第169話 余韻

 日本一になった。

 高校時代から続けて考えれば、大介は甲子園の春夏、WBCに日本シリーズと、大きな舞台で全て勝っている。

 数々の記録も打ち立ててきたが、そういう記録も一人では達成できなかったのも確かである。


 日本シリーズMVPには、結局大介が選ばれた。

 大原でも良かったのかもしれないが、第一戦や第三戦、そして第五戦でも決定的な働きをしたのは大介である。

(あいつ、年俸上がるだろうな)

 優勝後のビールかけをしながら、大介はもう気分を切り替えている。


 優勝したご褒美のハワイ旅行であるが、大介はもう三回目である。

 初めての大原は、あまり関心がないらしい。

 そういえばこいつは、帰国子女であったか。

 カナダとハワイでは随分と、気候は違うのだが。


 大介はハワイには行かず、実家に戻った。

 ただ実家には戻っても、ほとんどを東京にある、ツインズのマンションで過ごすことになる。

 ここからの方があちこちに移動するのに、便利だからである。

 もちろん契約更改の準備もしなければいけないし、自分でさらに鍛え上げることもある。

 なんと言ってもこの季節は、大学もシーズンオフである。

 なので直史や武史と、純粋に野球の練習を楽しむことが出来る。


 だが武史はともかく直史は、もう野球の一線から遠ざかるそうだ。

 これだけの実績を残して、アマチュアで終わろうとしている存在。

 大介はそれを、もったいないとは思わない。

 彼には直史がプロに来ない理由は分かる気がするのだ。


 たとえば大介の同期の、他球団の一位指名を今見ればどうか。

 さすがに一位指名だけあって、既に引退している者はなかった。

 だが今年一試合も一軍ではプレイ出来ず、完全にプロの世界では通用しないという者もいる。

 まだ見極めは早いと思うのかもしれないが、三年も結果を残せなければ、おおよそ成功か失敗かは分かるものだ。


 一位指名はともかく、二位以下の指名、特に育成契約の選手は、この三年目でバンバンと首を切られている。

 それでなくとも大卒や社会人など、怪我でもう戦力外となる者もいる。

 そういった人間の、これからの人生はどうすればいいのか。

 球団側がある程度世話してくれると言っても、全員がそう上手くいくはずもない。

 他にも30歳前後で、首を切られる選手はどうすればいいのか。

 家庭を持ったりしていいれば、その後の人生はどうなのか。

 もちろん別に、他のサラリーマンだって、一つの会社にずっといられるとは限らない。

 だがプロ野球選手というのは、やはり野球をする以外には、能がないのではないか。

 それこそ大介の父のように。


 直史はおそらく、そういうプロ野球の制度自体を、嫌っているのだ。

 全ては自分の能力次第などと言うが、実際はそれ以上に運も必要なのだと、大介は分かっている。

 大介の父が、能力ではなく運によって、プロの世界から去ったのを知っている。

 才能に能力、加えて人格や精神力などと言ったら、国立などはどうなのか。

 プロ野球選手などというものはつまるところ、気づけばもうこれをやっていくしかないという人間が、選んでいる選択肢だ。

 ひどい言い方かもしれないが、大介などもプロ入りする時、これしか人生の道はないと思ったものである。

 高校生活で一気に学業の成績を悪化させた大介は、確かに肉体労働でなければ、他の職業など考えもつかない。

 ただそういう、これしかないと思う心が、プロには必要なのかもと思う。

 上杉のように、引退したら政治の世界が待っている者もいるのであろうが、あれは完全に例外である。


 直史は他に選択肢があり、そちらの方をより魅力的だと感じた。

 実際のところ直史がプロで通用するかどうか。

 それは本当に、やってみないと分からない。

 ただシーズンを一年戦い通すだけの体力がないとかいう意見は、的外れだと思う。

 直史は灼熱の甲子園のマウンドを体験している。

 そして力ではなく技で、日本代表を抑え込んだのだ。

 慣れれば打てるなどとも言われるが、慣れさせないピッチングが出来るのが直史だ、

 おそらく日本のプロ野球のみならず、世界中のバッターの中で、最も直史を評価しているのは大介だ。

 そもそも専門家などと言っても、大介はいくら運動神経がよくても、フィジカルがないので成功するわけがないと、何人もの人間に言われたものだ。

 本当に実績を残した往年の名選手でも、そんな見方に囚われているのだ。




 直史が出てこれないのは残念だが、早稲谷には他にも淳もいる。

 ついでに星なども拉致して、秘密でもなんでもない施設で、訓練を開始する。


 武史の投手としての才能と性能は、おおよそ大原の上位互換と言えよう。

 日本シリーズの優勝投手となった大原であるが、現時点でも明らかに武史の方が上だ。

 もし武史がプロで通用しないとしたら、原因はそれこそメンタルである。

 武史は、なんとしてでもプロで食べていくぞ、という気持ちがない。

 少なくともライガースであれば、周囲の空気に流されてしまうだろう。バッシングも普通に多い。

 もちろん実際は大介がいるので、しっかりと引き留めるであろうが。


 現在武史は、絶賛色ボケ中である。

 ただ色ボケしていることが、逆に集中力に転換してしまうのが武史である。

 そのあたりは兄に似て、女のために力を発揮するところはある。

 大学二年の秋、武史はとりあえずの進路は決めたが、よくあるパターンの大学生になってしまっている。

 アルバイトの必要もなく、野球で結果さえ出せば、あとは普通に単位を取っていくだけ。

 就職先まで決まっている武史は、レックスに来る。

 あるいは他の球団から横やりがあって、社会人を経由するかもしれないが。


 プロに来るのなら、あと一種類ぐらいは変化球を身に着けるべきだろう。

 現在ではほぼ大原の上位互換だが、同時に上杉の下位互換にも近い。

 ナックルカーブという大きく変化する球を持っているので、そこだけは違うが。




 武史や淳とは、プロの世界について話すことがある。

 星も自分のことはともかく、早稲谷の同学年には、プロ入りの可能性の高い選手が複数いる。

 だから大介の話を喜んで聞くのだが、大介と他の選手では、絶対に扱いが違うだろう。

「淳はどこに行きたいんだ?」

 大介に問われて、すぐに答えられるのが淳である。

「北海道か東北、埼玉でもいいかな」

「パ・リーグなんだ?」

「大介さんと勝負する機会は減らしたいし。さらに西郷さんまで加わるし。アレクさんがいるから、埼玉がいいんだけどな」

「千葉はダメなのか?」

 先輩が行っているということなら、同じパ・リーグに千葉もあるだろうに。

 何より佐藤家から近い。

「在京球団だと、他には神奈川かな。千葉はない」

「なんで?」

「寮と球場の距離が離れすぎてる」

「……そういう見方もあるか」


 在京球団を見れば、神奈川と埼玉以外は、巨神は神奈川、大京と千葉は埼玉と、寮と一軍スタジアムの距離が離れている。

 大介は甲子園へも二軍グラウンドへも、チャリで行ける距離だったので考えなかったが、移動に時間がかかるのはめんどくさいのは確かだ。

 せめて千葉などは、まだしも地価の安いところに、寮と二軍球場を千葉県に移してほしいものだ。

 土地の買取やグラウンドの作成など、金がかかることは確かであるが。

「神戸はともかく福岡は?」

 神戸は寮が神戸にあるが、球場は大阪である。

「福岡は一軍への登板チャンスが少ないと思うんだよね」

 確かに福岡は三軍も含めて選手を大量に取っている。

 それに素材型の選手を取ることの方が多いので、淳はちょっと違うのではなかろうか。


 ちなみに星の場合は、もし行けるとしたら千葉がいいらしい。

 高校野球で散々に……というほどでもないが経験した、マリスタでプレイしたいらしい。

 そういえば、と武史は考える。

 もしもレックスに行くなら、神宮が本拠地となるわけだ。

 東京ドームに比べればまだマシだが、神宮もホームランの出やすい球場である。

 武史のようなフライボールピッチャーには、そこそこ不利のはずである。

「タケは本当に、他の球団に指名されたら社会人行くのか?」

 大介にとっては、武史の才能であっても、出来るだけ早くプロに来て対応した方がいいと思うのだ。

「まあ俺の性格まで把握したうえで、セイバーさんがお勧めしてくれるわけですから」

 確かにセイバーの出した条件はいいし、大介の目から見ても、いいピッチャーがどんどんと揃ってきている。

 リードオフマンとして移籍した西片も一番として成績を残し、センターの地位は不動のものだ。

 だが年齢的には、あと三年ぐらいが能力を保てる限界ではなかろうか。


 他のバッターとしては緒方も一年目から、主に二番か三番でショートを守ることが多かった。

 あの体格で飛ばせるというところは、確かにすごい。

 なのになぜレックスは、ピッチャーの成績が悪いのか。

 ホームランの出やすい球場という以外に、どうもバッテリーコーチの質が悪いのではないかと思う。


 かつては球界の盟主と言われ、今でも人気の高いタイタンズならどうなのか、と問われたら、プロ野球に全く興味のなかった武史は「絶対に嫌だ」と答えた。

 金でどんどんFAや外国人を取ってきて、育成枠も使ってくる。

 そういう金満なところではなく、球界の中でもタイタンズだけにあるルールが、武史の正確に合わないのである。

 移動には必ずスーツだとか、髪を染めるなだとか、紳士であれとか、次男気質の武史には合わないのだ。

 大介としても金持ちの在京球団ではあったが、いざ選手としては行きたくないな、と思ったものである。

 実際にタイタンズに入団していたら、どうであったかは当然分からないが。




 そうやってオフでの練習をしていると、途中で大原が混ざってきたりした。

「佐藤兄はいないのか」

 残念そうに言う大原は、来年のさらなる飛躍のために、変化球をおぼえたかったのだ。

 具体的に何をと訊けば、ジャイロボールを投げたいなどと言ったが。

 それは無理だから、縦スラを磨けという大介である。

 あと大原の身長からなら、スプリットを投げられれば効果的ではないのか。


 球団のコーチとかとは違って、ここではトレーナーは、経験ではなく統計で、その選手に合ったトレーニングを作ってくれる。

「すげえ便利。大阪にも作らないのかな」

 正確にはあのあたりは兵庫県である。


 大原の投げられる球種は、そこそこ多い。

 スライダー、カット、チェンジアップにカーブである。

 ただ利き腕側に変化するボールがない。

 ツーシームを投げても、上手く曲がらないのだ。

「シュートの方がいいですね」

 大原の骨格や筋肉を調べて、そう結論を出してくれる。

「シュートか……肘に負担がありそうなんだよな」

「もちろんありますから慎重に、球数も制限して試していった方がいいですね」

 そしてシュートを身に着けることは、ストレートのスピン量のアップにもつながる。

 元々ストレートというのは、少しだけシュート回転しているものだからだ。


 そしてついでのように、武史もこのボールを習得しようとした。

 本来武史は、手足や全体の柔らかさは、直史以上なのである。

 この体格でMAX166kmのストレートが投げられるというのは、その柔らかい全身の力を、ボールに効率よく伝えているからだ。

 だが武史の骨格や筋肉の性質では、シュートをそのまま使うのはあまり良くなさそうである。

 今でもツーシームは投げているのだから、それで我慢しろということなのだろう。


 武史はスルーを投げてみたい。

 武史があれを投げるとしたら、そのスピードは160kmには達するだろう。

 おそらくそれなら、大介にだって通用する。

 ただしあの精度で投げるというのは、機械ですらまず無理だ。


 武史に必要なのは、コントロール。

 もちろん今でも、むしろコントロールは抜群のピッチャーなのだが、変化球や緩急差までは、まだコントロールは出来ていない。

 新しい変化球を覚えるのが難しいなら、全ての技術を底上げしていかないといけない。

 大介としても武史が手ごわくなれば、楽しい野球が出来そうである。


 契約更改を前にした、秋の終わり。

 大介は次代の球界を担う選手たちと共に、実りある時間を過ごした。

 そしていよいよプロ野球選手のもう一つの戦いの場所、契約更改へと向かうのであった。

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