第167話 追い風と向かい風

 甲子園での最終戦、ここで勝てば、日本一である。

 ここで負けてアウェイの球場でも、ライガースの島野監督は勝つ自信がある。

 第三戦で投げた山田が、第七戦では中四日で投げられる。

 ある程度の打撃戦を覚悟するなら、その前の第六戦で勝つことも出来るかもしれない。

 なんにしろ既にリーチをかけている分、ライガースが有利なのは間違いないのだ。


 ライガースの飛田は若手であるが、中継ぎで実績を残し、昨年は五試合に先発した。

 中継ぎも合わせて、成績は五勝二敗。

 今年は開幕からローテに入り、23先発で8勝5敗。

 完封こそまだ一度もないが、六回を投げてまずまず三点以下でリリーフにつなぐことが出来ている。

 いざとなれば中継ぎも出来る、便利なピッチャーだ。

 ただ今のライガースでは、リリーフ陣に不安が残るため、なかなか完投しないと勝ち星は増えていかないだろう。

 ただ飛田の投げた試合は、彼自身には勝ち負けがつかなくても、15勝7敗と大きく勝ち越している。

 そもそも打線の援護が強いからだとも言えるが、防御率も四点を切り、先発としては立派な成績である。


 来年のさらなる飛躍のためにも、ここでいい結果を出しておきたい。

 意気込んだ飛田はまず、厄介なジャガースの一番二番を凡退させた。

 そしてトリプルスリーレベルの、日本代表にも選ばれている三番咲坂の打席である。


 だいたいこういう場合、ハプニングは突然に起こる。

 ピッチャー返しの打球が、飛田の軸足に当たってしまったのである。

 内野の素早いフォローで、スリーアウトには出来た。

 だが飛田はすぐには立ち上がれなかった。




 波乱の幕開けである。

 昨日の試合の勢いのまま、一気に序盤から大攻勢をかけたかったライガース。

 だが咲坂のバッティングにケチをつけるのは、さすがに間違っている。

 飛田は確かに、フィールディングがあまり得意ではない。

 だからこそまだ成長の余地があるとも言えるのだが。


 スパイクを脱いだ飛田の足は、ぷっくらと膨れ上がっていた。

 骨に異常があるかどうか、それも分からないぐらいの痛みである。

 とりあえずバックに行って、医師に診てもらうことになる。

 ただ先発がいきなり使えなくなるというのは参った。


 だが、不幸中の幸いとでも言えばいいのか。

 飛田が序盤に崩れてしまった場合、敗戦処理を担うために、大原がブルペンで初回からキャッチボールを開始していた。

 このアクシデントで、大急ぎで大原は肩を作っていく。

 もともとあまり繊細な体ではないので、肩を作るのはそれなりに早い。

 幸いと言うべきか、負傷と同時にチェンジとなった。

 ライガースの一番から三番は、それなりに粘れるバッターである。


 毛利はどうせ先頭打者であるのだからと、じっくりと水沢の調子を見ていく。

 変化球まで一通り投げさせて、残念ながら最後は内野フライ。

 ただ一人で10球も投げさせた。


 大江もまた、初球から振ってはいかない。

 ある程度はつなぐことを優先される二番打者としては、大江はそれなりの長打力もある。

 だが粘る力は毛利よりは低く、七球を投げさせてピッチャーゴロに倒れる。


 ネクストバッターサークルにいた大介には、ベンチから指示が与えられる。

 飛田の降板と、大原が大急ぎで肩を作っているということである。

 大介にもまた、ある程度の時間稼ぎが命じられる。




 面倒なことになったな、と大介は思った。

 飛田は確かにエースクラスとまでは言えないが、立派なローテピッチャーである。

 完封するような力はないが、試合を崩すような乱調もない。

 リリーフ時代に短い間隔で、毎日調子を一定に保っていた。

 大原などは完全にリリーフ適性がなく、そのため結果を出すのが遅れたが、先発としての適性は飛田よりも高い。


 リリーフ、特に中継ぎに関しては、現代の継投が当たり前となったプロ野球では、必要度が増している。

 だがそれでも先発ピッチャーの方が重視され、また待遇もいい。

 もちろん50ホールドをするような怪物であれば話は別だが、基本的にまだまだ中継ぎは重視されない。


 現在のライガースはリリーフ陣が弱いので、オフに新人を獲得したりトレードなどが起これば、飛田がリリーフ戻される可能性もあるのか。

 確かに飛田は速球と種類の少ない変化球で勝負するタイプなので、短いイニングを投げるのには向いている。

 だがとりあえす、ライガースは左が不足している。

 来年は真田が復活してくれるとしても、リリーフの左もほしい。

 ただドラフトの注目株で左腕のピッチャーというのは、あまり騒がれていないようである。


 ライガースは資金力はかなりあるチームだ。

 特にこの数年は大介のおかげで、毎年前年比を大きく上回る黒字を出している。

 これで外国人選手を取っても、資金には余裕があるはずなのだ。

 大介の年俸はおそらく、上杉を超えてトップになるだろう。

 それでも圧倒的に球団も親会社も、収益は良化している。


 リリーフとしては、オークレイは三勝三敗と、あまりホールドポイントを稼げなかった。

 レイトナーはなんと、敗北はなく八勝している。

 一度は同点に追いつかれ、そこからまた追加点を取ってもらうというパターンではあるが、彼自身には負け星はついていない。

 年齢的なことも考えて、オークレイは切るべきだろう。

 クローザーとしてもセットアッパーとしても、微妙な成績なのである。

 とにかく左のピッチャーがほしい。今すぐにでも。




 ないものはないので、今はここから誰かがロングリリーフするのだろう。

 誰がするのかは分からない大介であるが、これはチャンスでもある。


 飛田の負傷は明らかであり、毛利と大江ははっきりと時間稼ぎの打席を送っていた。

 大介にもそれは言われたのだが、ここは考え方の転換が必要だ。

 あちらのチームとしては大介もまた、待球策が指示されたと思っているだろう。

 大介としてももちろん、時間稼ぎはするつもりである。


 初球の内角球を、おもいっきり振った。

 打球はライナー性の軌道で、ライトスタンドに飛び込んだ。

 呆然としている水沢であるが、これが大介なりの時間稼ぎである。

 最終的にアウトになるよりは、出塁した方が次の打者にも投げなくてはいけない。

 つまりホームランを打つことが、一番の時間稼ぎなのである。


 呆れたような顔のベンチに迎えられたが、大介のメッセージは伝わった。

 時間稼ぎを見越して甘く投げてきたボールを、容赦なく叩きこんだということである。

 確かに論理的に考えれば、それが一番いいのであろう。


 ジャガースはベンチもバッテリーも、かなり愕然としていた。

 だがとりあえず、これで貴重な先制点を奪えたのである。




 二回の表、急かされて肩を作ってマウンドに登ってみれば、既にリードしてくれていたでござる。

 何を言っているのか分からないと思うが、とりあえず大介が大介をしたということなのだろう。

 大原は遠い目をしながらも、飛田の負傷でパニックになりかけたベンチが、あっさりと沈静化したのは分かる。


 時間稼ぎを命じられれば、普通の選手ならボールをよく見ていって、球数を増やさせる。

 大介の場合はホームランを打って、もう一人分にまで投げさせる。

 事実金剛寺は10球も粘った末にフォアボールでランナーに出て、さらに時間を稼いでくれた。

 大原はたっぷりと時間をかけて、第二先発として登板できたというわけである。


 そして普段はスロースターターで立ち上がりの悪い大原が、リリーフ初回から、ストレートが走っている。

 立ち上がりの悪さというのは、色々と理由がある。

 大原の場合はある程度投げて体が温まると、動きが滑らかになって調子が良くなるのだろうと言われていた。

 今日の場合はかなり急かされて、短時間で肩を作ろうとした。

 それが全身を使うことによって、序盤からアイドリングが終わっている状態になっているのか。


 三者凡退で始まったこの試合、大原はほくほくとした顔でベンチに戻る。

 飛田も一回を三者凡退で封じているので、圧倒的にライガースの方が内容はいい。


 二回の裏のライガースの攻撃も、前の試合で決定的なホームランを打った黒田から。

 積極的に振っていって、左中間を破る。

 ただしライガースはここからが、やや打線は弱くなってくるのだ。


 七番の石井は、守備が専門の選手である。

 それでも打率はそこそこあるのだが、長打力はあまりない。

 だがここであっさりとアウトになっては、せっかくの勢いが削がれてしまう。

 粘っていってから、しっかりと進塁打は打つ。

 これでワンナウト二塁である。

 しかし八番には、これまたあまり打撃に期待は出来ない風間がいる。


 これがもっと後のイニングであれば、代打を出したかもしれない。

 だが島野はまだ、ここで戦力を投入することは選択しない。

 試合の流れ自体が、ライガース有利に動いているのだ。

 じっと我慢して、試合が動くのを見る。

 こういう時は下手に動いてはいけないのだ。


 風間もまた、その打球は進塁打となった。

 守備の選手ではあるが、二人はもうちょっとバッティングもやっていくべきだろう。

 ライガースの二軍には、キャッチャーだっていっぱいいるのだ。

 打てるキャッチャーが出てきたら、確実に一軍に上がってくる。

 その時にはわずかなリードの巧拙など、意味のないポジションの争奪戦が行われる。

 致命的ではないが、ライガースはキャッチャーもやや弱いのだ。




 ラストバッターとなると、当然ながらピッチャーの大原である。

 高校時代は、普通に四番を打っていたエースである。

 そして首脳陣は一時期、大原の打者転向を真剣に考えたことがある。

 ミート力などには問題があったが、飛ばす力は確かにあったのだ。

 もっともそれは、150kmオーバーのストレートを持つピッチャーを、捨ててもいいほどの魅力は持っていなかった。


 ロングリリーフに出てきたばかりのピッチャーに、代打を出すわけにはいかない。

 なので島野他首脳陣は、生暖かい視線を向けて、大原を送り出す。

 既に頭の中は、次のイニングのことで一杯だ。


 期待されていないのは分かる大原である。

 だが、だからこそここでホームランを打てばかっこいいだろうなとも思うのだ。

 二点入れば3-0となる。

 大原は防御率的に言えば、四点取ってもらえばおおよそ勝てるピッチャーだ。

 自分に対して自分で援護をする。

 怪我をしないように素直に三振しろ、などとも言われていないのである。


 スイングはたいしたものだが、明らかに大振りだ。

 ただ大介であっても、ここで咄嗟にどうしろなどとは言えない。

 下手に打ってランナーにならなくてもいいよな、とさえ思う。

 だが大原は、当たれば飛ぶ。


 念のためにと変化球で入ってきた初球を打った。

 当たれば飛ぶ大原であるが、その打球はへろへろと内野の頭を越すだけ。

 必死で追いかけたセカンドのグラブの、わずか先に着地した。

 ヒットである。

 そして当然ながら、三塁ランナーの黒田はホームベースを踏んだ。




 2-0になった。

 意外性の男と言うべきか、この日本シリーズ、大原は第一戦の勝ち投手にもなっている。

 そしてここから終盤まで投げ切れば、まさかMVPの目さえあるのではないか。

 一瞬思った大介であるが、さすがにそれはないか、とも思う。


 ネクストバッターサークルに向かえるかな、と考えつつ一塁の大原を見る。

 盗塁など全くする気のない、一歩しかリードをしていない状態。

 だがここからまだまだ投げていくことを考えれば、体力は温存しておくべきだろう。

 二点差ではあるが、ジャガースの攻撃はまだ七回も残っている。

 大原の平均的な防御率などから考えれば、試合はまだ決まってはいない。


 先頭打者に戻って毛利であるが、さすがにここは打てなかった。

 内野ゴロを普通にさばかれて、スリーアウトチェンジ。

 ただ追加点を、意外なところから入れたという点では、ツキもライガースにあるか。


 ジャガースももちろん、こんなことで諦めたりはしない。

 ここを勝てば本拠地に戻り、プレッシャーの少ない状態で戦うことが出来る。

 監督の花輪としても、次のキャリアを考えても、ここで三連敗は避けたい。


 ベンチに戻ってきた大原に、大介がグラブを渡す。

「ナイバッチ」

「照れるぜ」

 日本最強打者の言葉に、頭をかく大原であった。

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