第263話 力と力

 大介が認めているピッチャーは、極論すれば上杉と直史の二人だけである。

 そのうちの直史に関しては、自分とは違う野球をやっている、と感じている。

 自分と完全に同じ価値観、正面からの真っ向勝負を挑むのは、上杉だけなのだ。

 なんだかんだ言って武史は、勝負を上手く避けていく。

 樋口のリードもあるが、負けてもなんだか、上手くいなされたような感じしかしない。

 また真田は現在は味方ということもあるが、とにかく左の大介とは相性の悪さがある、


 上杉だけが別なのだ。

 思えばあの夏、たった一打席分の、上杉との対決。

 瑞希が本にしてしまったので、今では誰もが知っている対決からだ、ずっと大介は上杉の背中を追ってきた。

 一年目、二年目、三年目と、年数を積み重ねても、上杉に勝ちきったとはとても言えない。

 六年目の大介が、これだけの成績を残しておきながら、MLBに行こうとはしない最大の理由。

 それは上杉が、日本にいるからなのだ。


 


 バッターボックスに入る前から、それは儀式である。

 呼吸を整えて、一歩ごとに前進の血流を感じて、筋肉に躍動の瞬間を意識させる。

 勝負は本当に一瞬で、その一瞬のために、一年間の経験が活かされるか、ゴミとなるかが決まる。

 確かに経験は蓄積していくものである。

 だが成功体験は、なかなか得がたいものである。


 大介にとっても、野球のバッティングは、まだまだ極めたとは言えない。

 本当に極めたならば、ストライクゾーンとそのボール半個ほどの球は、確実にホームランにしなければいけない。

 そんな無茶苦茶な理想が、大介の頭の中にはある。


 おそらく上杉にも、そんなでたらめな理想はある。

 27人のバッターを全員三振で打ち取るか、あるいは全員を三球三振で打ち取るか。

 ゴロもフライも打たれなければ、味方がエラーすることもない。

 キャッチャーのミットにめがけて投げれば、後逸されることもない。

 ストレートだけで、全てのバッターを打ち取る。

 おそらくそれへの一番の難敵が、大介なのであろう。


(そういえば、ナオも言ってたな)

 究極のピッチングとは何かと。

 それは81球以内のパーフェクトピッチングであると。

 全てのバッターを三振で片付けるよりも、さらに難度の高いピッチング。

 81球までしか投げてなければ、最悪次の日も連投がきく。

 実際に直史は90球以内のパーフェクトは達成しているし、81球以内の完封も達成している。

 相手のレベルが違うとはいえ、己の理想に近づいている選手は、大介でも上杉でもなく、直史なのかもしれない。




(相変わらずでけえ)

 大介がつくづく思うのは、マウンドの上の上杉の巨大さ。

 身長だけなら上杉を上回るピッチャーは数人いるのだが、その威圧感は上杉だけのものである。

 己に対する絶対的な自信。

 それがあるからこそ、上杉の球には重さがあるのだ。


 打てるかどうかの、確信が持てない。

 だいたいこういう時は、実際に打てなかったりする。

 まだ足りていないのだ。

 打つために必要な、自分の体の内、心臓が叫ぶ強さ。

 その内圧が足りないため、上杉にはまだ届かない。


 それでも初球の173km/hを、いきなり大介はバットに当てていった。

 真後ろに飛んだということは、タイミングは合っていたということ。

 だがバットを下に押し付けられるような感触がして、ボールは後方へ飛んでいったのだ。

(重い)

 手が痺れて、大介は一度バッターボックスを外す。


 同じ超速球派投手でも、上杉と武史には、球質の違いがある。

 あくまでも比較しての話であるが、武史のボールは軽いのだ。

 これは科学的には、スピン量は武史の方が上杉よりやや高く、スピードの割りにエネルギーが多いため、打ったら飛びやすいということもあるのだ。

 それに比べると上杉のボールは、バットを叩き折ることが多い。


 下手に打てば、大介のバットも折れる。

 特注の強度がとてつもなく高いバットなのに。




 上杉としても大介は、絶対に打たれてはいけない相手だ。

 ある程度の力を抜いて投げることで、上杉は短い登板間隔で、試合を回していくことが可能になっている。

 世界一のスピードが出せるということは、肉体にかかる反発も世界一であるということ。

 全力で投げ続けていけば、さすがにどこかで限界が来る。


 限界以前の位置で投げていいのだ。

 他のバッターには、ここまでの力は必要ない。

 外国人の助っ人だろうが、西郷や井口といったスラッガーだろうが、パのトリプルスリーバッターだろうが、それは変わらない。

 だが大介だけは別だ。


 ほぼ同じ時代に、存在してしまった奇跡。

 これほどの喜びはない。

 同じプロの世界に入って、こうやって戦うことが出来る。

 成績的には大事なところで打ち取っている上杉をわずかに上と見るのかもしれないが、それは前提が違う。

 ほとんどの場合大介は、ホームランを狙ってくる。

 意図的に上杉が、大介の前のバッターにも、ある程度力を入れて投げるからだ。

 一点を確実に取るには、ホームランしかない。

 その前提で戦っているのだから、大介にとって不利になるのは当たり前なのだ。


 だが上杉も、大介を三振に取るつもりで投げている。

 ただその場合大介はホームランを狙っているので、空振りになる可能性も高い。

 現在のホームランバッターは、三振の数も多くなるのに比べて、大介は圧倒的にそれが少ない。

 結局打ち損じとなるのが、一番多いのだ。


 この打席も、典型的なその打ち損じであった。

 ふわりと浮かんだフライは、内野の平凡なフライに見えた。

 だが風の影響と、ボールにかかった猛烈なスピンにより、野手のグラブから逃げていく。

 手を伸ばしたそのグラブが届かず、微妙ながらも記録はヒット。

 とりあえずパーフェクトもノーヒットノーランも消しておいた大介であった。




 試合自体は、おおよそ事前に予想されたものになった。

 貧打とは言われながらも、無得点に終わることはそうそうないスターズの打線。

 特に上杉が投げるときは、ラストバッターにもクリーンナップ級がいるのと同じことである。

 プレイオフでのピッチャーが打ったホームランという珍しいことも記録し、スターズの方が得点していく。

 比較すればライガースは、時折ヒットは出る。

 だがほとんど二塁も踏めないまま、上杉の前に封じられている。


 大介以外にも西郷という、高打率のスラッガーはいる。

 だがそれでも、上杉のパワーは95%程度までしか出させない。

 役者の違いを見せ付ける、ランナーが出てからのピッチング。

 完全に格付けは済んだと言わんばかりの、上杉のピッチングである。


 監督の金剛寺も、試合自体は負けたな、としか思えない。

 むしろ大原が六回まで、三失点で済んでいることがいい。

 自分の仕事をしっかりと分かって、大量点を奪われて崩れることがない。


 クライマックスシリーズの勝負は、明日からだ。

 今日の試合は、上杉と大介の対決の、付属物にすぎない。

(こんな怪物がどうして、ほぼ同じ時期に生まれたりするのかな)

 金剛寺としては自分の全盛期に、上杉と当たれなかったのが少し残念である。

 もし対決しても、圧倒的に蹂躙されただけだったろうが。


 上杉という絶対的なパワーが生まれて、それに対するカウンターのように、大介が登場した。

 NPB史上を見ても、ここまで投打に絶対的な存在と言えるのは、さすがにいない。

 毎年のように沢村賞を取り、毎年のように三冠王を取る。

 ただ今年は、例外的な要素があったが。


 九回の裏、4-0となって、試合はほぼ決まっていた。

 だがツーアウトから、大介の四打席目が回ってくる。


 今日の対戦成績は、ここまで三打数二安打で、大介の優位と言える。

 だが結局はどちらも、得点には結びつかなかった。

 ジャストミートした打球はなく、ポテンヒットと内野を抜くゴロのヒットが一つずつ。

 あとは外野フライである。


 試合は決まっていた。

 だが、最後にとっておきの勝負が残っていた。




 何も考えなくていい。

 勝ち負けはもう、どうでもいい。と言うか、何も変わらない。

 残っているのは、上杉と大介の対決だけである。


 三振かホームランか、それだけでいい。

 正確に言えば勝負は、大介が一点も取れなかった時点で、上杉の勝ちと言える。

 大原の四失点というのは、完投したピッチャーとしては、悪くない数字である。

 リリーフ陣にも負担をかけないという、首脳陣の作戦を達成したのだ。

 シーズン中の貯金も含めて、今年も立派な大原の成績であった。


 しかしそんなことも全て忘れて、ここで最後の力と力の対決である。

(おいおい)

 尾田の出したサインに、上杉は首を振る。

 確かにもうこの試合は決まったようなものだが、出来れば尾田としては、上杉は八回で降りて欲しかったのだ。

 明日はともかく明後日に、リリーフとして登板する可能性がある。

 そのためには大介との対決などという、ピッチャーにとっては拷問のような負担は、避けて欲しかった。


 だが、ここで大介と戦いたいというのも分かるのだ。

 完全に心を折っておけば、残りの二戦で有利に戦える。

 とは言っても上杉に、そんな考えはないだろうが。


 尾田ももう、分かっている。

 大介はここで完敗しても、それで折れるようなタマではない。

 だからここで対決するのは、上杉の意地であろう。心意気と言ってもいい。


 ただ、ストレートで真っ向勝負でいいのか。

 しかもコースは、インハイを要求する。

 確かにバッターの目から一番近いインハイは、最も球速を速く感じる。

 だが大介相手に、本当にそれでいいのか。


 上杉が頷いた。

 ならば尾田には、もう出来ることはない。


 九回の裏に、全力のストレート。

 インハイに投げられた球に、大介は完全に反応した。

 ジャストミート。破壊力がバットとボールの狭間に発生し、ボールを飛ばす。

 ライト方向。甲子園では、ホームランの出にくい方向。

 ライナー性の打球であったはずが、そのボールはぐんぐんと伸びて、まさか、とボールを追っていた人間に思わせる。

 テレビカメラもその行方を失ったが、ライナー性の打球はまさに一直線に、甲子園スタンド最上段の、看板を直撃した。

 人に当たれば、死んでいたかもしれないような速度で。


 尾田は呆れるしかない。

 上杉にも、大介にも。

 174km/hのストレートを、あそこまで振り切るのか。

 そしてあとわずかで、ボールは場外に消えていくところであった。

 いや、弾道があと少しでも上であれば、どこまででも飛んでいったかもしれない。


 打った側も、打たれた側も、いい顔をしていた。

 男と男の意地の張り合いが、現代の野球において、ストレート一本勝負で果たされたというわけだ。

「ほんとこいつら、あとどんだけ勝負するのやら……」

 そろそろ引退を考えている尾田は、己がユニフォームを脱いでからも、この二人の勝負は名勝負を演出し続けるのだろうな、と思った。

 力と力の勝負。

 とりあえずこの対決は、分かりやすい大介の勝利であった。




 この年、クライマックスシリーズのファイナルステージに進んだのは、ライガースであった。

 スターズはまさに、いざとなれば上杉をリリーフさせることさえ考えていたのだが、ライガースが先に点を取ってしまえば、スターズがそれ以上点を取られなくても、勝利できることは確かなのだ。

 二戦目は山田の先発から、投手リレーで常にリードを保ち続けた。

 そして第三戦も、先制したのはライガースであり、真田はそのリードを最後まで守り続けた。

 二点差をつけられた時、本当に上杉がリリーフで出てきて、ライガース首脳陣は肝を冷やしたが。


 この二点が大きかった。

 シーズン戦からそれなりに間があった真田は、充分に体力を回復させていた。

 九回を完投し、四安打の一失点。

 最終的なスコアは2-1で、ライガースの勝利となったのである。


 ちなみにこの三戦目も、大介と上杉の勝負は二度発生した。

 二打数一安打で大介は単打を打ったが、そこから得点に結びつくことはない。

 上杉も体力配分を考えていたので、完全な本気ではなかった。

 あるいはこの第三戦、上杉が中一日で最初から投げていたら。

 そんな想定さえされたものだ。


 かくして、ファイナルステージの対決は、レックスとライガース。

 シーズン一位と二位の接戦が、プレイオフでも続けられることになりそうである。

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