第175話 ピッチャーたちの事情
王者ライガースが、もし今年のペナントレースを落とすとしたら。
いくつか原因は考えられるが、主力の怪我であろう。
だが去年の段階から言われていたのは、ピッチャーでもリリーフ陣の弱さだ。
今年の新人の中からは西郷と品川が、キャンプから一軍に合流している。
品川はライガースに不足していたサウスポーで、しかもサイドスロー。
そこから140km台半ばのボールを投げるのだから、とりあえずリリーフとして使ってみたい。
高校時代には当然ながら、エースとして先発を投げることが多かった。
だがプロにまで来ると、本当の資質が分かってくる。
四番でピッチャーだったという選手も、どちらかに適応していくのが自然だ。
もっとも上杉のように、もし野手換算で試合に出れば、20本以上はホームランを打ちそうな選手もいる。
ライガースでは真田が、高校時代は大阪光陰で後藤の前か後ろを打っていたし、大原もエースで四番を打っていた。
それに比べると品川は、明らかにピッチャー適性の方が高い。
本来であれば高卒の品川は、まだ二軍で様子を見るレベルである。
だがそれでもキャンプから一軍に合流したのは、やはりそのサウスポーであるということが大きい。
一応は先発の谷間やリリーフと、イニングを埋める程度に使えていた高橋も引退した。
ロースターに入る中でサウスポーなのが、真田だけという状態である。
だから品川がキャンプで一軍に帯同するのは、ある程度決まっていた。
だがキャンプが始まってみると、真田の調子が上がってこない。
肉離れの治癒するまでには三週間。
真田は恨めしそうな顔をしながらも、体を動かすようなことはなかった。
場所が微妙なので、しっかりと治療して治すこと。
怪我としては、正直なところそれほど重要ではない。
だがバランスが崩れてしまえば、それはピッチャーとしては致命的なものになりかねない。
大介がそういう時、やはり一番に思い出すのは直史だ。
直史は鏡を使って、シャドーピッチングをしたりもした。
あとはビデオ撮影をして、客観的に自分のフォームを見たりもしていた。
直史は高校時代、一年の夏に故障らしい故障を一度だけ経験した。
後遺症などはなく、あっさりと練習にも復帰していた。
だがあれ以降、ストレッチに柔軟にアップにと、念入りに時間をかけるようになった。
それ以降は指にマメを作った具体で、全く故障をしていなかった。
完全に自分の肉体をコントロールしていたのだ。
サイドスローで投げたり、アンダースローで投げたりと、普通ではないことを色々としていた。
左でもそれなりに通用しそうなボールを投げていたのだ。
だがそういったフォームの変更をして、全く怪我もしなかった。
次第にスリークォーターだけの練習にはなっていったが、左手でのキャッチボールはずっと続けていた。
直史の身体能力は、明らかに真田よりも低い。
それでも全身を使って、真田よりも速い球を投げることが出来る。
そして変化球の多彩さは、まさしく常人ではありえない。
あれだけの変化球の種類を投げていて、故障をしなかった。
おそらく直史が、肉体の耐久力という点だけは、真田よりも高い数値を示すのかもしれない。
だが真田を見ていても、他のピッチャーを見ていても、直史ほど自分の体をケアする者はいなかった。
三週間、野球から離れていたのだ。
しかもその後はオフで、どうしても実戦からは遠ざかる。
つまり一度落としてしまった精度を、元に戻す機会がなかった。
肉体的には完調している。
だが問題は、指先まで通っていくような、投球の感覚が戻っていないのだという。
三週間。
大介はそんなに長い間、野球から離れたことはない。
捻挫をした時も、体重移動のトレーニングは続けていた。おかげで復帰してすぐに、結果を出すことが出来た。
ただ真田の場合は、体全体を動かして位はいけないというものだった。
おそらく真田が一番焦っているが、チームとしてもこれは問題なのだ。
今年のライガースはどうしても欲しかった、サウスポーの外国人を取ってきた。
MLBの経験もあり、セットアッパーとしての実績もある。
さらに新人でも左の投手を取ってきて、ライガースには少ない左投手を増やしたのだ。
だがその中でも最も計算できる、真田が仕上がってこない。
紅白戦が始まっても、普通に打たれてしまう。
今の真田の姿は、キャッチャーとの相性が悪くて、全力のピッチングが出来なかった高校以来だ。
そんな真田から容赦なくホームランを打ってしまう大介は、いささか配慮が足りない。
金剛寺たちも呆れたような目で見ていたものである。
大介としてはショック療法のつもりであったのだが。
キャンプの中でも存在感を出しているのは、やはり新人の西郷であった。
その巨体から繰り出される打球は、外野の頭の上を簡単に越えていく。
そして必要な時には、野手のいない空間に打つ、器用なバッティングも出来る。
単なるパワー馬鹿ではないのだ。
そして守備についても、案外数秒のダッシュ力は優れているため、守備範囲が狭いわけではない。
ただ体形から考えても、やはりサードかファーストだろうか。
実は西郷はシニアまでは、キャッチャーの経験もあった。
そして単純に肩が強いので、ピッチャーもやっていた。
だが高校のチームの方針を考えると、キャッチャーはリードをもっと考える必要があった。
西郷の場合、気合でなんとかしてみせようというやり方なので、あまり優れているとは言えない。
ただボールを後逸するということはなかったらしいが。
キャッチャーとしての経歴を積んでいてくれれば、と思わないでもない。
だがさすがに高校大学と、キャッチャーを経験していない者に、キャッチャー復帰をさせるのは無茶である。
それにサードにしろファーストにしろ、及第点の守備は出来るのだ。
即戦力として使うなら、そのどちらかのポジションしかない。
大介と金剛寺の後には、現在グラントがいる。
その後には黒田がいて、ここまでが非常に得点力が高い打順である。
セカンドで内野を統括する石井は、さすがに動かせない。
そして残りはキャッチャーとピッチャーになるのだ。
オープン戦の結果にもよるが、おそらくポジションを奪われるのは黒田だ。
だがその他のポジションも、固定されたものではない。
真田や毛利と同期入団した、大卒の山本。
二軍では打ちまくって、去年も黒田や大江が不調の時には、スタメンで出ることもあった。
金剛寺が離脱した時は、ファーストに入ったこともある。
本人は外野も出来るので、いつでも使ってもらえるという心づもりでいる。
今年はそれなりに休んだ、とマスコミにも答えていた大介であるが、実際は新人の自主トレに混ざって遊んでいた。
いや、遊んでいたというのはもちろん、語弊があるのだが。
常に二軍球場にいるわけでもなく、あちこちを移動しているらしい。
そしてキャンプが始まってしまえば、相変わらずの打球を見せる。
首脳陣が絶大な信頼を寄せる主砲。
それが調子を崩すとしたら、慢心以外にはないだろうと思っていた。
だが大介は、野球を人生の中心に置いている。
入団からかれこれもう四年目になるが、その野球に対する姿勢は変わらない。
まるで野球をするために生きている存在。
噂に聞く上杉なども鉄人ではあるが、大介ほどに没頭はしていないように思う。
野球のために眠り、野球のために食べ、野球のために休む。
生活が野球を中心に組み立てられているため、下手な誘惑は通用しない。
選手時代は華々しい活躍を送ってきた首脳陣から見ても、大介の野球中心主義は、他にほとんど見ることはない。
本人としてはそれでも、充分に野球以外のことを楽しんでいるようなのだが。
キャンプが始まった時点で、ほぼ仕上がっている。
なのでこれからの約二か月は、その技術とフィジカルの、さらなる強化に費やされるわけだ。
現象だけを見れば、ストイックなのだろう。そしてハングリーなのだろう。
だが大介は明らかに、野球を楽しんでいる。
そんな大介としては、気になるのは真田の状態である。
この二年の勝ち星と貯金の数を見れば、ライガースのエースは間違いなく真田であった。
左の先発という貴重な一人であり、最も計算出来るピッチャー。
その調子が上がってこない。
今年既に調子がいいのは、しっかりと自主トレをしてきた大原である。
去年はチーム最多のイニング数を投げ、完投も最も多かった。
高校時代は一気に点を取られて負けることが多かったが、今はとにかくクオリティスタートで投げてくれる。
防御率が三点ちょっとというのは、真田や山田に比べれば物足りない。
だがリリーフ陣がどう機能するか分からない今年、クローザーのウェイドにつなぐ八回まで、投げ切ることが出来るピッチャーではある。
絶賛大不調中の真田も、完投能力は高いのだ。
だが見ていると、フォームが崩れているように思える。
スランプと言っていいのか。
怪我の後遺症ではなく、不自由だった時の動きが身に沁みついて、それが全体のバランスを崩しているように思える。
ピッチングは全身の筋肉や関節の、連動したものである。
どこか一つが狂えば、連鎖的に全てが狂ってしまう。
真田が今苦労しているのは、その修正である。
紅白戦で対戦しても、今の真田は怖くない。
まずコントロールが微妙に落ちていて、それに伴ってかストレートにもキレがない。
そしてスライダーにもキレがない。
大介でさえ苦戦するはずのスライダーが、簡単に打ててしまう。
全体的に簡潔に言ってしまうと、球威がないのだ。
フォームに力強さがない。
たったあれだけの怪我で、ここまで悪くなるのか。
真田も苦心しながら、フォームを取り戻そうとしている。
しかし大介には、真田に対する同情などではなく、奇妙な納得が湧いてくるのだ。
(ナオのやつもこういうことがあるから、プロに来ないつもりだったのかな)
直史は高校時代に、マメを潰したのと肘の炎症で、二度投げられなくなったことがある。
あとは大介も直接見てはいないのだが、大学では四死球を16個も出した試合があった。
直史も故障するし、調整が上手くいかないことはある。
それに故障してプロを諦めたというなら、国立や父など、様々な例が挙げられる。
特に国立は、完治していると言われながらも、プロに進むことを諦めた。
対する大介はどうだろうか。
ワールドカップにおいて、肋骨の骨折で、テーピングをして試合に出た。
左では動きが阻害されるため、右打席に立って打った。
あの時も確か、骨折自体はたいしたことはないが、筋肉がどうこうと言われてはいなかっただろうか。
大介も怪我には注意しているため、単純な骨折よりも、靭帯や腱の方が、故障したら重傷だとは分かっている。
真田の肉離れというのも、その延長であるのか。
真田は三年目の年俸が、一億を超えていた。
だが契約金を合わせたとしても、これまでに稼いだのは三億ほど。
インセンティブがあるかどうかは、大介は知らない。
もしもここで、投手生命が終わってしまうとしたら。
そこまでいかなくても、二年目までの輝きを取り戻せないとしたら。
プロ野球選手というのは、本当に明日が見えない職業ということになる。
大介としてはこういう内部事情を、外の人間とも話してみたい。
だがもちろん部外秘であるので、そうそう誰かに話すわけにはいかない。
しかしある意味身内であり、口が固い人間には心当たりがある。
「つーわけで、ようやくお前がプロに来ない理由、少しは分かったよ」
『そうか』
電話の向こうの直史は、思うことがないではない。
甲子園での戦いで、真田と投げあったことは、直史にとっては苦しい思い出だ。
もう少し楽なピッチャーが相手であれば、文句なしのパーフェクトを二回記録出来ただろうに。
だが真田が油断できないピッチャーだったからこそ、こちらもずっと集中して投げ続けることが出来たとも言える。
今の真田は、元のフォームを取り戻そうと、四苦八苦している。
壊れてしまったものを元に戻すのは、確かに大変だろう。
直史も一度フォームを崩したときは、試合中に修正することが出来なかった。
真田の場合はもっと深刻である。
だがそういったことなら、直史は一つの案を持っている。
元に戻そうとするから難しいのだ。
オーバーハンドやスリークォーターから投げるフォームは、チェック項目が多い。
だが、サイドスローは違う。
「一度サイドスローで投げさせてみて、そこからスリークォーターに修正させればいいんじゃないか?」
既にもう対決することがない真田相手には、いくらでも塩を送ることが出来る。
専業投手でない大介には、フォームを戻すのではなく、変えることの大変さは、もちろん分からない。
だが、あれだ。
自分もスランプに陥った時、右打席で打って、復調のきっかけとしたではないか。
今の真田は色々と、ドツボにはまっていることは間違いない。
目先を変えてみるだけでも、心理的な効果はあるのかもしれない。
「よし、じゃあ言ってみてくるわ」
そして夜中にも限らず、部屋を飛び出す大介。
真田の復帰には、直史の助言が効くのだろうか。
ただ本当に、心理的なことが理由であるなら、このショック療法も効果的だとは思うのだ。
大介にとって四年目、真田にとって三年目。
そして直史にとっては大学最後のシーズンが、始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます