第6話 開幕!
三月、いよいよプロ野球のペナントレースが始まる。
そして大介は予定通りにロースター入りし、さらにスタメンにも名を連ねていた。
オープン戦終盤の成績を見れば、誰もそれに文句は言えない。
成績の低迷しているライガースは敵地での開幕戦となる。もっとも本拠地が甲子園のため、センバツが行われ甲子園が使えないライガースは、基本的に相手のホームで開幕戦を行うことが原則だ。
そして対戦相手は巨神。東京タイタンズである。
この開幕三連戦初戦、タイタンズの先発は絶対的エースの加納。
そしてライガースはこれまたエースの柳本である。
これによって、ほぼ互角の数字を残した山田は、ホームゲームの開幕戦で投げるだろうと思われている。
上杉の登場以前、加納はタイタンズのみならず、セ・リーグ全体のエースと言われていた。
大卒一年目から一軍で即戦力となり、この年には新人王。
八年目までにほぼ毎年タイトルを取り、沢村賞も既に二度選出されている。
はっきり言って去年もその前も、上杉がいなければ沢村賞に選ばれてもおかしくない成績を残している。
だが上杉が、全ての邪魔をする。
ストレートに命を賭けたような、半世紀は前のピッチングスタイル。
それを打てないバッターにまで腹が立つ。
そして期待のゴールデンルーキーも、上杉のことしか口にしない。
プロの技術を見せてやる。
開幕のお祭り騒ぎの中で、大介はただ集中していた。
これが一度しかないプロ初打席プロ初試合だ、
オープン戦までとは明らかに、選手たちの表情も違う。
オープン戦は試合であっても、しょせんは練習である。
給料に反映されるのは、この試合からだ。
「オジキ、加納の初球って何が来ますかね」
いつの間にやら大介もオジキ呼びの金剛寺である。
オープン戦でタイタンズと当たった時は、投げてこなかったのだ。
「加納はなあ。まあ上杉とは別タイプの化け物や。ストレートも速いしスライダーもキレキレやし、打ち取るためのカットとかツーシームもあるしな」
万能型であり、しかもその全てがトップレベルである。
「ただプロ入りしてオープン戦で打ちまくった新人相手やから、プロの洗礼としてストレートで押してくるんちゃうか?」
「なるほど」
大介を見た時にパワーピッチャーが投げる、基本の基本である。
ストレートの球速はMAX156km、そしてほとんど球速差のないツーシームに、曲がりの多いスライダー。粘る相手にはスプリットと、パワーだけでなくテクニックも備えたピッチャーである。
パワーもテクニックもあってクレバーな投手であるが、まあ可愛くない打撃成績をオープン戦で残した新人に対しては、ストレートを投げ込むというのは理解出来る。
(びびらすためのインハイか、手を出せないアウトローか、完全に力押しの真ん中高めのどれかかな)
大介の前で二人を凡退させて、地元の応援の歓声を受ける加納である。
果たしてストレートを投げてくるか。
だが156kmのストレートと言っても、大介はワールドカップで160kmを簡単にホームランにしていたし、甲子園でも大滝の160kmをホームランにしている。
(真ん中はないな。コントロールも無茶苦茶いいピッチャーだし、インハイかアウトローのどちらかを振ることも出来ずにストライクってのがありかな)
前の二人に対してもストレートは投げていたので、おおよその軌道は把握出来る。
マウンドの加納も、この小さなルーキーを侮ってはいない。
オープン戦は破格の打席数を与えられ、54打数で27安打で打率はちょうど五割。
それも打率を上げてきたのは三月からで、それまでは一貫して長打を打ってきた。
打率が上がっても長打が減ったわけではなく、ホームランを10本も打っている。
だがシーズンの始まったプロの、本気の投球は違う。
アマチュアとは違う圧倒的な技術とパワーで、三振を取ってやる。
この一年夢に見るような、圧倒的な存在感を刻み付ける。
インローにびたりと決まったストレート。まさに四隅を突いたコントロール。
「へえ」
大介の感心したような声を、キャッチャーはしっかりと聞いていた。
二球目はこれまたストレートで、インハイに155kmが決まった。
大介はぴくりとも動かずにそれを見送る。
本多や上杉弟レベルの球速で、球威はそれを上回る。
しかも二人にはないような、この球速でのコントロール。
なるほど、プロのトップレベルで、全盛期を迎えているだけのことはある。
ロージンで軽く指先の調子を整える加納。
遊び球はなく、三球目はアウトローのストレートだ。
ただストレートだけで抑えられる、プロの力を思い知れ。
完成されたスリークォーターのフォームから投じられるボール。
ぎゅるんと空気を貫くアウトローへのバックスピンが利いたストレート。
見逃し三振かとキャッチャーが感じたところから、大介は長いバットを振りぬいた。
アウトローを強く、腰を入れてばちんと叩きつける。
打球は低い軌道から伸びていって、不動のレフトの頭の上を過ぎ、そしてドームの座席の最上段にまで到達した。
通用する。
オープン戦とは違う。相手の配球もおおよそ読めていた。条件は良かった。
だが自分がプロで通用すると、この一打で確信出来た。
大介はガッツポーズもなくグラウンドを一周し、記念すべき初のホームを踏んだ。
ベースの踏み忘れはしなかった。
大介のホームランは絶対のエースの動揺を誘った。
指にかかった球だった。156kmの表示が出ていた。
生まれてから今まで、あのコースのボールをあそこまで飛ばされたことはない。
あれは本当に人間なのか。その思いがボールのコントロールをぐちゃぐちゃにする。
フォアボールでランナーを二人出し、そこから長打を打たれて二点を取られて、一回の表でいきなりエースは降板した。
このまま投げさせると悪い影響が残ると判断していたベンチの判断であったが、エースが投げる試合の一回から、リリーフの準備が出来ているはずもない。
そして蒼白の顔のままベンチに蹲る絶対のエースの姿を見て、リリーフ陣も動揺せざるをえない。
ただでさえ準備不足のリリーフ陣は、ツーアウトから打ち込まれてもう一人交代し、ようやく一回の表が終わる。
6-0といういきなりの打線爆発に、ドームのファンも意気消沈である。このあたり情けない姿を見せると味方でも野次るライガースファンとは、お行儀の良さが違う。
遠征して応援しているライガースファンは大喜びであるが。
その中に顔の同じ双子がいることを、大介は気付いていない。
二回の表にはもう第二先発とも言える、ローテ候補のピッチャーが四人目としてマウンドに登る。
そしてワンナウトから、ランナーなしで二打席目の大介である。
誰もが認めるタイタンズのエース加納が、完全に心を折られたホームラン。
外角をそのまま左打者がレフトに、あそこまで飛ばせるものなのか。
脱力した構えからは、それほどの恐ろしさを感じない。
大介としては冷静に考えている。既に第一打席の手応えなど忘れている。
今日のノルマは達成した。
ホームラン一本で、打点が一。
ただし相手は格上のタイタンズである。自分の成績にこだわるなら、打率を稼ぐためにヒットはもう一本打っておきたい。
そう思って打席に入った大介に投じられたのは、懐に入ってくるスライダー。
バットの根元で捉えるが、届きそうだ。
ぐるんと腰を回転させると、ふわりと浮かんだ打球が伸びて、ライトのポールに当たった。
二打席連続ホームラン。
プロ野球の歴史に残ることを、いや、野球の歴史に残ることを、またやってしまう大介であった。
『はい、それでは今日のヒーローインタビューです! まずは史上初めての初打席からの連続ホームランを含めて四の四、打点五を記録した白石選手! そして開幕戦完投完封勝利の柳本選手です!』
「ども」
「ちわ」
柳本は元々塩対応の選手であるが、大介も甲子園などの取材に比べると表情が厳しい。
『まずは白石選手! 初打席にツーストライクと追い込まれてから、難しいコースだと思いましたが』
「あ~、コースは難しいけど、まああそこに投げてくるだろうなとは思いましたんで、そんなに難しくはなかったです」
普通は読めても打てないコースである。
『二打席目、今度は逆方向に、一打席目とは全く違うホームランでしたが』
「コースが甘かったですから。届くかどうかは微妙だなと思いましたけど、届きましたね」
『三打席目と四打席目は、得点圏にランナーを置いてタイムリーを打ちました』
「ランナーがいてくれると、ホームラン狙わなくても点が入るので楽ですね」
『開幕一試合めで、まずはホームランダービーはトップです』
「いや、さすがにそんな気の早いことを言われても」
敵地では苦笑するしかない大介であるが、そもそも中学までは東京にいたのが大介である。
もっとも、ずっと西の東京であるが。
そこからインタビューは柳本にも移っていくが、強気な発言が目立つ。
元はパ・リーグからFAによって移籍してきたのだが、とにかくタイトルに対する拘りが強いのだ。
移籍した当初は、タイタンズの可能を強く意識していた。
そして現在は、上杉への対抗心が凄まじい。
上杉襲来以前は、奪三振のタイトルを取ったこともある。完投能力のあるパワーピッチャーだ。
お立ち台の上でもとにかく、大介よりは一回で降板した加納のことを意識している発言があった。
とにかくめでたく初戦を勝ったライガースであり、大介には金一封が出る。
「なんすか、これ」
「監督賞やな。若手が試合を決めるような活躍をした時にもらえるんや。ただあぶく銭やから、一晩の間に使わんといかんのや」
金剛寺が教えてくれる。なお中身は10万円である。すげえ。
10万円を一晩で使うなど、そうそう大介の理解の及ばないことであるのだが、プロ野球選手でも豪遊する人間は、平気で一晩で100万単位は使ったりする。
まあそういう金ならば、別に使ってしまってもいいのだろう。ただ問題は、大介にはそんな店のアテがないということだ。
普通の飯屋に行くとして、一緒に来ないローテやベテランもいるが、おおよそ20名。まあ五千円で食べられるところはあるだろうが、そもそも東京の地理が頭の中にない。
出身が東京と言ってもそれは中学までの話で、中学生の行動範囲というのは狭いのだ。
どうするかな、と着替えながら考えていたところに、スマホが鳴る。
他にもメッセージは色々と届いていたが、このタイミングで電話をかけてくる、色々と都合のいい存在を、大介は一組しか知らない。
「もしもし」
『大介君、プロ初ホームランおめでと~!』
『観客席にいたんだけど気付かなかった!?』
ステレオ音声で聞こえてくるのは、佐藤家のツインズである。
「甲子園はどうしたんだ?」
武史たちが勝ち残っていることを、当然ながら大介は知っている。
『明日のナイター見たら次の日の朝一番で行くよ~』
『明後日のナイターもちゃんと見に来るからね~』
なんだかげんなりとする大介であったが、ふと思いつく。
こいつらは仕事の関係で、何度も東京の都心部には来ているのだ。
「あのさ、お前らこれから、20人ぐらいの選手連れて飲み食いできる店って知らないか? 予算は10万」
珍しく役に立ちそうな双子である。
『食べたいものは?』
「食べたい物、肉っすかね?」
「まあ肉中心だな」
「肉中心で」
『オッケー。じゃあ地図送るね』
ふう、と一仕事終えた気分の大介である。
「知り合いがなんとか探してくれるそうです」
ふ~んと思う選手たちであるが、聞こえていたのは女の声である。
「なんやお前、こっちに彼女おるんか?」
「彼女じゃなくて後輩っすよ。高校時代のチームメイトの妹で」
嘘は言っていない。
タクシーに分乗して、教えられた店に到着する。
店の名前は「肉」であるらしい。ステーキを出す店で、ご飯とキャベツはお代わり自由なのだとか。
なるほど確かに、大食漢の多い野球選手にはいい店だろう。
ドアを開くと、そこには同じ顔の双子が待ち伏せていた。
「おめでと~」
「プロ初打席初ホームラン!」
「……やっぱりいたか」
予想はしていただけに、動揺は少ない。
「ちゃんと予約もしておいてあげたからね」
「あたしたちは自分で払うしね」
そして美少女二人の登場に、ライガースの選手陣はそれなりに関心がいくわけだが。
「あれ? S-twins?」
「知っているのか西片!」
「いや、紅白で出てたじゃないですか。双子の歌手で」
デビュー初年から二年連続で紅白に出場したこの双子を、割と若手の西片は知っていた。
そして言われてみれば、普通に紅白の視聴率は高いので、知っている者は気付くのである。
西片高貴はおっさん揃いのライガースの中では、比較的若いスターティングメンバーだ。
それでも今年30歳になるので、若手と言うのは微妙である。
身長はそれほどないが、入団一年目に新人王を取り、その後も二度の盗塁王を取っている、ライガースのリードオフマンだ。
つまり彼が出塁すれば、大介には打点が付きやすいわけである。
既に結婚して子供もいて、別に女好きというわけでもない。
鬼嫁ではないが掌で転がされているような感じらしい。
遠征先ではこうやって付き合いがいいのだが、ホームでは娘の顔を見るために、すぐにマイホームへ帰るお父さんでもある。
なお嫁さんは中学時代の同級生というのだから、成功したプロ野球選手の中では、かなり珍しいタイプの人間を奥さんにしたと言える。
「でもこいつの嫁さん、一般人だけど美人だぞ」
アイドルやら芸能人やらアナウンサーなどとの結婚が多いプロ野球選手の中でも、美人という基準の嫁がいるのだ。
さて、もりもりと肉で白米を腹に入れる前に、まずはウーロン茶かビールで乾杯である。
「圧勝やったな。これで今年のタイタンズにはまず先制パンチや」
「加納泣いとったんちゃうか? 一打席目のあれ、150mは飛んでたやろ」
「神宮やったら場外でもおかしくないわ」
などと話し始めてるわけだが、甲子園での場外ホームランに話が移る。
「金属言うても普通はあそこまで飛ばんよな」
「そもそもなんであんなに甲子園でぽんぽん打てるんかが疑問や」
口の中が米と肉で一杯の大介に代わり、ツインズが解説する。
「それは打球の角度と性質に理由があるのです」
ホームランの大半は、弧を描いてスタンドに着弾する。
甲子園球場はそのフィールド内はそれほど広くないのだが、浜風などの影響により、比較的ホームランが出にくい球場となっている。
滞空時間の長いホームランは、それだけ風の影響を受けやすい。
大介の打球はライナー性だが、インパクトの瞬間にレベルスイングからわずかにダウンスイングを意識して、落下しないスピンをかけている。
ピッチャーの伸びる球と同じ理由で、飛距離は伸びるわけだ。
理論的にはこの通りなのだが、あとは角度とかスイングスピードが問題である。
「バットの素材なんすよ」
これはツインズも知らないことである。
「軽いバットを撓らせて飛ばすのは、それも一つの方法なんすけど、わずかにバットの方にも反発力がかかるんすよね。だから固い素材で手でしっかりと固定して当てれば、飛距離は出やすいらしいんです」
大介が今の主流のバッティンググローブを使わない理由の一つだ。バッティンググローブが、衝撃を分散してしまう。
普通ならそれは怪我防止にもよいことなのだが、大介にとっては違う。
もう一つは、消耗品なので単純に貧乏な時代は買えなかった。
今ではその程度は大丈夫だが、長年バッティンググローブを使っていなかったので、もうその方が自然になってしまっているのだ。
賑やかな食事であった。
宿敵タイタンズとは、ライガースの良く言う言葉であるが、ここ数年のみならず、一時期を除いてタイタンズの方が成績はいい。
これからさらに夜の街へ繰り出すか、と金剛寺が太っ腹なところを見せようとするが、大介は拒否である。
「三連勝してから行きましょうよ。そしたら次の日休みだし」
一日の移動日があるので、その前の夜に騒ぐというのは納得である。
鮮烈なデビュー戦を飾りながらも、虚飾とは無縁の野球に対する姿勢。
それはプロで長い時間を過ごしてきた金剛寺でも、忘れかけていたハングリー精神であった。
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