第115話 伝説を作る

 もう一度、自分に打順が回ってくるだろうか。

 ショートの守備に入りながらも、大介が考えるのはそのことだけである。

 しっくりとはこないが、勝負は直史の勝利に終わった。

 あの後に気を抜いて、後続の二番か三番に打たれるかとも思ったが、そんなことはなくパーフェクトピッチングを続ける。

 気を抜いていない。

 直史とはそういうピッチャーである。


 代表側は七回の裏、ピッチャーは福島に交代。

 もちろん上杉は充分すぎる余力を残しているが、一人で全部を投げていては、わざわざ試合を組んだ意味がない。

 どうやら大学選抜は、直史一人で投げきるつもりのようだが。


 大介は比べても仕方のないことを比較する。

 直史と上杉と、どちらが化け物であるかを。

 おそらくこの試合一度に合わせて調整してきた直史と、シーズンで30試合近くも投げる上杉。

 その中でも調子が良かった時は、完全試合をやられている。


 直史が上杉より体力があるということは考えにくいので、プロのローテに入ればさすがに、もう少し現実的な数字にはなるだろう。

 だがそれこそ甲子園のように、本当に勝たなくてはいけない試合は、狙って完封はしてきそうだ。

(樋口のリードもあるんだろうけど、気合入りすぎだろ)

 ストレートを上手くチェンジアップとして使うなど、確かにいやらしい技術ではあった。


 このまま0行進が続いても、延長はない。

 あくまでも練習試合であるので、勝敗は問題ではないのだ。

(でも誰か一人でも出て、俺に回してくれよ)

 そう思っていた大介の願いは、逆方向の結果として出た。

 大学チームの四番西郷の打った、詰まりながらもレフトスタンドに入るホームラン。

 ああいう感じのホームランは、大介は打たない。


 プロ側が失点した。

 高校時代から既にプロ級と言われていて、大学ではリーグの記録を塗り替える勢いでホームランを打っている西郷に、福島も甘かったと言おうか。

 だがこれはさすがに仕方がないのではないか。

(俺だったら)

 あのツーシームは、先に体を開いてから、後からバットを振って打っただろう。

 西郷と違ってもう少しバットの芯に近いところで打ち、やはりホームランに出来ただろう。

 シーズン中も自分を相手に、そんな勝負をしてほしいものだ。




 福島がその後をきっちり打ちとっても、一点を失った事実は変わらない。

 八回と九回、直史が抑えたなら、それで終わりだ。

 そして大介は守備では貢献出来ても、もう打順が回ってこなければ、得点の機会がない。


 八回の表は四番からの打順になるのだが、一点を貰って直史のピッチングが変わったのか。

 大きな変化球を使ってきて、連続三振。

 そして最後はスプリットで内野ゴロを打たせて、またも三者凡退である。


 おそらく九回は、代打攻勢になる。

 打力で選ばれているメンバーも、しっかりといるのだ。

 しかしそれでも、初見の直史と対戦するよりは、三打席目の方がいいのではないか。

 これが各チームなら下位打線は弱いが、代表メンバーに貧打の選手はいない。


 八回の裏、代表側はまたもピッチャーを代える。

 北海道の小泉だ。リリーフとして成績を残しているピッチャーなのだが、大介はまだ対戦の経験がない。

 リリーフ投手は奪三振が多く、フォアボールの少ないピッチャーが選ばれる傾向にあるのだが、小泉もそういうタイプだ。

 あっさりと先頭打者を片付けて、次に打席に入ったのは、七番の樋口。


 正直、大介は嫌な予感がした。

 だがこの予感は、当たってくれた方が、自分にとっては都合がいいかもしれない。

 そして声をかけなかったことで、その予感は当たる。

 山下と小泉との間で行われる、サインの交換。

 大介もある程度それで球種を推測するが、樋口だったらもっと絞っていくだろう。

 そして狙い球を絞った時の樋口は、ホームランを狙ってくる。


 配球からリードを読んだのであろう、樋口のアウトローを掬う打球。

 それがいい感じの角度で飛んで、ライトスタンドに飛び込んだ。

 プロのトップレベルに連打は出来なくても、一発は狙える。

 西郷に続いて樋口のホームランで、点差は二点に広がった。




 小泉はフォアボールでもう一人ランナーは出したものの、そうそう連打を浴びることもなく、九回の表へ。

 プロの日本代表が、大学選抜に2-0で負けている。

 もっと大事なことは、これまで大学の先発ピッチャーに、パーフェクトをやられているということだ。

 ただ内容を見れば、別に代表が情けないとは、少なくとも大介は思わない。だが他の者は違うようだ。


 ただ負けるだけならいい。本番に向けての調整中だという言い訳がきく。

 だがパーフェクトをくらうことなど許されるのか?

 ダメだろう。

 大学選抜ともなれば、下手なプロよりも上の実力者はいる。

 だがそれでも、プロの中から選ばれた代表のバッターが、一本も打てないなどはありえない。あってはいけない。

 西郷などは一位競合などと言われてはいるが、一位指名で入ってきても、全く活躍できない選手というのはいくらでもいるのだ。

 こちらはプロの世界で、リアルな意味で生き残ってきた選手たちだ。

 その意地を見せないといけない。


 七番と八番に、長打ではなく打率と出塁率に優れた代打を出した。

 まずはランナーをためて、一気呵成に点を取る。

 しかしそんな甘い考えは通用しない。

 出塁を意図するプロのバッターに対して、あちらの精密機械は緻密なピッチングで連続三振。

 ここまでペース配分して残してきた力を、一気に出してきたかのように。


 こうなると九番にも代打を出さざるをえない。

「なんとか打てそうな気もしたんだけど」

 代打を出されたしまった山下は素直にベンチに戻る。

 どうせこのまま負けたら九回の裏など存在しないし、少しでも打率や出塁率のいいバッターを送るのは分かる。

 だがなんとなく、内心では悔しがっているのではないか。

 大介としてももし打てるとしたら、この山下ではないかなと思っていた。


 樋口のバッティングは、アウトローを狙っていた。

 そこを狙う樋口というのを、大介はよく知っている。

 あの一打で、白富東は夏の優勝を逃した。

 あそこで勝っていれば、三年連続で夏の甲子園優勝となったのだ。

 ネクストバッターサークルから、大介は代打の切り札の様子を見守る。


 塁に出てくれさえすればいい。

 内野安打でも、選んだすえのフォアボールでも、あるいはデッドボールでも。

 だが内野安打はともかく、フォアボールもデッドボールも、直史にはないだろう。

 あるとしたら空振り三振後のキャッチャー後逸ぐらいか。

 もっともその後に打ったとしても、ホームラン以外は一点まで。

 だから大介はホームランしか狙わなくなる。

 二点差ということはそういうことだ。




 ただ、ここで予想もしない事態が起こった。

 バッターボックスに入った代打が気合を入れている中、直史がグラブをさっと振る。

 すると樋口が立ち上がったのである。

「おいおいおい」

「正気か?」

 自軍のベンチの中でも、そんな声が上がったのが聞こえてくる。


 敬遠だ。

 パーフェクトをしてきたピッチャーが、あと一つのアウトを前に、代打に対して敬遠をする。

 そこまではまだ分からなくもないというか、これが苦手な相手で、優勝がかかっているとかなら理由もつく。

 だが次に迎えるバッターは大介なのである。

 日本最強のバッターの前にランナーをためる合理的な理由など、何一つない。

 だからここに合理的な理由などない。


 だが観客席はひたすらに盛り上がった。

 大学最強のピッチャーは、日本代表をパーフェクトに抑えるのではなく、最強のバッターとの四度目の対決を望んだ。

 ピッチャーとバッター、両方が同じことを望んだ。

 完全にこの会場を、二人だけの対決とすることを。


 もちろん申告敬遠ではなかったので、バッテリーのスタンドプレイだ。

 しかし大学チームを率いる辺見は、立ち上がってサムズアップなどをしている。

「ほんまかいな。いかれとるやろ……」

 昭和の世界でもここまではしないぞ、と島野は呆然とする。


 フォアボールで、ランナーが一塁に進む。

 ただここで打たれても、ホームラン以外は同点にもならない。

「どうします、監督。代走とか出しますか?」

「いや、それはあかんやろ」

 ここで盗塁などをしたら、雰囲気ぶち壊しである。


 島野がランナーに出せるサインは、動くなというものだけである。

 どうせ二人の対決以外、誰も関心は持っていないのだ。

 おそらく試合の勝敗さえ、どうでもよくなっている。

 島野も観客になった。

「これ後から伝説の対決とか言われるやつやでぇ……」

 それでも呆れたように、言葉を発しはしたが。




 粋である。

 いや、よく考えたらありうるのか。

(まあお前はなんていうか、自分が負けたと思わない方向に負けず嫌いだったよな)

 懐かしく思うのは、高校二年生の春のこと。

 大阪光陰を相手に、3-0という完敗を喫した。

 グラウンドコンディションや天候、味方のエラーなどの運もあったが、それを含めて直史は、あの試合は負けたと思っていたのだ。

 一年の夏や秋は、思っていなかったはずだ。


 あの怨念が、執念が、夏のパーフェクトへつながったのだと思う。

 血マメを潰してまで投げ続けるというのは、直史らしくないと、彼を表面的に見る者は思うだろう。

 だがあれこそが、直史の本質だと大介は思う。

 勝ちたい時には、自分の納得する形で勝つ。

 今まではいくら敬遠しても、それで勝てるなら良かったのだ。

 この試合においては、勝つということは試合に勝つことを意味しない。それだけだ。


 ここで直史は、パーフェクトを放棄してまで、自分との対決を選んだのだ。

(未来の兄貴になるとは言っても、手加減はなしだからな)

 気迫万全でバッターボックスに入る大介であるが、直史がちょいちょいと樋口を呼んだ。

 この期に及んで最後の確認かとも思ったが、わずか数秒で会話すらなかった。

 だがキャッチャーボックスに戻った樋口は囁いてくる。

「ホームラン以外は俺の勝ちだぞって言ってた」

「ははっ!」

 なるほど、そういうことか。


 バッターとピッチャーの勝負というのは、どちらが勝ったかというのは微妙なものである。

 三割打ったら一流と言われてはいるが、四打数一安打でも、その一本が決勝打となるホームランならばどうなのか。

 ホームラン以外は負け言うが、大介でも安打三本のうち、一本程度にしかホームランにはならない。

 だが、それでいいのだろう。

 ここまで三打席、三振した最初の打席はもちろん、抜けていても単打にしかならなかった二打席目や、深いセンターフライがせいぜいだった三打席目も、大介の負けである。

 最後にホームランぐらい打たなくては、とても勝ったとは言えないだろう。


 これが最後の機会かもしれないのだ。

 お互いが年を重ねて、50歳や60歳になった時、草野球で対戦することはあるかもしれない。

 だが全盛期の力をもって対決出来るのは、舞台の用意を含めてもこれが最後。

(全力でやるぞ)

 そんな声が聞こえた気もする。




 大介はバッターボックスを外した。

 何度も深く呼吸し、酸素をたっぷりと取り入れる。

 スイングだではなく、反応やボールの見極めなど、全てが最高の速度でないといけない。

 それには最大眼のリラックスと、そして同時に集中力が必要だ。


 読んでは打てない。それは分かっている。

 だが自分相手には緩急をつけながらも、最後には必ず速い球で勝負するはずだ。

 遅い変化球なら、最悪でも待ってファールでしのぐことはできる。

 だから最後は、今日打ち損なっているストレートを使ってくるだろう。

 高校時代はカーブを一番効果的に使っていたのに。

 ストレートが決め球など、普通の超一流ピッチャーのようではないか。


 音が消える。

 色が消える。

 ごく自然と、大介はゾーンの中に入った。

 打てる。打てるはずだ。

 直史は自分に対しては、全力を出してくるだろう。

 その全力とは、ボール球を振らせることもその一つである。


 ホームランを打つだけの存在となれ。

 バッターだとか、スラッガーだとか、三冠王だとか、そういう称号はいっさいいらない。

 全ての虚飾を排した上で、それでも勝てるかは分からない。

 現実的に考えれば、確率的に無理である。

 ならばその現実を上書きする。


 白石大介なら、ホームランを打てる。

 それを事実にしてやるのだ。

 一本だけでいい。

 ホームランを打つのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る