第26話 魂の故郷
プロ野球のレギュラーシーズンはおよそ半年の180日に渡って行われる。
これだけの長い期間であれば、どんな選手でも疲労で調子を落としたり、小さな怪我はしたりするものだ。
スタメン当落線上の選手は、それでも怪我を隠してプレイしようとする。
だが完全にもうレギュラーとして定着している選手は、少し休んで調子を取り戻し、またベストパフォーマンスを出そうとする。
つまり西片が足首を捻挫した。
テーピングで固定すれば出られないことはないとも言えたが、監督命令で二軍落ちである。
全治は二週間。
西片は欠けたら代わりがいない選手なので、ここで短期間抜けてでも、中盤から終盤に怪我を悪化させてもらっては困る。
しかし、先頭打者というのはなかなか難しい。
西片は理想的な先頭打者であった。
打率の高いアベレージヒッターだが、時には長打も打てる。
俊足強肩で、守備が上手い。
あとは先頭バッターとしては必要な、今日の相手ピッチャーの様子を探るという能力にも優れていた。
代わりに誰を出すか、迷うところである。
センターのポジションはともかく、一番打者である。
「今の打率と出塁率で、足もそこそこ早いのとなると……」
「黒田か?」
「せやけどあいつ、一番なんか打ったことあるんか?」
「ただ選球眼はいいですし、意外と盗塁は決めてるんですよね」
さすがに西片のセンターを奪える選手はいないが、野手陣も若返りの波がきつつあるらしい。
「センターは八番小川でええやろ」
24歳の若手は、今も終盤の守備固めなどでは使われることが多い。あとは足も速い。
肩と打撃がそこそこではあるが、守備範囲の広さでは使うべきであろう。
こんな細かいポジションの調整がありながらも、ついに交流戦のシーズンがやってきた。
ライガースはまず、千葉ロックマリンズの本拠地マリンズズタジアムで三連戦となる。
そしてここは大介にとっては地元である。
本当は中学生までは東京に住んでいたのだが、大介はもう千葉県民という扱われ方である。
東京で中学軟式をやっていた時代は、完全に無名だったのでさもあらん。
前日が移動日であったので、大介は久しぶりに実家に戻ってきた。
今は祖母一人が住んでいる家であるが、田舎の付き合いがあるためそんなに孤独であるということもない、
母の再婚先にも顔を出したが、大量に色紙にサインを書かされることになったりもした。
あとは白富東に顔を出して、秦野に挨拶をしたり。
「一年、いい選手そろってますね~」
大介の目から見ても、今年の一年の平均値は高い。
「まあお前らみたいな核弾頭はいないけどな。だけどあいつはけっこういいんだよ」
フリーバッティングで打っているのは、大介とさほど身長も変わらない一年である。
あの体格で柵越えレベルのネット直撃を連発するというのは、かなり珍しいのではないだろうか。
「スタメン取ってるのはあいつだけだな」
「へえ、どこっすか?」
「ショート。大会では三番打たせようかって思ってる」
「倉田かタカはリード専念っすか?」
「それも迷っててなあ」
白富東の野球部の新入部員は、皮肉なことに体育科の設置で数が減った。
去年まではまだしも、今年は入学の時点で、フィジカルエリートが揃っていることが分かっていたからだろう。
研究班の方はそこそこ人数がいるのだが、フィジカルエリートどもとの間に、軋轢が生じかけている。
全体的な戦力は増えたが、それを差配できるかどうかは別の話だ。
大介としては白富東の方向性が、変わってしまったのは残念だと思う。
野球エリートではない人間、もしくは野球エリートの中でも変わり者だけが集まり、全国制覇を目指す。
ただの野球エリートは、クソのようにいけすかない人間もいる。
ナチュラルに野球の実力基準で見下すやつ。大介の場合は体格だけで、既に視界の外であったが。
「ムカつくやつがいたら俺が打ってプライドボキボキにしてやりたいなあ」
「プロが入ったらダメだろ」
高野連が怖い。
しかし大介が見ている中でも、ブルペンで投げてる武史は、かなり別格だ。
最後に見てから半年ほどだが、おそらく球威がかなり増している。
「あいつプロに来るんすかね?」
「タケはなあ……」
は~と息を吐く秦野である。
「なんか最近色ボケしてる。おかげで逆にパフォーマンスは上がってるんだけどな。夏子は~んって感じで」
「すみません、そのネタ分からないっす」
武史の進路はプロか大学かではない。
東京かそれ以外かだ。
実質埼玉に寮があるプロ球団が多いのだが、巨神、大京、東鉄、神奈川、千葉あたりから指名されるなら行ってもいいかなと思っているらしい。
「う~ん……確かにあいつなら、才能だけでかなりのとこまでいけるとは思うんだけど……」
大介としても武史は、素質的には今でもプロで通用するとは思う。
だが、素質だけでやっていくような世界ではない。
「普通に大学行った方がいいと思うんですよね。あんまりプロ向けじゃないんですよ。野球が好きで好きでたまらないとか、自分には野球しかないとか、あとは絶対の自信でもない限り、プロでは……」
「やっぱそういうもんか」
今の武史では、プロの世界では通用しない。いや、来てはいけない。
実力がどうとかではない。これは精神論だ。
だが一つ、もう一度だけ、上の領域に達するための舞台がある。
最後の夏。甲子園。
あそこで何かをつかめるか。
たった一夏の経験値が、選手を爆発的に成長させる。甲子園とはそういう場所だ。
「お前がそう言うんならそうかもな」
秦野としては隣の化け物にそう言うしかない。
大介は五月も月間MVPに選ばれた。
四月は三月の試合も含むため、五月の打点や盗塁などの数は減る。
実際に大介の打点も本塁打数も盗塁数も、全て四月には及ばなかった。
だが確実に上がったものがある。打率、出塁率、そしてOPSだ。
打率 0.344 → 0.381
出塁率 0.487 → 0.535
OPS 1.251 → 1.333
打席 114
打数 84
打点 27
本塁打 8
盗塁 16
四月度と合計すると
打点59 本塁打18 盗塁36
ちなみに試合数は少ないにも関わらず、四球の数は3増えている。
それだけ大介が恐れられているということだ。
大介は高校時代にも怪物とは言われていた。
だが甲子園通算何本とか、甲子園打率というのは、チームの陣容の厚さが違うので、簡単に実力の参考になるものではない。
ただ場外ホームランを打ち、予告ホームランを打つような選手のスペックは、さすがに圧倒的に違ったらしい。
「お前、史上初めての四割打者とか狙っていくか?」
MLBでは過去にはあったが、NPBでは四割打者というのはシーズン通しては存在しない。
そんな無茶に対して、大介は簡単に答えた。
「四割だけを狙うなら、そんな難しくないっすね」
別に気負っているわけでも、甘く見ているわけでもない。
大介の感覚としては、四割を打つのは可能なことではあるのだ。
問題は、大介が四割を打って、それでチームが勝てるのかということである。
打者のバッティングの貢献度は、OPSで算出されることが多くなっている。
OPSで必要なのは打率ではない。出塁率と長打力だ。
大介が四割を打ってしまうためには、対戦する投手から避けられないことも重要である。
敬遠されまくられると出塁率はともかく、打点とホームランが増えない。
三冠王に比べればだが、トリプルスリーが達成しやすいのは、そのあたりにも原因がある。
盗塁の上手い選手は、下手に歩かせると一球で二塁へ進み、二塁打と同じ扱いになってしまう。
だから単打までならOKと、そこそこ勝負してもらえる。
そこでホームランを打ちすぎると、勝負は避けられる。
勝負を避けられすぎると、打撃勘が鈍ってくる。
ほどほどに勝負してもらい、打撃勘を鈍らせないためには、時折わざと凡退してでも、いざと言う時に勝負させるため、打率を落としておいた方がいい。
おそらく大介にしか出来ない、無茶苦茶な考えである。
ただ秦野も納得するのは、プロの試合を見ていても、野手の正面の打球が、運良くキャッチされた場合というのが多いのだ。
あれは、わざと捕らせているのか。
確かに大介の打撃では、ゲッツーになる当たりがほとんどないのは確かだ。
大介は違う次元で野球をやっている。
個人の成績にはこだわっているが、その個人の成績を高めるのはどうすればいいか、しっかりと考えているのだ。
「お前、本気になれば八割ぐらい打てるのか?」
「さすがに無理っす。上杉さんは別格としても、プロのピッチャーは甘くないですから」
タイタンズの加納と荒川。加納は相性良く叩き潰しているが、それでもかなりのピッチャーである。
自分のチームだと柳本、山田、琴山、青山あたりはかなり打つのが難しい。
あとはクローザーの足立も、まさかクローザーにバッピをしてもらうわけにはいかないのだが、かなり攻略の難しいピッチャーなのだろうと思う。どこか底知れないものを感じる。
「真田との対戦成績だって、あまり良くなかったですし」
「お前にもちゃんと弱点はあるってわけだな」
10割の確率で、100%のホームランが打てるバッターがいたとすれば、相手のピッチャーはどうするだろうか。
当然ながら全て敬遠する。
だから野球において本当に大切なのは、打つべき時に打てるバッター。
しかもそれを、ちゃんと勝負してもらえる状況に持っていくことだ。
高校時代の大介は、とにかく打てる球を飛ばせるだけ飛ばすというバッティングをしていた。
わざとある程度は凡退しろとまで言われたが、それでも確実にヒットになる打球を打つ練習にはなった。
今の野球は、バッティング関しては大味になっているお思う。
高校野球や大学野球レベルでは、犠打や打率など、緻密な野球をしている。
だがプロでは基本的に、ホームランを狙っていくというのが普通だ。
もちろんホームランが打てないのがダメだというわけではないのだが、期待値的にホームランを打てる練習はしなければいけないらしい。
秦野としては溜め息をつくしかない。
三割を打つために必死で練習する人間がほとんどの世界で、試合に勝つために四割は打たないようにする人間がいる。
同じ人間で、ここまでの能力差が出るものなのか。
まあ他にも、地方大会では七割を打つ人間はいる。
大介もその延長線上の存在だとでも、考えるしかない。
「チームはトップだけど、ひょっとして優勝出来そうなのか?」
「どうっすかね。ただ今はどんどん選手が入れ替わってきてて、調子がいいのは確かですよ。それをちゃんとベテランが支えてくれてるって感じで」
優勝できるかどうかはともかく、状態がいいのは確かだ。
そうやってのんびりと話していたのだが。
「あ! 大介君だ!」
「発見だ!」
「げえ!?」
ツインズに見つかった。そしてツインズからは逃げられない。
千葉ロックマリンズは成績上昇の機運もつかめず、今年も最下位を走っている。
その中で明るい材料としては、二年目の織田が首位打者争いの二番手集団にいることぐらいだろうか。
上出来の一年目を上回り、二年目のジンクスもなく、完全にスタメンを手に入れている。
マリスタは大介にとっては、夏の甲子園に向かうための、儀式を行うような場所であった。
他の球場も色々と使ってプレイはしていたが、やはり夏の県大会の決勝を行うここが、一番印象深い。
そんなマリスタに、プロに入ってから初めて訪れるわけである。
するとビジターである三塁側には、ライガースの横断幕が大量に飾られている。
スタンドは満員で、ライガース側からだけでなくマリンズの応援側からも、大介に対して声がかけられる。
試合前にもかかわらず、もうダースベイダーのテーマが鳴り響く。
アウェイなのにホームの空気。
甲子園以上に、大介は高校時代の空気を思い出す。
大介の野球の原点は、どこにあるのか。
幼い頃に父から教えてもらったキャッチボールか、それとも報われることのなかった中学時代か。
いや間違いなく魂の原点は、ここにある。
一年生の夏、初めての甲子園を狙い、あと一歩及ばなかった夏。
二年生の夏、甲子園を明確に意識して、優勝旗を手に入れるつもりであった。
そして最後の三年生の夏。
大介の故郷はここにある。
試合前、一人ベンチから出た大介は、マウンドの手前から、三方向に頭を下げた。
その大介の名前を呼んで、拍手が鳴り響く。
「ビジターのくせにホームだな」
マリンズベンチでは織田が、苦笑しながらそんなことを言っていた。
一章 了
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