第43話 元気ですか
大介と上杉の三打席目の対決は、いささか拍子抜けした感じに終わった。
フルカウントからのアウトローを、大介が見切ってフォアボールを選んだのだ。
上杉は相当にコントロールもいいのだが、ボール一個は外れていた。
ここからは打っていっても長打にならないと、大介が完全に選んだのだ。
塁に出てやや大胆にリードを取ってみるが、上杉は牽制もしない。
だが走ることも難しい。やはり尾田は12球団の中でもキャッチャーとしては別格の能力を持っている。
なんとかプレッシャーを与えて上杉を崩したいのだが、それはこの二年間で、他のチームが散々に試してきたことである。
盗塁は不可能だと思わせる。技術などではなく、気迫で。
そして結局ここでも無得点。
ノーヒットノーランも早々に潰してはいるのだが、このままでは完封される。
ベンチの空気が重いのは、明らかに上杉が大介には集中しながらも、他のバッターも軽く捻られているからだ。
上杉もプロに対応してきている。
単に勝つだけではなく、シーズン中にどう勝てばいいのか、エースとして支配者として、ゲームをどう動かせばいいのか分かってきている。
大介にはまだそれが分かっていない。
リーグ戦のシーズンを初めて送る大介には、圧倒的に経験値が足りない。
それに上杉には、昔から人を引きつけるカリスマと、その中の中心となることへの慣れがある。
大介は基本的には一匹狼で、チームで戦う時でも、司令塔になることなどはなかった。
もちろん頼りになる中核選手で主砲であったが、ここで戦況分析するためのメモリが全く足りていない。
そしてベンチも、それに気付いていなかった。
ライガースが去年まで、最下位争いをしていることの多かった理由でもある。
勝つべき時に勝つことを知らない。
金剛寺などは若い頃、ライガースがAクラス常連だったことも知っているのだが、基本的に首脳陣が頼りないのだ。
シーズン中の一つの試合の価値を、高めるのも低めるのも、年間を全て見通すだけの視点を持つ者がいない。
大介は高すぎる能力と技術を持っているが、それを発揮する判断力が落ちている。
ライガースには直史もジンもいない。そして大介はシーズンを通して戦うということに、間違った慣れ方をしてきている。
直史が分かっているのだから、妹たちも分かっているはずだ。
しかし大介にはその声も届いていないのか、届いていても理解されてないのか。
結局ランナー残塁のまま、このイニングも終える。
ベンチの中の空気も重い。
大介にもこの雰囲気というのが、敗北の前兆だということが分かってきている。
たったの一点が取れない。
「まだまだ終わってへんぞ。まず一点も取らせんな」
監督の島野はそう言って選手を送り出すのだが、上杉が支配力を発揮したゲームでは、点差は関係なく勝てないという経験を積んでいる。
上杉には勝てない。だからこそ上杉の影響力の及ばない展開を作り、そこで勝つしかない。
負け犬根性が染み付いている。
上杉は自分一人でチームを変えてしまったが、大介にはそこまでのカリスマはない。
だが人間的なカリスマなどではなく、その打棒で、大介は局面を変え、あるいは決定打を放ってきた。
大介の一発が、この局面の打開には必要なのだが、これまでのライガース打線への信頼が、悪いように働いている。
金剛寺ほどのバッターは、白富東にはいなかった。
アレクであっても、おそらくプロのこのレベルでは、まだ高校生の時点では、西片にも及ばないぐらいであろう。
三割30盗塁を毎年している西片は、リーグトップレベルの先頭打者ということは置いておいて。
(どうにかしないと)
八回、ワンナウトから大介の四打席目が回ってくる。
おそらくこれが最後の対決の機会。しかしまたも、ランナーが前にはいない。
今から思えば一回、一死でロイが塁にいた、あの場面が最初で最後のチャンスだったのか。
(いや、ここで俺が出れば、まだチャンスは生まれる)
それは錯覚だ。
声の届かない高所の観戦席から、むしろ直史はテレビ画面でその対決の様子を見ていた。
「もっと傲慢になれ」
自然とそんな声が洩れていて、直史は頭を掻く。
大介の構えが小さい。
それはヒットで充分な時のフォームであるかもしれないが、上杉からホームランを打つのは難しいだろう。
高校時代に比べれば、自分のチームの打線の力は、確かに高くなっているのだろう。なにせ高校の打者でも本当の上澄みだけが、プロの選手なのだ。
三年生の夏には、地方大会で七割を打っていた織田が、三割しか打てない。それがプロの世界だ。
大介も色々と縛られながら、高校時代ほどの数字は残せないでいる。
だがチームメイトは確かに頼りになるかもしれないが、相手がラスボス上杉であれば話は別だ。
上杉はプロの中でも別格。メジャー級どころか、メジャーで殿堂入りをしてもおかしくないほどのピッチャーだ。
おそらく世界のピッチャーという個体を集めても、五指に入るかあるいはトップかもしれない。
まさに神のようにゲームを支配する上杉に対してた、ホームランしか狙わないほどの蛮勇が必要なのだ。
セイバーとしても、彼女が普段は信じない直感によって、現状を感覚的に把握している。
「白石君は、勝てませんか?」
「勝利をどう考えるかで勘違いしてますね」
直史としては、試合に勝つのが最優先だ。
タイトルホルダーであるミスターライガース金剛寺や、他の育ってきた若手であっても、圧倒的に上杉の方が格上であるのだ。
勝つためには、ホームランを選択するしかない。
だが大介は勘違いして、まず自分が出塁し、そこから点を得ようとしている。
大介はとにかくホームランを狙うべきなのだ。点を取っていかなければ勝てない。
ライガースは白富東ではない。
自分が打つまでは相手を封じてくれる絶対的エースはいないのだ。
いるとしたらそれこそ、まさに今対戦している上杉である。
上杉のストレートが、内角一杯に入る。
打つべきだったかどうか、バッターボックスの中で大介は迷う。
上杉はもう、単純な力勝負はしてこない。
残念であるが、それは状況からして仕方がない。
今はただ、試合の勝利を願うだけ。
粘った後の七球目のストレートを、レフト前に落とした。
これで今日は三打数三安打の猛打賞だ。
ただ、打点は一つもついていない。
(なんとか――)
大介が一塁から見つめる光景は、上杉がひたすらバッターを圧倒する姿。
自分に対して見せていたのとは違う、支配者のピッチングだ。
ある意味上杉は、大介を認めているのだ。
だからこそ大介を封じる。この試合に勝つだけではなく、チームとして優勝を狙うために。
記録上では大介の三安打で負けているように見えるが、試合の流れを変えてしまう、大介の一発を選択出来ないピッチングをしているのだ。
だからやはり、あの最初の打席が唯一、ホームラン以外で勝てる勝負であった。
八回の表が終わり、その裏に上杉のチームメイトたちが、二点目の追加点を上げた。
九回の表はあっさりとライガースが最後の攻撃を終え、試合の勝敗は決した。
完封された憂さ晴らしに夜の街へ繰り出す者も多いが、大介はそんな気分になれなかった。
これで上杉が先発した時の神奈川との戦いは、一勝二敗。
この後もまた、これまでの二戦のように、ライガースの調子は落ちていくのか。
上杉はたとえ負けても、牙の痕を敵に刻み付ける。
スマホに知り合いからのメッセージが送られてくるが、ぼんやりとそれを眺める大介。
「来ねえな……」
いつも試合の後に、必ずメールを送ってくる、騒々しい双子からのメッセージがない。
こういう時にはあの二人も、気分転換には役立ってくれるのだが。
だが、待っているとようやく来た。
そろそろ風呂に入って寝るかという、そんなぎりぎりの時間であった。
『今下にいます』
「はあ?」
宿泊しているホテルにまでは押しかけてこないのが、あの二人のマナーであったはずなのだが。
放っておくのもなんだし、わざわざ直接来たということで、大介はほいほいと一階のロビーまで下りてくる。
ここだろうなと思っていたところに、やはり二人はいた。
「珍しいな。わざわざこんなところまで来るなんて」
ライガースのハッピを羽織ったままの二人は、どちらがどちらかいまだに大介は分からないのだが、片方が背中に回った。
そして腕をがっしと固めると、もう片方が勢い良くビンタをかましてくる。
腰のきいたいいビンタに、不意のものであったのでさすがに大介もくらくらしたが、双子はスナップを利かせて今度は逆の頬を叩いた。
キリスト教徒でもない大介としては、この悪逆非道のスナップビンタは、実はかなり涙目になりそうである。
「大介君、今日は全然駄目だった」
「ほんっと~にダメダメだった」
そうは言うが、今日の試合は大介以外にヒットを打てたのはロイだけである。
「初回は大介君の前にわざとランナーを出したのかもしれないよ」
「あそこでホームランを狙わなかったのがダメダメなんだよ」
それは、確かに結果論ではあるが正しい。
「それで二打席目、ノーアウトから単にヒットを打ったのもダメ」
「三打席目も大介君だったらホームランに出来るボールがあった」
「大介君はホームラン打たないとダメ」
ダメだしの嵐であるが、この双子の直感は概ね正しい。
ホームランか。確かに大介は打率は圧倒的であるが、打点と本塁打にはまだ上昇の余地がある。
「あと、お兄ちゃんからも伝言。『大介、ホームランをねらえ!』だってさ」
「え、何かのネタ?」
「知らないけど」
「見てた場所違うし」
大介は直史からそういった伝言をもらうのは珍しい。
そもそもあちらはプロ野球は、ほとんど見ていない雰囲気すらある。
甲子園が終わった後のこの試合を、わざわざ見に来たというのか。
自分もテレビを見ながらやいやいと騒いではいたが。
手を伸ばした大介は双子の頭を、やや乱暴に掻き回した。
「つーか俺のホームランが、お前らが見たいだけだろ?」
「でも、大介君が打たないと、チームは勝てないよ」
「だいたいいつもそうなんだよ」
チーム。チームか。
自分は何か少し、勘違いをしていたのかもしれない。
打てよ大介。
お前が打たねば誰が打つ。
誰かに頼らず、自分の戦意の赴くままに、上杉と対決する。
思えばあの初対決、四打席目に打てたホームランが、大介をスランプへと放り込んだ。
それを自分はまだ恐れているのか。
むしろ二度目の対戦の、完全試合の方がショックは大きいだろうに。
ホームランを打つのか。
「あと一回、甲子園で対戦する予定だしな」
大介の目に、戦意の炎が見える。
「お前らも来たいなら、チケット用意しておいてやるぞ」
大介がこんなことを言うのは初めてなのだが、二人としては既に確保済みである。
平日は無理だが、土日や祝日はほぼ制覇している、芸能人で受験生の二人であった。
騒々しい二人が帰っていった後、大介は広いスイートルームの中で、バットを振る。
ホームランを打つのだ。
大介の役目は塁に出て、だれかに帰してもらうことではない。
誰かを帰す。究極的なことを言えば、自分で打って自分で帰る。
つまりホームランだ。
残りのシーズン試合数は、30試合を切った。
よほどのことがない限り、チームのリーグ優勝は決まっているだろう。
だからもう、自分勝手さを取り戻し、クライマックスシリーズで上杉と戦う。
その前に、甲子園で前哨戦がある。
上杉がどういう調整をしてくるか分からないが、そこで見抜く。
大介が上杉から、本当にホームランが打てるかどうかを。
170kmを打つよりも、ずっと難しいことである。
だが大介は気を取り直した。
今日の試合はまだ、舞台が整っていなかっただけなのだ。
最後の決戦の舞台は甲子園球場であるべきだ。二人がついに高校時代は戦えなかった、あの舞台で。
ここからは上杉を打つために、自分の状態を調整していかなければいけない。それがそのまま優勝へとつながる。
神奈川との三連戦、またもライガースは三タテで敗北する。
もう大丈夫だろうと思っていたゲーム差が、一気に縮まってくる。
そんな中で大介は、積極的にホームランを狙っていく。
三度目の上杉との戦いでは、結局ホームランは打てなかった。だが一戦目の試合では、最終打席でホームランを打てた。
上杉はチームを勝たせるエースであるが、同時に美学も持っている。
本当に最後の最後の段階では、大介を相手にしても敬遠などすることはないだろう。
上杉を、真っ向勝負の舞台に引きずり出す。
そういった行為は本来、格上の者が格下の者を、圧力で誘引するものだろう。
だが上杉なら乗ってくる。
バットを振れ。闘志を燃やせ。戦意と敵意を渾然とし、切り裂く刃の気迫としろ。
リーグ戦も残り一ヶ月。最後の対決が迫っている。
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