第159話 総力戦
クライマックスシリーズファイナルステージ第五戦。
ライガースの先発は中四日の真田。
そしてスターズの先発は、中二日で上杉。
途中で天候のために試合が中止になったとはいえ、中二日を二連続で、三試合目の先発である。
しかも前の二試合は、完投勝利しているのだ。
いくらなんでも、疲れているはずだ。
全く疲れていないとなれば、もはや人間ではない。
ただ大介などは、疲れてはいても、かなり体力は温存しているはずだ、と感じている。
第三戦で上杉は、大介以外にはほとんど170kmオーバーの球を投げてこなかった。
あれを疲れからと見るか、それとも体力温存と見るかで、意味が180度変わってくる。
大介にしてみれば、あれは体力温存であった。
単打ばかり打たされて、ガッツリ盗塁を決めたものの、後続を完全に絶たれたのだ。
勝つための勝負には、しっかりと勝つ。
それこそがまさにエースであろう。
一方、ライガースの若きエースも、この試合には力が入る。
これまでの試合が二勝二敗である以上、この試合は引き分けたとしても、三勝三敗一分で、日本シリーズには進めるのだ。
つまり、最悪でもピッチャー陣が、相手を完封に抑えたら勝てる。
そんな試合の先発という重責を任されたものの、真田に緊張などはない。
むしろ勝負が競っている時ほど、真田も燃える。
直史と投げ合って、延長15回までを投げたのは伊達ではないのだ。
一回の表から、基本的にはホームランだけは打たれないような配球。
ただ真田の場合はストレートにも力があるので、三振も奪えるのだ。
まずは三者凡退で、好調のスタート。
だがそのすぐ後にマウンドで、上杉の剛速球を見せられる。
下手をすればこれだけで、心が折れるかもしれない。
だがライガースには大介がいるのだ。
上杉を相手に、シーズン中は14打数3安打で、リーグ唯一の二割を打っている。
そしてホームランがそのうちの二本であり、クライマックスシリーズでも一本を打っている。
初戦で上杉のワンマンショーがなければ、既にライガースは日本シリーズに進んでいた。
この試合でもライガースの投手陣は、どれだけピッチャーを投入してでも、先取点さえとれれば一気に逃げ切る覚悟だ。
真田がすべきことは、絶対に点を取られないこと。
前の試合はノーヒットノーランまであと一歩ということで、今日こそはとの気合も入っている。
もっともプロでノーヒットノーランをやったのは、今の現役では上杉とタイタンズの加納ぐらいか。
一応今年一杯が現役であるなら、高橋もずいぶんと昔の全盛期に、一度達成しているのだが。
一人で何度も達成している上杉は、間違いなく化け物である。
ただ今日のライガース投手陣の最大にして唯一の課題は、点を取られないこと。
当たり前のように聞こえるかもしれないが、毎年の最優秀防御率などの数字を見れば、優れたピッチャーでもあっても一試合完封というのは難しいのである。
平気で完投し完封する上杉のおかしさが、ここでも明らかになる。
ただしライガースには、かなり防御率の優れたピッチャーが二人いる。
山田と真田は、今季完封を達成しているし、リリーフまで無失点で交代という試合もある。
逆に大原などは、それなりに点は取られるものの、長いイニングが投げられるピッチャーなので、これも貴重な存在である。
もしも第六戦にまでもつれこめば、先発は大原で序盤はある程度点の取り合いにして、終盤に真田や山田さえもリリーフ継投し、リードを保つか同点のままフィニッシュを目指す。
だがこの第五戦で、出来れば勝負は決めたい。
雨天順延があったせいで、日本シリーズとの試合間隔が狭まっているのだ。ピッチャーが回復するかどうかが心配になる。
総力戦だ。
たとえ上杉が相手でも、ここで決める。
一回の裏、ツーアウトで大介に打席が回ってきた。
毛利も大江も粘ろうとしたのだが、チェンジアップを投げられて三振。
高速チェンジアップは、そりゃチェンジアップじゃねーだろと言われることもあるが、落差があるので空振りが取れる。
三球三振でなかっただけ、二人は誉めてやるレベルである。
一点がほしい。
真田が最初から全力で投げて、五回か六回までを潰す。
そこからはリリーフ経験も多い琴山や飛田、あとはウェイドに、究極的には山田さえも使ってしまおう。
それをすれば第六戦が厳しくなるのは分かるし、本当に勝率を考えるならば、この第五戦はイニングイーターである大原を先発させて捨て試合にし、上杉が先発してこない第六戦にこそ全てのピッチャーのリソースを注ぐべきだったのかもしれない。
だが、全てのピッチャーの調子が、そんな都合よく調整されるはずもない。
マウンドから睥睨する上杉。
その瞳の中には、おそろしく情熱めいた炎が燃えている。
ゆったりとしたモーションから、大介への初球。
173kmのインハイへのストレートを、大介は振り切る。
打球はほぼ真後ろに飛んでいった。
タイミングは合っているが、ホップ成分が想像以上だ。
二球目、同じくゆったりとしたフォームから投げられたのは、低めに外れるチェンジアップ。
大介もぴたりとバットを止めて、簡単に見極めた。
チェンジアップと分かってからは、完全に目線を切っていた。
次に来るであろう速球に対抗するために。
三球目、はたしてここで勝負してくるか。
また勝負にきたとしても、ストレートを投げてくるか。
本気で勝負ならば、ストレートだろう。
キャッチャー尾田のサインに、上杉は首を振る。
そして少しの時間を空けて、ようやく次のサインに頷いた。
ストレートだ。
そう思った大介だが、微妙な違和感。
そして直感的に、大介はその違和感の方を重視する。
上杉が投げてきたのは、チェンジアップ。
振りにいった大介の体は開いてしまうが、回転するのをぎりぎりまで止める。
そして爆発したように、腰の回転でスイングする。
打球はライト方向、ライナー性でなくフライ性の打球。
後退したライトが、フェンスぎりぎりでキャッチした。
ストレートにこだわる上杉が、首を振ってチェンジアップを待った。
(参ったな)
勝負ではなく勝利にこだわられると、かなり難しいことになる。
だがそれもまた、野球というゲームの内なのだ。
ホームランだけは打たれないようなピッチング。
真田はそれに加えて、しっかりと三振も奪っていく。
両者共に、リーグ屈指のピッチャーである。
だがさすがに上杉のようには、真田も凡退をさせ続けることは出来ない。
ヒットを打たれたり、振らせるためのボール球を見逃されたり。
そうやってランナーが出てからは、スライダーを使って三振を狙っていく。
対する上杉は、三回まではパーフェクトピッチング……になるところだった。
この日のライガース最初のヒットは、ラストバッターであるピッチャーの真田のものであった。
野球のピッチャーというのは大概、身体能力が最も優れている者が就くポジションである。
もっともフィジカルの出力はともかく、コントロールなどに問題があって、バッティングに転向する者は多い。
だが真田は全国準優勝の大阪光陰で、クリーンナップが打てるほどの打撃の持ち主だ。
それにピッチャーの真田に打たれたということが、上杉のメンタルにどんな影響を与えるか。
期待した方が悪い。
同期の同窓に続かんと思った毛利であるが、手元で曲げられたツーシームを打ってサードゴロ。
何度対決しても、上杉は凄まじい。
そのくせ大介以外に対しては、まだ明らかに全力は出していないのだ。
ベンチの首脳陣としては、良く打ったと真田に言うが、本心は少しでも体力や気力はピッチングに向けてほしかった。
この試合はどうにかして、引き分ければライガースの勝ちであるのだ。
だがピッチャーやバッターの本能までは、そう盛り下げることは言えない。
グラブを持ってマウンドに向かう真田は、明らかにヒットを打ったことで、テンションが上がっている。
ここで雑なピッチングをしないように、キャッチャーはリードしていかないといけない。
先日の試合でノーノーを達成しそうになった真田は、確かにモチベーションが上がっている。
だが力任せのピッチングでは、どこかで打たれるのがプロの世界だ。
上杉だって今季、シーズンの中では下位打線に、ホームランを打たれて負けた試合があるのだ。
ただ真田は、油断も慢心もしない。
ここは甲子園で、クライマックスシリーズの第五戦。
たとえあの日のように、自軍の打線が完全に抑えられても、自分が完封さえすれば、それで日本シリーズには進めるのだ。
三番の堀越から始まったこの回のスターズの攻撃も、無難に三者凡退させる。
この四回の裏には、大介の第二打席。
なんだかんだ言いながら、真田もまた大介のバッティングは信じているのだ。
甲子園で場外ホームランを打たれた身としては、それぐらいの期待をしてもいいだろう。
第三戦は上杉相手に、四打数の三安打だった大介。
だがあれは明らかに、打たせてもいいという感じのピッチングであった。
ランナーがいた本当に危険な第四打席は、三振で終わった。
上杉は単純にその場の勝負だけではなく、シリーズ全体を考えてピッチングを調整している。
この試合もまた、投球術を使ってきている。
他のピッチャーにとってみれば当たり前なのだが、上杉にとっては当たり前ではない。
大介はネクストバッターサークルの中で、色々と考えてから、その全ての思考を放棄して打席に立つ。
この回の先頭の大江もあっさりと切られて、そして大介の二打席目。
ホームランを打つマシーンとなった大介であるが、上杉の方は色々と考えないといけない。
スターズはこの試合に勝っても、まださらに第六戦まで勝たないといけないのだ。
あまりにも上杉にかかる負担が大きすぎるが、それでも優勝するためにはこれしかない。
第五戦で、上杉が大介を完全に抑えて勝つ。
その勢いのまま第六戦に持ち込めば、勝つための算段がつく。
そう、大介を止めなければ、他のピッチャーではライガース打線を、無失点に抑えることは難しい。
上杉一人の力でスターズが強くなったように、ライガースも大介一人で強くなったように見える。
だが実際は上杉の投げない試合でもスターズは勝ったし、大介が打てない試合でも、ライガースは勝った。
それでもお互いの最強戦力が、チームのムードを決めることは確かなのだ。
ここまで上杉は、大介を完全には抑えられていなかった。
第一戦ではホームランを打たれたし、第三戦では猛打賞。
結果的に勝っているし、上杉も大介も、ここまでは上杉の勝ちだと思っている。
だがそれ以上に決定的な衝撃を与えなければ、ライガースをぶっ壊すことは出来ない。
打席に立った大介に対して、上杉は人を殺すような視線を向ける。
いや、殺し合いを開始するような視線と言うべきか。
この勝負は一方的なものではなく、二人の超人の、お互いを削りあう勝負だ。
そしてその対決がそのまま、両チームの勝敗へとつながるだろう。
初球から、170kmオーバーのストレート。
大介はそれに合わせて振っていくが、ボールの下をこすってしまった。
真後ろに飛んだファールで、タイミング自体は合っている。
そこから上杉はカットボールを投げてきたが、これは大介のバットに完全に合わされて、ポールの向こうに切れていったものの、スタンドの最上段まで届くフライとなった。
ツーストライクまで一気に取られてしまったが、上杉には分かる。
全力のストレートでないと、大介を抑えこむことは出来ない。
チェンジアップを使うという方法は、もう通用しないだろう。
上杉の内心を、尾田はちゃんと分かっている。
だからそのために、餌を撒く。
ゾーンから逃げていくツーシームの後に、ゾーンを外れたチェンジアップ。
シーズン戦ならこれも打っていく大介であるが、上杉相手のクライマックスシリーズなら、打つべき球は他にある。
ストレートだ。
その急速を活かすために、わざわざボール球を二つ投げた。
次の五球目で、ストレートの勝負球が来る。
上杉もたっぷりとここでは間を置く。
全てのパワーを指先に集中し、ストレートのギアを上げていく。
回転量と回転軸、どちらもパワーが必要なものだ。
そして当然ながらスピード。
マウンドから、上杉の全力のストレートが放たれる。
それを迎えうつのは、大介のバット。
究極のレベルスイング。
だがボールは、高めに外れたミットに収まっていた。
空振り三振。
二打席目は、文句のない上杉の勝利である。
打てなかった。
自分が打たなければ、勝てないのに。
頭の中で、ストレートの軌道を描く。
174kmのストレートは、明らかにそれ以上の球威を持っていた。
大介は目を伏せていたが、投げ終わった上杉も、大きく息を吐いていた。
それだけ全力の勝負であったのだ。
いくらとんでもないバッターであろうと、まだプロ三年目の若手が大介である。
大介が生まれる前からプロの世界にいた金剛寺は、上杉のとんでもなさを認めながらも、それが完璧ではないことも見抜いている。
もちろん他のバッターを甘く見ているわけではない。
だが間違いなく、優先順位は存在するのだ。
(大介、見ておけ)
気配を殺したまま、金剛寺は打席に入る。
気迫はある。だがそれだけで打てるものではない。
しかしプロに入って20年以上にもなる経験が、金剛寺にはある。
初球打ちだ。
(お前の打席は、無駄ではなかった)
アウトローに投げられた、上杉のストレート。
165kmのストレートを、金剛寺は一閃した。
打った瞬間、手応えが知らせてくれる。
長い打球はそのまま、センターの一番深いところに突き刺さった。
数秒の静寂の後の、割れるような球場の大声援。
金剛寺は胸の前で両拳をしっかりと握り、ベースを一周した。
上杉は、確かに超人だった。
だが大介を相手に、何も消耗せずに勝てるわけでもなかった。
気が抜けたわけでもなかろう。アウトローのストレートのコントロールは素晴らしかった。
ただ金剛寺が、そこだけを狙っていたということだ。
野太い笑みを浮かべて、金剛寺はチームメイトのハイタッチに応じる。
そしてベンチの奥から出てきた大介にも、片手を上げる。
大介はその掌を、大きな音を立てて叩いた。
四番の、ライガースの主砲の意地。
隙とも言えないほどのわずかな空隙を、金剛寺のバットは見逃さなかった。
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