第41話 怪獣大決戦
日本一熱いライガースファンと言われているが、それでも上杉先発の神奈川スタジアムの試合は、そうそうチケットが取れるものではない。
だが中には金とコネの力で、普通にVIPルームを確保してしまう者もいる。
「招待されたから来たけど、本当に良かったのか?」
「空いてる部屋がもう16人部屋しか残ってなかったのよ」
大介と上杉の、三度目の対決となるこの試合。
イリヤの無茶振りに応えたマネージャーであったが、人数の少ない部屋はもう予約されていたため、企業がVIP用に確保してある部屋を譲ってもらったのだ。
なおそれと引き換えに、イリヤは企業のCMに自分の楽曲を提供した。これはこれで別料金である。
芸術というのは、場合によってはちゃんと金で買えるものである。
イリヤの他には直史と瑞希、セイバーや秦野夫妻などに、イリヤの知り合いのミュージシャンなどもいて、ちょっとしたパーティーのような空気になっている。
なおツインズがいないのは受験勉強などというありきたりな理由ではなく、ライガース側応援団最前席を、自分たちで確保しているからである。
縞模様のはっぴにメガホン持って、立派な野球観戦者である。その隣には千葉ではさんざん見かけた、トランペットを持った応援おじさんがいたりする。
優雅にソファに座りながら、ホテルのような豪勢な食事を、はぐはぐと口にするイリヤ。
こいつはけっこう食うときは食うのだが、肉にも脂肪にもならない体質らしい。
「直史は、どちらが勝つと思う?」
「神奈川」
「そうじゃなくて、大介と上杉よ」
イリヤの問いは、彼女が見たいものをそのまま示している。
この試合の勝敗などはどうでもいいのだ。
ただ、大介というイリヤにとっては破壊の象徴である人間と、それをも上回るという人間、どちらの方が上なのか。
人間と人間の対決として、イリヤはその魂の燃焼が見たいだけで、試合はそれに付随するものに過ぎない。
「上杉さんとは結局、戦うことはなかったからなあ」
もちろん直史は、上杉の常人離れした能力を知っている。
だがそのピッチャーとしてのスタイルは、自分には真似の出来ないものであった。
圧倒的なフィジカルの才能と、それに依存することない克己心。
それが上杉という人間である。
正直なところを言えば、大介の方が不利だと思う。
元々野球は、バッターは三割打てば一流というスポーツなのだ。大介は例外にも思えるが、上杉だって例外だ。
ただ、直史としては大介が、この試合の意味をどう捉えているかは気になる。
(あいつ、何を目的にしてるんだ?)
直史には分からない。
高校野球においては、とにかくチームが勝たなければいけなかった。
点を取られない、勝たせるピッチャー。そのための前提として、ヒットも打たせないことを課していた。
自分の成績はどうでもいい。だが必要な場面で出て、チームを勝たせる。だから直史は他のピッチャーに任せたし、ノーノーでも武史をマウンドから引きずり下ろした。
全ては、最後まで勝ちたかったからだ。
大学において直史は、そこまでのことを求めてはいない。
とりあえず考えるのは、防御率ではナンバーワンになること。つまり打撃陣が少しでも相手を上回れば、勝てるというピッチングが出来ればいい。
パーフェクトや完封というのは、樋口が考えるため、直史が余裕を持てるから出た結果にすぎない。
大介は、プロとしてやっていく上で、まず何を大事に考えているのか。
前の対戦ではパーフェクトをやられてしまった相手だ。おそらく日本一のためには、プレイオフでも必ず倒さなければいけない相手だ。
大介が重要視しているのは、まずは自分の成績であるのは間違いないだろう。
だがチームに入って一年目で、どれだけこのチームの一員となれているのか。
基本的に大介はマイペースだが、誰とでも普通に話せる人間でもある。
だからベテランの多いライガースの中でも、ちゃんと機能しているのだろう。成績の数字が物語っている。
ただ、一つ懸念はある。
白富東というチームが、素晴らしすぎたということだ。
コーチング、チームメイト、メンバーの一体感と、それとは正反対の独立心。
あのチームを経験している大介が、ライガースというチームをどう感じているのか。
たとえば直史は、大学のチームにおいては自分の役割は果たすが、別にチームが負けても構わない。
ぶっ壊れてでも勝ちたいとも思わない。なぜなら自分の価値は、ピッチャーとしてのものであるからだ。
壊れずに四年間を過ごす。その中で点を取られない。直史の考えているのはそれだけだ。
大介はどう意識しているのか。
まず大切なのは初打席だ。前回完全試合をやられたイメージを、どう払拭するのか。
それともバッターの本能で、全力でボールを打つことを優先するのか。
ビジターのライガースから、攻撃は始まる。
遠目に見ていた上杉の投球練習であるが、あれが最速170kmというものか。
球速のMAXを150kmに乗せて、立派な速球派とも言える球速を手に入れた直史であるが、上杉とはレベルが違う。
自分が相手の戦意を消失させるには、とにかく凡打を繰り返させて、じわりじわりと絡め取っていくしか手段はなかった。
だが上杉は一球のパワーだけで、球場を沸かせることが出来る。
ドカンドカンと大砲のように、ストレートを投げ込んでいく。
これが甲子園などの高校野球であれば、それだけで相手のチームは戦意喪失しそうだ。
だがそれでも試合をやらなければいけないのが、プロの厳しいところである。
上杉勝也は確かに、高校時代に敗北している。
だがその理由は、キャッチャーが上杉の能力を活かしきれていなかったからだと言われている。
それは本当なのかもしれない。樋口がキャッチャーを務めた最後の夏は、一点も取られなかったのだから。
上杉は対戦相手ではなく、ルールに負けた。そう言われている。
直接見たのは、一年の春のこと。
対戦相手との巴戦で、あちらの一軍との試合で投げていた。
その頃は確かに、まだ本気を出しきれていなくて、試合としては負けていた。
だがプロの場にまで進んで、普通に自分のボールを捕れるキャッチャーたちにめぐり合えた。
プロ入り三年目のこれまでに、ノーヒットノーラン二回、パーフェクト一回。
先発として取れるタイトルは、全て獲得している。
怪我などがない限りはおほどの不運に遭わない限り、このまま覇道を突き進むのではないか。
もしそれを止められるバッターがいるとしたら、確かにそれは大介ぐらいであろう。
一回の表から、上杉は軽く投げたボールで160kmを超えてくる。
直史は技術を尊ぶ人間であるが、さすがにあれだけの圧力があるボールを見ると羨ましくならなくもない。
この上杉に対し、ライガースは少し打線を変えている。
二番にいることが多かった石井を下位打線に持っていって、五番のロイ・マッシュバーンを二番にしている。
速球になれたメジャーリーガーを、より対戦する可能性の高い二番に持って来るというのは、それなりに考えられたことだと言える。
他の球団で、もしくは他のピッチャーであれば、大介が敬遠された時のために、その後ろにも長打を打てる打者が必要になる。
しかし上杉が逃げるはずはない。
ならば大介の前に、少しでも出塁率が高い打者を集めるのは当然の作戦である。
ロイもメジャーで打っていただけあって、もちろん160kmオーバーのピッチャーには対応出来る。
だが上杉は160kmオーバーではなく、165kmオーバーであるのだ。
一番の西片が雑魚のように片付けられ、二番のロイ。
165kmのストレートをインハイに投げられたら、さすがに目が追いつかない。
(とんでもねえ化け物だ。MLBでもこんなのは一人か二人いるぐらいだろう)
昔から、日本からやってくるピッチャーは化け物が多かった。
事情を知らないロイは、上杉もまた数年後には、海を渡ることになるのだろうと思っている。
170kmというのは、もちろんロイにとっても未知の領域だ。
それ以前の段階のピッチングで、この間は完全に抑え込まれた。
メジャーでいうところのノーヒッター。それを何度も達成しているこの止まらない猛獣を、どうすればいいのか。
どんな球が来ても打つというのは不可能だ。
最初から球種を絞って、それでようやくヒットが出るかどうかではなく、当てられるかどうか。
ストレートに絞る。完全にそれ以外は、もうどうしようもない。
そんなロイへの三球目のストレートを、弾き返した。
球威に押されてライト側になったが、それでも内野の頭を越えて、ちゃんとしたヒットにはなった。
ワンナウト一塁。
そしてバッターは大介。
敬遠する意味も理由もない場面が、いきなり巡ってきた。
大介シフトというものがある。
単純に外野に最初から奥深くに守ってもらうというものだが、これによって大介の三塁打はほとんど潰され、ツーベースを打つよりもホームランを打つ方が簡単という、わけのわからない状態になっている。
「けどこの場合、外野の前の浅い単打だと、ランナーが三塁まで進めるな」
直史はそこに注目する。
得点を狙うなら、ホームランを狙っていくしかない。すると外野フライまでだと普通にアウトになる。
後続に任せるなら、まずか確実にヒットを打って、ランナーを一三塁にする。
四番の金剛寺も三割を打つ長距離砲で、五番と六番も打率は悪くない。
「上杉君相手でも、ヒットなら打てますか?」
セイバーの問いに、直史としては簡単に答えるわけにもいかない。
大介が内野の頭を越えるか、間を抜いていくヒットに徹するなら、上杉からでもそれなりに打てるだろう。
だが後続の金剛寺たちでヒットが打てるかというと、はなはだ心もとない。
ヒットで出ればワンナウトでロイを三塁までに進められるため、タッチアップやスクイズ、キャッチャーのパスボールなど、可能性は格段に上がるのだ。
「チームを信じるか、自分を信じるか……」
その直史の言葉と共に投じられた二球目を、大介は痛打した。
手元で曲がるカットボールをタイミングを合わせてミートし、ライトの前に運ぶ。
俊足のロイは三塁にまで進んで、ワンナウト一三塁。
ライガース先制の絶好のチャンスである。
後続に託した。
「まずはチームバッティングか」
直史としてはこれも、別に悪い選択だとは思わない。
連打を食らうなど、上杉には滅多にないことである。だからここで叩き、なんとか一点は入りそうな状況に持っていく。
悪くはない。悪くはないのだが。
「セイバーさん、データ的にはどう思いますか?」
「普通のピッチャーが相手なら悪くはないんでしょうけど」
上杉は規格外だ。
ライガースの不動の四番金剛寺が、バットに当てることも出来ずに三振した。
そして続く五番もあっさりと三振で打ち取られる。
上杉の被打率が少なすぎるというのもあるが、ここで確実に三振が取れるのが上杉なのだ。
「つまらないわ」
観戦していたイリヤが言う。
「今の大介は全然、いつもの気迫がなかった」
大介の暴力的なホームランを、イリヤは嫌っていたはずだ。
だが今日は逆に、その刺激がほしかったようである。
直史としてはこれで、次の打席が楽しみになった。
二人が出たということは、このままなら次の打席の大介は先頭バッターだ。
そこで大介がどういうバッティングをするか。
「上杉さんも色々と考えてるな」
直史としてはそう言うしかないのだが、あんな化け物がさらに考え出したら、さらにとんでもないものになる。
高校時代のわずか四ヶ月ほどで、樋口が遠慮なく改善点を述べていったらしいが、それであんな化け物が完成したというのだから恐ろしい。
いや、プロに入ってからの成績を見れば、まだ成長の途上にあるのか。
試合展開はほぼ上杉のワンマンショーである。
アウトの半分以上を三振に取るという、まさにいつもの上杉だ。
ライガースの先発山田も、丁寧なピッチングで不用意なランナーを出さないのだが、上杉の存在に支えられている神奈川の打撃陣は、積極的に振ってくる。
山田としてもここまでに、様々な苦境を味わってきた。
いくら相手が上杉でも、極端な話一点も取られなければ、引き分けでこの試合を終えることが出来るのだ。
「そういえば今年って、引き分け一個もないよな」
誰かが気付いたが、確かに珍しいことに、引き分けがない。
そもそも延長に突入したことがない。まあたまたまであろうが。
山田は覚悟を決める。
最悪無援護でも、0で封じて引き分けに持ち込む。
上杉以外のピッチャーからならば、今年のライガースならなんとか点を取れるだろう。
この状況での引き分けならば、ほぼ勝ちに等しい。
そう思った三回の裏、先頭打者はピッチャーの上杉。
気が抜けたわけでもないスライダーを、スタンドまで運ばれた。
投手のくせに長打力も失っていない上杉は、一年目は七本、二年目は五本と、下手な野手のスタメンよりも多い本塁打を打っている。
甲子園では最後の夏までは四番を打っていたのだから、間違いなく打力もあるはずなのだ。
試合後に調べて分かることだが、上杉のOPSは下手なクリーンナップよりも高い。
だがまずは神奈川が先制点。
ここからライガースが巻き返せるのか。もしもパーフェクトこそ既に阻止したものの、完封などをされてしまえば、チームに与える影響は大きい。
後続こそ打ち取りながらも、山田の表情は厳しい。
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