第168話 届いたその場所

 大原は元々、気合で投げることが多いピッチャーである。

 なので安定感が必要な中継ぎやクローザーではなく、先発としての適性は高い。と言うか、リリーフは出来ない。

 だがこの試合のロングリリーフは、むしろ彼に向いたものであった。


 二回から投げて、しかも一点リードしている状況。

 期待されるのは、長く投げること。

 第一戦が自分でも信じられないぐらいいい出来で、そしてこの第五戦。

 下手をすれば胴上げ投手になれるのでは、という状況である。いや、後攻なのでそのまま胴上げとはならないのだが。


 基本的にメンタルは、強さと鈍さを併せ持っている大原である。

 三回の攻撃も、二点差があるのをいいことに、基本的には球威で攻めていく。

 キャッチャーの風間はかなり困っているが、それでも大原のボールにはいつも以上の伸びがある。

 そうか、こいつもやはりお祭り男か。 

 考えてみれば第一戦は一失点で勝利した大原であるが、シーズン中はそこまで相手を封じるようなことはなかった。

 明らかにシーズン中とプレイオフとで、パワーの上限が変わっている。

 そして第一戦とこの試合を比較しても、明らかにこの試合の方が球威を増している。


 大原としては単に、ここはいつもよりも気合を入れて投げなければいけないと思っているだけだ。

 シーズン中の気楽な投球と違い、日本一がかかっているのだ。

 しかも舞台はあの甲子園で。

 高校時代は誰かさんたちのせいで、全く手が届かなかった甲子園。

 もちろん全体的に実力不足ではあったのだが、高校を卒業してから二年、一軍で投げられると認められた。

 そしてチームでは最も多いイニングを投げて、確実にローテーションを守った。


 高校時代を思い出す。

 負ければそこで敗退の、情け容赦のないトーナメント戦。

 優勝チームと一回戦で当たってしまえば、決勝まで行ける実力であっても、一度しか試合が出来ない。

 大原のこの馬力を、よくもスカウトは見抜いたものである。

 四位指名でこの成績を三年目から上げられる。

 まだ戦力になって一年目だが、それでも当たりを引いたと言ってもいいだろう。


 シーズン中とは敗北の意味が違う、この日本シリーズ。

 極端に言ってしまえばプロで日本一になるのは、プロ野球選手でいられるなら、それなりに確率は高い。

 高校時代の五回しか機会がない甲子園に比べれば、普通に優勝は出来ると思うのだ。

 もっとも単純に、プロ野球選手でいられる力を維持するのは、大変に難しいのだが。

 そして二軍で優勝したとしても、それはあまり嬉しくない。

 真田ほどシーズン中にも活躍していれば別だが、去年も一昨年も、大原はほぼ戦力にはなっていなかった。

 もちろん下から突き上げることが、重要だということも分かっていたのだが。




 大原の出来がいい。

 五回までを無失点で抑えているのだから、それは確実である。

 三振は意外と取れていないが、どうやら球威が普段より増しているらしい。

 バッターのミスショットは明らかに、フライの数が多い。


 ストレート、スライダー、カット、チェンジアップ。

 試行錯誤の末、現在の大原が使っているのは、これだけの球種である。

 緩急を別にすればスライダー系の変化だけで、それで155kmを普通に出すのだから、やはり肉体に備わっているパワーが違うのだ。


 カナダの大地で、伸び伸びと育ったことが、変に小さくまとまらないフィジカルの元となった。

 高校時代の指導も、欠点を消すのはある程度にとどめて、長所を伸ばすことを優先した。

 おかげで素材のままプロの世界に入ってきたが、高卒ピッチャーが二年で使い物になるというのは、かなり珍しいことなのだ。

 素材型としては高い順位で入団し、そしてここまで伸びてきた。

 間違いなくライガースの主戦力である。スカウトはファインプレイだ。

 ちなみにレックスはもう少し下の指名候補に入れていた。


 ただそれに対して、打線があまり援護が出来ない。

 水沢は確かに第一戦も、大介周りで二点を取られただけで、他はほぼ抑えていた。

 中四日で投げているが、それだけ埼玉も必死なのである。

 この年もライガースが優勝すれば、セ・リーグのチームが五年連続で日本一となることとなる。

 実力は上と言われるパ・リーグが、そんな体たらくではいけない。

 なんとしても今年は勝つ。

 それに二年前の、四連勝でライガースが優勝を決めてしまったのも、ジャガースには屈辱の歴史として残っている。

 今年こそはという気迫は、ジャガースの方が上であったのか。


 精神論でどうにかなると思ったら、そのチームは終了である。

 もちろんジャガースもちゃんと、計算をして野球をしている。

 特に真田が投げられないという情報は、かなりありがたいものであった。

 だが大原の好投は予想外であった。

 飛田が負傷退場となったときは、これは流れが来ているかと思ったものだが。


 第一戦は大原と水沢の投げ合いで、大原が勝ったのだ。

 そのイメージがこの第五戦でも出てきてしまっている。

 気合だけで勝てるほど試合は甘くないが、気合も入れずに勝てるほど、日本シリーズはやはり甘くない。




(そろそろ追加点がほしいよな)

 大介はそう考えつつ、六回の攻撃に入る。

 一打席目は初球打ちでホームランであったが、二打席目も長打を狙っていった。

 だがセンター正面のライナーとなり、意外と難しい打球であるのだが、しっかりとキャッチされた。


 先頭打者でアウトカウントもなければ、ランナーもいない状態。

 歩かせるようなら走るぞと、大介はマウンドの水沢に殺気を送る。

 大介の対水沢の成績は悪くない。

 むしろ上杉以外で、大介に強いピッチャーを探した方が早いぐらいだ。

 そんな大介でも、五割は打っていないということを忘れてはいけない。


 外角への逃げていくボール球だったが、球に力を感じた。

 ジャガースは勝負しに来ている。

 この試合は飛田が負傷退場し、そこから大原が第二先発的に投げて、ライガースの流れになっている。

 おそらくこのままで推移すると、多少は点が入ったとしても、ライガースもジャガースも得点力にはさほどの差はない。

 この流れを変えるためには、やはり守備でも大介を抑える必要がある。


 二球目は、フォークを投げてきた。

 これもボールになる球なのだが、足元を攻められるようで感触がよくない。

 おそらく次はちゃんとゾーンに投げてくる。

 あるいは外れていても、大介が手を出すコース。

(高め!)

 インハイのボール球を、大介は振っていった。

 打球はだが、完全にファールでスタンドの中に曲がって入る。

 根元に当たったので、手首を固めるのが早すぎた。

 もっと待って、懐に呼び込まなければいけない。


 とりあえずストライクのカウントにはなった。

 次は定跡であれば、外を攻めてきたいはずだ。

 だが意表を突いて、続いて内角という可能性もないではない。


 第四球は、遠い。

 だがそこから、ゾーンのぎりぎりへと入ってくる。

 打てることは打てるが、やや難しい。

 際どいがストライクがコールされて、ツーツーの並行カウントになる。


 外を際どく攻めてくるか、あるいは内角を攻めてくるか。

 水沢レベルのピッチャーでも、大介にとってはさほどの脅威ではない。

 それでも五割は打てないのは、はっきり言ってキャッチャーの差だと大介は思っている。

 考えてみれば高校時代もなかなか打てなかったピッチャーは、キャッチャーも良かった。

 ピッチャー単体に翻弄されたのは、坂本ぐらいであろうか。

 ジャガースのキャッチャー河原も、三度のゴールデングラブ賞に輝いている名捕手だ。

 打つ方はそこそこだが、リードと肩は間違いなくトップレベル。

 セ・リーグに比べるとパ・リーグは、比較的正捕手が不動であるチームが多い。


 河原のリードは積極的である時と、慎重である時のバランスがいい。

 もちろんここでは、慎重になるべき場面だ。

 だが慎重に、攻撃的なリードをするかもしれない。

 単純に打たれにくい組み合わせだけをしていたら、逆に確実に打たれる。

 思ってもいない時に、逆にバッターの好みのコースを突いてくる。

 それこそが配球ではなく、リードである。


 あと一つボール球が使える。

 水沢はサインに迷いなく頷き、大きく振りかぶった。

 アウトローへの速い球。

 だがこれは外に逃げていく。

 大介の長いバットでも、これは届かない。

 空振りするだけだと判断した瞬間、右手をバットから放す。


 体が完全に開いた、当てることだけに注力したスイング。

 かろうじて当たって、三塁側へのファール。

 息を吐く大介はいったん打席を外したが、ジャガースのバッテリーはドン引きである。


 あんな場面で引手を放して、押手だけでバットをコントロールした。

 片手だけで狙ってカットしたのだ。

 こういう細かい技術まで、こいつは化け物である。




 並行カウントは変わらない。

 ここから膝元へのスライダーを投げると、やや外れているのに振ってきた。

 今度はライト側のファールスタンドに深々と運ばれる。

 あれだけ外に投げた後の内角。

 常識ではとても打てるはずはないが、こいつを常識で計ってはいけない。


 ただ大介の方も、今のボールは仕留めたかった。

 懐にもう少し呼び込んでから打ったら、スタンドまでは届かなくても、フェンス直撃ぐらいはしたのではないか。

(来年の課題だな)

 ライナー性の打球と、フライ性の打球を上手く打ち分けたい。

 そうしたらもっと、ホームランを狙えるコースが増えてくる。

 机上の空論だと思われるが、大介ならば可能かもしれない。


 ツーツーからの七球目。

 外を投げてから内に投げて、それでも仕留められなかった。

 河原は出すべきサインに迷う。

 これならば、どうか。


 水沢が頷いて、渾身の力で投げこむインローへのストレート。

(これ!)

 大介はダウンスイングで入って、アッパースイングで抜ける。

 打球は高く舞い上がった。

 すぐに、高く打ちすぎたな、ということは分かった


 ライトがフェンスに背中を付けながらのキャッチ。

 三打席目も、アウトにはなったが魅せる大介であった。




 二点差のまま、試合は推移する。

 大原の球威は落ちないどころか、回を重ねるごとに増していく。

 七回には自己最速の158kmが出た。

 そしてただ速いだけではなく、球質も伴っている。


 ジャガースの打線としては、計算外である。

 大原が出てきたときは、まだ他のピッチャーが用意できていないだけで、二イニングほども投げたら交代するのだと思っていた。

 その間に打ち崩すつもりが、最初からギアを高速に入れていて、第一戦の時よりもキレがある。

 ストレートなのに微妙に変化する。

 おそらくは回転軸が歪んいるからだろうが、それがかえって打ちにくいボールとなっているのだ。


 全く打てないというわけではない。

 だがセンターラインに飛んだ打球を、ことごとくアウトにされる。

 大介と石井の二遊間も優れているが、センターの毛利の守備範囲が広い。

 打撃ではまだ西片や志龍ほどには打っていないが、名門大阪光陰で、一年の秋からセンターを守っていたのだ。

 その実力を発揮した上で、さらに潜在能力を発揮していっている。


 毛利としてもこの甲子園で優勝出来たら、最高だと思っている。

 高校時代には優勝出来なかったし、去年はまだ一軍に定着してはいなかった。

 だが今年は開幕から、なんと全試合出場を果たしている。

 打率と打点はさほどのものではないが、ホームを踏む回数は多い。

 それだけ一番打者としての、出塁するという役割を果たしているのだ。




 大原のスピードは落ちない。

 ライガースベンチは一応、リリーフの用意はしてある。

 だがそれももう、必要ないのではと思えてきた。


 野球には一発がある。

 大原のようなストレートで押していくタイプは、どこかで一発を食らう可能性が高い。

 だが今日の大原は気合がみなぎっていて、そして空回りもしていない。

 シーズン中は完投はあっても、完封は一度もなかった大原。

 だがこのプレイオフの最終戦で、二回から無失点で最後までいくのか。


 勢いがある。流れもある。

 もちろんこういうところで、ポカミスが起こることもある。

 島野は長い野球経験から、そういうこともあるだろうとは分かっている。

 だが外野の頭を越えるようなボールも、毛利がアウトにする。

 これはもう、来年も完全にセンターに定着だな、と判断する島野。

 なんでここ数年の若手は当たりが多いのだとも思うが、もちろん全く芽が出ない者もいる。

 それでも、たとえば大介と同期の育成二人は、支配下登録されそうだとも聞いている。


 上杉も大介も、チームを勝たせる選手であると言うより、それよりもさらに上の選手だと思う。

 すなわちチームを優勝へ導く選手だ。

 ピッチャーならともかく、バッターは優勝請負人と言うのであろうか。

 ただ大介が一人で、チームのホームランの四割ほどを打っているのは確かだ。

 今年のシーズンは少しスランプもあったし、故障もあった。

 だが終わってみれば圧倒的だ。ホームランの日本記録更新。




 大介の四打席目は、象徴的な打席であった。

 毛利が出塁し、大江が打って三塁へ進ませ、そして大介の軽く打ったヒットで、ホームに帰ってくる。

 ホームラン頼りではない、大介の巧妙なバッティング。

 本日四打数二安打の二打点一ホームランである。


 三点差は、大原にとっては安全圏と考える点差だ。

 直史であれば六点あっても油断はしないのだが、大原はそのあたりが甘い。

 だが一点ぐらいはくれてやっても構わないという心理が、さらにボールに伸びやキレを加えてくる。

 八回まで無失点に抑えた大原が、九回の表のマウンドに登る。


 球数は130球を超えた。

 そして制球もやや乱れてきた。

 だが球威自体はむしろ増している。

 いいタイプの荒れ球だ。

 甘く入っても微妙な変化が、ミートを難しくしてくれる。

 一応はゾーン内に散らばっているのだ。

 打っていっても芯を外して、ゴロやフライとなってしまう。


 この試合で大原は、確実にまた一段階段を登った。

 シーズンの成績も良かったが、日本シリーズでは大活躍だ。

 もっともそれでもさすがに、13打数8安打5ホームラン7打点の大介で、シリーズMVPは決定だろうが。

 満塁からの敬遠という、まだしも控えめな伝説が作られたわけであるし。


 最後のボールは高く上がった。

 センター毛利がわずかに前に出て、そのボールをキャッチ。

 それを見たマウンドの大原は、両手を点に突き上げた。

 大阪ライガース優勝。

 三年連続で、甲子園で優勝が決まったのであった。

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