第246話 伸び代
本当にいいバッターというのは、打率もOPSも三冠王も関係なく、打ってほしい時に打ってくれるバッターだ。
高校時代に大介が、ジンから言われたことである。
全ての打席でホームランを打つバッターなどいないが、それと比べても打つべきときに打つということは重要だ。
(さて、勝負してくるかどうか)
一番の毛利、二番の大江と、ストレートで空振り三振している。
大江はともかく毛利は、追い込まれてからもカットで粘るタイプだ。
それが全く通用せずに、空振りしてしまった。
大介が聞いたのは「浮いたような」という言葉であった。
オープン戦でも対戦していたが、それよりもさらに脅威度が上がっているのか。
(まあプロならシーズン戦で勝たないと意味はないしな)
軽く素振りをしてから、大介はバッターボックスに入る。
真田が樋口に打たれて、一失点というスタート。
これはかなり珍しいことだが、樋口は確かに、打つべきときに打つバッターではあった。
ワールドカップやWBCでも、普段はキャッチャーの仕事だけをしているような感じであったのに、重要な場面は一発で決める。
敵ながら見事なバッティングだと言わざるをえない。
ベンチの中から真田は、怨念のこもった目でグラウンドを見ている。
マスクを被った樋口は、もちろんそんな視線は気にせずに、大介にだけ集中する。
他のバッターはどうにかなる。だが大介だけは別だ。
大学時代の先輩であった西郷も、それなりには怖いバッターだ。
だが大介とは、明らかにレベルが違うのだ。
不世出という言葉がよく似合うバッター。
単純にスラッガーなのではなく、真に恐るべきはそのミート力。
あれだけ飛ばすスイングをしていながら、年間で50三振以上したのは、ルーキーの一年目だけ。
それ以降は全て、30三振以内に収めている。
恐ろしく、アウトにすることが難しいバッター。
単純な点取り屋ではなく、チャンスを自ら作ることも出来る選手だ。
だが、だからこそツーアウトで、大介を迎えることに意味がある。
(一試合に一度ぐらいのフォアボールは許される。まあそのボール球でも、届くなら打っちまうんだけど)
初球、大介は一瞬、ボールを見失った。
(ナックルカーブ!)
とっさにそう判断し、体を開いてしまう。
打つのではなく、見るために。
かなりの変化量があって、落差も充分。
ゾーンを切断するような軌道は、真田のスライダーともまた違うが、やはり左打者相手には、相当に打ちにくいボールになっている。
(これを基に組み立てるなら、確かに打つのは難しいだろうけど)
二球目、わずかに大介の腰が引けているのを見て、アウトローにストレートを投げ込んできた。
大介は踏み込んで打っていったが、バックネットに突き刺さるファール。
武史の球威でも、当ててくる大介には舌を巻く樋口である。
(でもまあ、ツーストライクに追い込んだか)
三球目、わずかに外れるアウトローへのムービングを、大介は悠々と見逃した。
(こんな化け物相手なんだからストライクに取ってほしかったけどな)
樋口も上手くフレーミングが出来なかったので仕方がない。
そして四球目は、インハイへのストレート。本日一番の165km/hである。
これを打てば、またボールはバックネットに突き刺さる。
相当のバッターでも、今のインハイは普通なら空振りする。
あるいは振ることさえ出来ないのだが、そこはさすがに大介と言うべきか。
(う~ん)
樋口は悩む。次に投げる球で、おそらく大介は打ち取れるだろう。
いや、むしろこの打席を捨てても見てくると考えるべきか。
チェンジアップということも考えたが、おそらくこれは見逃されるし、カットすることも出来るだろう。
それでもナックルカーブをこれ以上見せずに、大介を打ち取れないものか。
そして出したサインに頷き、武史はボールを投げる。
軌道のせいで、左打者からは、一瞬消えたように見えるのだ。
ナックルカーブ。大介は振らずに、その軌道をしっかりと記録した。
見逃し三振で、ストライクバッターアウト。
勝つことは勝ったが、ただこの打席を凌いだだけかもしれない。
大介は三振するにしても、見逃し三振が多い。
それは審判ごとのゾーンの見極めに失敗するということと、ピッチャーの決め球を見ておきたいと、一打席を捨てることがあるからだ。
その感覚からすると、次で微調整して、その次の打席で打てばいいかな、という感覚である。
二回の攻防からは、投手戦になった。
ライガースはセで一番の得点力を誇るが、レックスも着実に点を取っていくだけの打線は作っている。
だがそれでも、両軍のピッチャーの出来がいい。
真田がホームランの一点で、その後はランナーを出さないピッチングをする。
武史も三回まで投げて、なんとパーフェクトである。
ここらあたりから、樋口はリードが楽になってくる。
四回の表も三人で終わらせた真田は、わずかずつではあるが苛立ちが募ってくる。
「あんたとりあえず一本放り込んできてくださいよ」
この回に二打席目が回る大介に、そんなことを言ってくる。
「この打席はまだ約束できないなあ」
大介はのほほんと、真田の望みを却下する。
だがそれは、約束出来ないというだけで、諦めているわけではない。
去年の試合でも思ったのだが、樋口がキャッチャーをすると、おおよそ10%ほどはピッチャーが打ちにくくなっているような感覚がある。
実際に樋口が正捕手に固定してからは、防御率が一点ほども下がったのが、数字で示されている。
(またナックルカーブを決め球に使ってくるかな?)
一球目はまた様子を見るか、と思ったところへアウトローのストレート。
これにはさすがに手が出なかった。
(考えを読まれてるなあ)
大介は樋口相手に、読みで打つのは難しいなと考える。
ならば来た球を、そのまま打っていくしかない。
二球目は逃げていくムービングを打って、ファールになる。
これでツーストライクと、やはり早めに追い込まれてしまった。
(くっそ上手いやり方だな。確かにタケのスピードだと、なかなか狙わんと打てん)
大介は一度バッターボックスから出て、軽く素振りをした。
肩の力を抜くような素振り。樋口はそれを見ても、油断はしない。
三球目はチェンジアップが、完全にボールのコースに落ちてワンバウンド。
「楽に!」
そう言って武史にボールを戻すが、今のチェンジアップは次の速球への布石ではないのか。
色々考えるが、構えてしまえば頭の中はクリアである。
打てる球を打つ。それだけだ。
投げられたボールはインハイストレート。
大介のスイングは空振りし、二度目もまた三進を奪ったのであった。
大介の二打席連続三振というのは、そうそうあるものではない。
しかもこれで、四回までパーフェクトピッチということだ。
さすがにまだイニングが早く、そこまで期待するのは難しい。
だがまさか、という期待は出てくる。
地元関西と言っても、ここは甲子園ではないのだ。
新監督の金剛寺は、ここまでの試合の流れを考える。
最初に一発を食らった真田は、そこからはむしろ普段以上に、気迫のこもったピッチングを続けている。
レックス打線もかなり整備されているが、ここからはそう簡単に点は取られないだろう。
「さすがにパーフェクトはないですよね」
バッテリーコーチと共に、ヘッドコーチも務める島本は頷く。
「狙っているようには見えないが、だからこそ伸び伸びと投げてるな」
「真田を最後まで使いますか?」
「いや、球数はそこそこ増えているから、七回までかな」
ピッチャーの継投については、ほぼ島本に任せている金剛寺である。
ただし負けている時のピッチャーの交代というのは、相当に難しい。それがわずか一点差であればなおさらだ。
さすがにパーフェクトはありえない。
そう考えていた二人は正しく、武史は五回の裏、ツーアウトから黒田にヒットを許してしまった。
あああ、というため息が、ライガースファンの間さえ洩れたのが、象徴的な出来事だろうか。
その後はしっかり抑えたものの、武史に対する樋口の要求は厳しい。
「グラントまで抑えて、少し気を抜いただろ」
わずかに甘く入ったボールを、黒田は痛打したのだ。
ライガースで一番危険なバッターは、間違いなく大介である。
しかしその大介を安易に歩かせることが出来ないのは、ほぼ三割を打つスラッガーの西郷と、打率はやや下がるがやはりスラッガーのグラントがいるからだ。
この二人を抑えた次の黒田も、二桁を打つバッターではあるのだ。
なので武史のボールを打って、ヒットにすることぐらいは出来る。
ピンチは普通に凌ぐことが出来るが、どうせもいいところでは打たれてしまう。
まだに武史の特徴ではある。
ただルーキーが五回までを投げて無失点というのは、やはり上出来すぎる。
ふつうならここからリリーフをしていってもいいのだが、相手はライガースで真田なのだ。
追加点を取る可能性が低く、そしてリリーフでは打たれる可能性が高い。
少なくとも大介と真っ向勝負して、ちゃんと勝ちきれるのが武史ぐらいだと思うのだ。
金原もそこそこ対戦成績はいいのだが、ローテ投手を中継ぎに回すわけにもいかない。球場内にいないのだし。
試合は進んでいった。
疲労などはないが、武史のボールでも、さすがにプロは当ててくる。
それでもおおよそ打つのは内野へのゴロかフライ。
奪三振をしっかりと奪っていって、なんとか大介に四打席目を回さないように考える樋口。
ランナーが三人出たら、大介に四打席目が回ってくる。
それを回さないだけでも、充分に意味がある。
問題は七回だ。
このままランナーを出さないピッチングをしていっても、ワンナウトで大介に回る。
大介は単打までに抑えれば充分。
それは樋口の見解でもあるが、口には出さない。
プロの世界なのだ。
分かりやすい勝敗をつけて、観客や視聴者を楽しませなければいけない。
(だから無理すれば打てなくはないけど、普通に打つのは難しいボールゾーンに投げていく)
それで単打か、二塁打までに抑えれば、つまりホームランさえ打たれなければ、ピッチャーの勝利と言える。
(改めて、化け物みたいなバッターだな)
そして、その七回がやってくる。
球数はまだ充分であり、ここまではフォアボールもなく、黒田のヒット一本のみ。
おそらく開幕戦以上にしっかりと集中している。
それでも集中力に波があるのは、相手打線が相手打線だけに仕方がない。
七回もまず一人を三振にしとめて、そして大介の三打席目。
見逃してもらった一打席目、対応力以上のボールを投げた二打席目、それでは三打席目はどうするか。
初球はナックルカーブであった。
だが大介のバットでも、スタンドに持っていくのは難しい外角へ。
ゾーン内に入っていなければ、これはなかなか打てるものではない。
二球目はチェンジアップが、下に外れた。
これまでの打席と違い、ボール先行である。
(ストレートで来るな)
大介の直感としては、そう思うしかない。
ただその直感を外してくるのが、樋口というキャッチャーのリードなのだが。
しかし樋口は、おそらく武史のボールで、大介と勝負してくると思うのだ。
オープン戦ではある程度の見通しをつけただろう。
そしてこの試合では、封印していたナックルカーブを使っている。
鮮烈なデビューを果たした武史が、ここでライガースの連勝を止めるということ。
樋口はそこまでを考えているが、大介はそこまでは考えていない。
ただ目の前に、鮮烈な輝きを持つ敵がいる。
あやふやな逃げ方をしてくるのではなく、勝負してくる敵がいる。
まさに強敵と書いて「とも」と呼ぶべき存在だ。
(成長しやがって)
自然と凶暴な笑いが洩れてくる大介である。
ストレートで決める。
樋口はそう考えていたし、武史にも伝えていた。
スターズはまだ隙のあるチームだ。恩人である上杉のチームで、最初のカードで負け越したが、弱点が見える。
ライガースにも弱点らしきものはあるが、それははるかに小さいものである。
ここでライガースの勢いを止めなければいけない。
明日は真田は投げてこないだろうが、こちらも武史が投げるわけではない。
なので殴り合って勝ってもいいのであるが、それは物事の根本的な解決にはならない。
ライガースに勝つということは、大介を封じるということだ。
もちろん敬遠という手段もあるが、それはシーズン序盤で使うべき作戦ではない。
監督とも話した上で、既に許可は得ている。
一点差のままここまで来てしまったのは、少し計算外だが。
ランナーのいない状態であれば、ホームランでも一点。
同点までなら許容できる。おそらくスタミナは武史の方が真田より上回る。
シーズン中盤であれば、慣れていない武史が、調子を落としていたかもしれない。
だが序盤の登板二度目となれば、まだ完全に問題のない状態だ。
ここで抑えられないのなら、中盤や終盤ではさらに抑えるのは難しい。
スタートダッシュを決める。
そしてスタートダッシュを決めさせない。
その意味でここは、勝負である。
武史の投げたストレートを、大介は弾き返した。
しかしその打球の軌道は、大介の理想とするものとはほど遠い。
ドーム球場なので、風などの言い訳もきかない。
最初から深めに守っていたセンターが後退し、フェンスの数歩前でキャッチした。
外野フライでツーアウト。
三打席目も、凡退に終わった大介である。
球威が優った、と言えるのだろう。
樋口はほっとしながらも、ボールに外れた高目を、あそこまで持っていく大介の脅威をひしひしと感じる。
だが、最大の難関は乗り越えた。
あとは武史がやらかさないように、そこを注意していくだけである。
……それが難しいのだが。
武史としては、大介との四打席目など、そんなおっかない状況にはなりたくない。
集中力としては、開幕戦よりもさらに高かっただろうか。
西郷などの強打者相手にも、下手にストレート一本やりではなく、ちゃんと変化球を混ぜていく。
もちろん出来れば、一番エラーなどの可能性も少ない、三振がいいのだが。
終盤にかけては、武史のパフォーマンスが一番発揮される段階だ。
連続三振に加えて、内野フライのアウト。
大介としても、その力を読みきれなかった。
(思ったよりも上だったな)
だがその手札は、今日でもう見切ったと思う。
シーズン中にどれだけ調子を上げてくるか、それが楽しみだ。
この日、ライガースは開幕からの連勝を6でストップさせられた。
武史は二試合目を、ヒット一本のフォアボール一本で完封する。
リーグ全体としても、上杉に次ぐ早さの二勝目。
レックスの今年を象徴するかのような、かなりの力の入った一戦であった。
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