第68話 新旧サウスポー

 現在ライガースにおいて、もっとも気を使われているピッチャーが、高橋である。

 今シーズンで42歳になる高橋は、ライガースの前の強い時代を知っている、ほぼ唯一の選手になってしまった。

 島本と足立は引退し、金剛寺はまだブレイク前。

 二度の沢村賞と、数々のタイトルを獲得した高橋が最後に狙うのが、200勝投手の肩書きである。


 球団としてもこういった選手が出るのは、宣伝効果的にもありがたいのだ。

 足立と二人で、二枚看板の時代が長かった。

 足立はふらふらとした感じの、 マイペースな男であったが、決める時には決めていた。

 それに対して高橋は、こつこつこつこつと数字を積み重ねていくピッチャーだった。

 普段は無口であるが、若手が何かに悩んでいると、ポジションにこだわらずそっと一言声をかけるような。

 そんな高橋を名球界入りさせたいというのは、球団の思惑とは別に当然の気持ちである。


 今年の広島は左打者が多く、その点では高橋が先発するのはおかしくない。

 しかし三連戦の一試合目に持ってきたピッチャーは、プロ二年目の山倉であった。

 昨年の成績は、16先発で9勝2敗。

 かなりリリーフ陣に頼って運が良かったとは言え、大卒一年目としては立派なものである。例年であれば新人王は取ってもおかしくはない。

 それが特別表彰にもならなかったのは、全て大介が持っていったからだ。


 とにかく去年の新人は、大介一色であった。

 パの方はまだマシだったが、他の全てのルーキーは、大介の引き立て役ですらなく、背景になるしかなかった。

 しかしもちろん球団はその成績を高く評価し、年俸もほぼ倍増したのだ。

 二年目は、自分の番だ。




 山倉が気合を入れている横で、大介はバットを持って上半身を捻っている。

 広島の先発は、おおよその予想の通りの重野。

 なぜ予想できたかというと、単純に去年の大介との対決で、あまり打たれていないからだ。

 純粋にストレートが速く、そして大きなスライダーを持っているサウスポー。

 ただ、今の大介は去年よりも進化している。

 オープン戦でまさか、早稲谷の野球部と対戦するとは思わなかった。

 しかも自分の、左の苦手意識の原点である細田と。


 別に高校時代、県大会の準決勝で対戦したときも、圧倒的に不利であったとかではない。

 ただそれまで続いていた、連続本塁打試合記録を、フォアボール以外の方法で途切れさせられてしまった。

 その雑念が、大介の意識にこびりついていた。


 トラウマと直接向かい合ったことで、大介の中で情報の整理が出来た。

 もう、単純なサウスポーのスライド変化には惑わされない。

(真田レベルのスライダーは普通に打ちにくいけどな)

 大介の見守る先で、先頭バッターの志龍がフォアボールで塁に出る。


 ここで送るか強攻するかで、監督の采配が問われる。

 一塁が空いて大介が敬遠される可能性も踏まえた上で、島野は石井に送りバントのサインを示す。

 重野が大介に対して比較的打たれていないピッチャーだとは、当然ながらライガース首脳陣も分かっている。

 だからここは、勝負してくると信じる。

 もし逃げるなら、それはそれでいい。

 大介に対しての脅威を、自らの手で放棄するのだから。


 送りバント成功で、ワンナウト二塁。

 そして大介の打席である。




 広島はライガースの本拠地からは、比較的近い。

 なのでそれなりに、本拠地からも応援にやってくる暇人は多い。

 週末でもない平日の夜に、なんとも酔狂なものである。

 そんな酔狂なライガースファンが、大介は大好きである。


 狙うべき球は分かっている。

 こちらがどう考えているかはともかく、あちらとしては必ず一球は投げてくるはずだ。

 サウスポーのスライダー。さて、どこで投げてくるか。


 初球。

(ここか)

 背中から迫るような軌道のスライダーへ、大介のバットは自然に出ていた。

 ミートの瞬間にボールの下を切る感覚が、これは不充分になる。

 スタンドまでは届かない。

 だがセンターの頭の上を越えて、長打にはなる。

 当然ながら二塁から志龍は帰って、とりあえず先制点。

 やはり初球打ちは大切である。




 初球からいきなりスライダーを狙い打ちされたというのは、相手にとっては重要な意味を持つ。

 大介には、単にスライダーなら有効だというわけではないという、当たり前の認識を与えたということだ。

 当たり前の話であるが、ピッチングの肝はコンビネーションだ。

 球威だけで押すという馬鹿なことは、上杉でさえやっていない。

 ……時々はやっているが。


 とにかくライガースはこの試合も先制に成功した。

 あとは山倉の調子であるが、少なくとも悪くはない。

 一回の裏を三者凡退で抑えて、昂ぶりすぎることもなく、しかし最初からある程度は飛ばす、慎重なスタートだ。


 試合は緊張感を持って進む。

 だがライガースは開幕以前から、ちょっとした問題を抱えている。

 まあ開幕直後はまだ当たり前のことなのだが、四番の金剛寺の数字が上がってこない。


 金剛寺は長打力もあるが、それよりは打率と打点の高い、隙のないタイプの四番である。

 毎年三割を超える打率を残しているが、オープン戦と開幕三連戦を終わって、打率は二割台の前半。

 出塁率はそれなりの高さをキープしているが、五番のグラントの確実性がまだ低いので、やはり金剛寺には打ってもらいたいのだ。

 ただ大介としてはまだ二年目、大ベテランの金剛寺を心配するよりも、まずは自分の成績である。


 三回の打席は、ツーアウトから回ってきた。

 ランナーもいないので、ここは好きに振り回して生きたい。

 重野としても一点は取られたが、そうそう逃げてばかりもいられない。

 ベンチの指示としては、バッテリー判断で勝負していいとのことだが、そんなものははっきりと勝負を避けろと指示してほしいのだ。


 三冠王。現在の野球の、打率と本塁打の関係から、もう出ないのかと思われていた称号。

 それをルーキーの年に達成してしまい、しかも打撃成績を一気に塗り替えた存在。

 もういっそのことさっさとメジャーに行ってくれとも思うのだが、二年目の新人にそんなことを言えるわけもない。


 上杉はまだいいのだ。

 上杉はピッチャーだから、向こうからボールを投げてくる。

 それを打てなくても、バッターは三割打てば一流なのだから、負けても言い訳が立つ。

 だがピッチャーは逆に、半分は抑えてくれないと、いくら相手が三冠王とはいえ困る、となるわけだ。

 もっとも去年の大介は、出塁率が五割を上回ったのだが。

(OPSの日本記録保持者になんて投げたくねーよ!)

 重野の正直な気持ちであるが、完全に逃げるピッチングもしたくはない。


 大介としても、開幕三試合でもう、四回も歩かされている。

 今思えば今季の契約の中に、敬遠や四球での出塁も、入れておいて貰った方が良かったか。

 まあ最高出塁率の中にそれは入っているとも言えるのだが。

 プロのピッチャーならば興行なのだ。

 それはまあ自分の成績にこだわらなければいけないのも、プロであれば分かるのだが。

 せめてランナーのいない時は、まともに勝負をしてほしい。




 初球はスライダーがボールに逃げていった。

(外の次は内ってのが常識だけど)

 内に投げられたのは、ベルトの高さのストレート。

 打ちやすいコースではあるが、遠心力が働きにくく、一番長打にはなりにくい。


 だから大介は、早めに足を踏み込んだ。

 しかしスイングは後から出てくる。体の開きも遅い。

 内角のボールを、充分に撓らせたバットで打つ。

 上手く弾き返した打球が、ライトスタンドに入った。


 ボール球である。

 これで腰を引かせて、次に外角で勝負しようと思っていたのだ。

 だがその前の段階で、完全に打たれてしまった。

 あんな打ち方がなぜ出来るのか。


 大介としても、あまり満足はいっていない。

 ホームランではあるが、その弾道がフライ性すぎる。

 もっとインパクトの瞬間にボールを破壊するような、手応えがほしいのだ。

(まあこれで、ホームラン四本目か)

 打点が一点しか増えないことに、少々寂しい思いをする大介である。




 当たり前のように三打席目は歩かせられ、四打席目は代わったピッチャーからセンターフライ。

 本日も三打数二安打一本塁打。打点は二点の大介である。

 これで開幕からのホームランが、四試合連続となった。

 なんだか開幕からの連続試合ホームラン記録なども、作ってしまいそうな大介である。


 試合は5-3でライガースの勝利。

 山倉は六回までを投げて勝利投手となり、リリーフ陣は一点を与えたもののそこまで。

 程よい勝ち方と言えばいいのであろうか。


 続く第二戦は、高橋の先発である。

 ここで勝ち星を上げられれば、残りは五勝となる。

 去年の年間勝ち星が五勝なので、それもなかなか厳しいのだが。


(つってもアメリカ行くと、けっこう年齢高くても、投げてるピッチャーいるよな)

 サイ・ヤング賞を何度も取ったピッチャーは、40代でも普通に勝ち星を二桁に乗せたりしていた。

 まあそれを言うなら、足立が41歳のシーズンで最多セーブのタイトルを取っているのだが。


 開幕から四連勝のライガースは、いわゆる勝ちの気運に乗ったとも言える。

 このまま開幕から連勝を続けたいのだが、そのためにはピッチャーの調子も良くないといけない。

 この日の高橋は、初回から失点続き。

 ただ一失点がぽろぽろと続き、責任イニングの五回までは投げきった。

 そして大介もタイムリーで二打点を取っており、この時点では6-5とリードしていたりする。


 高橋を名球界に。

 もちろんチームのシーズンの成績も重要であるが、スター選手には有終の美が必要であろう。

 足立は最多セーブと、クライマックスシリーズMVPという、最高の去り際を見せた。

 高梁には難しいが、なんとか200勝をと皆が考える。


 六回の表、ワンナウトランナー二塁で大介の打席。

 今日はお互いが、ぽろぽろとピッチャーが失点していく試合である。

 だがライガースはこの先、安定したリリーフ陣につなげられる。

 ただ高橋は五回までなので、残りの四回が問題だ。

 レイトナー、青山、オークレイの流れであると、一人足りない。

 青山などは二回を投げることもそこそこあるのだが。


 点差を広げた上で、他のリリーフにつなげたい状況。

 幸いなことに今日は金剛寺が当たっているので、大介とも勝負をしてくるか。


 勝負してきた。

 剛腕うなりをあげるストレートが内角に。ただこれは昨夜のような、ホームランに出来るボールではなかった。

 それでもライト線際に打球は落ちる。

 二塁から志龍が帰り、これでまた一打点。

 さらにここから大介は盗塁を決めたりもする。


 点差は三点と広がった。

 そして六回は松江。予定通りと言うべきか、ここで一点を取られる。

 七回のレイトナーも一点を取られて、なんと一点差にまで迫られる。

 大介も無理に打ちにいった打球で凡退し、これ以上の援護点はつかない。


 だがここからの、八九回のリリーフが、ライガースは強い。

 青山が三人でぴしゃりと、オークレイもヒット一本は出たが二塁を踏ませずシャットアウト。

 ライガースは開幕五連勝し、そして高橋の勝ち星は通算で195となった。

 あと五勝。

 近いのか遠いのか、去年からのライガースの打線では、かなり期待が出来る。


 大介としては開幕からのホームラン記録が途切れてしまったが、一試合に一本ずつホームランを打っていったら、一年間で143本を打つことになるのだ、

 五試合終了時点で四本のホームランは、当然ながらトップの成績である。




 しかし、これで開幕五連勝。

 この雰囲気の中で、真田の初先発なわけである。

 大介は何も考えずに、開幕からホームランなどを打っていったルーキーシーズンであるが、真田はどうであるのか。


 予告先発をしてあるので、今から変更するのは難しい。

 ただ首脳陣としては、ルーキーにハードな場面で投げさせることになったとは思っている。

 投手と野手とではある程度分かれているので、直接確かめにいくこともない。

 練習中にはそんなことも忘れていたわけだが。


 下手に援護を、などと考えていたのが悪かったのか。

 この日の初打席、大介はこのシーズン初めての三振をしてしまった。

 これまで五試合で三振0という方が異常であったのだが、去年の大介は143試合で丁度50回しか三振していない。

 ホームランバッターとしては信じられないものであるが、高打率バッターとしてはありえる数字である。

 ボールに逃げていくスライダーを、打てると思って追いかけすぎたのである。


 無援護でマウンドに立つ真田。

 さすがに厳しいかと、ショートの大介から何か声をかけようかとも思うのだが、まだこの二人はしっくりきていない。

 甲子園でのライバル状態が、真田側からだけではなく、大介側からも存在するのだ。

 ただ、この心配は杞憂に終わる。


 スライダーとカーブでカウントを整え、最後にはストレート。

 三人ともこのパターンの配球で、二人を三振、一人をキャッチャーフライにしとめる。

 やはり舞台は変わっても、真田は真田ということか。

(なんつーか、後ろを守ってるとナオみたいに感じるな)

 そう思った大介は、この試合にも打点を上げる。

 ホームランこそ出なかったものの、見事に援護した。


 真田も六回を投げて、101球四安打一四球無失点。

 少しリードで大目に球数は使ったものの、見事なデビュー戦であった。

 なお試合のほうも、4-1というスコアで、ライガースはカップスに三タテを食らわせる。

 開幕からまだ、ライガースの連勝は続いていく。

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