第174話 沖縄キャンプ
プロ野球のシーズンは、おおよそ四月から九月である。
すると半年間を働いて、それ以外は休みのように思えるが、実際は違う。
まず二月からはキャンプが始まる。シーズンオフに鈍った体を、試合用に鍛えなおす。
三月にはもうオープン戦を行い始め、実戦を前に調整を行っていく。
またシーズンが終わった後も、リーグでAクラスに入っていれば、10月はクライマックスシリーズに日本シリーズがあり、Bクラスで終了したチームなどは秋のキャンプがある。
これは球団によって違うが、およそ二週間前後行われることが多い。
その後も試合はなくとも色々な催しがなされて、契約更改などが終わればもう12月。
つまり実質本当に休めるのは、二か月間だけである。
そう考えている選手は、おそらく長続きしない。
シーズンにプレイオフ、そこまでずっと戦い続けて、さらに休みになっても野球をしたがる。
そんな無茶苦茶な人間だけが、プロ野球の世界では最後まで勝者でいられる。
過酷な環境を楽しめる、頭のおかしな人間。
プロ野球選手はおおよそ、そんな生活が引退までずっと続く。
だが別に、野球選手に限らず、ほとんどの人間はずっと、働きながら生きていく。
野球選手は極端な話、結果さえ出せるなら遊んでいてもいい。
大介などは遊ぶよりも、野球をしている方が好きなだけで。
暇な時には野球をするという、そんな頭のおかしな人間だからこそ、ここまでのパフォーマンスを発揮できる。
そういったことは大介にとって、努力ではない。
やりたいことをやっているから、それだけ成長もするのである。
肉体的に回復するのに時間がかかるベテラン以外は、キャンプ初日には既に仕上がっていないと話にならない。
シーズン中でも練習はするが、試合に備えて無理は出来ない。
だから本格的に鍛えるには、休みの期間を使うしかないのだ。
大介はこのオフ、自分基準ではかなり、休んだつもりである。
だがそれでも新人の合同自主トレに付き合って、それなりに仕上げてきた。
このキャンプからは、さらなる成長のための鍛錬を積むこととなる。
「練習するのを努力だとか言うなら、プロなんかやめた方がいいと思いますよ」
四年目ともなると、大介もこれぐらいの過激な言い方をするようにもなる。
「お客さんを楽しませるために鍛えるのは、当たり前のことですから。他の仕事は、まあ俺はやったことないですけど、結果を残さないといけないわけでしょ? そのためにやることをやってるだけです」
それだけのパフォーマンスを発揮するためには、必要な練習の時間も多くなる。
そう、本当にそれだけの原則だ。
趣味はないのか、と記者が質問しても、大介としては野球を客観的に見つめていくのも、趣味のうちになってしまう。
ただこの年には、一応野球と無関係のこともしていた。
「そういや神戸の尾崎さんに誘われて、馬買ったんですよね」
実際のところはツインズに調べてもらったわけだが、面倒なものなのだということは分かった。
馬主というのははっきり言うと、社会的なステータスなのである。
元々、近代競馬発祥の地のイギリスでは、王侯貴族の道楽から始まったものだ。
今でも馬主とその招待者しか入れない馬主席は、正装でないと入れないドレスコードがあったりする。
他にも色々と、金が物入りになったりした。
クラシック登録とかいったいなんぞ?
まあ大介としては本当に道楽なのである。
レースに使えるのは、早くてもあと一年半ほどの後。
昔のお大尽の道楽であったが、禁固刑などを受けたら馬主にはなれない。
その意味では今でも、上流階級の遊びであろう。
大介は自分が上流階級であるという、自覚は全くないらしいが。
正確には成金と言うべきだろう。
三冠王が、サンカンオーという馬を走らせる。
これはちょっとした話題にはなった。
そして年の離れた金剛寺とも、共通の話題になってくる。
馬主まではしていなくても、競馬が好きだという選手はそれなりにいる。
実は甲子園球場から阪神競馬場までは、車を使えば30分もかからない。
国内最高グレードの競争も行われている。
ついでに宝塚も近い。
そんなことを言いながらも、キャンプは進んでいく。
大介にある質問は、今年の目標というものが最も多い。
もちろん第一は、チームの優勝である。
だがそれと同時に、狙っていきたいものはある。
ホームランの、一シーズン世界記録である。
現在の世界記録は、MLBの73本。
153試合での、73本である。
対する大介は、去年134試合で67本を打った。
単純に試合数で考えるなら、大介はMLBに行ったら、この大記録を超える可能性はある。
だがとりあえずは、NPBの143試合で73本に届かないものだろうか。
打率をやや犠牲にすれば、ホームランの数は増やせないだろうか。
現在の打点を増やすための、ボール球も打ってしまうというバッティング。
あれを我慢して四球を増やし、ホームランに出来るボールだけを勝負する。
そのためには出塁し、盗塁を積極的にしかけていかなければいけないだろう。
大介の盗塁成功率は、90%に近い。
いっそのこと盗塁の日本記録も狙ってしまうか。
打率、打点、ホームランには三冠王というものがある。
だがこれに加えて盗塁にも優れた選手などというのは、これまでに存在していなかった。
バッターとして全ての部門で秀でている。
それもユーティリティプレイヤーなどというレベルではなく、どの部門においても史上最強。
さんざんサイヤ人と言われているが、本格的に遺伝子が少し違うのではないかと、医大から研究の打診が来るのも納得である。
両親も運動には優れていたが、大介のそれは確実に種として逸脱している。
上杉と並び、子孫を残すべき人間の一人だ。
四割70本200打点。
不可能だろうか?
四割は大介が達成したが、70本と200打点は遠い記録である。
二年目のシーズンは、四割を達成した。
その時は打点も多く、191打点を記録している。
そして去年のホームラン数が67本。
ただし打点は165点にまで落ちている。
三冠王の出来高ボーナスは絶対にほしい。
大介は物欲に薄い人間であるが、清貧を貫くような人間でもない。
よく野球選手が、ホームランを打ったり一勝したりするごとに、なんらかの寄付をしたりすることはあるが、そういうこともしない。
高校時代までの、貧しいとまでは言わなかったが、必要最低限が満たされた環境は、良かったのだと思う。
セイバーは野球に関しては、本当に金を使うのを惜しまなかった。
大介が無茶苦茶なことを考えているのとは別に、やはりマスコミの注目が大きいのは西郷だ。
フリーバッティングで打たせれば、左右どちらにも打てるのだが、やはり引っ張って打つのが上手い。
なんだかんだ言って、ホームラン王にはプルヒッターが多い。
大介ですら打球の飛距離が出やすいのは、やはり引っ張った時の方が圧倒的なのである。
西郷のバッティングを見ていると、金剛寺は自分の役目が終わっていくのを感じる。
もちろんおとなしくポジションを渡すつもりなどないが、もうキャンプの初めの方は、体が動くようになっていない。
自主トレをしていないわけではないのだが、どうしても肉体的な限界がある。
シーズンが終わればしっかりと体を休ませて、それからしっかりとストレッチなどを行っていく。
年が明ければ徐々に負荷を大きくしつつ、それでもあせらずに肉体を戦闘状態に戻していく。
若いころはキャンプ前でも、やりすぎるぐらいにやっていた。
だがもう、それが通用する年齢ではない。
大介も西郷も、そして他の選手たちも、ライガースは一気に若返りが進んだ。
高橋も球団を去り、あまりにも実績が大きすぎるので、今はとりあえず外部の人間になっている。
ただ足立もそうであったが高橋も、金剛寺のような遅れてきたスターからすると、天才過ぎると思うのだ。
誰かを教えたり、導いたりするには、それを受ける側にも資質が必要になる。
だがあの二人ほどの才能を持っている人間は、そうはいないであろう。
まあ足立の場合は、そもそも現場に戻ってくる気はなさそうだが。
フロントに迎えようとしている動きがあるらしいと、金剛寺の情報網は捉えている。
今年のライガースも、強いのだとは思う。
ただ若いからというだけではなく、大介はキャンプに入る前、新人の自主トレに同行して元気であった。
自身は誰かに積極的に教えるというより、台風の目のように、激動の中心にいるのだ。
だが完全に懸念材料がないわけではない。
投手陣では真田が、キャンプが始まってからもピリッとしない。
去年の日本シリーズ前、ちょっとした故障で試合に出られなくなった。
肉離れはそれなりに癖になることもあるため、オフにもかなりの間は、休養をしていたらしい。
場所と症状が症状なため、鍛えられる部分が少なかった。
下半身のトレーニングをしても、脇腹などには影響があるのだ。
自主トレは若手と一緒に、かなりやっていたらしい。
だがキャンプが始まってすぐではあるが、明らかに体は仕上がっていない。
若手であればキャンプの始まりには、もう仕上がった状態でくるぐらいの、気概がほしい。
ただ故障した真田は、そこからのリハビリが上手くいかなかったのか。
これがシーズン中であれば、むしろ球団側から、リハビリまでしっかりと目が届いていたはずなのだが。
投手陣ではやはり、今年は山田と大原だろうか。
大原はなんだかんだ言って日本シリーズでも大活躍したし、去年のライガースの先発陣では、最も多くのイニングを投げた。
帰国子女という経歴も関係しているのか、その体は頑丈に出来ている。
高校時代に甲子園で酷使されなかったのも、かえって良かったのかもしれない。
それを言うと真田などは、一年のなつから酷使され続けてきた。
甲子園がアマチュアの選手の故障に大きくつながっているとは、金剛寺も聞くことである。
だがまずは、自分のことだ。
西郷が即戦力のスラッガーとは言われていて、実際に自主トレやこのキャンプでも、飛ばす姿は見ている。
既にプロの変化球にも対応出来ているのは、大学時代の成果であろう。
高校時代から有名なスラッガーではあったが、大学においてチームメイトに、日本最高の変化球投手がいたことが、西郷をさらに育てたということだろう。
ポジション争いが激化する。
サードのスタメンをほぼつかんだ黒田だが、西郷にチャンスを与えるために、スタメンから外される可能性がある。
ただし金剛寺がまた怪我などで離脱すれば、ファーストのポジションに西郷が入れる。
わざわざスタメンを渡すつもりはないが、キャンプでの仕上がり次第では、開幕を譲ることになるかもしれない。
選手としてのキャリアの終わりが見えてきた。
遅咲きの選手として、ずっとライガースの四番を打ってきた。
そしてこのキャリアの最晩年には、優勝を経験することも出来た。
だがその動力源は、自分たちベテランではなく、若い力であった。
今からすべきことは、その若手たちの壁となり、さらに育ってもらうこと。
そのためにこのガタのきかけた体で、もう一度気張っていく必要があるだろう。
有終の美を飾る。
そんな言葉も、頭に浮かんでくる金剛寺であった。
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