第180話 軍神と戦士

 きっかけはやはり、上杉だったのだろう。

 日本の衰退が進んでいた野球人気が、一気にその息を吹き返した。

 元々シニアでは有名だったが、数多くの名門私立の勧誘を全て断り、地元の公立へと進んだ。

 親からの寄付でそれなりの機材などはそろえられたものの、特に有名な監督を招聘するでもなく、そのまま甲子園に出場し、一年の夏から毎試合20個近くの三振を奪うという離れ業を演じた。

 そんな上杉でも甲子園の壁は厚く、一年の夏はそれで終わり。

 だが次のセンバツからどんどんと、奪三振記録を塗り替える怪物ぶりを見せ付けた。

 県内の野球少年の多くが、上杉と共に野球をするために春日山へ。

 そして県外の野球少年は、上杉打倒を考えて、その技術の研鑽に励んだ。


 結局上杉と対戦出来なかったのがSS世代の白富東である。

 なんだかんだ言いながら、上杉の栄光に立ちふさがった大阪光陰。

 その大阪光陰と白富東の戦いが、あの頃の甲子園であったのだ。

 いや甲子園だけでなく、神宮などでも戦うことはあった。


 上杉と大介は二歳違い。

 そしてこの二人の間にいる選手には、怪物と言われた選手が多い。

 確かに高校野球で怪物と言われた選手たちは、初年度から結果を残している。

 中には足踏みをしていた者もいるが、五年目までにはおおよそその真価を発揮している。


 そしてこの五年目は、大学進学を選んだ怪物たちが、プロに入ってくる年でもある。

 西郷、竹中、立花、初柴、堀、酒井らの、ワールドカップの優勝メンバー。竹中は違うが。

 既にプロ入りし、一軍の主力となっているのは、織田、本多、玉縄、福島、吉村といったあたり。

 実城や武田も苦しみながら、ようやく上がってきた。

 高橋や大浦は投手で入ってきたのが、野手に転向していたりする。


 その次の年も大介が一人目立っていたが、既に同期では球団の主力となっている者は多い。

 上杉正也、井口、金原、島といったところか。

 高卒で五年目というのは、おおよそ見切りを付け始める選手もいる。

 実力が足りなかったわけではない。ただプロの世界に適応できなかった。そういう者たちだ。




 NPBにおいて最近の新入団選手が、セとパを選ぶ基準。

 それは同じことのはずなのだが、思考が全く正反対である。

 上杉と戦いたいから、セに入りたい。

 上杉とは戦いたくないから、パに入りたい。

 ちなみにこればバッターであるが、ピッチャーにも同じことが言える。


 だがピッチャーというのは極端に言ってしまえば、バッターとの勝負を避けることが出来る。

 しかしその後に西郷が座ってしまったことによって、歩かせることもさらに難しくなった。

 大介、真田、そして一つ飛んで西郷と、この数年のライガースの一位指名のクジ運は強すぎる。

 なお一位指名でない選手の方が活躍しているのが、レックスである。


 圧倒的な一位指名のピッチャーと、圧倒的な一位指名のバッターが対戦するこの試合。

 三連戦の三試合目は、西郷にとって最初の、上杉との公式戦での対決となる。

 大学時代にはWBCの壮行試合で、対戦することがあった。

 しかしあっさりとその打席では敗北した。

 早稲谷においては二番目に速いスピードボールの持ち主より、10kmも速いストレートを投げる武史。

 それと対戦していながら、上杉には手も足も出なかった。


 今、世界で一番速い球を投げるのが、上杉なのである。

 球速が全てではないとは、大学時代に散々思い知らされた西郷。

 ただ球速だけでほとんどのバッターは、始末がつくらしい。


 オープン戦を含めると、神奈川スタジアムで試合をするのはこれが四試合目の西郷。

 そしてプロの公式戦で、いよいよ上杉との対決である。

 起きてから試合が始まるまでの時間が長かった。

 マウンドに君臨する上杉を見つめる。

 その姿はまさに、試合を支配する神。

 ライガースの一番と二番が、あっさりと三振にするのは、上杉だけである。

 ピッチャーとしての性能、出力が他とは圧倒的に違う。

 



 大介がバッターボックスに入った。

 傍から見ればこの二人の間には、殺気と殺気がからまりあっているのが分かる。

 球場での観戦でも、テレビでも分からない。

 二人はお互いの気迫の出し方で、既に駆け引きを始めている。


 二人とも共に、この対決だけが本当の意味で、勝敗の見えない戦いだと知っている。

 ネクストバッターサークルの中から、西郷はそれを全身で感じている。

(よかへごじゃ)

 上杉は約190cmの長身で、体の厚みも凄まじい。

 対する大介は170cmもなく、この体からホームランを連発するのは信じられない。

 ダビデとゴリアテの対決などと言われたこともあるが。

 互いに持っている武器が違うだろう。


 ここまでに上杉が投げた最速は、168km。

 それだも充分に信じられない球速なのだが、上杉のストレートには、さらにまだ上があるのだ。

 その上杉との対決、大介はどう勝負していくか。

 初球はインハイへのボールが投じられた。

 大介の振っていった球は、ライトへのファールスタンドへ切れていく。

 速かったなと思っていたが、172kmも出ていた。


 西郷にしてもそのパワーは、意味不明だと言われたことがある。

 だが間違いなくこの目の前の二人は、それ以上に理解不能の力を持っている。

 ひしひしと実感するのだ。

 この二人の世界には、まだ自分は入っていけないと。




 上杉としても大介は、特別な相手だ。

 大介さえいなければ、過去三年間に負けたシーズンのうち、おそらくは全てに勝てていただろう。

 今年こそ日本シリーズに進むために必要なのは、シーズンを優勝して、クライマックスシリーズで一勝のアドバンテージをもらっておくことだ。

 それがなかったからこそ、過去に三年も連続で、クライマックスシリーズで敗退しているのだ。


 ペナントレースを制し、クライマックスシリーズでも勝ち、日本シリーズを勝利する。

 この三年のライガースは、間違いなく強い。

 だが去年もそうであるが、今年はより顕著になった状態。

 投手陣の中でも、特に中継ぎの不調である。

 さらには真田がスランプに陥っていて、二年連続で10個以上の勝ちを貯金してくれたのが、計算出来ない状態となっている。


 気をつけるのは、その打撃力。

 ここまでの五試合で、31点を取っている。

 だが大介と西郷の打点を除けば、その数字も一気に落ちる。

 ただ現在のライガースは、金剛寺とグラントがまだ、二軍でスタートしているのだ。


 西郷は六大学リーグで、通算のホームラン記録を作ったほどのスラッガーだ。

 甲子園で高校時代に30本以上を打った大介の方が、それは上に見えてしまう。

 だが甲子園はそもそも、チーム力が高くなければ勝ち進めない。

 チームに恵まれることが、通算のホームランを多くする。

 西郷の場合はかなり条件が同じ名かで行われるので、その突出した打撃成績は信用出来る。

 上杉はこの二人を、同時に機能させてはいけないと考えている。




 二球目はアウトローへのチェンジアップ。

 これは見送られてボールになる。

 そして三球目は、内に切れこんでいくカットボール。

 これをバットの根元で打って、またもラインを割ってフェンスを直撃。

 ファールを二つ打たされて、追い込まれてしまった。

 大介の期待通りなら、最後はストレートが来る。

 来ると分かっていても打てないのだから、上杉のストレートは性質が悪い。

 フォアザチームのマインドであっても、最後には強打者との勝負を優先してしまうのだ、エースの救いがたい習性である。

 

 ゆったりとした大きな動作から、投げられるその一球。

 速いこのボールに、手を出しそうになる大介。

 だが内角のこの球は、チェンジアップではなくスプリットだ。

 上杉が変化球で勝負してきた。

 大介はこの球を叩いてしまい、内野ゴロとなった。

 今年最初の対決は、とりあえず上杉の勝利である。




 スターズは貧打で有名であるが、それでも補強はバッターを優先している。

 ただ上杉を引き当てて、そして玉縄も引き当ててから、ツキがなくなったと言われている。

 去年のドラフトでは、神奈川も西郷を一位指名していたのだ。

 そこで失敗してしまうと、とりあえず外国人に期待する。


 そしてその外国人選手は、期待通りの成績を残してくれている。

 この試合もまた、初回の攻撃でホームランを一発。

 上杉が完投すると、無失点で済むのが多くなりすぎる。

 そこでバッターは少し得点力が下がってしまって、テレビなどでおちょくられたこともある。

 だがプロは成績がそのまま年俸になるのだから、上杉が投げている時は打線にやる気がないわけがないのだ。


 ツーランホームランを打たれた時点で、かなり勝算の薄くなっているライガース。

 防御率が一を切る上杉相手には、それが普通の感覚なのだ。

 あまりにも上杉が普通でなさすぎるのが笑える。

 そして二回の表の先頭打者は、四番の西郷である。


 西郷が夢見ていた対決。

 直史ともう一度の対決をと考えていなければ、もっとずっと早くに実現していた勝負。

 だが大学で同じチームになったことで、世界で五指に入るパワーピッチャーと、世界一の技巧派の変化球を体験することが出来た。

 それも練習試合形式や、好き放題に打つフリーバッティングで。

 少なくとも武史のストレートは、練習中の打撃ならばかなりの確率で打てる。

 だが上杉は、それよりもずっと、とにかくひたすら容赦なく、速い。


 打席に入った西郷はそこから上杉を見上げる。

 身長は同じぐらいの二者であるが、体重ははるかに西郷の方が重い。

 この体重を使って球をミートするため、西郷は上手くホームランが打てるのだ。

 エネルギーの方程式の利用であると言うべきか。

 体重が軽いのにホームランを量産できる大介は、実は技術は西郷よりもはるかに上回る。




 大介のあとの、連続した勝負であれば、と西郷は思う。

 上杉は明らかに、大介とそれ以外では、投げているボールが違う。

 はっきり言えば舐めているのだろうし、舐められても仕方のない実力差はあると思う。

 ちょっと本気で投げれば、プロでも狙って完封が出来る。

 それが上杉なのだ。


(油断ばしとらんか)

 西郷はぴたり、と打席の中で構える。

 上杉には気配が伝わる。強打者に特有の気配だ。

 西郷がどれだけ危険なバッターかは、上杉も分かっている。

 だがここで対面して対決して、正確に実感した。


 なるほど、たいしたバッターだ。

 今年一年、この三番四番と対決していかなければいけないのかと思うと、それは大変だろうなと思う。

 とりあえず今は、二点のリードがある状況。

 余裕がある間に、確かめておくべきことはある。


 初球はアウトローいっぱいへ。ゾーン内だが、見送った。

 二球目も同じ球を、尾田に要求させる。

 そして投げた170kmのストレートを、西郷は打った。

 わずかに詰まったのか、それでもはるか遠くに飛び、わずかにライトのポールを切れていって、ファールになる。

 観客席から悲鳴が聞こえたが、上杉としてはこれで気合が入る。


 三球勝負。

 インハイストレート。そう、コースは違うだけで、ストレートだ。

 バッターにとってインハイというのは、ボールとの距離が近いため、より速く感じられるコースだ。

 だが目と近いという意味では、ミートには適したコースでもある。

 西郷がどれだけの存在か。この一球で上杉の評価が決まる。


 インハイ。


 そしてバットはボールを捉えた。


 172kmのストレートを、西郷は引っ張った。だが引っ張りきれなかった。


 ボールは力と力の拮抗した状態から、真っ直ぐにセンター方向へ。

 追いかけたセンターが途中で諦めて、バックスクリーン直撃のホームランとなった。

 球場全体からの悲鳴のような絶叫。

 いや、それは正しく悲鳴であったのか。


 すごいな、と上杉は素直に思った。

 これでまた一人、面白いバッターが現れたわけだ。

 野球がもっと楽しくなってきた。

 これを相手に、シーズンを戦っていくわけか。


 上杉と西郷の、プロにおける最初の対決。

 お試しのインハイストレートをバックスクリーンへ叩き込んで、西郷の勝利。

 上杉を知る者は皆、嘘だろうと思った。だが西郷を知っていれば、いくら速くてもストレート三球勝負なら、打ててもおかしくないだろうと思う者もいる。

 確かにコンビネーションという意味では、これは上杉のサービスであった。

 それでも単純なパワーとパワーの対決を、西郷は制したのである


 だが、この日西郷は、この一本だけしか打てなかった。

 単純にホームランを打ったからといって、それだけで彼我の力関係が決まるものではないのが野球である。

 最後に試合に勝っていれば、そのために次の打席から完全に抑えていれば、それはピッチャーの勝ちであるとも言える。

 野球におけるピッチャーとバッターの対決は、一対一の勝負にも思える。

 だがそれが試合の勝敗につながらないのだから、勝負はずっとこれからも続いていく。

 プロ野球という修羅の道。

 西郷が正しくそれを実感したのが、この試合であったという。

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