第228話 故郷の空気

 あちこちで勘違いされることであるが、大介の出身地は東京である。

 母の実家のある千葉に引っ越してきたのは、高校入学の時であるのだ。

 だがその生涯における重要な出来事は、ほとんどがここと甲子園で起こったと思う。


 先に連絡をしておいて、SBCの施設を予約しておく。

 それから一足早い新幹線で、東京までやってきた。

 本来ならば移動日のこの日、大介はSBCにて己のフォームのチェックや体重移動を確認する。

 かなり復調してきたが、以前のようなゾーン内ならスタンドに運べるという全能感がない。

 果たしてこれはメンタルの問題なのか、それともメカニックの問題なのか。

 球団の施設でも色々と試してはいるのだが、こういう時にはセカンドオピニオンが重要なのである。


 大介は腰から上の動きだけで、ホームランを打つことが出来る。

 ただしそれは、本来の自分の打ち方ではない。やはりしっかりと踏み込んで、正面衝突のようにライナー性の打球でホームランにするのが、大介の本領であるのだ。

 風の影響が強いマリスタでは、そういった打ち方の方がいい。

 しかし現実として、あの手応えが戻ってきていない。


 色々と試してはみたのだ。バットを代えたり、右で打ったりと。

 だがそれも、決定的な感覚を取り戻すには至っていない。

(何が前と違うんだ?)

 大介は以前に、一度だけ自分でもメンタルが原因による、スランプを味わったことがある。

 あれはスランプと言うよりは、祖父のことで集中できなかったからだが。

 今の自分は集中出来ていないのか?

 少なくとも昔は、わざわざそんなことは考えていなかった気はする。


 直史の力が借りられたら、もっと何かしっくるくるのだろうか。

 あるいは上杉と対決したら、無駄なことは考えずに済むのだろうか。

 ただ神奈川との試合は、上杉との二度目の対決では、一本もヒットを打てなかった。


 各種の計測された数値を比べてみると、ほとんどは以前と変わらない。

 だが感圧センサーによると踏み込みの力が、わずかに落ちている。

 ただ、それらはあくまで、スイングスピードが問題なのだ。

 重たいバットを速く振って、ボールに当てる。

 基本的にバッティングというのはそれだけである。


 大介は自分のバッティングが、批難されていたことを知っている。

 だが聞かなかったわけではない。聞いた上で無視していたのだ。

 バッティングコーチの言葉なら少しは意識しただろうが、無責任な外野の言葉など、何も考慮する必要はない。

 そうすれば調子が悪い時でも、誰かのせいにはせずに済む。

 助言というものは必要になってから聞けばいい。

 ただし無料の助言というのは、だいたいにおいて価値がない。

 無料であるということは、責任もないということ。

 今の大介を好きなようにあげつらう人間は、単に叩く対象を、有名人の中から勝手に選んでいるだけである。


 このあたりの無責任な悪意については、ツインズの方が圧倒的に詳しい。

 大介はなにしろこれまで、完全無欠のスーパーヒーローだったのだ。

 スターではない。ヒーローだ。

 小さな体格でプロ入り初年から、あらゆる打撃記録を塗り替えていく。

 それを叩くのは、叩く方が間違っている。

 圧倒的な成績が、大介を全肯定してくれていた。

 それがちょっと不調であると、一気に叩きにかかってくる。

 もちろん応援してくれる人間もいるが、こういうものは悪く言う大声の方が目立つものだ。


 ただ大介は、これぐらいでへこむ人間ではない。

 どうでもいい相手が何を言っていようと、気にしないメンタルを持っている。

 どうでもいい相手というのは、一般の野球評論家なども全て含む。

 大介が誰かの意見を聞くとしたら、それはジン、直史、セイバーあたりであろう。秦野でも怪しい。

 どのみち自分のような道を歩んでいるプレーヤーは、一人もいないのだから。




 千葉マリスタにおける三連戦。

 ライガースの先発はエースの真田。それに対してマリンズは、大卒三年目の梶原である。

 早稲谷における直史の先輩で、最後の一年を直史の輝きに奪われてしまった感じはする。

 だが早稲谷ではちゃんとエースとして、マウンドに君臨していたのだ。

 つくづく最後の一年に、直史と重なったのが気の毒である。


 この年のマリンズの新人は、白富東の後輩の鬼塚と、帝都一の水野がいた。

 鬼塚は今日の試合も、大介に挨拶に来ている。

「まあ大介さんも人間だったんですね」

「人をなんだと思ってたんだ」

「サイヤ人」

「……」

 散々大介は、ネットなどでは人間ではないと議論されている。

 まあ確かに成績だけを見れば、そう言いたくなるのも不思議ではない。


 鬼塚も今年はしっかりと、怪我をすることもなく成績を残している。

 外野を本職としているが、高校時代は内野も守っていたし、公式戦で投げたこともある。

 ただやはりプロのレベルでは、その体格からも外野というイメージである。

 ファーストを守らせても実は上手いのだが、外国人がそのポジションにいる。


 別にファーストが簡単というわけではないが、走ったりするのは外野の方が多い。

 バッティングに振った選手は、ファーストか左右の外野を守ることが多いのだ。

「なんかお前、シーズン終了後に結婚するとか聞いたけどマジ?」

「マジっすよ」

「球団職員なんだって?」

「はい。だから寿退職と言うか」

 鬼塚の年俸は知らないが、推定では4000万と書いてあった気がする。

「結婚式はするのか?」

「はい。なんで招待状送るんですけど、問題ないっすよね?」

「問題はないけど、子供生まれてからもお前、金髪のまんまいくの?」

「いや正直、俺ももうやめたいんですけどね」

 金髪を維持するのは、それなりにめんどくさいのだ。


 姐さん女房となる鬼塚の相手が、どんなのだろうかと考える大介である。

「そういやお前、ツインズにも招待状送るのか?」

「………………………………………………………………………………………………送らないとダメっすかね?」

「ダメじゃないと思うけど、後から色々と言ってくると思うぞ」

 高校時代にボロボロに負けたことを思うと、鬼塚が苦手意識を持つのは分かる。

「てか大介さん、今でもツインズと付き合いあるみたいだけど、どうなってるんすか?」

「それは聞くな」

 大介も軽く考えているわけではないが、今は自分の成績が大変なのだ。


 スランプの底は見えたが、まだまだ今の状態は、たまたま打てているにすぎない。

 確信をもって打ったホームランなど、今年は一本もないのではないか。

「まあ結婚するなら、怪我には注意しないとな」

「そうは言ってもクロスプレイとかは仕方ないですよ」

「いやお前、ダイビングキャッチ多過ぎるんだよ」

 ヤンキー鬼塚君は、大介にとっては背が高いことを除けば、可愛い後輩である。

 結婚式には多めに包まないとな、と考える大介であった。




 空気が違う。

 オフシーズンも千葉でそれなりに長い時間を過ごしたが、何か雰囲気が違う。

 最近やや調子を戻している大介は、この試合から三番に戻っている。

 大介にとっては、ほぼ地元開催とも言える。

 この球場で大介は、二回の甲子園行きを決めた。

 そして一度目は、あと一歩及ばなかった。


 三番に戻ったということは、一回の表から打席が回ってくるということ。

 高く打ち上げてしまった毛利の打球は、今日は推し戻されてくる。

 マリスタはかなり、風向きの影響が強い球場なのだ。

 それも甲子園と違って、かなり風向きが変化する。


 ベンチから出てきた大介は、ネクストバッターサークルで待機する。

(やっぱり、夏とは違うよな)

 もしもずっと先の未来に、FAやトレードで移籍するなら、千葉はいいかもしれない。

 とりあえずドーム球場は、あまり好きではないダイスケである。

 普通にドーム球場でも、たくさんのホームランを打っているのだが。


 照明に照らされたグラウンドの雰囲気は、もちろん高校時代とは別のものである。

 わずかに感じた郷愁は、今の大介とは関係ない。

 二番の大江も凡退して、大介はバッターボックスに向かう。

 その背中に聞こえるのは、ダースベイダーのテーマ。


 振り向いた大介は、そこに懐かしい顔を見る。

(そういや去年は、ここで試合してなかったよな)

 だがあの人は、ドームでもトランペットを持ってきていた。


 あの頃とは、随分と色々なことが変わってしまった。

 だが変わらないこともある。

 バットをブンブンと振り回し、大介はバッターボックスで構える。

 力が抜けている。

 バットの先は、まっすぐに空を突くように。

 構える。


 投げられたボールは、最初がストライクで、次がボールになった。

 これは打てるな、と予感がする。

 今までにはなかった、これこそが確信だ。


 梶原の第三球目は、スプリットを落としてきた。

 ゾーンからゾーンへのスプリットは、空振りの取れるスプリット。見逃してもストライクになる。

 大介はそれを、膝の力を抜くこともせずに、そのまま打ち抜いた。


 ミートの瞬間に、確信があった。

 だからあとは、どれだけ飛ぶかということ。

 ライナー性の打球が失速もせずに伸びていく。

 そのままボールは、本当に最後まで失速する様子を見せず、ライトの場外へと消えていった。

 もしスクリーンビジョンに意思があれば、ほっとしたであろう。

 推定飛距離170mのこの場外弾は、スタジアムに駐車していた車の、ボディを大きく凹ませることになる。


 大歓声の中で、大介はランニングを開始した。

 手応えのあるホームランで、久しぶりにガッツポーズをする。

「なにもうちとの試合で打たなくてもいいだろうに……」

 レフトの鬼塚は呆れていて、マウンドの梶原は変な笑顔をしていた。笑うしかないだろう。 

 まあ神奈川スタジアムでも打っていたのだから、マリスタでも打てておかしくはない。

 だがこの一撃は、まさに復活の一撃に見えた。

 その背中を、スーパーマンのテーマが追いかけていた。




 大介はこの試合、三打数三安打の三ホームランで、さすがに四打席目は敬遠された。

 だがこのカード、三試合の全てでホームランを打つことになる。

 なんでいきなり打てるようになったのか、と当然ながら大介は問われることになる。

「高校時代は、打率八割ぐらい打ってたからなあ」

 それを思い出したから、というのが精神的な理由だろう。


 技術的な理由は、脱力である。

 知らずに力が入っていたというのは、誰にでもよくあることだ。

 そしてここから、大介の打撃タイトル争いが開始されるのである。

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