第149話 粉砕
三連戦の一試合目は引き分けで、まだ二ゲーム差のまま第二戦へ。
ライガースの先発は琴山であるのに対し、神奈川は上杉。
はっきり言って試合自体は、既に神奈川が勝ったような雰囲気がある。
だが問題はもうそこにはない。
上杉が投げるのだ。
上杉ならば大介から、逃げる理由などはない。
夏場ということもあって、中四日ではなく中五日で登板間隔を空けている。
他のピッチャーならばともかく、上杉ならば大介から逃げる必要はない。
また大介が現在更新し続けている記録を終わらせるのも、上杉しかいないであろう。
大介の更新し続けている記録。
それは地味ではあるが、とんでもない記録だ。
連続試合出塁記録である。
上杉との対決で捻挫し、その治療のために一度は途切れた。
だがその復帰戦からずっと、ヒットか四球かで出塁していて、それがもう108試合連続。
つまり一試合に一度以上はランナーに出た試合が、108試合連続で続いているのである。
50本塁打も、100本塁打も、150本塁打も、全て最速で達成していた。
またこれら以外の記録もほとんどは、最速最年少で達成している。
バッターとしての能力は他者に隔絶している。まるで他に相手になる者はいない。
だがピッチャーならば別だ。
ピッチャーとしてバッターの大介に対して、上杉が戦うことは出来る。
時代を代表する名勝負というのは、一人だけでは成立しない。
ホームラン競争なども、二人以上でやればこそ白熱するのであって、一人だけで記録を出し続けるのは、確かに偉大ではあるが孤独なことなのだ。
数々の記録を残してきた、歴史上の偉大な選手たち。
野球に限らず他の競技でも、どれだけの選手がレジェンドと呼ばれてきたことか。
上杉の勝利記録は、史上最も速い登板数で更新されていっている。
過去の偉大なピッチャーは、時代が違うといえばそれまでであるが、リリーフや抑えにも回っていたため、勝利数が30勝を超えていたりした。
上杉でも先発のみでは、30勝前後が限界なのだ。
だが、このまま40歳までパフォーマンスを落とさずに投げ続ければ、400勝に届くかもしれない。
さすがにMLBの記録は、ピッチャーの運用もあってありえないことであるが。
MLBの偉大なピッチャーは、NPBよりも選手寿命が長いことが多い。
それがなぜなのかと分析する中には、日本の野球がそもそも、成長しきる前から鍛えすぎという意見もあるのだ。
体を作るために運動をしてエネルギーを消費しても、それを上回る量の食事を、消化吸収する肉体。
それがなければトレーニングは、むしろ肉体から筋肉や骨などを消費することになる。
MLBの選手はおおよそNPBよりもデビューは遅い。
だが本当に偉大な記録を残す選手は、NPBよりも長く40代でも成績を残しているのだ。
日本にも50歳で現役だったピッチャーがいないわけではないが。
二人の対決は、お互いの命を削りあうようなものだ。
これがピッチャーのハーラーダービーの競争や、バッターのホームランダービーの競争なら、むしろ二人の力は相乗効果で上がっていったかもしれない。
だがピッチャーとバッターとして戦えば、必ずどちらかが負ける。
今年にしても大介は、上杉のボールを打って手首を捻挫することになった。
プロ入り一年目も、上杉との対決の後で調子を崩した。
逆に上杉も大介との対決の後、ローテを飛ばしてもらったりもした。
また上杉の先発数の異常な短いスパンも、チームが勝つためというのもあるが、大介との対決が問題なのだろう。
ライガースを破って日本シリーズに進むには、ペナントレースを制しなければいけない。
そのためには上杉が投げまくって、どんどんと勝ち星と貯金を作っていかなければいけないのだ。
もちろん他のピッチャーも頑張ってはいる。
だが上杉を超えるほどの貢献は、どの選手も果たしていない。
一人のエースの影響力が、あまりにも強すぎる。
大介にしても成績はチーム内で圧倒しているが、金剛寺のようなベテランレジェンドもいれば、一年目は過去の強いライガースを支えた選手もいた。
今でも後輩に真田のような、エースと言える選手がいる。
神奈川は上杉の後輩で主戦力となっているのは玉縄ぐらいで、期待されていた大滝も何度かは一軍のローテに入っているのだが、まだ固定化されてはいない。
彼の場合は体の縦はもう出来ているが、横幅がまだ足りないのか。
プロで一年を戦うには完成していない。
一回の表、神奈川の攻撃はツーアウトから三番の芥が出塁し、四番堀越のヒットで一点を先取。
一点あれば上杉ならばどうにかしてしまえるが、それはあくまでも点を取られないことに特化した場合だけ。
大介と勝負したら、一試合に一点ぐらい取られることは覚悟しなければいけない。
それに大介以外でも、抜いた球を投げて打たれるということは普通にある。
上杉はもう絶滅寸前の、先発完投型のエースだ。
力を抜いても下位打線なら抑えられるのだが、その抜き方次第では打たれることもある。
それでも中六日なら充分に回復するのだが、中四日や中五日が勝ち星を重ねていくためには、抜いて投げる試合が必要なのだ。
だが、ライガース相手にはそうもいかない。
特に今日は、絶対に大介から三振を奪って、一本も打たせない。
一回の裏、ツーアウトからその大介の打順が回ってくる。
一番二番を内野ゴロでしとめた上杉は、間違いなく抜いて投げていた。
ネクストバッターサークルから見ていた大介には、はっきりと分かる。
大介との勝負のためだけに、体力を温存している。
軽く投げても160kmを投げられるのだから、手元で曲げればそれで打ち取れるのだ。
人間と言うよりは、生物としての基本性能の違いを感じる。
それは大介も同じレベルの存在であるのだが。
大歓声が球場を揺らす。
ここのところもう、ずっと満員御礼が続いている甲子園は、応援旗があちこちで振られて、名前を呼ぶ絶叫が渾然とした大気の鳴動に乗り込まれる。
ダースベイダーのテーマが、耳の奥から聞こえてくる。
ここは高校野球の舞台ではないのに、残暑の熱気がグラウンドの上を覆っている。
バッターボックスに入った大介は、上杉を見る。
マウンドに立つ上杉は、まさに王。
全てを睥睨する視線には、しかしながら傲慢も油断もない。
巨大な肉体の中のパワーを、一気に吐き出すことを待っている。
上杉にとっても、大介は唯一無二の好敵手だ。
本気で投げた球をホームランにされたのは、それこそシニアの一年生の頃だったか。
高校三年間、打たれたホームランは0で、完投すればほとんどが完封。
ノーヒットノーランもいくつの試合で達成してきたことか、
エースが今、マウンドに立っている。
そのボールは打たれない。
初球は、おかしなボールだった。
(変化球?)
集中してボールの回転を見るが、いつもよりも少ない回転。
ベースの手前で、ストライクからストライクへと落ちた。
(スプリット? チェンジアップとはちょっと違うような)
上杉は基本的に、手首をひねったり指先でこすったりする系統の変化球は、あまり投げられない。
だから握りから抜くチェンジアップのほかは、ムービング系のボールだけだったのだ。
それがここにきて、スプリット。
驚くべきはそんな変化球でも、152kmが出ているということ。
(スプリットも抜く球だから、投げられないことはないってことか。でも肘に負担がかかったりするんじゃないか?)
その通りである。身につけたスプリットであるが、肘への負担は大きい。
だから大介との対戦のためだけの武器だ。
それにしてもスプリットでも平気で150kmオーバーが出てくるところが、やはり上杉なのである。
(う~ん、これはちょっとこの打席では無理かなあ)
二球目はツーシームがアウトローに決まった。
剛速球のくせにコントロールもいいのが、まさに上杉的なスペックなのだ。
三球勝負をしてくるかどうか。
大介は、どちらもありうると考える。
力と力の勝負で投げてくるか、あるいは変化するボールで翻弄するか。
上杉の性格的には、もちろん真っ向勝負が好きなのだろうが。
どちらに賭ける?
いや、どちらであっても、そう簡単に打てるものではないのだが。
三球目はリリースの瞬間から、アウトローだと分かった。
入るかどうか微妙なコースだが、このコースは上杉だとストライクになるのだ。
だが判別はしたものの、そこから反応するのはもう遅い。
大介はそのまま見送り、審判がストライクのコールをした。
まず第一打席は、上杉の勝利に見えた。
実際のところは、まず狙いを定めただけなのであるが。
上杉は手を抜きつつも、ランナーが出たら一段階ギアを上げる。
それによって結局は、点にも結びつかない。
対して神奈川の打線は、確実にチャンスで打ってくる。
四回の裏、ライガース大江の打った球が、わずかに内野を越えた。
ワンナウト一塁で、二度目の大介の打順である。
(こりゃ下手すりゃ三打席コースだな)
上杉の出すランナーが二人までなら、大介には四打席目が回ってこない。
ホームランを増やすためには、いっそのこと三番から二番に打順を変えた方がいいのかもしれないが、それを考えるのは首脳陣である。
スコアは2-0で、神奈川が有利。
だがここでホームランが出たら、一気に同点だ。
それでもまだ、神奈川の方が有利であろうが。
バッターボックスに入った大介は、上杉の存在にのみ集中する。
打つことだけを考える機械になる。
チーム事情や試合全体の流れ、ペナントレースの残りなど、全てのことを頭から追い出す。
ただ、打つだけ。
そのためだけの存在になるのだ。
一打席目はコントロールで見逃し三振を取った上杉だが、ここで勝負するのは事情が全く違う。
ホームランを打てば、同点に追いつかれるのだ。
大介がそのために、打つことだけに集中しているのは、はっきりと気配で分かる。
殺気にも近いこの感覚は、上杉にははっきりと分かる。
上杉もここまで投げて、ようやく肩が暖まってきた。
初球からいく。
173kmのボールを、大介は空振りした。
思ったよりもずっと速い、そして軌道もホップ成分が大きい。
打席を外して、大きく息を吐く。
打てるはずだ。そのイメージがある。
二球目からも、全力の球が来る。
分かっているのだから、打てるはずだ。
打つ。
ただ打つためだけに、魂を燃やせ。
この球場は闘技場。
そしてこの戦いは、何かの儀式。
100%以上の力でもって、ボールを振り切る。
二球目のボールは、インハイ。
最も球速を速く感じるコースであるが、大介は見切っている。
バットを叩きつけたと同時に、手の中が軽くなる。
粉砕されたバットはファーストの方向に転がり、打球は上杉の頭の上を通り過ぎる。
手の中の痺れが大きい。
大介のバットは、頑丈さでは定評のある、ヒッコリーのバットだ。
昨今はもう使われていない素材であるのに、あえて大介はこれを注文した。
折れるはずのない素材のバット。
これまでの勤続疲労もあったのだろうが、はっきりと折れたしまった。
打球は後退したセンターがキャッチ。
この対戦を見守っていた観衆の中から、大きな溜め息が洩れた。
二打席めも上杉の勝利であるが、これは大介が負けたというよりは、大介のバットが負けたと判断するべきか。
折れないはずのバットを折ってしまう、上杉の剛球。
ひょっとしたら金属バットでも、割れるぐらいのことはあるのかもしれない。
折れたバットをもらって引き上げてきた大介は、釈然としない顔をしていた。
上杉のスピンのかかったボールは、重いわけではないのだ。
それがバットを折ってしまったというのは、大介のミートが下手くそだったということだ。
「おい、手は大丈夫なんか」
島野に問われた大介であるが、それは問題ない。
ひたすらバットを折られてしまったのがショックなのだ。
それでもスタンドまで持っていけたら、まだしも勝ったと言えるのだが。
今日の上杉の調子なら、下手すればあと一打席。
その最後の打席に向けて、大介は予備のバットを取り出した。
手に馴染むように、ある程度は二本のバットを交互に使っている。
だがしっかりと手に馴染ませたのは、あちらのバットのはずだったのだが。
「絶対に打つ」
口にすることによって、はっきりと目標を持つ。
あと一打席は確実に回ってくるのだ。
ホームラン記録の更新なるか。
期待される大介であるが、本人はもう完全に、そのことは頭から抜けているのであった
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