしてしのぐのが精一杯になるか。
投げられたそれは――カットボール!?
叩いた打球は、右方向のファールグラウンドへ跳ねていく。
大丈夫だ。ムービング系にはカットで対処出来る。
ここから何を投げてくるのか。
投げる球がない。
それは上杉にとって生まれて初めての経験だった。
何を投げても、空振りが取れない。
かといって単純にストレートを投げても、やはり空振りが取れない。
たっぷりと息を吸い、吐く。
前進の筋肉に酸素を行き渡らせて、より爆発力を高める。
何を投げても打たれるなら、今までに投げたことのない速度で、ストレートを投げるしかない。
もちろんそれがどれだけ危険なことかは、分かっているつもりだ。
筋肉の爆発力に、骨や靭帯、腱が耐えられるかどうか。
「タイム」
タイムをかけて上杉は、マウンド上でぐいぐいと体を動かし始める。
上杉らしくない、このパフォーマンスとも思える仕草だが、本人が真剣である。
全身の駆動域を、限界まで伸びるようにしておかなければいけない。
去年、大介と対戦した後、体のあちこちに痛みが出た。
それから鍛えなおして、170kmを投げても大事のないようにはなったが、これから投げるボールはさらにそれより上を目指す。
大介もそれを感じ取った。
上杉は、本当の本当に、本気でくる。
自身も打席を外して、全身の脱力を確認する。
スイングスピードと、ミートの瞬間のパワー。
この打席で決める。
上杉が、限界を超えようとしている。
既に人間を超越したようなピッチャーが、さらに限界を超えるというのはどういうことなのか。
キャッチャーである尾田としては、出来ればコンビネーションで打ち取りたかった。
さらに言えば敬遠してしまえば、他のバッターを打ち取ってそれで済む。
だが、力を持って生まれた者の宿命か。
上杉は勝負しなければいけない。たとえ相手が、打者四冠を達成しているような化け物でも。
上杉もまた、投手五冠を達成しているのだから。
この日の最後になるかもしれない対決。
上杉のストレートが、脱力のフォームから一気に加速して放たれる。
巨大な砲撃のような、白い点。
キャッチングすることだって、難しいのだ。
大介は振った。
しかしボールは、スイングよりも早く、ミットの中に収まった。
バッターボックスの中で一回転するほど、大介のスイングスピードも速かった。
だが上杉がそれを上回った。
電光表示板に表れる、球速表示。
「嘘だろ……」
尾田が思わず洩らしたのも無理はない。
これまでの最速171kmを一気に更新する、173km。
試合後に測定機のチェックは行われたことは言うまでもない。
人間はその身体の構造上、最速でも177kmまでしかストレートは投げられないらしい。
もっとも現在の人間の、100m走のタイムは、30年前には不可能と思われていたものらしいが。
上杉はその、肉体としての限界へ、また一歩近付いたようである。
空振り三振した大介も、変な笑いを浮かべて頭を振る。
完敗だ。少なくとも、今の打席は完敗だった。
最初に打ったホームランなど消し去る、圧倒的な上杉のパワー。
そのスピードは、どこまで上がっていくのだろう。
確実に言えることは、大介がいなければ、上杉もここまで圧倒的な存在にならなかったことだ。
もっと強くなろう。
大介は負けたが、折れてはいない。
自分のバッティングの目指すその先に、上杉に勝つ未来がある。
まだまだ自分も、成長出来る。
これからが、自分の野球人生の本格化だ。
試合はこの後、神奈川が一点を追加したこともあり、上杉が降板した。
ここで降ろすということは、まだもう一試合使うであろうということだ。
それにさすがの上杉でも、大介との対決は消耗が大きすぎたか。
神奈川もリリーフ陣はそれなりに優れている。
特にクローザーを務めるのは、上杉と同期で入団した峠。
昨年の途中からリリーフ陣の中ではエース扱いとなり、特に今年はセーブ王のタイトルに輝いている。
中継ぎ以外の投手の部門を独占していれば、それは神奈川も強いというものだ。
結局3-1で、神奈川が勝利。
アドバンテージを含めると、二勝二敗の一分で、ほぼ五分の成績となる。
だが勝敗数が同じなら、シーズン一位のライガースが日本シリーズ進出である。
一試合勝てば、それで決まる。
なので状況は、まだライガースに有利である。
しかし去年は上杉の投げた試合で、柳本が気迫の引き分けに持ち込んだが、今年は上杉が勝ち星を上げている。
上杉の影響力が、さらに巨大になっているということか。
ライガースとしても、有利とは言われていても、全く油断は出来ない。
しかしスターズは、計算して勝てそうなピッチャーが、もう藍本ぐらいしかいない。
スターズの第五戦、先発はその藍本。
ライガースは第一戦で先発した山田を持って来る。
結局のところ、ライガースは去年よりも増した、チーム力で勝ったと言っていい。
藍本もいいピッチャーであるのだが、山田はそれよりもさらにいいピッチャーだ。
同じ大卒ピッチャーではあるが、藍本はドラフト二位、山田は育成出身と、プロでのスタートには明らかに差があった。
しかし四年目、その力と評価は逆転している。
あとは打線の援護であろう。
ライガースが着実にベテランと若手の力を上手く組み合わせ、外国人選手の獲得にも成功しているのに対し、神奈川は補強が少ない。
ドラフトでは割といい選手を取ってくるのだが、プロで通用するまでには時間がかかる。
即戦力が欲しいというのに、高卒などを多く取ってきたりもする。
スターズもライガースも、一人の選手の影響を多く受けた。
だがスターズの場合は上杉のカリスマ性が大きかったのに対し、ライガースの大介の影響は、練習やトレーニングのやり方の伝播だ。
精神的に勝とうという執念も、もちろん大事である。
だが根本的な実力が上積みされていなければ、精神論でどうにかなる限界はあるだろう。
藍本からライガースが先制点を挙げて、スターズが追う立場となった。
山田もこの日は中三日で完調ではない。だがそれなりのピッチングでも、試合を崩さない。
そして六回までを投げて、あとはリリーフに託す。
スターズはかなりその貧打の打線の中で頑張ったのだが、それでも限界であった。
最終的なスコアは4-3で、ライガースが勝利した。
常にリードを保ち、リリーフで上杉などという展開にしなかったのが勝因であろう。
この中で大介は三打数の二安打で二打点と、まさに決勝点を上げるような活躍を見せたのであった。
歩かせれば盗塁されて得点圏。
打たせれば半分の確率で長打。
こんなものをどうやって抑えるのか、という話である。
このファイナルステージ、大介は17打数の11安打で3ホームランの9打点。
打率0.471の出塁率0.609にOPSは1.785という、ほとんど異次元の活躍であったシーズン中を、さらに上回る数字を残した。
さらに盗塁を三つも決めているのが、恐ろしいところである。
対してピッチャーの方は、柳本が大量得点差の先発で一勝を上げたが、他の試合は先発に勝ちはつかなかった。
かくしてライガースは、二年連続で、日本シリーズの舞台に立つことになったのである。
×××
群雄伝、投下しています。
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