第234話 強制休暇
大介はマグロのように、野球をしていないと死んでしまう生き物と思われている。
だがさすがに怪我をした状態で、無理な運動や練習をしようとは思わない。
小指と薬指をまとめた状態でギブスをされて、非常にめんどくさい状態になっている。
骨折箇所が指であったため、特に入院もしない。
選手寮であれば食事や選択は、やってもらうことが出来るからだ。
暇になった。
年末年始のオフシーズンの計算された暇ではなく、突発的な暇である。
それでも心肺機能維持のためのトレーニングぐらいはするが、軽いランニング程度でも、骨折には悪影響があるのだと言われてしまう。
バイクをキコキコと漕いでいるが、それだけだとさすがに飽きる。
「たまには出かけたらどうだ?」
あまりに覇気をなくしている大介には、寮長からそんな声さえかけられる。
考えてみればプロでいる限り、普通にシーズンを過ごすなら、夏休みなどありえない。
怪我をすれば休みになるが、当然そんな休みは好ましくないし、わざと怪我などしたくもない。
野球を奪われている状態の大介とは、燃え尽きた状態に似ている。
「じゃあちょっと関東の方に行ってきます」
そんなわけで大介は、不本意にも休暇を取ることになったのである。
SBCを訪れて、自分の状態を調べてもらう。
純粋に疲労はそこそこ溜まっているが、危険度合いは少ない。
とりあえずバイクを漕いで体力は保つが、それだけだとさすがに暇すぎる。
「じゃあ北海道行こうよ」
「え? なんで?」
「大介君、やっぱり忘れてる……」
二年前の冬、大介は馬を買った。
その後の手続きなどは、そういった契約関係に強いツインズに任せていたのだ。
あの馬は、現在二歳。
そろそろデビューしてもおかしくないのである。
「厩舎も決まったし、主戦騎手も決まったし」
「あとはどこでデビューするかだよね」
「すまん、それぞれの単語の意味を説明してくれ」
とりあえず必要な書類を用意し、サインなどをしたところまでは記憶があるのだが。
大介の馬は、中央に預けられた。
中央って何? と話はそこからになる。
日本の競馬は中央競馬と地方競馬に分かれていて、主催者はJRAと地方共同体に分かれている。
そのJRAの方が中央競馬なのだ。
ちなみに地方競馬は、中央競馬よりも賞金が安く、中央で通用しなかった馬が地方に流れていくこともある。
さらに言うと中央競馬は、その本拠地となる馬の育成と飼育施設が、東と西に分かれて存在する。
どうせ大介はあまり競馬を見に来れないだろうし、レースにしても関東の方が大きいレースが多いので、関東の美浦にある厩舎に大介の馬は預かってもらっているのだ。
「いやちょっと待て。近所に阪神競馬場ってなかったか?」
ある。甲子園のある西宮から近い、宝塚にあるのだ。
「でも結局土日開催だから見にいけないし、オフシーズンは関東に戻ってくるでしょ?」
それはその通りである。
そのあたりのこともちゃんと話したはずなのだが、興味のない大介は忘れていたのだ。
ツインズはこちらに預けられてから、何度か見に行ったようであるが。
大介の買った馬は二歳になり、今年の夏辺りから、二歳馬のデビュー戦が始まっていく。
そして大介の愛馬サンカンオーも、札幌の競馬場で開催される、デビュー馬だけを集めた新馬戦というものに出場するらしい。
普通は厩舎の調教師と、馬主が話し合って決めるらしい。
サンカンオーの場合はツインズが調教師と話して決めたそうである。いいのか?
八月の第一週、札幌競馬場にて、デビュー戦は開始される。
馬主は特別観覧席でそれを見られるのだが、ドレスコードが存在する。
寮に置いてある特注のスーツを送ってもらった大介であり、その婚約者と姉妹ということで、ツインズも入室することが出来る。
「……お前ら、ちょっと露出高くね?」
「そうかな~?」
「夏だし~」
確かに肩や背中の露出度は少し高い。
だがちゃんとしたドレスである。スーツよりもさらに高い格式だ。
「お前ら、もう俺のもんなんだから、あんまり他のやつに見せるな」
ナチュラルな俺のもの宣言であるが、嬉しそうな顔をするのがツインズである。
先に馬を管理する調教師に会ったのだが、実は大介は初対面である。
ツインズは何度か出会っているらしいが。
「白石さんですね。やっと会えましたか」
50代の調教師は、大介が初心者ということを聞いてか、詳しく説明をしてくれる。
あの父親の子供は、本来気性が荒い馬が多く、そのくせ荒いほどレースでは走るらしい。
随分とおとなしいので預かった当初は心配したものだが、走らせるとその本能が出てくるそうな。
サラブレッドという言葉は、とことん選別された血、という意味を持つ。
人間の手を借りなくては繁殖さえも出来なくなった種ではあるが、それだけに走ることには特化している。
大介は人間離れしているが、それでも当たり前のように、サラブレッドと走って勝てるわけはない。
パドックというレース前に馬の様子を見せる場所で、栗毛の馬は燦々と輝いているように見えた。
たとえ種が違っていても、同じスポーツマン。
こいつはいけそうだな、と大介は思う。
ただ競馬のレースと言うのは、一着以外は全て負けなのである。
新馬戦で勝利するというのは、実はそれだけでスポーツエリートの部類に入るのだ。
この季節は一勝しただけでも、ランクの高いレースに出ることが出来る。
大介としては高い買い物なので、自分の食い扶持ぐらいは稼いでほしいなと思う次第である。
レースとレースの感覚は、かなり長い。大介としてはその間に、競馬場内を歩き回ったりする。
ツインズと共にグラサンをかけながら。
マスクまでしていて怪しいものであるが、あの疫病の大流行以来、夏場でも普通にマスクをつけている人間は多い。
大介はそもそもその発揮するパフォーマンスに比して、体格はそれほどでもない。
なのでこういうところでも、あまり目立たなかったりする。
関係者用の観客席では、割と年配の層が多い。
ただ中には大介よりちょっと上程度の者もいる。
金持ちと言っても成功者だけではなく、親の会社を継いだという者もいる。
またIT長者の中には、若くして大金を手に入れた者もいるのだ。
ただそれでも、大介より若い人間はさすがにいない。
サンカンオーの出るレースは芝1600mのレースであった。
そう言われても大介にはさっぱり分からないのだが。
「ちなみにダービーの距離って知ってる?」
「いんや。3000mぐらいあんのか?」
「惜しい。2400mです。3000mは菊花賞だね」
「お前らほんと、興味の幅が広いよな」
単純に大介が、野球にリソースを割きすぎているだけである。
レース自体は前目のところにいたサンカンオーが、最後の直線で抜け出して勝った。
勝利に慣れている大介は、勝てるもんなんだな、とこの勝利のありがたみを分かっていない。
「勝ったなあ。何連勝したらダービーに出られるんだ?」
「大介君、さすがに少しは知識仕入れた方がいいよ」
「勝ったら出られるんじゃなくて、ステップレースで何着以内に入るか、獲得した賞金の上位が出られるの」
「それにダービーは来年で、それよりはまず二歳王者決定戦があるし、三歳になってもマイラーだったらダービーは厳しいしね」
専門用語すぎて、大介にはさっぱり分からない。
ダービーの出走条件は、その前哨戦となるレースで上位に入るか、獲得賞金の高い馬が出られる。
だがその前にダービーと並んでクラシックと呼ばれる、伝統ある皐月賞も存在するのだ。
マイラーというのはスタミナがあまりなく、1600m前後の距離が適正の限界である馬のことだ。
なおサンカンオーは血統的に、おそらく長い距離でも走れるだろうと言われている。
レースに勝ったので、関係者一同で記念撮影。
また次のレースまでは、長い時間がある。
こんなにレースとレースの間があって、よく観客は飽きないなと思うのだが、それはオーナーである大介の立場だからである。
レースに賭ける博徒からしたら、情報の分析や決断までには、ある程度の時間が必要なのだ。
そしてこういうレースはもったいつければもったいつけるほど、価値も上がるというものである。
あとはレース後にコースの整備などもあるため、そうそうすぐにレースを繰り返すわけにもいかないのだ。
中央競馬の場合、一般的には一日に12レースが行われる。
そしてその日の10レース目が、おおよそメインのレースとなるのだ。
「そういや勝ったら賞金が出るんだよな? いくらぐらいなんだ?」
「えっと……それもちょっと複雑なんだけど、本賞金だけで700万に、あれこれついて900万ぐらいかな」
「へ? 一回走っただけで900万になるの?」
「ほら、ボクサーとかなんてチャンピオンは一試合で10億とか稼ぐでしょ?」
「野球とは消耗度が違うわけか」
なおこのうちの80%が馬主の取り分であり、10%を調教師、5%を騎手、5%を担当厩務員というのが一般的である。
大介の年俸は七億で、これにインセンティブがついてくる。
もしもMLBで似たような成績を残せるなら、その金額はおそらく年間40億ぐらいの価値はある。
ただツインズが言うように、カードによるがボクシングなどでは、たった一戦で100億のファイトマネーを稼ぐ選手もいるのだ。
過去の誰もがなしえなかったことをしているから、と言うならば、まさに大介のやっていることがそれである。
大介の去年の成績は、NPB基準に直したとしても、10億ぐらいの年俸となって全くおかしくない。
続物である大介は、当然のように金は好きなのである。
ただ七億も年俸をもらっても、あまり使い道を考えない。
選手の引退後、自分が監督やコーチ、解説者として食べていく姿が想像できない。
おそらくむしろ、ドカタの肉体労働の方が、性に合っているだろう。
ちなみに大介は殴り合いをしても、おそらくその階級の頂点にまでは登りつめることが出来たであろう。
いささか釈然としない気分になってしまった大介だが、一頭の馬が生涯に稼げる賞金は、最高でも20億には達しないと言われると、なんとか納得出来た。
ただしそんな成績を残した馬は、種馬か繁殖牝馬として、また多くの金を稼いでくれる可能性があるのだが。
超一流の種馬は、一年間で100億以上の金を稼ぐ。もちろん本物のトップであるが、大介は野球においては、その本物のトップだ。
もっともそれを言えば、年間で8000頭ほどまでも生産されるサラブレッドのうち、どれだけがちゃんとレースに出走できるのか。
それに一勝も出来ずに、そのまま引退してお肉になるというのも、珍しくはないどころかそれが標準なのである。
サラブレッドはペットではなく経済動物なのだ。
もっともツインズは、既に情が湧いてしまったようだが。
せっかくだから次にどのレースに使うかも決めようと、大介に提案するツインズ。
普通は調教師の方から、馬主である大介に相談か、せめて報告があるのだが、これはツインズ案件である。
「失礼、白石大介さんですか」
そうやって大介を呼び止める者もいる。
「突然すいません」
壮年の男は低姿勢ながらも、どこか威厳を感じさせた。
「私、こういうものです」
そして名刺を渡されたのだが、大介には前提となる知識がない。
だがツインズが問題なく知っていた。
「日本で一番の生産牧場の社長さんだよ。自分でも馬を持って走らせたりもしてる」
「ほ~ん」
「サンカンオーはいい馬ですね。ですがうちにもいい馬はそろってるんですよ。よろしければまた見に来てください」
そして去っていく男であるが、ただの挨拶だったのか。
「確か馬って、高いのだと一億とかするんだよな?」
それはサンカンオーを勝った時に、聞かされた大介である。
実際のところは一億どころか、二億や三億、四億五億といった値段がつく馬も、毎年一頭か二頭ぐらいはいる。
血統が良く、兄や姉の競走成績が良ければ、もちろんそういった規格外の値段がセリでつくこともある。
「さすがにそういうのは買えないけど、そういうのを生産してる人だよ」
「まあ買えなくはないけど、よくもまあ俺みたいなのに声をかけてきたもんだな」
かなり不思議だが、おそらくフラグかイベントなのであろう。
大介の場合確かに、五億でも買うことは出来る。
来年に払う税金の分を別にしても、充分に既に余裕があるのだ。
もちろん実際には、そんな金の使い方はしない。
大介はこの後、ツインズにほとんど任せながらも、次にどのレースに出すのかを決めるのであった。
目指すは年末に行われる、二歳馬の最強決定戦。
とりあえず年末までにもう一つ勝てば、出走条件は取れるであろうという。
そういった話し合いの結果シーズンオフに、またレースを見るために競馬場を訪れることになる大介なのである。
大介の馬主人生は、まだ始まったばかり。
そしてサンカンオーの戦いはこれからだ!
×××
なんだかういぽがしたくなってきたぞw
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