第10話 休日の過ごし方
プロになってオープン戦も開始して、大介が思ったことがある。
試合に向けて万全の調子で挑もうとするなら、きつめの練習をする時間がない。
当たり前の話だがプロは開幕してからは、休日も移動日になることが多く、残りの六日が試合である。
週休一日の仕事であるが、その一日も潰れることが多い、ブラックな仕事なのだ。
(ナオのやつ、これが嫌でプロ入りしないんじゃねえの?)
高校時代の直史は、かなりの練習量をこなしていた。
だが練習は嫌いで、上手くなるためにやらなければいけないことをやっているだけとも言っていた。
つまりこういうことだ。
プロの選手がたっぷりと時間を取って練習をしようと思うなら、二軍に落ちる必要がある。
現在の実力で既に通用する人間しか、一軍にはいない。まあ首脳陣のちょっと試してみるか程度で上がってくる選手もいるが。
試合に出るチャンスをつかむなら一軍にいないとダメであるが、練習するなら二軍に落ちるしかない。
つまり試合に出るチャンスをそのままに、今よりも上手くなろうと練習するなら、オフシーズンに励むしかない。
プロとアマの差は何かと、それはそれは色々と言われる。
単純に言えば、金を払ってプレイしているのがアマで、金を貰ってプレイしているのがプロということになるのだろう。
正確には金ではないが、野球手当てが出る社会人はノンプロとも言うし、独立リーグも安いが給料は出るのでプロのうちか。
だがそれらと比べてNPBが最も違うと言うか、必要とされる要素は分かった。
もちろん技術やパワーも違うのだろうが、それ以上に違うのは、プロであり続ける力だ。
入団して即戦力でありながら、一年目だけ活躍して二軍落ち、そこから消えていく選手がいる。
ぱっと初勝利を上げたがすぐに故障して、一軍と二軍を行き来していつの間にか去っている。
プロとアマの違いは体力、スタミナ、持久力、回復力などもあるが、もっと的確な言葉を選ぶなら、耐久力であろう。
プロはプロであり続けることが一番難しいのだ。
そう、マンガ家でも小説家でも、一本か二本の作品を連載し、一冊や二冊の本を出すことが出来る人は、それなりにいるのかもしれない。
だが何年も何十年も、それで食っていく。
それが本当のプロなのだ。
だが体が資本のプロ野球の世界では、実際には五年程度でいなくなる者が多い。
大介のさっさと六億貯めるという目標は、現実を知れば知るほど、金額の大きさはともかく短期間で稼ぐという点は、むしろ現実的であるとも言える。
よく記憶に残るプレーヤーになりたいとか、10年も一軍にいたいとか、フランチャイズプレイヤーになりたいなどという目標を掲げる選手はいるが、ぶっちゃけ二三年活躍して、その前後はぱっとしない選手が非常に多いのだ。
若いうちに集中してどかっと稼ぐ。金剛寺のように20代の半ばをすぎてようやく花開くような例は稀なのだ。
それを思うとライガースの高齢化プレイヤーが多いというのは、超人集団の集まりであるとも言える。
本日はタイタンズとの三連戦を終えて、二つ目のチームとの公式戦の間にある休日である。
ただし本拠地甲子園に戻って、地元開幕のために移動するので、完全な休みではない。
大介は意識する。
地元開幕でのデビュー。そして相手は神奈川グローリースターズ。
つまり上杉との初対決……になるのかどうかは微妙である。
現在のプロの先発ピッチャーのローテーションは、中六日が一般的である。
開幕戦を投げた上杉は、そこから六日間投げないとしたら、四日後から六日後の試合になるライガースとの試合では投げない。
オールスター前後や交流戦の前後では多少間隔を縮めたり、シーズン終盤の順位を決める直接対決では、エースをもっと短いイニングで投げさせることもある。
特に上杉は体力お化けなので、神奈川は割とローテーションを崩す場合があるのだ。
ただそれでも、開幕の三連戦を三連勝した神奈川が、上杉をいきなり中五日で使うのは考えにくい。
初日の先発は発表されたが、さすがにここに上杉はない。
先発するとしたら、さすがに三戦目だろう。ただいきなりローテを崩すのか。
崩すかもしれないと大介は思ったが、崩さないだろうというのが、休日であるのにキャッチボールに付き合ってくれている同期の大原である。
休日であっても新人は練習に出てきたりはするし、それでかえって疲労がたまって練習効率が悪くなったりする。
二軍の大原はともかく、東京まで行っていた大介は大丈夫なのかと思われたりもしたが、大丈夫なのである。
本当に疲労が溜まっていても、ストレッチ程度はしておくのが、白富東の常識であった。
人間の体は基本的に、使わなければ鈍るものである。
ただ全く休まないのは、超回復で肉体を作るのにもよくない。
よって大介は柔軟とストレッチ、そしてキャッチボールと素振りだけをして、昼前から遊びに行く予定である。
そんな大介に付き合った大原は、聞きたいことがあった。
「なあ、プロの一軍の球と俺の球って、どれぐらい差がある?」
「むしろ球以外の部分で差があると思うぞ」
正直な大介の意見である。
大原のボール、特にストレートの質自体は、既に一軍のローテ級である。
問題は守備連繋、そしてこれはボールの内だと思うがコントロール、そして投球フォームである。
「コーチからも色々と言われてるんじゃないのか?」
「言われたのは走りこんで下半身を安定させろってとこだな。コントロールは下半身って言われてる」
「まあそれは間違いじゃないんだけど、体軸トレーニングとかもしてるよな?」
「あ~、あれ俺苦手だわ。あんなもんして意味があるのか分からんし」
「いや、あれすっごい意味があるんだが」
ピッチャーの大原とは、大介は全くポジションを争う必要もない。
チームとしてはピッチャーの成長が勝つためには急務のため、知っている知識は色々と教えることが出来る。
と言ってもピッチャーを打つための技術や理論は色々と憶えていても、ピッチャー用の理論はかなり忘れている大介である。
一年の時から同学年に直史と岩崎がいたので、一応ピッチャー経験もあるため基礎的な部分は修正されたが、その後はピッチャーとしては活躍してない。
「室内練習場行こうか。せっかくだからブルペンで投げようぜ」
これぞ秘密特訓である。
ブルペンのマウンドに立った大原に、力を入れない程度で投げてもらう。
それを横から見ている大介であるが、達人はそれを見ただけで問題点が分かるのである。
ただそれを修正する方法までは分からない。
「お前、股関節がかてーんだよ」
「そんなにピッチングに関係あるか?」
「ないわけないだろ」
他のスポーツはだいたい一流は柔軟性が重要なのだが、野球選手には比較的固い者が多い。
レジェンドである王貞治や江川卓などは、体が固かったというエピソードがある。
大原の場合は蹴り足で生まれたパワーが、股関節が固いことによって少し逃げてしまっている。
しかもここで逆にストッパーがかかって、上体はつっこんでそこで倒れないようにするために、やはり無駄な力がいる。
体作りと柔軟で一年、基礎技術の研鑽で一年、おそらくそこからが大原のプロ野球生活のスタートになるだろう。
「マジでそんなにかかるか……」
「高校時代の指導環境の差だな」
160cmちょいでぽんぽんホームランを打っていた大介は、フォームの大きな修正はされていない。
ただフォロースルーをどう意識するかで、低い弾道で遠くまで飛ばすことが可能になった。
セイバーの行っていたメジャーリーガーの調整メニューは、基本的には既に技術のある選手の、肉体と技術を維持するためのものである。
マイナーの選手の練習方法は本当に色々で、それに肉体的な素養によって、合う方法と合わない方法があるのだ。
「とりあえずお前は、股関節が硬いのが明らかだから、そこだけは意識しないといけないと思うぞ。ただそのためのメニューはコーチにでも聞いてくれ。さすがに責任が持てない」
「佐藤なんかもこんなメニューしてたのか?」
「どっちの佐藤だよ」
「兄貴の方の」
「ナオは……軽くアップして体が温まったら全力で柔軟ストレッチで体柔らかくしてから、短いダッシュを何本かして、あとは投げ込みだったな」
「何球ぐらい?」
「投げられるだけというか、納得出来るまでやってたけど、基本的に毎日500は投げてたな」
「……潰れねえか?」
「実際に潰れてないだろ。だけどこれはナオが特殊なんであって、お前がやったら股関節から潰れると思うぞ」
そこから寮に戻って昼を食べた二人は、一階のトレーニングルームで地味なインナーマッスルの強化に励む。
正確には大原のトレーニングを、大介が眺めているというものだが。バランスボールの上に座って。
そんなことをしていると寮にいた他の若手も混ざってきて、一軍を狙って大介から情報を引き出そうとする。
「いや、別にそんな特殊なことをしてたわけじゃないんだけど、うちのガッコはトレーニングの選択肢が多かったんだよ」
白富東は最初の軽いアップは揃ってすることが多いが、直史などは完全に自分のペースでランニングをしていた。
軽く体が温まったらサーキットなどの前に柔軟とストレッチを存分にやる。それから二度目のアップをやる。
思い出してみれば一年目の冬と二年目の冬では、違うメニューをしていた。
二年目の冬にはセイバーはもういなかったが、直史は色々と試行錯誤していたように思える。
高校のトレーニングメニューがプロで通用するわけはないが、全てが通用しないわけでもない。
例えばパワーを増すのは当然ながら良いことであるが、バランス感覚を保った上でのパワー増量でないと、折角のパワーが逃げていってしまう。
既に一軍で伝説的なデビューを果たしている大介に、アドバイスを求めてくる者は多い。
同期入団の者だけでなく、少し上の者まで。特に結果が出ていない選手は切実だ。
大介としてはポジション争いをするはずの野手にまで、教える義理はない。
だがライガースはポジションの控えが薄すぎるのだ。
ベテランが上手く試合を作っているとも言えるが、二年連続でリーグ五位というのは、そもそもチーム力が低すぎるのだ。
若手が育って、衰えてきたベテランからポジションを奪うのは、奪われる選手にとっては切実なことかもしれないが、チームの代謝としては健康である。
とりあえず打力を求める者が大介に尋ねるのは、どうやったら打率が上昇するのかということと、長打の打ち方である。
「打率はともかく、長打の打ち方は才能みたいっす」
残酷な言葉である。
打率を上げるには、難しい球を見送るかカットして、甘い球を確実に打っていくことだ。
スイングスピードを速くすればするほど、ボールは際まで見ていられる。
あとは遠くまで飛ばすのは、ミートが問題なのである。
大介はレベルスイングの鬼と呼ばれているが、実は最後の最後、ミートした瞬間に意識的には、ボールを下にバットで切っている。
バックスピンをかけて遠くまで伸びる球を打つためだ。
つまりあくまでも意識的にではあるが、フォロースルーはダウンスイングなのだ。
「ええとだから、ボールを遠くまで飛ばす時の必要な要素は、正しくボールの軌道を把握する。それから自分のスイングでそれを確実なポイントでミートする。ただこの確実なポイントが人によって違うし……」
人数が増えてきたので、ノートPCを持っている人間から、ネットに出回っている動画などを出してもらう。
フライボール革命と言われる現在、ゴロを打てというのは基本的には否定される。
結果的にゴロを打つことが必要な場面はあっても、最初からゴロしか打たない練習をしていては、長打は打てないからだ。
しかしMLBではフライボール革命で三振の数は大幅に増え、ムービングではなくブレーキングの変化の多い変化球が復権を果たし、あとは昔から禁物だと言われていた高めのストレートが効果的になったりもしている。
バージョンアップと言うよりは、時代によって流行が違うのだ。
主流になっている常識に対抗するための技術を用いると、過去にあった技術が有効になったりして、それに対抗するにはやはり捨てた技術や戦術が必要になったり、全く新しい戦術や技術が開発されることもある。
「あと動画解析しても完璧に意味不明なのがイチローな!」
バッティングの原則の一部を無視していながら、あれだけ打てていた。
大介でもさっぱり分からない。他のメジャーリーガーのバッティングなどは分かるのだが、イチロータイプを真似したらおそらくほとんどの選手が失敗する。
なお白富東のアレクは、イチローの真似をしているわけではないのだが、イチロータイプに近い。
第二のイチローなどと呼ばれている織田は、実はイチローとは遠い基本的なフォームで打っている。
最後にはまた室内練習場に移動して、大介のバッティングを見せたりする。
マシンではなくピッチャー陣が、豪勢にバッピをしてくれるのだ。
もちろん本気の球など投げないが、大介はそれを一球も逃さずにミートして飛ばしていく。
変化球にも即対応してくるので、ミスショットがない。
「お前、三年間こんなんと同じ県だったのか」
同情される大原であった。
「そりゃ吉兆も打ち取れないはずだわ」
黒田は後輩の吉村を哀れむ。
こんなボコボコうつバッターが同じ県にいてはたまらない。そしてこいつと同レベルのピッチャーが同じチームにいたのだから、それは全国制覇もするだろうという話である。
ボールを飛ばすために必要なのは、スイングスピード、打球の角度、打球に加えるスピンの三つである。
スイングスピードはともかく打球の角度とスピンを加えるための角度は、ピッチャーや球種によって全て違う。
それを微調整してあとは振り切れば、柵越えする。
「言うのは簡単だけど、それが出来るのが天才なんだよな」
「三試合終了の時点で首位打者の打点王だからな」
「三振がまだ一個もないってのがなんなの」
軽い練習をしながらあれこれと騒ぐ。
大介がセイバーに聞いたのは、生まれつきの骨格によって、適切なスイングと言うか、負担のかからないスイングは決まるらしい。
だからそのスイングが上手く長打が打てるものでないなら、長打まではともかくホームランは難しかったりする。
あとは打撃におけるパワーと言うのは、つまるところスピードである。
フォームを崩さずバットを保持するだけのパワーは必要だが、瞬発力型のパワーと持続型のパワーは鍛え方が違う。
じゃあどういうトレーニングが多いのかなどという議論にもなる。このあたりの若手はまだクビを切られる直前などではないので、お互いにライバルでも貪欲に高め合うという意識になっている。
ライガースの人気選手は、確かにおっさん向けの選手が多いのだ。
結局は練習と分析の野球漬けに終始して、休日は過ぎていくのであった。
×××
こちらの第一部は現在カクヨムコンに参加しております。
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