第129話 怪獣に巻き込まれないようご注意ください
大介はだいたい、大仰な名前で呼ばれたりするが、その中でも可愛いのは、ミニラの見た目をしたゴジラというものであろうか。
ゴジラじゃなくてゴリラじゃねえの、などとも言われるが、とにかく下手に関わるべきではない存在だ。
いや、ゴリラは森の賢者と呼ばれるぐらいで、元々あまり凶暴でもないのだが、それでもパワーは人間の想像を絶するものなので。
アウェイであるので当然ながら、ライガースが先攻である。
そして先頭の毛利が気合を入れて打席に入り、しょんぼりとして戻ってきた。
「一生打てる気がしねえ……」
そう言いたくなる気持ちは分かるが、まだ165kmしか出しておられない上杉大明神である。
二番の石井はさっと打席に入って、やりきった顔をして戻ってきた。
バットを三回振っただけでも、誉めてやるべきだろうか。
「すまん、ちょっとでも粘ってやろうと思ったんだが」
「いや、上杉さん下手に粘ると、ギアが上がりやすくなるんで」
大介としては、素のままの上杉をまず体験したいわけである。
そして打席に入った大介であるが、初球からいきなり170kmが降ってきた。
いやまさに、隕石の落下とでも思えるような、圧倒的なスピードボール。
下手にバットの根元で打ったら、折れそうなものである。
立ち上がりにとりあえず一点取っておこうと思ったら、既にトップギアだったでござる。
大介は打席を外すと、大きく息を吸って気合を入れ、そこから空気と共に気合を出した。
そして脱力したままバッターボックスに入る。
この脱力した姿が曲者なのである。
スピードに全筋力を割り振って、ミートの瞬間に筋肉を硬直させる。
そこからゆっくりとフォロースルーとなるわけだが、それが豪快すぎて時々キャッチャーの頭に激突することもあった。
そんなルーキー時代のことは置いておいて、二球目に何を投げるか。
上杉は剛速球投手であるが、ストレートの三振だけにこだわったりはしない。
ただ一試合に一度ぐらいは、確実にその勝負をしてくる。
173km。
打ちたい。
二球目からはムービング系を使ってきたのだが、大介ならこれをカットにまでは出来る。
変化よりも問題なのは、緩急だ。
チェンジアップは、待っていたなら確実に打てる。
だがそれを待っていてストレートが来たら、絶対に打てない。
ストレートを待ちつつ、それ以外をカットする。
上杉にも尾田にも、完全に見破られているだろう。
それでも上杉は、ストレートを投げてくる。
たっぷりと焦らして、こちらの感覚を遅い球へと引き付けて。
来る! 来る! 来る! 来た!
カッ と音がして、高く上がった打球はそのまま飛んで行く。
センターはフェンスいっぱいにまで追いかけ、そこでフェンスを背中にし、数歩前に出てフライをキャッチした。
第一打席はセンターフライ。
だが次の打席を期待させる打球であった。
試合の勝敗自体は、かなり早めに分かっていた。
一回の裏と二回の裏、ともに二点を取られる山田。
これはもう明らかに不調とか調子が戻っていない程度ではなく、はっきりとパフォーマンスが落ちているのだ。
WBCの影響がどこまであるのかは分からない。しかし前の試合よりも悪くなっている。
だが山田がここまで調子が悪いと、ローテーションを考えないといけない。
山田には二軍で調整してもらった方がいいだろう。
チームとしてはもちろん困った事態なのだが、二軍や中継ぎに暫定的に置かれているピッチャーにとっては、確実にチャンスである。
山田は単純な実力以上に、育成出身というのが今では逆に箔付けになって、ファンからの人気も高い。
なのでそう簡単には切られない。安心して調整をしてきてもらおう。
そしてここでマウンドに向かうのは、敗戦処理というわけでもないが高橋。
普段なら四点差は、上杉相手としては絶望的な点差である。
だがと言うか、だからこそと言うか、高橋はここで登板する。
中継ぎで上手く勝ち星がつかないか、と思って島野は高橋をロースターに入れていた。
左のワンポイントで、ホールドがつくことも考えた。
だが三回からのロングリリーフというのは、なかなかないものである。
もちろん最終回まで投げることは不可能だろう。
敗戦処理用の中継ぎに、つないでいくことは間違いない。
だがもしも点差がついて、上杉が早めに継投していくなら、むしろ逆転のチャンスが出てくるかもしれない。
その間にも高橋が、追加点を取られないというのは無理に近いが。
ライガース一筋で、199勝まで来たのだ。
たとえあと一つが届かなくても、チームに貢献をしたい。
そして三回の裏を0で抑えて、四回の表。
大介に打順が回ってくるイニングである。
そろそろ二打席目かな、とテレビのチャンネルが変わって視聴率が高くなる。
元々ライガースの試合や、上杉の登板試合は視聴率が高くなるのは間違いないのだが、上杉とライガースが組み合わさると、平気で30%の視聴率は超える。
そして大介と上杉の対決だけを見るため、チャンネルが変更されて50%近くにまで伸びてしまう。
大介VS上杉。
これは野球におけるキラーコンテンツである。
どうれもいいことだが、本当にどうでもいいことだが、腐ったお嬢さんたちが作るリアル野球題材の同人誌は、上杉×大介が圧倒的に多数派である。
この試合では既に、六番の黒田が一本のポテンヒットを打っていて、ノーヒットノーランや完全試合をされる危険はない。
ワンナウトから回ってきたこの打席、当然ながら大介は一発を狙う。
点差的にライガースが追いつくのは難しいので、もう上杉との対決に集中出来る。
そして上杉もまた、大介を抑えることだけを考える。
WBCの影響でキャンプで微調整が出来なかったはずのダイスケであるが、今年のシーズンは始まりから異常な速度でホームランを量産している。
この二試合はホームランが出ていないが、それだけで不調だとかスランプだとか言われるぐらいである。
そもそも大介は、平均的に打っていくタイプだ。固め打ちはあまりない。
大介としても上杉と対決するのは、単純に楽しいということの他に、自分とまともに勝負してくれるピッチャーが少ないのでありがたい。
4-0で試合の流れはもう神奈川にいっていると言っていいだろう。
上杉もおそらく、八回か九回にはマウンドを降りる。
今季の神奈川は峠がWBC後だがいい活躍をしていて、クローザーとしてはトップのセーブ数を上げているのだ。
この打席を入れても、対戦出来るのは、おそらくあと二回。
状況からしてホームラン以外は、大介の負けと言っていい。
上杉はストレートで三振を取ることにこだわるわけではない。
やはりチームが勝たないと、自分がどれだけいい成績を残しても、楽しくないからだ。
だが試合の勝敗はほぼ決まりそうで、それでいて相手が大介だとしたら、対決しない理由はない。
二打席目の初球は、ムービング系で内角を攻める。
上杉の球速だと、ゾーン内でもインハイは仰け反ることが多いのだ。
だが大介はそれを打つ。
わずかにタイミングの外れたボールは、ライトのポールをファールの方向に切れていく。
冗談ではない。
上杉の小さな変化球は160kmを軽く超えるのだ。
それをあれほどジャストミートするなど、どういった技術を持っていたら可能なのか。
「外したかよ……」
呟く大介に対し、尾田は攻め方を考える。
狙っていると分かっていても、やはり最後は最高速のストレートを使いたい。
それ以外ではファールなどを打ちまくって、上杉が消耗する可能性がある。
神奈川は今年、王者奪還を目指すために、珍しくそこそこの補強をした。
そしてシーズンで優勝したら、上杉を上手く使って日本シリーズまで進む。
過去の二年、どうして神奈川が負けたからというと、ライガースに一勝のアドバンテージがあったからだ。
それにクライマックスシリーズのファーストステージで、上杉を投げさせてしまったからというのも大きい。
上杉を温存することと、上杉以外のピッチャーで日本シリーズまで進むこと。
はっきり言って今の戦力では、日本シリーズで勝利するほうが、条件が整っている。
二球目のチェンジアップも、大介はやや体勢を崩しながら、ファールフライでスタンドにまで飛ばす。
いつもと違うライナー性ではなくフライ性の打球だが、それでも飛距離は充分だ。
だがこれで、ツーストライクまで追い込んだ。
尾田は最後はストレートで、大介を打ち取れると信じている。
だが上杉は、おそらくストレートでは打ち取れないと分かっている。
チェンジアップで緩急差をつけたと言っても、大介の狙いは全く変わっていない。
打たれる。それは分かっている。
それでもストレートでねじ伏せたいという、上杉の珍しいエゴがここでにじみ出る。
周囲から期待され、それを果たしてきていた。
チームの精神的な柱であり、それを当然のものと受け入れてきた。
だがたった一人のピッチャーとバッターとして、今は勝負できる条件だ。
投げる。フルパワーで投げる。
大介はその瞬間のために、全身を脱力させる。
振りかぶった上杉の右手から放たれる、最高のストレート。
体を開きかけながらも、バットはぎりぎりのタイミングでボールを捉える。
ストレートが異常に浮き上がって感じるのは分かっていた。
だが予想の範囲内だ。
バットに当たったボールの音は、ほんの一瞬で遠くにまで響いた。
打球はライト方向で、守備陣が一瞬見失う。
わずかに追っていたカメラが、それを見届けた。
スタンドの最上段を超えて、打球は場外へ消えていった。
上杉のスピードと、大介のスピードが正面からぶつかれば、それぐらいの飛距離も出る。
右腕を大きく上げて、ベースを回る大介。
打たれた上杉は悔しそうな、それと同時に嬉しそうな、複雑な顔をしていた。
なおこのストレートの球速は、172kmであった。
試合自体は結局、7-1で神奈川の勝利となった。
これでライガースは、去年とその前、つまり大介が入団して以降、序盤のスタートダッシュで貯金なしと、初めての結果を残してしまった。
大介にしても三打席目はショートゴロと、上杉から交代したリリーフに歩かせられ、打率を落とすことになった。
だが、上杉から打ったのだ。
文句のあろうはずもない。
問題は次の日であった。
何か右手が熱いなと思って目が醒めると、手首が赤く腫れている。
「なんじゃこりゃ!」
即座に病院にいったところ、右手首の捻挫。全治二週間という診断が下った。
そういえば昨日の三打席目、いまいち力が入らなかったなという感覚はあった。
つまり二打席目、あの上杉との対決で、無理な負荷がかかったことを証明する。
体が開いても、回転を削らないように、右手の手首をぎりぎりまでひねったからか。
昨日の間はそれほども感じなかったのに、まさか一晩でこんなことになっているとは。
入団三年目、大介は初めて故障者リストに載って、シーズン戦から離脱した。
上杉との対決の影響で離脱した以前とは違う、完全な離脱である。
当然ながらその間、打率はともかくホームrンと打点の数は全く伸びない。
平均的にこれまで通り打てればいいが、さすがに復帰しても調子は戻らないだろう。
しかしこれでライガースは完全に崩れてしまったわけではない。大介がいなくても、それなりに得点が取れる。
だがピッチャー陣の不調や層の薄さもあり、五分の勝敗も保てなくなった。
誰か中心的な選手が欠けたら、急激にチームが弱くなる。
野球においては比較的、一人のポジションの重要度が高くないように思えるが、それは控えの層も厚くなっているからである。
大介のようなスラッガーは他に一人もなく、当然ながら得点力は落ちる。
これはまずいと投手陣が奮起して、逆に投手の成績が安定しだしたのは、まるでショック療法のようであった。
なお当の大介は全治二週間のはずが、一週間でチームに戻ってきた。
捻挫は治り際が問題なのである。甘く見て痛みはなくなったからなどと思うと、手首などの関節が上手く動かなくなることもあるのだ。
下手な治り方をしてしまうと、手術が必要になるし、それで元に戻るとも限らない。
無茶はするなという首脳陣の言葉を聞かず、二軍の試合に出て一試合に三ホームランを打ってしまったりもした
それでもまだ止めようとしたので、結局は二軍の試合で10打席に立ち、八本のホームランを打ってしまうのがご愛嬌である。
こいつの治癒力はどうなっているのか。
身体能力もそうだが、それ以外の部分でも、化け物疑惑が持ち上がってくる大介である。
そして治療明けの第一戦、さすがに勘が鈍っているであろうと侮られた大介は、三打数の三安打で二ホームラン。
一週間、そして二軍の試合の三日で、合計10試合分を休んでも、余裕でホームランと打点のトップにいる。
それが大介という人間なのであった。
本当に人間なのかという疑いは、さらに大きなものになったが。
ちなみに休みの一週間は、寮とマンションを行き来して、本当に休んでいた。
週末にはツインズが遊びにきて、いそいそと身の回りの世話を焼いていたものである。
お前ら、仕事はどうした?
右手首をガチガチに固めていたので、あまり激しい運動は出来なかったが。
なのである程度の激しい運動はしてもらった。
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