第173話 自主トレの強度
大介は練習の虫である。
そして最近ではトレーニングも、自分でかなり考えている。
バッティングコーチも大介には何も教えられない。
なぜなら大介よりも打ったバッターなど、かつて存在しないからである。
そもそも高校時代に既に、体格に合った基本のバッティングフォームは確立しているし、そこから自分で多くの工夫をしている。
多くの大打者を見ては、そこから学んでいく。
ただ並の天才にとっては、大介が何をやっているかは分からない。
そしてスラッガーとして、西郷と一緒に練習していて分かる。
やはりパワー自体は、圧倒的に西郷の方が上なのだ。
ホームランを打つにはウエイトがいる。
もっと分かりやすく言うと、重い選手がバットを振ると、その重さがパワーに変換される。
大介には重さはない。
その分を全身の筋肉で、一気に連動させ振りぬく。
脱力からのフルパワーで、結局はスイングスピードを速くする。
この速いスイングで、ボールをしっかりと捉えるのは、生来の空間認識能力か。
目から入った情報を、頭の中で処理する。
そして一瞬で出した答えの位置に、バットを持っていく。
動体視力と、正確な身体操作。
当て勘とでも言うべきもので、ボールをスタンドにまで運ぶわけだ。
今はネットであるが。
西郷のバッティングは、ミートの瞬間の粘りがあるように感じる。
もちろん反発力から考えて、それは大介と同じく一瞬のはずだ。
しかし大介のレベルスイングと、西郷のアッパースイングは明らかに違う。
西郷のスイングと打球の質は、グラントに似ている。
去年も30本以上のホームランを打った、頼れる助っ人外国人である。
だが西郷はグラントよりもさらに巨漢で、体重も多い。
その体重をパワーに変えて持っていくので、割と軽々と飛ばしていくように感じる。
大介の場合は、そのスイングスピードで、ボールを切るような感覚で打つ。
それはミートの瞬間の感触だ。
スイングスピード頼みに見える大介の方が、実のところは西郷よりも高度な、そして繊細な技術を使っていると言えよう。
だがそうなると、甲子園で場外ホームランを打ったような、あんなパワーの説明がつかなくなるのだが。
人は己にないものを求める。
西郷はなんだかんだあっても、そのパワーの総量でホームランを打つ。
大介の場合は人外レベルの動体視力を持っていて、変化球への対応が出来ることが前提の、全身運動によるスイングで打つ。
その性質としては、バッティングよりはピッチングに近い。
全身に負荷が分散されているが、一か所が故障すれば、他の部分だけで打つことは出来なくなる。
本人はまだ気づいていないが、本格的に故障すれば、その時点で選手生命が失われかねないのだ。
新人の合同自主トレであるが、フリーバッティングを西郷と大介が交互に打てば、それはすごい絵面になる。
二人ともに150m弾とか、いい加減な記事が並ぶのである。
ただやはり西郷は、守備のポジションに問題がある。
ファーストか、それともサードか。
現実的には三割を打ち、シーズンの中で途中離脱をしつつも、20本のホームランを打っている金剛寺は、外すわけにはいかない。
せっかく三割近くと二桁の本塁打を打っているが、黒田がポジションを奪われる可能性はあると思う。
ただ大介の見る限りでは、黒田は外野も出来るのではないかと思うのだ。
西郷には無理だ。
西郷のノックを受ける姿は、これもかなり豪快である。
強い打球を全く恐れずに止めて、しっかりと一塁へ投げていく。
ポジションは暫定的だが、やはりサードが想定されている。
だが黒田はベンチに引っ込めるには、もったいない選手である。
それに守備力ならば、おそらく西郷より高い。
最初の一年は西郷に機会を与えつつ、黒田との併用になるのではないか。
そのあたりが現実的な落としどころであろう。
そもそも西郷を取ったのは、金剛寺の後継者というものを、求めていたのだろうことは間違いない。
そして新人の中ではもう一人、大介が注目している選手がいる。
高卒三位指名のピッチャー、明倫館出身の品川である。
本人は当初、大学進学を考えていたらしい。
だがライガースのスカウトが、かなり強く、明倫館の監督に話を持ち込んだとか。
この時点で明倫館の監督は、一度大介の父である大庭から変わっている。
地元のシニアを鍛えて、また全国で戦える選手を育てる。
高校だけではなく、中高一貫の、野球教育である。
これはサッカーのクラブチームに近い。
山口県もまた、現在は明倫館の一強状態が続いている。
むしろ白富東よりも、はっきりと一強かもしれない。
地理的に言うと日本海側にある明倫館は、交通の便があまり良くない。
それであるにも関わらず、近隣の県からも良い選手を集めて、中国地方でも有数の強豪校にしているのだ。
千葉から行くよりは、まだしも大阪から行った方が、山口は近い。
もっとも交通事情を考えると、長距離であるが車を運転した方が、結局は早かったりする。
自主トレ期間はあくまでも新人のためのものなので、大介は少しだけ離れて、父の元を訪れたりしてみた。
シニアの監督をしている大庭は、同時に明倫館のスカウトもしている。
元々100年以上の歴史を誇る、名門が明倫館である。
それが少子化にあたり、スポーツにまで手を出したのが、もう何年も前。
一度甲子園に出てからは、ずっと甲子園への連続出場を続けている。
新興の強豪ならば高知の瑞雲もであるが、こちらは元から高知一強というチームがあったので、そこまで連続では出場していない。
もっとも高知二強ということぐらいは、言える状態であるが。
新しい家庭を持った父には、既に二歳になる子供がいる。
つまり大介の弟になるのだが、さほど実感が湧かない。
父が父をやめた期間が、長かったからであろう。
それでも連れだって、高校近くの居酒屋で話すことぐらいのことは出来る。別に嫌いなわけではないのだ。
最初は家庭の話などもしていたが、すぐに野球の話ばかりになってしまうあたり、この二人はやはり親子である。
直史の選択を、大庭は非難することはない。
むしろ他に成功しそうなことがあるなら、そちらを目指した方がいいだろうとも言える。
野球選手の中でも、ピッチャーというのはほんのわずかな怪我で、すぐに投げられなくなってしまうものである。
プロの世界で散々にそれを見てきたし、野手ではあるが大庭自身が、事故によって選手生命を絶たれた。
正確に言えば、リハビリを二年ほどすれば、復帰できた可能性はあった。
だがそのリハビリ中に、それまでずっと自分の中にあった、野球をするための回路が壊れてしまったのを感じた。
「ナオなら大丈夫だと思うんだけどな」
「それは俺も思う」
大庭も直史の、あそこまで圧倒的なピッチングを見ると、多少の怪我でも技術でカバーしてしまえる気がするのだ。
フォームを見ていても、明らかに全力ではない投げ方をしている。
八分の力で投げているつもりで、実際には九分以上の球威になる。
それはプロの世界のピッチャーでも、ごく限られた選手が持っていた技術だ。
散々パーフェクトをしている直史であるが、大庭の見る限り本当の限界まで投げたのだな、と感じたのは二回しかない。
一度は高校三年生の夏、大阪光陰との決勝戦再試合。
そしてもう一つはWBCでのアメリカとの決勝戦だ。
両方に共通しているのは、パーフェクトどころかノーヒットノーランも出来ていないこと。
そのくせ球数は少なく、そして完封していること。
パーフェクトもノーヒットノーランも、確かにピッチャーの卓越した実力を示すものである。
だがチームの勝敗において重要なのは、どこまでも点を取られないことなのだ。
大阪光陰戦は、まさにそうであった。
そしてアメリカとの試合は、他のピッチャーであれば打たれて負ける可能性があったため、確実に完封を意図していた。
ある程度打たせる必要があったため、どうしてもその打球がヒットになってしまうことはあったのだ。
だが点にはつなげていない。
「壮行試合で日本代表をパーフェクトに抑えた時でさえ、実力全部を発揮してたわけじゃないだろうな」
直史が聞けば、あれは全力だったと言うだろう。
だが本当に本気であるなら、わざわざ大介と四度目の勝負はしない。
チームが試合に勝つことより、自分の対決を優先してしまった。
それがあの時の直史である。
「まあ本当に、実力があるはずでも大成しなかったやつは、高校の段階からいっぱいいたからなあ」
メンタルのちょっとした落ち込みで、イップスになってしまう選手。
本人ではなく家庭の問題で、野球を断念した選手。
プロとして三年、そして今は高校野球の監督からシニアの監督をやっていて、人にはそれぞれの事情があるのだと分かっている。
だがそれでも、本当に運命に選ばれた人間は、存在する。
大介がそうであろう。
中学までは全くの無名で、普通の高校で野球をやっていれば、おそらくこれまた無名のままであったろう。
高校野球の監督は、今でも信じられないぐらいの時代錯誤の馬鹿がいる。
それを反面教師として、大庭は指導をしているのだが。
野球が上手くなるために必要なことは、才能だの素質だのの前に二つだけ。
野球が好きであることと、野球を楽しめること。
楽しくない野球は、やっていてもなかなか上達にはつながらないのだ。
逆に言うと上達を実感させてくれる指導者こそ、本当にいい指導者だと言えよう。
父との会話を胸に、また大介は甲子園に戻った。
自主トレに混じっては品川のピッチングなどを見たりしている。
貴重な左の、しかもサイドスロー。
白富東にもサイドスローがいるが、悪いがあれとは比べ物にならない。
新人が自信喪失するのを防ぐために、大介は品川との対決を禁止されている。
もっとも、三冠王に打たれて自信を喪失するなら、それはどれだけ自信過剰だというのか。
そう考えはしても、やはり品川と対決することはない。
その長く伸びた鼻をぽっきり折るのは、西郷がやってくれた。
あちこちから情報が回ってくる。
大介は比較的、マスコミからは好意的に捉えられるので、逆に質問などもしたりする。
各球団には多くの新人が入っているが、今年はどちらかというとピッチャー不作の年であるという。
だがドラフトの結果がはっきりするのは、数年は経過してみないと分からないのだ。
もうすぐキャンプの季節がやってくる。
大介は荷物をまとめながら、今年の目標を考える。
ホームランのシーズン世界記録の更新。
常識以外の非常識で考えてみても、それは無理だろうと思う。
さすがの大介も、143試合で74本を打つのは、敬遠されまくる未来しか見えないのだ。
ともあれ、いよいよキャンプ開始。
一軍の主力も集まり、沖縄にて戦闘の準備である。
その中に新人から選ばれて入ったのは、西郷と品川の二人であった。
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