第233話 軟投派攻略

 甲子園にレックスを迎えて行われる三連戦のカード。

 まず初戦に投げるのはキッドである。

 以前の三連戦では吉村と投げ合って好投したが、リリーフのオニールが打たれて試合は敗北。

 まあ負け星がつかなかったし、同点の場面でマウンドを譲ったので、これは仕方がないと言える。

 エースであった吉村に比べると、本日の相手は青砥。

 球速のMAXが150kmにもいかないというのだから、キッドとしては甘く見やすくなってしまう。


 なんだかんだ言いながら、アメリカはパワーピッチャー偏重である。

 技巧派がいないわけではないが、パワーピッチャーであると同時に技巧派というものが求められることが多く、純粋な技巧派はベテランに多い。

 ただキッドが対戦するのは、あくまでも相手の打線である。

 このところのレックスの好調は、主に投手の防御率改善が大きい。

 だが得点力も少し上がっているのだ。


 先頭打者の西片は、キッドが来る前にはこのライガースのトップバッターを長年務めていたという。

 キッドが驚くのは、日本の野球は選手の移動が少ないことだ。

 MLBであれば主力の戦力でも頻繁に動く。ただその選手の移籍が多いのが、ファンのMLB離れにつながったのだとも言われる。

 もちろんそれは、キッドが生まれる前の話であるが。


 家族との時間を作るためという、アメリカ人のキッドとしては納得出来る理由で移籍した西片には、ライガースファンからも激しい野次などは飛ばない。

 だが「あんまり打つなよー」という声は聞こえたりする。

 30代の半ばであるが、まだ三割を打って30盗塁をする先頭打者。

 しかしキッドはそれを、簡単に打ち取った。

(ただ次の打者も要注意なんだよな)

 去年は三番を打っていた緒方は、高校時代はむしろピッチャーとして知られていた。

 だが投げない時はショートを守っており、その守備力と体格に比して打てることから、それなりに評価は高かった。

 だが体がまだ成長する余地はあるとして、大学で四年間鍛えた方がいいだろうと、様子見の球団が多かった。

 しかしそれをレックスは取ったのである。

 まさか一年目から完全に野手として使うとは意外であったが、それで新人王まで取ってしまったのだ。


 二番打者で器用な犠打も決めるが、長打も打てるというバッター。

 キッドは決して甘く見ているわけではないのだが、童顔の日本人の中でも、緒方は特に童顔の方である。

 小さいと言っても大介よりは大きいわけだから、そこで甘く見てはいけなかったのだ。

 ジャストミートした打球は、センターの頭を越える。

 スタンディングダブルで、このところ打点を稼ぎまくっている樋口に回った。




 樋口は、チャンス以外では手抜きをすると、心無い人間からは言われている。

 全く間違っていないので、本人としては苦笑するしかないのだが。

 本気になればあとちょっとは、ヒットの数は増えるだろう。

 だがそれよりは出塁率の方が問題である。


 大介が調子を落とした理由の一つは、勝負から逃げられまくったことにある。

 そこで樋口としては、怖くないよー、勝負しても大丈夫だよーと、普段は擬態しているわけである。

 難しい球は手を出さないし、基本的には好球必打なのだ。

 得点圏打率も、実はそれほど高くはない。しかし決勝打を打つことはそれなりに多くなってしまう。


 この場面においては、樋口があえて打たなければいけないということもない。

 ランナーを進めてツーアウト三塁にしたら、ライガースのミスで一点は入るだろう。

 大介のように、警戒されすぎて結局勝負の機会がなければ、どれだけ打てようと意味が無くなる。

 樋口にとってバッティングとは、相手を誘導して打てるボールを投げさせ、そしてそれを確実に打つというものだ。

 大介のように、あえて相手の決め球を打って戦意を喪失させるような、そんなデタラメな打力は持っていない。

 もっとも史上唯一の、甲子園逆転サヨナラ優勝ホームランを打っている時点で、ある程度警戒されるのはどうしようもないのだが。


 この試合のみならず、後の試合にも残るような布石のバッティングとする。

 セカンドゴロを打って、とりあえず緒方を三塁まで進めておいた。

 そして迎えるのは、大卒四年目にして、助っ人外国人を押しのけて、四番に入る浅野。

 キッドの甘く入ったスライダーを打って、スタンドイン。

 初回の先制攻撃で、まずはレックスが二点を奪取した。




 ライガース打線を相手に、二点差というのは全くセーフティリードにはならない。

 なるとしたら上杉ぐらいだが、今日の先発の青砥は、そこまでのピッチャーではない。当たり前のことである。

(かなりサイドスロー気味になって、打ちにくくはなってるんだよな)

 先発転向以前にも、大介は青砥とは対戦がある。

 ホームランにはしにくいボールを投げていたが、普通にヒットは打てていた。

 ただ二点先制されてしまったので、二巡目ぐらいまでには追いついておきたい。


 レックスの表の攻撃と同じように、一番の毛利は粘ったが内野ゴロでアウト。

 そして大江の打球は、左中間を割って二塁打となった。

 そしてここで大介である。


 一塁が空いているので、普通に敬遠してくるだろう。

 そう思っていたが、少なくともベンチから申告敬遠は出てこない。

 外を中心に投げてきて、打ち損じを狙うだろうか。

 今日の大介は打率重視なので、打てると思っても明らかなボール球なら、見逃していく予定なのだが。


 アウトローへのボールが二球続いた。

 余裕をもって見逃して、ボール先行である。

 三球目もアウトローであるが、これはどう判定されるだろう。

「トライッ!」

 わずかに外れていたと見えたが、これはストライク判定か。


 基本的に大介は、審判の微妙に間違ったストライクゾーンの見方に文句はない。

 なぜなら際どいコースであれば、普段なら打ってしまうからだ。

 さすがにあからさまにボールであるものまでは、審判もストライクは取れない。

 昔は気合が入ってなければ、ど真ん中でもボールだったらしいので、それに比べたらいい時代である。

 そして四球目は、ボールからかろうじてゾーンに入ってきそうなカットボール。

(これは入ってるよな)

 また見逃して、ストライクのコールである。

(なんだか楽しくなってきたぞ)

 平行カウントで、今度はどこへ投げる気か。

 アウトローの出し入れで、最後まで勝負するのか。


 五球目は、大介判定によるとボールのアウトロー。

 それを見逃したが――。

(やられたか)

「ットライ!ッターアウ!」

 ボール球半個ちょっと外れていたのを、フレーミングでストライクにした樋口だ。


 大介の見逃し三振は、だいたいが審判の判定ミスであると、今では誰もが知っている。

 ただそれでも樋口は、上手く大介から三振を奪ったわけだ。

 不調の間も、滅多に三振はしなかった大介。

 以前に三振したのは、九試合も前である。

「フレーミングです」

 金剛寺に短く伝えて、大介はベンチに戻る。

 打とうと思えば打てたのだが、面白がってしまったのが敗因だ。

(次からはこうはいかないけどな)

 そして実際に、お返しはする大介なのである。




 かなり上手いフレーミングであるが、それもやりすぎると通用しなくなる。

 今の世の中、審判の判定ミスも、視聴者がしっかりと検証し、ネットで叩きまくるからだ。

 樋口としてはめんどくさい世の中だと思いつつ、あまり審判を騙しすぎると、今度はストライクゾーンを狭くしてくることも知っている。

 それは高校野球でも、プロ野球でも変わらない。

 直史の場合は逆に、審判のストライクゾーンを無理矢理広げていたものであるが。


 金剛寺相手には内と外のコンビネーションでゴロを打たせた。

 そして樋口は気付く。

(あの人、もう目が悪くなってるんじゃないか?)

 このあたりの観察眼も、樋口は鋭いのである。

 落とせそうな女を見分ける以上に、樋口は野球の才能に長けている。


 金剛寺はもう、今年で44歳になった。

 人間はどれだけ鍛えても、40代の半ばになると、眼球の筋力が低下してくる。

 金剛寺は三割を維持し、それなりに長打も打っているが、この一打席で樋口は疑念を抱いた。

 もしこの推測が正しければ、残りの二試合でかなり楽に戦うことが出来る。

 そして今年が、金剛寺の現役最後の年になるであろう。




 試合はレックスが先制したが、そこからはライガースがかなり押す展開になった。

 やはりピッチャーの平均値はともかく、打線の爆発力が違う。

 ポンポンと歩かせてもいいのなら別であるが、プロならば敬遠などは最低限にすべきなのだ。

 大介は二打席目に、外に外れたボールを狙い打ちした。

 ボール球でも、そこにくると分かっているなら、打てるものなのである。

 もっともそれをスタンドまで持って行くのは、さすがに大介ぐらいであろうが。


 重たいバットを使いつつも、ヘッドのスピードは随一。

 そんな瞬発力の化け物が、外角の球をレフトスタンドに持っていったわけである。

 そしてスコアは3-3と変化して、ピッチャーは交代する。

 樋口としてはもう少し、青砥を引っ張りたかったのだが。


 リリーフ陣の様子と、現在の得点。

 今日は無理に勝ちに行く日ではないかな、と判断する。

 キッドも青砥も六回までを三失点なので、ほぼ同じぐらいの出来である。

 だが樋口の採点によると、まだまだ青砥はそれほどのレベルに達していない。

(先発に向いてるのは間違いないけど、なんとかもう少し、球数が少なくても勝てる方法を考えないとな)

 正捕手の役割は、試合におけるキャッチャーだけにあらず。

 特に自分より若く未熟な者であれば、適度にプライドを刺激しつつも、勝てるピッチャーに育てていかないといけない。


 樋口はあくまで上から目線の、傲慢な人間である。

 だがその能力は間違いないし、勝利のためには我を抑えることはたやすい。

 むしろ樋口は、野球においては我を押し付けるところは少ないとも言える。

 上杉相手にはさすがに、年下だからこそガンガンと言っていったが。

 全力で投げなくても勝てるのだから、八分の力で上手く相手を制すればいい。

 上杉は基本的に、相手を甘く見ずに全力で挑んでいくピッチャーであった。

 樋口が全力ストレートを捕れるようになって、ようやくこれで憂いなく投げられると言ったものだ。

 もっともそんな球速は、甲子園では必要なかった。


 一年目の夏、樋口は明らかなミスをした。

 それは上杉を八分の力で投げさせたことではない。

 正也をもっと使って、球数を調整しなかったことだ。

 引き分け再試合というのは、確かに計算違いであった。

 だが大阪光陰の隙のない守備などを考えれば、上杉などとの勝負を避けつつ、失点を防ぐことは出来たのだ。

 そして上杉は完全に余力を残しながらも、画一的に適用される球数制限によって敗北した。


 樋口が戦略に目覚めたのは、あの時からだと言っていい。

 だから二年の夏には、自分がマウンドに立ったりもして、正也の体力を温存させた。

 なんだかんだと樋口のホームランで決まった試合であったが、それも全ては正也が、致命的な点数を取られなかったことによる。

 プロは高校野球のトーナメントとは違う。

 ただ勝てばいいわけではないし、最終的に優勝するためには、むしろ負けさえも許容されるのだ。

(ナオには向いてないかなあ)

 あの、全ての試合に勝ちたい、マウンド上の魔術師は、確かにプロのシステムとは相性が悪いだろう。

 ドリームトーナメントでもやってくれたなら、さぞかし素晴らしいピッチングをしてくれるだろうが。




 この日、大介は既に、ホームランを一本打っている。

 なのでノルマは終了したとも言えるが、あと一点は取っておきたい。

 前の打席に歩かされたので、ヒットでいいから打っておきたい。

 ランナーがいる場面で、樋口は大介に勝負してくるか。

 これがピッチャーが直史であるならば、間違いなく勝負してくるのだろうが。


 四打席目の勝負。これで勝ち越せば、勝利が見えてくる。

 ピッチャーはサウスポーのリリーフへと交代。

 明らかに大介へのワンポイントだ。

 外のボールをまず外して、次はどこに投げてくるのか。

(内角に投げ込んでこれるか?)

 大介はかなりベース寄りに立っているので、本当なら内角は打ちにくいはずなのだ。


 だがここで二球目に、インローへとよく制球されたボールが入ってくる。

 大介は窮屈なスイングでこれを打ちに行って、途中で左手をバットから離した。

 大きなフォロースルーの打球は、ライト線際に着地。

 ランナーは長躯ホームを狙って、大介も一塁は回る。

 出来れば三塁まで行きたかったが、一点を取られた樋口が、凄い勢いでサードに牽制球。

 大介はタイムリーツーベースで、勝ち越し点を上げた。


 これが決勝打となった。

 ライガースは同点の場面で投入されるオニールが、実はけっこうな勝ち星を稼いでしまっている。

 この日もそうで、リリーフだけで六勝目だ。

 もっとも負け星も三つほど付いているのだが。


 この間の三連敗を払拭できて、ライガースはホッと一息である。

 二打点を上げた大介は、当然ながらヒーローインタビュに出る。

 それは別に何も問題はなかったのだが、次の予告先発には驚いた。

 ライガースはローテどおりに大原の先発であるが、レックスは星を出してきたのだ。


 毎年恒例とも言える、シーズン中の吉村の短期離脱。

 そのしわ寄せと言うか、空いたところでぽっかりと、星の出番がやってきたのだ。

 高校時代には、ジンも感心していた粘り強いピッチング。

 ここまで三先発し、全てクオリティスタートながらも、勝ち星が一つもついていない。

 それどころか黒星が三つもついているのだ。

 投球内容はいいのに、援護が無い。

 こういう時に首脳陣は、技術的なものや作戦的なものではなく、リフレッシュとか言いながら二軍に落としたりする。

 おそらくここで結果が出せなければ、他のピッチャーに機会を回すのだろう。


 樋口は大学時代から、星とはある程度組んでいる。

 なのである程度の仲の良さもあるのだろうし、星は周囲に影響を与えるタイプだ。

(ここも出来れば打っておきたいな)

 今年の成績が振るわない大原のためにも、一発打ってやりたいものだ。


×××


 ※ この後に大学編の236話を読んでいただけるようお願いします。

   大介と樋口の視点が交錯しておりますが、実質的にプロ編234話とも言える話になっております。


 ※ ドリームトーナメント ドカベンドリームトーナメント編のことである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る