第176話 調整不足
直史の言った調整方法。
それは調整方法と言うよりは、また一からフォームを作り上げていくことであった。
もちろん真田は一笑に付したが、キャンプが進んでいく中で、真田のフォーム修正は順調には進んでいない。
これは開幕ロースターには、間に合わないのではないか、とさえ思われてきた。
紅白戦でも結果が出ない。
自分自分が何かブレーキをかけてしまっているのだと、真田にも分かる。
おそらくは恐れだ。
微妙なところを怪我してしまって、投げられない期間が長かった。
それが体の動かし方を、忘れてしまうまでの影響を与えた。
またあの感覚が来るかと思うと、どうしても脇腹をかばってしまう。
するとコントロールに影響が出たり、最後のリリースにキレがなくなったりするのだ。
キャンプも進んで球団内の紅白戦だけではなく、他球団とのオープン戦も開始となる。
真田は一試合に登板したが、一イニングに二点を取られて降板。
さすがにこれはメンタル的なものだけではないと悟る。
高校時代に調子を崩した時は、キャッチャーとの相性が問題であった。
だが今は、そうではない。
メカニックな問題であるのが、はっきりと分かっている。
怪我は完治している。
それは分かっているのだが、どうしても心のどこかにストッパーがかかっている。
そのせいでフォームは崩れているのだ。
よって真田は遺憾ながら、大介に伝えられた方法を試すこととした。
サイドスローである。
今までもスリークォーターで投げていた真田としては、それほど違和感はない。
なにより手を横から振るので、脇腹が伸びる感覚が薄い。
室内練習場で、報道陣をシャットアウトしてピッチング練習開始である。
当然のことながら、ストレートの球速は遅くなる。
だが受けるキャッチャーとしては、スピンはよくかかるようになったと感じる。
実際にトラックマンで測定すると、上から投げるほどではないが、ボールがキレを取り戻している。
ただ球速と変化球の扱いが問題となる。
必殺のスライダーが投げられない。
ただカーブは使えるし、シンカー投げるならこちらのフォームの方が楽だ。
だがそれでも真田の武器は、ストレートとスライダーである。
「前よりはかなりよくなってきたけど」
とキャッチャーは言うのだが、実際の打席では打撃陣からは、これはこれでいいのでは、という声も聞く。
確かに前のように、という目的からすると、まだまだ元にはもどっていない。
だが前とは別の打ちにくさが、このサイドスローにはある。
問題は急にフォームを変えたことによる、肉体への負担である。
確かに打たれにくくなるというのはいい。
だがそれが故障の原因となってしまうなら、本末転倒である。
練習の後に、トレーナーによるマッサージを受ける。
確かにこれまでとは違う部分の筋肉を使っている感じはする。
だが無理な負荷がかかっているとまでは思わないし、ここからまたスリークォーターにフォームは戻していくのだ。
絶対に必要な左のエース。
開幕に間に合うかは微妙なところだが、少なくとも使える程度には調子を整えていけそうである。
ベテラン勢は若手に比べると、じっくりと仕上げていくしかない。
だいたいシーズンの終盤から、そしてプレイオフまで進むと、からだのあちこちが悲鳴を上げる。
クライマックスシリーズに進めなかった時の秋キャンプでも、ベテラン勢は免除だ。
その中でも金剛寺は、一番のベテランである。
ライガースも急激に若返ったものだ。
野手のスタメンで30代なのは、石井とグラントぐらいである。
その二人も30代の前半で、プレイには円熟味を加えて、身体能力とのバランスが最も取れる年頃である。
ピッチャー陣はまだしもベテランが多いが、それでも先発の六人は琴山が30代なだけである。
大ベテランと言えるのは、青山ぐらいだろうか。
今度メジャーから取ってくる左も、ちょうど30歳ほど。
だがこの中継ぎから抑えにかけての部分が、一番弱いのは事実である。
キャンプが始まる前から、金剛寺は体自体は、自主トレである程度戻してきている。
ただキャンプの序盤は特に、目がボールに追いつかない。
高齢までプレイするバッターにしても、その決定的な訪れは、目に来るという。
老眼により遠近感が分からなくなり、それでボールをミートできなくなるのだとか。
その点ピッチャーは、投げられればそれでいい。
野手と投手の限界を見ると、投手の方が現役でいられる期間は長いのではとも言われる。
まずは目を慣らす。
金剛寺はバッティングのフォームを崩さないよう、コンパクトに振っていく。
バッターの中でちゃんとボールをミートするならば、頭が上下左右前後に動いてはいけない。
視点を固定して、そこかたバットにパワーを伝えていくのだ。
キャンプの序盤には緩い球しか打てずに、今年はもうダメか、と言われることも多くなってきた金剛寺である。
だが徐々に数字は上向いてきて、シーズンの開幕までには間に合わせる。
若い者に比べれば、それは確かに仕上がりは遅い。
それは当然のことだと認めて、ゆっくりと前年の末の状態、あるいは前年の開幕の状態へと近づけていく。
年を重ねていくごとに、パワーではなくタイミングとミートで打つのだと、体が技術を重ねていく。
だが目の老化だけは、どうにもならない。
自分の肉体で感じていることだが、おそらくピッチャーでも現役の長い選手は、この肉体の老化が遅いのだろう。
それでも限界は、やがて目にくる。
大介にとっては22歳のシーズン。
既に完成されているような数字を残しているが、肉体の強化、経験の蓄積、それらなどからはまだまだ成長を感じさせる。
技術を蓄積していったら、本当にどんな選手になるのか。
ショートを守っているということで、守備面での負荷も高いだろう。
そちらでもゴールデングラブ賞をずっと取っているが、やがてはバッティングだけを求められ、ポジションの変更があるのかもしれない。
守備でも非凡なプレイを見せるが、それでもバッティングほどに隔絶したものはないのだから。
去年はスタメンであった中で、一番危機感を持っているのは、サードであった黒田であろう。
西郷を球団が取りに行って、見事に獲得した時。
黒田は必死に、他の球団に行ってくれることを望んでいた。
ライガース首脳陣が求めていることは、誰が見ても分かる。
金剛寺の後の、ライガースの四番である。
西郷は金剛寺に比べると、守備や走塁のオールマイティさには欠ける。
だがバッティング、特に長打力では、上回るのではないかとさえ言われている。
ホームランの数にて、六大学リーグの記録を塗り替えたその筋力。
強烈な長打力があってこそ、早稲谷は黄金の時代を築けたと思うのだ。
もちろん確実に一勝はしてくれる、試合を支配するようなエースもいたが。
おそらく今年は開幕から、西郷を使っていくのかもしれない。
あるいは併用にしろ、ある程度の出場機会を与えられるのは確実だ。
シート打撃などを見ていても、西郷はバッティングにおいては、とにかく隙がない。
飛距離も魅力的ではあるが、ミートも上手いのだ。
逆方向に流し打ちでスタンドまで届かせるのは、あるいは単純なパワーなら大介より上のはずである。
もちろん金剛寺が引退すれば、ファーストのポジションは空く。
だがそこに大学時代はファーストを守っていた西郷が入るだろうか。
サードのノックでも、ある程度の瞬発力は持っている。
もしもサードでも通用するなら、ファーストしか守れない打撃力重視の外国人などを、また取ってくるかもしれない。
もちろん一番いいのは、西郷がファーストに回ってくれることだ。
だがその時に黒田が自然とサードに戻れるとは限らない。
代打で起用されることが多いが、三年目の山本も、かなり内野の守備をしている。
打力の高いライガース打線であるが、センターラインのうちキャッチャーとセカンドは、まだしも普通の範囲のバッティングだ。
センターの毛利は、その出塁率と俊足から、まずポジションを奪われることはないだろう。
グラントや大江が怪我をした時のために、自分も外野を守れるようになっておいた方がいいか。
黒田は迷いながらバッターボックスに入り、いまいち調子が上がってこない。
これでは西郷にポジションを取られる、まっとうな理由になってしまうのに。
投手陣はそれなりに仕上がってくる。
もちろん真田を除いて、であるが。
投手陣の中心は、やはり山田である。
だがこの三年はシーズン中に少しずつ故障し、ローテを一時期外れることがあった。
そこまでの無理をしないと、ついていけないのがプロの世界だ。
壊れることを恐れて二軍に落とされるより、壊れて二軍に落とされる方がまだいい。
なんだかんだ言って、二桁勝利をもう四年連続で続けている。
そして五つ以上の貯金をチームにもたらしているのだ。
次に調子が良さそうなのは、昨年ライガースでもっとも多くのイニングを投げた大原。
三年目の去年は、飛躍の年であった。
貯金は山田よりも少なかったものの、ローテを完全に守って、12勝7敗。
完投した数が多いのは、リリーフ陣が脆弱であった去年は、おおいに誇るべきポイントである。
高校時代には全く甲子園と縁がなく、あの環境で酷使されていないのが、結果的にプロで花咲く理由となったものだろうか。
パワーピッチャーであるが、155km前後のストレートを、もうそこそこ散らすようなピッチングをしている。
ただここまで、まだ一度も完封はしていないのだ。
もっともライガースの打撃力を考えれば、それは大きな問題ではないと思う。
そして球団が獲得してきたのが、ロバート・キッド。
メジャーで八年間を投げて、先発と中継ぎの両方の経験がある。
中継ぎにしては破格の二億の金で連れてきたらしいが、また先発に回すのかもしれない。
なにせ今のライガースは、完全なる左不足。
ワンポイントでも使える中継ぎの左を、一人はほしいというような状況なのだ。
もっとも現在、12球団でも左が充実している球団は、福岡ぐらいしかないか。
あそこの二軍あたりから、トレードで引っ張ってこれないかと思う次第である。
キャンプの日々が過ぎていく。
珍しくオフには遊んだ大介であるが、試してみた経験は、悪くはないというものだった。
ただやはり、今はまだオフも、鍛えていくべき状態であろう。
肉体も技術も、まだ限界が見えてこない。
それに考えなければいけないのは、今年も誰にも負けない記録を残すということ。
特にホームランにおいては、一年間を離脱なく過ごして、さらに増産していきたい。
打率と打点は、さすがにもうこれ以上は増えていかないと思うのだ。
キャンプ中には沖縄で、パのチームと対戦することも多い。
さらに国外のチームとさえ、対戦することがある。
大介は強力なピッチャーとの対決を求めるが、やはりパワーピッチャータイプでは、上杉の足元にも及ばない者が多い。
ならば変化球投手や、技巧派の投手はどうなのか。
サウスポーのスライド変化への対応は、まだ大介の中の課題である。
というかなんでもかんでも打てるようになるというのは、むしろ特定のボールを必ず打てるという能力と反するのではないか。
世間に多いのは右ピッチャーである。
そして左であっても、真田ほどのスライダーを持っている者は少ない。
去年の新人王は、長身のサウスポー細田が二桁勝利を上げ、完全に野手に転向して三割を打った大阪光陰の緒方との、一騎打ちになった。
結果的には緒方が取ったものの、細田は援護が少なかったという、本人だけの責任ではない理由がある。
今年の新人の出物の中に、ピッチャーで傑出した者はいないと言われている。
だが真田などは、一年目はじっくりと仕上げると言われながらも、チーム事情で一年目から主力となり、リーグ全体でもトップクラスの成績を残した。
プロという世界では誰が本当に活躍するかは、実際に使ってみないと分からないところがある。
上杉や大介は、甲子園の舞台で傑出した数字を残したものだが、それでも一年目の期待度は、現実に残した実績に比べると低いものであった。
上杉は一年目からローテの一画を占め、二桁勝利をしてくれるだろうという、今から思えば低すぎる期待。
だがそれは過去に、複数球団から指名を受けながら、全くその期待に応えていないピッチャーなどがいたため、マスコミも関係者も、予防線を張っていたと言える。
上杉は結局一度も甲子園での優勝がなく、それがなんとなく勝負弱さというか、実力以外の部分での運の悪さを指摘された。
そして大介に関しては、やはり体格。
170cm程度でも体重があれば、長打を打つことは出来る。
だが大介はその体重さえ、守備や走塁に合わせて野球選手としてはやや軽めなのだ。
筋肉がなければ、パワーは生まれない。
そしてパワーを瞬間的に使うことで、スピードが生まれるのだ。
フリーバッティングになると、大介は出来るだけボールを、懐に呼び込んで打つことにしている。
今までもそうであったが、より近くで打つのだ。
そして打席の中で、立つ位置を色々と工夫している。
ピッチャーの持っている変化球によって、前で打つのがいいか、後ろで打つのがいいか決まる。
ストレートはもう、よほどの規格外以外は、どこでも打てるという自信がある。
この先に苦戦するピッチャーが現れるとすれば、おそらくそれは変化球投手だ。
上杉を別格とすれば、大介はこれからも、常にホームランを狙っていく。
日本での対決でも、心躍るピッチャーというのは存在する。
だが大介が成長し、熟練してくるに従って、厳しい対決は少なくなってきている。
その先にあるのは、アメリカの大地であろうか。
正直そこに、上杉や直史以上のピッチャーがいるとは、とても思えないのだが。
今はまだ、ここは日本。
四年目のシーズンへ向けて、調整は続いていく。
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