第252話 鉄腕
上杉が投げるとなると、相手のホームであっても観客が湧く。
武史が一年目から沢村賞レベルで活躍しているが、これまでずっと沢村賞は、上杉の独占するものであった。
投手三冠や投手五冠も、ほとんど上杉が独占していたわけだが、怪我が発生した。
ちょっとした怪我であっても、ピッチャーは投球動作が複雑であるため、無理をして投げることはさせないのが現在の野球である。
昭和の頃であると肩が痛くても投げるのが美徳とされていたらしいが、そんな古いことは知らないのが現役世代だ。
上杉としてもさすがに、骨折した状態では、まともに守備が出来るとは思わなかった。
投げる方の逆ではないかと、無知なら人間なら言ってしまうかもしれないが、ピッチャーは右利きでも、左手で体が早く開くのを抑えたりしている。
また激しい動作をすると、さらに具合が悪くなる可能性は高い。
日本の至宝を守るために、スターズの首脳陣も、無茶な起用をしたりはしない。
上杉の投手寿命を延ばし、出来るだけスターズのフランチャイズプレイヤーでいてもらうことは、優勝するよりも重要なことである。
今年が八年目の上杉は、シーズン終了後に国内FA権が発生する。
そこでどこかに移ってしまわないように、球団としては複数年の大型契約を打診したが、上杉がこれを謝絶した。
一年ごとに年俸が決まらないと、切り替えが上手くいかない。
多少の論調は違ったが、大介と同じ感覚でシーズンに臨んでいるのだ。
実際のところ上杉は、情で動くところがある。
なので愛着の湧いているスターズを、出て行くという考えはない。
優勝するために打線の補強はしてほしいが、だからといって他のチームに移って優勝を目指すのは、それは違うと思うのだ。
プロならば自分の価値を評価してくれる球段に、より良い待遇で移籍するのも無理はないと思ってはいる。
だが上杉は現在のフル回転で投げさせてくれる環境に、不満はないのだ。
ただ唯一思うことがあるとすれば、日本シリーズで大介と戦ってみたいな、と思うぐらいである。
愛着があるので自分が移る気はないが、大介がパの球団に移籍したら、また面白い舞台で戦えるだろうなとは考えている。
しかしシーズン中、大介を封じるのは上杉である。
武史もそこそこ勝負になるらしいのは確認されたが、基本的に武史は、大介から逃げることは恥と思わない。
真っ向勝負してくれるのは、上杉だけなのだ。
よってチーム事情に関係なく、どうしても上杉との対決はわくわくしてしまう。
指の骨折といえど、折れて数日は激しい運動はしない方がいい。
振動が響いて、治癒するのに時間がかかってしまうからだ。
一時的に膨れ上がったあとは、体温が下がったりしないようにする。
骨折直後は冷やさなければいけないが、腫れが引いたら適温を保つ。
骨が修復するのに、ちょうどいいぐらいの代謝を保つのだ。
上杉基準で思ったよりも時間がかかったのは、首脳部が過保護であったからだ、と上杉は思っている。
ただし復帰戦が、なかなか厳しい対戦相手だ。
ライガースであり、その先発の山田は、やはり上杉を上回る9勝0敗の成績を残している。
対戦するならばレックスに当てるべきかと考えたが、今のレックスの、武史に当てるのはまずい。
上杉は超人かもしれないが、試合間隔が空いているというのは不利だ。
武史は完全に中六日で、長いイニングを投げて勝ち星ばかりをつけている。
援護がなくて勝ち星がつかないこともある上杉とは、全くの逆である。
正面からぶつけて粉砕してやりたい気持ちはある。
だがレックスは樋口が、相当のペースで高打率のまま打点を増やしている。
支配的なキャッチャーと言うのだろう。
間違いなくレックスでは、無敗である武史よりも、キャッチャーの樋口の方が貢献度は高い。
ピッチャーには敬遠する権利があるが、信頼関係を築けばキャッチャーはピッチャーに敬遠させることが出来る。
まだ二年目であるが、樋口は既にそれに近いほど、投手陣からの信頼を集めている。
もっとも樋口は、ピッチャーの繊細なわがままさを知っているので、極力逃げるリードはしないが。
そんなレックスを避けて、最強の打線を誇るライガースと当てる。
それも現時点では完全なエースである、山田を相手に。
ただ今年はライガースの先発陣は、どのピッチャーもかなり先発は数字を上げているのだ。
キッドが大きく負け越しているが、クオリティスタートはほぼほぼ達成している。また先発した試合の勝敗そのものは勝ちが先行したりしている。
その中でも一番の山田であるからこそ、上杉で黒星をつけてやりたいのだろう。
六月ももう終わりに近い。
この六月、大介は五月の不調を取り戻すように、とにかく打ちまくっていた。
チーム全体も打線がしまり、リリーフがほどよく休めるようになっている。
それなのにレックスとのゲーム差は縮まらない。
六月であるのだから、主力一人が怪我をするかどうかで、あっという間に情勢は変わるだろう。
レックスの場合であると、エースクラスの誰かより、樋口の方が重要のはずだ。
そしてライガースであると、真田が離脱しているのにチーム状態がいいのは、大介がそれだけ打ちまくり、大介の後の西郷やグラント、黒田も打っているからだ。
その勢いを止めようと、スターズは復帰先発の上杉。
だが冷静に考えれば、一番強力な打線の、一番強力なピッチャーを相手に、上杉で止めてもらうということになる。
上杉がライガース打線を抑えるのと同時に、スターズ打線が今年絶好調の山田から点を取る。
今年の防御率は2を下回っている山田から、貧打のスターズが何点を取れるのか。
トレードなどのデッドラインを前に、外国人選手の獲得などもフロントは考えている。
だがとにかく今のスターズは、投手陣の力投に打線が応えていない。
投手陣と野手陣の関係が悪化すれば、チームは崩壊しかねない。
そんな時に上杉が戻ってきてくれた。
ただここで上杉を山田とライガースに当てるのは、スターズ首脳陣としても賭けのはずだ。
久々の一軍実戦で、その感覚は鈍っていないのか。
二軍では一試合も投げずに、ただ調整だけをしてきた。
いきなり一軍のマウンドに戻すことはともかく、相手が相手なのだ。
ただ上杉ならばと思わせるところはあるし、これで勝てたら本当に大きい。
甲子園球場にて迎える、スターズとの三連戦。
雨が降るということもなく、第一戦の開始である。
スターズは貧打貧打と言われるが、繊手をそれぞれ見ていったら、それなりにちゃんと打てる選手もいるのだ。
特に二番の芥は小器用で出塁率も高く、三番の堀越は昨年の首位打者だ。
四番に長打の打てる外国人を据えて、大卒四年目の西園が五番か六番あたりに入る。
リードオフマンとなる先頭バッターと、クリーンナップの確実性、そして下位打線が守備要員になってしまうことが多い。
ただ今日のスターズは、上杉の復活に合わせて心機一転か、少し打順を変えてきている。
先頭にいきなり、厄介なバッターである芥が置かれているのだ。
二番には小寺。どちらかというと今までは、守備力が評価されたり、台田バントなどで使われた選手である。
大介からは、高校時代に戦った相手とは聞いている。
マウンドの山田は、この試合は大きな山だな、とは感じている。
上杉の復帰初戦で、ライガースの今年無敗の自分に当ててきている。
だがあまり、深く考えすぎてもいない。
もうすぐオールスターで、シーズンの流れが一度止まるからだ。
そこで上手くチームの体勢をどう整えるかで、前半戦の雰囲気を、後半戦に持ち込ませずに済むだろう。
今年は真田は故障明けなので、オールスター中に休むことが出来る。
出来れば自分も優勝に目標を定めて、オールスターは休みたいぐらいなのだ。
上杉や大介のような体力お化けは、本当にどうかしている。
初回から芥にも小寺にも粘られて、堀越にヒットを打たれる。
だが次の打者を確実にしとめて、まずは先制点を防ぐ。
今度はライガースが、圧倒的に先制点のチャンスを得る。
大介の打順が回ってくるからだ。
山田はこの試合、金剛寺から短いイニングを、全力で行くように頼まれている。
かなり完投能力のある山田だが、全力で九イニングを投げるのは難しい。
だが抜いたボールを下位打線に打たれて、ホームランになることはあるのだ。
五回までを投げる、山田は決めている。
大切なのは、無敗である自分に、負け星がつかないこと。
後続のピッチャーが打たれて負けても、山田が負けたわけではないと、チームに感じさせる。
これは自分の成績だけを気にしてのことではなく、チーム全体の雰囲気を考えてのものだ。
バッターボックスに入った大介は、上半身を動かしながら、上杉のピッチングを見ていた。
普通にひょいと投げて160km/hオーバーが出て、150km/h台で動くボールを投げてくる。
特にスピードに慣れない序盤には、味方が全く打てないことが多い。
そして中盤以降は、170km/hを投げてくるのだ。
そういった上杉のスタイルは、まさに去年で完成したと言っていいだろう。
26勝0敗。
そして今年もここまで、無敗で通している。
もはや連勝記録がどこまで伸びるかが、世間の注目の的と言っていいだろう。
去年はプレイオフでも、全ての試合で勝利している。
プロでまだ10年も投げていないのに、かなりの分の記録を抜いているのだ。
数字を見ても、そのパフォーマンスを見ても、間違いなく史上最強のピッチャー。
日本ではなく、おそらく世界一だ。
MLBに全く興味を持たないので、大介もここにまだいる。
最近の国際戦では、日本はほとんどの大会で優勝している。
ただアメリカ代表は、現役バリバリのメジャーリーガーをほぼ出さないので、比較することが出来ない。
世界標準でないボールを使いながら、何を言っているのやら。
そのMLBにおいても、活躍した日本人選手は、ピッチャーの方が圧倒的に多いではないか。
いずれ三年ほど向こうに行って、ちょっと暴れてみたい気はしている。
今年六年目の大介はほとんど試合を休んでいないので、九年目には海外FA権が発生する。
別にMLBをすごいとは全く思ってはいないが、ちょっと金を稼ぎに行きたいかな、というつもりは充分にある。
大介は金銭欲に関しては純粋に凡俗だ。
もしも上杉がいなければ、そして武史が入ってこなければ、来年でポスティングを要求していただろう。
ただ武史の場合、おそらく自分との対決を回避している。
最初の対決で、実力の比較が出来たのだろう。
プレイオフで確実に勝つために、勝負を積み重ねると不利になる、ピッチャー側の事情を考慮している。
だが武史もまだ、23歳なのだ。
上杉に続く170km/hオーバーを、目指してもいいのではないか。
ピッチングに関しては他人事であるが、大介はそんなことも思う。
一打席目、大介はヒットを打った。
とりあえずとばかりに、上杉がパーフェクトをするのを防いでおいた。
甲子園球場はホームではあるが、奇跡の起こりやすい球場だ。
とりあえずその奇跡を潰しておくことは、間違いではない。
そしてライガースの首脳陣の考えは正しかった。
山田には五回までを全力で投げさせて、ヒット三本ながらここで交代。
現在のエースに黒星がつくことを、ちゃんと回避した。
だがそれは同時に、上杉の脅威を最大値で認めるということでもある。
上杉の状態は、故障明けで勘が鈍っている、などと思うべきではなかったのだ。
一ヵ月半も一軍のマウンドから遠ざけられて、元気が余っている状態だと認識するべきだったのだ。
大介がもう一本だけヒットを打ったが、終盤にはそれこそ無双状態。
フォアボールを出すこともなく、三打席目の大介を三球三振にしとめた。
174km/hが出ている。
上杉はもう完全に、治癒して復帰してきたのだ。
試合自体も3-0でライガースの完敗。
想定していた最悪から、どうにかノーヒットノーランなどを回避し、山田に黒星をつけなかったことが成功か。
元より折れたのは利き腕とは逆の指だったので、何かが劣化するなどとは期待していなかった。
それでも全く何も調子を落としていないことに、敵も味方も唖然呆然である。
現在セ・リーグのハーラーダービーでは、武史がトップを走っている。
だが使われ方は通常の中六日で、消耗はあまり見られない。
序盤か、序盤を切り抜けた中盤に、ぽこっとヒットを打たれることは多い。
だがそこから巻き返して、しっかりと集中力を戻す。
そんなやり方で、やはり一度も負けていない。
武史、山田、上杉。
一度も負けていないエースが、三つのチームに存在する。
その中では山田は、上杉よりも下だと認めざるをえなかったが。
今年はまだ、一度も上杉と武史の対決は成立していない。
また武史は山田との対決もしていない。真田と一度対戦して、そして勝ったことは勝ったが。
意図的にレックスは、武史に勝ち星をつけさせようとしているのだな、と解釈できる。
もっともそれほど露骨な、登板調整もないのだが。
シーズン終盤、優勝のために負けられない時には、エースとして出してくるしかないだろう。
後半戦はまだ遠く、やがてオールスターがやってくる。
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